無理は禁物
斡旋所の訓練場はこのところとある二人が占領している、といっても元から使われることが少なかったからそれはいいのだけれど。訓練場では疲れ切ったような息遣いが一つ、そして時折なにかがぶつかり合うような音が聞こえる。そんな場所の入り口に顔だけを出して覗き込んでいる人物を見つけ、鎌を腰に差した長身の男、ゲイルが声をかける。
「どうしたんだい、メアリーちゃん。そんなところで」
「あっ、ゲイルさ・・・ま。」
「無理にかしこまんなくていいぜ」
「では・・・・ゲイルさんこそどうしたんですかサボりですか?」
「相変わらず厳しいねぇ」
メアリーの辛口を笑って流したゲイルは、彼女の後ろから訓練場の中を覗き込む。10センチ以上の身長差で後ろから見たその視線の先では・・・
「脆い」
「ちぃ!」
パキンとグレイブの木剣の一振りでクレイの持っていた赤い短剣がいともたやすく砕かれる。クレイは舌打ち一つで柄だけになったそれを捨てて、グレイブから距離をとり新しい武器を"念力"と"血流操作"により作ろうとして、
「遅い」
グレイブはクレイに一瞬で近づくと心術の発動に集中しているクレイの無防備な腹を思いっきりぶん殴る。その衝撃に「ごはぁ!」と息を吐き、クレイが腹を抑えてうずくまる。クレイの手元で"念力"が解け、圧縮された血液が地面へと落ちる。
「ほら、もっとやれるだろ。さっさと立て」
「うるっ、せぇ!」
手をクイックイッと曲げ、挑発するグレイブに怒りの声をあげながら再度目の前のグレイブへと突っ込むクレイ。それを笑いながらもどこか真剣な様子で相対するグレイブ。
「なかなか頑張ってるじゃねえか」
「なにもあそこまで・・・、あぁ!また吹き飛ばされた!」
入口から覗き込むメアリーから心配そうな声をあげる。今にでも間に割って入りそうな彼女をゲイルは後ろからまあまあとなだめる。実際、血を使ったやり方や腹パンは彼にとってよくないもののように見える。しかし、
「落ち着きなって。手加減したら意味がねえ、というかクレイが納得しねえんだ。」
「だからってもう少しやりようがあるでしょう!」
「そこら辺のやつならあいつは素手で事足りるはずだ。要するに手加減できるような状態じゃあねえってことだ・・・っとそろそろだな」
「な!?なんで引っ張るんですか!?」
訓練をしている二人の邪魔にならないように小声でなだめていたゲイルだったが、何度かクレイが吹き飛ばされたところで頃合いだと目の前で憤慨しているメアリーを引っ張っていく。足音に気づいたグレイブは二人のほうへ顔を向ける。吹き飛ばされたクレイは地面に倒れて動かない。
「ん?おお、ゲイル。それにメアリーさん」
「グレイブ。そろそろ依頼の時間じゃあねえか?」
「おお、もうそんな時間か。じゃあ後は頼んだわ」
「クレイさん!大丈夫ですか!?」
グレイブのことはよそに倒れているクレイに駆け寄るメアリーーがすぐそこまで近づいたその時・・・倒れていたクレイはバッと体を起こし、赤いナイフをグレイブめがけて投げつける。ナイフはメアリーの頬のすぐ横を通り過ぎ、彼女を死角としてグレイブを強襲。
「"斬意"」
「"風壁"」
しかしそれがグレイブに届くことはなく、ナイフは空中で"斬意"によって両断され、その破片すらもゲイルの気流で壁を作る心術、"風壁"によって地面に叩き落とされる。不意をついたはずの攻撃が届かず不満げなクレイにグレイブは笑って語り掛ける。
「考えはよかったぞ。問題はまだ強度が足りないことと、・・・周りを見てなかったことだな」
「あ?」
倒れたまま顔をあげたクレイは意味が分からないといった声を漏らすが、グレイブの言葉の意味をすぐに思い知ることになる。
「クレイさん!心配してたのに、あなたって人は!」
先ほどの心配そうな顔から一転、怒りで語彙力を失ったメアリーがクレイの頬をぐいっと引っ張る。ゲイルは後ろで笑っていたが、その横のグレイブは暴走するのでは・・・と心配していたが、そんなことはなくクレイは甘んじてそれを受け入れている。
「すみましぇん」
「あなた謝る気ないでしょ!もう分かってるんですからね!」
「あーメアリーさん、そろそろ依頼の話を・・・」
グレイブの声に手で頬をつまんだままメアリーは振り返る。「無理させすぎ!」とキッ!とにらまれ、人類最強の男は思わずたじろぐ。グレイブを少しの間睨みつけていた彼女はやがてフーッと息を吐くと、クレイから手を放し斡旋所の制服に着いた土を掃って立ち上がる。
「今日はこれくらいにしておきます・・・・・さぁ、グレイブさん行きますよ。あなたにはたっくさん依頼が来てるんですからね!」
「あっ、はい」
メアリーに引っ張られて人類最強の男はとぼとぼとその後ろをついていく。残されたのはクレイとゲイルの二人。
「あの二人、結構相性いいと思わないか?」
「・・・・・知るかよ」
ゲイルの言葉を一蹴して地面に倒れていたクレイはスクッと立ち上がる。
グレイブは"人類最強"という立場あってか多くの依頼が回ってくる。大抵誰も達成できないような依頼や早めに処分しなければならないものばかりなので初心者のクレイはついていけない。だからクレイとの訓練は4~5時間程度で残りの時間は一人で依頼を受けて回っている。
そのためクレイはグレイブとの訓練以外の時間は一人で依頼を受けたり、町にある図書館で本を読んで情報を集めたり・・・・一人もしくは他の人と戦闘訓練をしたり。
「さっきグレイブとやったばっかだろ。休まなくていいのか?」
「問題ねぇ」
クレイはそう言って、ポケットから二つの小瓶を取り出す。コルクで封をされた小瓶にはそれぞれピンク色の液体と緑色の液体が入っている。
ピンク色のほうの液体はグレイブがザックの店で買ってきていたものだ。"増血薬"と呼ばれ、体内の血液の量を増やすことのできる薬だ。これがあるからこそクレイは血で武器を作るといった技が使えるのだ。
そしてもう一つのほう。グレイブに黙って購入、服用しているこの緑の薬品。名を"強壮薬"といい、体内のエネルギーを回復させるものだ。様々な薬草で作られ副作用は特になし。
これだけ聞けばただの良いもののように聞こえるが、この薬の問題は脳には作用しないこと。つまり脳は疲れたままで「休みたい」や「眠たい」といった意識は残ったまま。本来ならば気休め程度にしかならないもの。人間は欲望に抗えないのだから。
しかしそれはただの人間であれば、の話である。
クレイは瓶の中身を二つともを一気に飲み干し、空になったそれらを放り捨てる。空いた手元では血液で短剣をつくる。戦闘中ではない、その落ち着いた意識は一瞬で彼の武器を完成させる。
「薬に関して黙ってんのは大人としてすまねえが・・・・」
ゲイルも腰の片手鎌を二本、両手に。薬を使わせてまで訓練するなんてこと体のことを考えてやめさせるべきなんだ。しかし、
(あいつの訓練のおかげか・・・様になってやがる)
ゲイルは目の前の御馳走に舌なめずりをする。メアリーに見られていたらまた止められるだろう。だが、俺もグレイブも男として、戦い生きる者として止めれれないのだ。この強者との戦いの興奮を。この本能を。
「手加減できねえぞ。クレイ」
「当たり前だ」
クレイは薬と怒りで体を支える日々を過ごした。食事はほとんどを携帯食で済ました。例外はグレイブ等他の先輩冒険者におごってもらった時だけ。寝る時間を減らして訓練に回した。回復しない体を薬で補強し、折れるはずの精神はあの日を思い出して体を動かさせた。
時折、睡眠不足で気絶するが悪夢を見て目を覚ます。そして自分の弱さに怒り、己の体に傷が出来るほどの力で爪を立てる。空腹で来る吐き気は、ペンダントを握りしめてあの日のことを自ら思いだす。
日に日に目元のくまが大きくなり、目は血走り、訓練とはまた別の生傷が増えていった。しかし対照的にクレイの実力は・・・確実に上がっていった。
"憤怒の心核"は怒りを力に変える。日に日に溜まるストレスと短い期間に詰め込まれた膨大な訓練が彼の力を強くする。
グレイブは異常な成長速度に驚きながら、その武器を木剣から真剣に変え、その顔から余裕が抜け、クレイとの戦闘で増やす傷を、当てる回数は増やしていく。そしてその"強くなっている"という感覚がクレイをよりストイックな生き方を加速させてしまうのだ。心配する者もいたが、その気迫で口を閉ざさせた。
しかしそんな生活にクレイの精神はともかく体が耐えられるはずがなかった。
「あれ?」
「は?・・・・おい、クレイ!大丈夫か!?・・・クレイ!」
その生活を二週間ほど過ごしたある日、いつも通り訓練場でグレイブと試合形式の訓練をしているときだった。やけに頭の重い日だった。
血の短剣片手に攻撃をしようと一歩踏み出したその時、カクッと膝から力が抜けたと思うとそのまま地面へと倒れこむ。立ち上がろうとするも体は動かず、むしろクレイの意識は遠ざかっていく。閉じかけた瞼の先で慌てて駆け寄ってくるグレイブを見ながら、クレイはその意識を失った。
目を覚ましたのは自分の借りている宿の一室。天井を見上げるクレイはゆっくりと体を起こす。窓からの光の角度で朝であることが分かる。近くの机には革袋と首飾り、そして大量に積まれたガラス瓶。そして
「目ぇ、覚めたか」
この部屋まで運んでくれたであろうグレイブが椅子に腰かけ、じっとクレイの方を見ていた。グレイブの瞳にうつるのは安堵と、僅かな怒り。
「怒ってんのか?」
「あぁ、怒ってるな」
グレイブの言葉で彼の重さに耐えるように座っている木製の椅子がギシッと音を鳴らす。グレイブはその後、視線をクレイから机の上の大量のガラス瓶へと移す。グレイブも彼の怒りは分かっていてもまさかここまでするとは思っていなかったのだ。ここまでのものだったかとため息を吐く。
「とりあえず、今日は休みにするからゆっくり休んで・・・・・」
「そんな必要はねぇよ。全然問題ない」
これは嘘だ。クレイの視界は歪んでいるし、頭痛もおさまっていない。それでも一日たりとも楽をするわけにはいかないのだ。休んでしまえば怒りが緩まってしまうから。
グレイブは再度息を吐く。それを肯定の意だと思ったクレイは「すぐに準備する」と体を動かそうとする。しかし、その後のグレイブの言葉はクレイの想像していない言葉だった。
「クレイ。"黒重印"っつう心術を知ってるか?」
「? ああ」
グレイブの突然の関係のない質問に疑問を覚えながらクレイは答える。
"黒重印"とは重力場を発生させ、物体を固定させる心術・・・と本で読んだ覚えがある。重力という目に見えないものを作ることからかなりの高等心術だと。
クレイに「そうか」と返して、なぜかグレイブはベットに座るクレイへと手を掲げる。
「なら、手間が省けるな・・・・・・"黒重印・四点"」
「なっ!?」
クレイの不思議そうな顔が驚愕へと変わる。グレイブの言葉に呼応するようにクレイのベットに置かれた四肢の上に黒い球体が現れ、クレイの手足を地面へと押さえつける。幸い下がベットであるおかげで痛みはない。
「こんな・・・もん・・・っ!」
「"固定する"心術だ。抵抗するほど押さえつけるから力じゃあ解けない・・・・それにあんまり力を入れすぎるとベットが壊れるぞ。弁償すんのはお前だからな」
クレイは立ち上がろうと力を込めるが、グレイブの言葉通り力を込めるほど重力は強くなり、またミシミシとベットの本体が嫌な音を立て始める。
ダメ押しの金の話が効いたようで、その音を聞いた途端クレイは力をいれるのをやめる。簡単に解けるものではないと分かってしまったから。
「おとなしく休んでろ。俺は仕事に行くからな」
「はぁ!?おい!」
グレイブはクレイの怒りの声を無視して部屋を出ていく。手足を抑えられたクレイには叫ぶことしかできない。グレイブがいなくなった後、少しの間クレイの怒声だけが空しく響いていた。