師匠と弟子と受付嬢
クレイの最初の行動は生成した短剣の投擲。"血流操作"により強化された腕から放たれたそれは風を切り、グレイブを襲う。それをグレイブは体をひねるだけで躱す。今回も受けに徹するようだ。
しかし躱したと思われた赤い短剣は空中でくるりと回転すると、回避をしたグレイブのほうへと刃先を向け、一瞬静止。そしてまるでグレイブの方へと引っ張られるように急加速。
「おっ」
僅かに驚いた声を出すが、慌てる様子もなくグレイブは"念力"でその軌道を変えようとするが、僅かに速度が落ちる程度で軌道を変えるに至らない。グレイブはすぐさま意識を切りかえる。イメージするのは弱めの斬撃。
「さすがに"念力"ではダメか・・・・"斬意"」
赤い短剣と"斬意"が空中で衝突。火花を散らして赤い短剣はグレイブの足元へと突き刺さる。休む暇を与えずクレイはグレイブの腹部へと蹴りを放つ。それをはたき落とそうと下へと視線を向けたところで、
(しまった!)
まんまとフェイクに引っかかったグレイブへとクレイは木剣を振り下ろす。死角をついたはずのその攻撃は・・・あろうことかグレイブの片手で止められた。
片手真剣白刃取りの要領で掴まれ、進むことも引くことも許さない。
「知らねえだろうが"念力"とかは自分のものって意識に影響を受ける。お前の"血流操作"も自分のより人の血液を操んのは苦手だろ。自分の血から作った武器なんてもろに影響を受ける。だからその考えはよかった。」
グレイブは剣を止めたままで教えを説く。最初はその奇抜さと偶然の重なりに驚いてはいた。特に"念力"で血液の形を変え、"凝血"で武器に変えるという動きは教えたことのみでできるかなり良い策のように思える。しかし・・・
「だが、血を使いすぎだ。その後の動きが遅くなってる。緩急をつけようにも最大速度が遅くなってりゃどうしようもねえだろ」
そう。血を使ったことで貧血状態になったクレイは明らかに速度が遅れていたのだ。簡単に木剣を止められたのもそれが理由。流石のグレイブもいつもの速さでは簡単には止められなかったはずだ。グレイブは呆れたように言った。というのも話している間、クレイは止められた木剣を離していなかったからだ。
武器を離せばいいものをクレイは剣を持ったまま鋭い眼光でグレイブの目を睨み続けている。
「ったく、まだやんのか・・・っ!!」
クレイのその心意気に呆れながらも感心していたとき、突然グレイブは受け止めていた木剣を手放すと逃げるように後ろへ大きく跳び下がった。次いで飛び上がる赤い物体、血の短剣はクレイの"念力"により頭上へと浮かび上がり、落下。
そしてグレイブの頬に現れる一筋の切り傷。浅く小さいが確かに暴走していない状態で初めてつけた傷だった。この傷をつけるためにずっと隙が出来るのを待っていたのだ。なでると血を吐き出す傷口にグレイブは満足げな表情。
「ま、第一段階はクリアってところか・・・じゃあ一度休憩を」
「おい、なにやめようとしてんだ」
ブウォン!と轟音を鳴らして強襲するクレイの剣は今度はいともたやすく躱される。グレイブの言葉にクレイは不満げな様子で短剣を拾い上げ、構える。
「休憩なんざ、必要ねえ。俺はまだ動ける」
途端クレイから放たれたのは怒り。「なめんな」もしくは「ここでやめたら殺す」と言っているように感じられるそれを受けグレイブは引くことはしない。出来なかった。その理由はクレイの調子のよいときにやめる必要はないという彼を思う心と、彼よりも先に音をあげるわけにはいかないという教える側としてのプライド故。
はあーっとため息をつきながらもどこか楽しそうなグレイブは今までの訓練で一度も抜かなかった大剣を抜く。
「やる気があるのはいいが、手加減は出来ねえ。・・・後悔すんなよ」
グレイブは一歩前へ出る。グレイブがしたのはそれだけ。なのに大気が震え、周りに止まっていた鳥たちが一斉に飛び立ち、クレイは本能的に半歩下がった。それでもクレイも一歩前へ進みだす。
「後悔なんてもうやり切ったよ」
クレイの独り言を零す。その言葉を置いてクレイはグレイブへと駆け出す。
二人の戦闘訓練は日が暮れるまで続くのだった。しかもその幕の引き方は・・・・
「いつまでやってるんですかぁー!」
二人の木剣がぶつかりあい、轟音を鳴らす。と同時に響くそれ以上に大きな声。訓練場に現れた声の主、メアリーは腰に手を当てて、僅かに怒気を含んだ声を出しながら二人に近づいてくる。
「よう、メアリーさん。今ちょっと手が、」
「今ちょっと、じゃありませんよ!今何時が分かってるんですか!?許可は出しましたけど限度ってもんがあるでしょう!?それに・・・」
「お、おう?わ、悪かったよ」
グレイブはいつもと違うメアリーに対して言葉が出てこない。ほぼ自分達にしか非がないため返す言葉がなく、謝ることしかできない。しかしクレイは「隙が出来た!」と言わんばかりに手に持っていた血の短剣に"念力"を加えてグレイブの方へと・・・
「"妨伝"」
「あ・・・?」
グレイブの方を向いたままメアリーは心術を発動。クレイの意識が一瞬飛び、力が抜けたようにカクンとその場に膝をつく。"妨伝"は相手の脳への電気信号を一瞬だけ妨害する心術。しかしそれを知らないクレイは初めての感覚と不意をつかれたことで立ち上がるのが遅れる。
惚けて立てないでいるクレイの方をメアリーは「クレイくんもですよ」と言ってそちらを向く。
「頑張るのは良いことですけどねえ・・・・ちゃんと自分の体調のこととかを考えて、って聞いてますか?」
月明りの下、説教が続く。彼女の相手を思う正論の前では「人類最強」も「憤怒の心核者」も顔をあげられないのだ。その彼女にいつもの受付嬢としての姿はなく、まるで姉のような・・・母のような様子で二人へ叱り続けるのだった。
それから30分ほど経ったとき、いまだに暗くなった訓練場の真ん中で二人を叱責していたメアリーの耳にぐぅという音が入ってきた。鳴ったのはクレイの腹の虫。しかし、その音から自分がやっていたことに気がつき、照れたように頬を染めた。「んんっ!」と咳払いを一つ。
「えーっと・・・・とりあえず、ご飯を食べましょうか?」
「ああ、それがいいな。酒場が開いてるだろうし・・・奢るぜ。メアリーさんもな」
「じゃあ・・・お言葉に甘えさせてもらいます」
尋ねるように提案をするメアリーにここぞとばかりにグレイブが機嫌をとるようにか体を持ち上げながら答える。その誘いに言葉を返すと「では少し片づけをしてきます」と言って、二人の使っていた木剣を二本とも持ち上げると、そのままスタスタと戻っていく。
「それなりに重さがあるはずなんだけどな・・・・・血は争えねえってやつか」
そうグレイブがしんみりしていると今まで黙っていたクレイが立ち上がる。そういえば珍しく静かに聞いてたな、とグレイブは気づく。短気なクレイにとって長い説教なんてすぐに切り上げると思っていたのだが、
「えらく静かじゃねえか、クレイ」
「ん?まあ、約束だからな」
「時々言ってるその「約束」ってのは・・・・」
「そんなことより奢りってのは本当だろうな」
グレイブの言葉を遮るようにクレイは言う。それは本当にどうでもよかったのか、それとも話したくなかったのか。ともかくわざとらしい口のはさみ方に深入りする必要はないな、とグレイブは切り替えることにした。
「もちろんだ。体作りも訓練の一環だからな。好きなだけ食え」
その日の晩飯はグレイブにとって恐ろしい時間であることをグレイブはまだ知らなかった。
「遠慮するな」
その言葉から始まった夕食だがグレイブはそこまで危機感を持っていなかった。奢る相手は憤怒の心核により食欲が薄い少年一人と女性一人。しかも金銭に関してはそれなりに余裕がある。だから大丈夫。そう思っていた・・・・・
メアリーに関しては他の女性よりも多く食べるという程度だった。それでも男性顔負けのかなりの量だったのだが、問題はクレイ。薄いとは思っていたがそれは欲だけの話。体に必要な栄養は変わっておらず、むしろ"血流操作"の影響で増えていると言えるためとにかく食べる。
それでも楽しい食事だったならまだましだったのだがそんなこともない。斡旋所の中故か先ほどとは打って変わって堅苦しい感じに戻ったメアリーと食事を栄養補給の手段としか考えていないクレイ。特に話すこともなく、ただ届く料理を食べ、メアリーと業務連絡のような話をする。
クレイに好きなだけ食えと言ってしまったため途中でやめさせるわけにもいかず、ただ積まれていく皿に青い顔をするグレイブ。そんなグレイブのことなど考えもせずただ栄養補給のため、体作りのために無心で頬張るのだった。
「もうお前には奢らねえ・・・・」
帰り道、げんなりとした表情のグレイブと疲れと食事で今にも倒れそうなクレイ。ちなみにメアリーは道の途中で別れたところだ。
「遠慮するなって言ったろ」
「あれは社交辞令っつうか・・・・・はあ、お前いつもあんな食べんの?」
「いや、いつもはもっと少ねえよ」
どことなく満足げな様子でクレイは答える。いつもよりわずかに嬉しそうなクレイの横顔に「ま、仕方ねえか」とグレイブは顔をあげる。視界の先に宿屋が見えた。
「明日からは心核能力の訓練、心術の訓練、戦闘訓練、実戦を同時並行する。今までとやることはあんまり変わらねえが、覚えることは多くなる」
「望むところだ」
「じゃあな。ゆっくり休めよ」
グレイブがひらひらと手を振っているのを尻目に宿屋に入っていく。僅かに自分の部屋が3階であることを恨みながらクレイは部屋へとたどり着く。荷物の入った革袋をベットに投げ飛ばし、そのまま床に倒れこむ。
(体、いてえ・・・・・くそっ、かするぐらいしか出来なかった)
クレイは今日のことをふりかえる。体の節々が痛い。まだ手を抜かれていたから大きなけがは自分で作った左手の傷以外にない。
この振り返りは彼にとって意外に重要なことで"怒り"が力となるため、自分の弱さを恨むことで力を蓄えているのである。その恨みが消えるとき、つまり目的を達成し自分が強くなったと認識するまで強くなるバネとなるのだ。
彼はちらりと小さな机の上を見る。置かれているネックレスは月光を反射してキラキラと光っていた。
(風呂・・・・入って、着替えないと・・・・姉さんに・・・怒られるなあ)
ずりずりと風呂場の方まで何とか這って進もうとするが疲れた体はクレイの思いを無視する。足は動かないし、やけに瞼も重い。そしてしだいにクレイの視界は暗くなっていった。
(ああ、くそ。・・・もうだめだ)
そしてプツリとクレイの意識は床の上で途切れる。もう彼にとってはベットでも木の床でもどうでもよかった。唯一の問題は「大きなけがをしない」や「清潔にする」といった約束を破ってしまったこと。心の中で謝りながらクレイは固い床の上で床に就いた。