湧き上がる不安
「もっと速く」
連続で木剣を振る。しかし躱される。決してクレイの攻撃が遅いわけではないはずなのに。まるで未来でも見えているかのように左、右と避ける。グレイブは反撃の意志を見せない。
五回ほど剣を振ったところで握っていた剣を離す。すっぽ抜けたように木剣がクレイの元を離れ、目の前のグレイブの顔面向かって飛んでいく。しかしそれをグレイブは首を曲げることで平気な顔をして避ける。
遠心力をもって回転しながら強襲した木剣はグレイブの顔があった場所をするりと抜けていく。
「ほらほら、当ててみろ」
グレイブの煽るような声。
クレイは手のひらを向ける。そして空中にある透明な何かを引っ張るような動作をした。するとグレイブの後ろで彼方へと飛んでいこうとしていた木剣がピタッと一瞬静止した後、ビュ!とクレイの方へと加速する。
"念力"により加速した木剣はクレイとの間、グレイブを襲うが、その死角から追撃もしゃがまれることでグレイブの頭上を抜けていく。
(くそっ!当たんねえ!)
自分の攻撃が当たらないことに対してクレイのイライラが募っていく。
速く強くなりたいという焦燥が、勝ち目の見えないことの無力感が、グレイブへの怒りを加速させていく。理由はもうよくわからない。
(なんで当たらねえ!?くそっ!)
手に戻ったてきた木剣の柄を怒りを込めて握りしめる。そして大振り。
そんな見え見えの攻撃をバックステップで回避したグレイブの足元を大きくえぐる。飛び散る砂埃がクレイの目に入りこむが気にせず、もう一度・・・
「バカヤロウ」
ドゴッ!という鈍い音がしてクレイの手から木剣が離れ、後方へと吹き飛ばされる。鼻に強い衝撃が走り、口の中で血の味がする。
「がっ・・・・」
短い声を出してクレイの意識が飛びかける。薄れゆく意識の中で視界に映ったのはグレイブの膝。膝蹴りを食らったのだ。そう理解したときクレイは地面に倒れこんでいた。目の前のグレイブはあきれたような、困ったような顔。
「分かってるか?お前、なってたぞ」
「・・・すまん」
クレイはグレイブから目をそらし、上を見上げる。訓練場は天井がなく、青い空が映し出されている。日光が直接目に入り、慌てて目をつむり、思いだす。
クレイが目覚めてから3日目。今日まで起きている時間はグレイブとの実践だった。とは言ってもグレイブは剣を抜いていない。最初に言われた通り「当てられるまで終わらない実践訓練」を今日までやってきた。グレイブが言うには「まだ基礎もできてなく、傷も治りきっていない」とのこと。
今までクレイの剣はグレイブに当たっていない。剣を振り、躱され、時々休憩とアドバイスを貰う。グレイブの教えることは「ここの隙が大きい」だとか「あの動きの次はこう動くといい」といったものでなかなか様になっていた。教師でもやっていたのだろうか?とクレイは少し思っている。
この訓練の理由は"基礎的な体の動かし方"と"怪我"以外にもう一つ理由があった。それが"心核の力を制御すること"だった。前にグレイブと食事していた時に話していたことだ。
「心核の力はその感情とか欲望の目的を達成する力を与える。お前の場合の"怒りを晴らす"みてえにな。だからその思いが強いほど力が強くなる。だが逆にその思いが大きければ大きいほど"理性"はなくなってく。こんな感じでな」
グレイブはそう言ってコップに水を注いだ。つまりコップの入っていない部分が思考できる余裕つまり"理性"であり、水が注がれるほどその余裕はなくなっていく。
注がれた水がコップの表面にまで達したときグレイブは水を注ぐのをやめ、水入れを机に置いた。衝撃が机を通して伝わり、コップから僅かに水が溢れる。
「そんで強すぎると溢れちまう。暴走状態だ。理性がなくなりゃ後はその目的のために身体を動かすだけになる。そうなりゃ敵も仲間も関係ねえ。」
そう言われ、クレイは「あんたは死なねえだろ。それに仲間なんて作る気はない」と言ってやったがグレイブは「いつかできるさ」と笑って・・・・
「おい、起きろ」
「はっ!」
グレイブの言葉でクレイは覚醒し、体を起き上がらせる。少し気を失っていたようで、起き上がった場所は倒れたときと違い広い空間の端、荷物を置いていたスペースだ。グレイブが運んできたのだろう。
当のグレイブは「頭はやりすぎたかなあ」などと呟きながら心配そうな視線をクレイに向けていたので、「大丈夫だ」と返し、立ち上がる。手を開け閉め。体に異常はない。
「よし、じゃあもう一度・・・・」
「いや、とりあえず終わりだ。まずは休め。」
ひょいっとグレイブからクレイの革袋が投げ渡される。まだやれると不満そうなクレイではあったが革袋から水筒を取り出し、飲む。水筒から流れ出た水がクレイの喉を潤す。そんなクレイにグレイブは不思議そうな視線を向けていた。そんな視線にクレイも水を飲みながら視線だけをそちらへ向ける。
「・・・・・なんだよ」
「いや、ほんと似合わねえなって」
「はあ?」
「ケンカ売ってんのか?」とクレイはほんの少し怒りを見せる。しかしグレイブがそう思うのも無理はない。傷だらけで、怒りっぽい黒髪の少年が持っていたのはピンク色の水筒。誰が見ても違和感を覚えるだろう。言われたことの意味に気づいたクレイは顔色を変えない。
「見た目なんて気にする必要ないだろ、使えりゃ」
クレイはグイッと水筒の中身を飲み干すとそれを革袋に突っ込む。クレイからすれば返す約束があるため使い続けることでそれを忘れないようにしているだけなのだがそんなことをグレイブに言う必要はないと考えていた。クレイは代わりに質問を返す。
「んで?今からどうすんだ?」
「飲み終わったか。じゃあ木剣返して一階で待ってろ」
よっこいしょとグレイブは腰を上げる。質問に答えないグレイブにクレイはイラつきを見せた。
「だから、どこにだよ?」
しかしその言葉に答えることはなくグレイブは訓練場から出ていく。クレイは舌打ちを一度、そして地面の小石を蹴り飛ばすと同じく訓練場を後にするのだった。
「くそっ、遅い」
明らかにイライラにした状態でクレイは斡旋所の飲食スペースの椅子に座っていた。視界の先では冒険者と思われる人たちか入ってきては出ていく。クレイは言われた通りに一階で待っているのだがそう伝えた張本人のグレイブは奥に入ったまま出てこない。どこに行くかもわからないためこうして入口の方を見ているのだが・・・・・
「なんでアイツはあんな化け物じみてんだ」
クレイはぽつりと呟く。クレイは今までの経験から人の実力というものを推測できるようになっていた。しかし戦闘経験が豊富そうな冒険者たちの中でもやはりグレイブは別格。クレイが殺った聖騎士よりも強いとまで思える。
実際、グレイブは暴走状態の自分を難なく止めるほどの力を持っている。今の訓練でも躱すだけで剣を持たせることすらできていない。いったいなにを食ったらそうなるんだ?とクレイが思っていると・・・
「ふっふっ、知りたいか?少年よ」
「あんたは・・・・ゲイル」
それを見計らったかのようにクレイの後ろから声がかけられる。声の主ゲイルはクレイの答えを聞くよりも先に口を動かし始める。
「グレイブの強さの秘密、それはな・・・・・・・」
「勝手に人のことを話すのは感心しませんね。ゲイルさん」
ゲイルの言葉を妨げるように現れたメアリーは手に持っていたファイルらしきものでゲイルの頭をペシッと叩く。ゲイルが後ろをふりかえると呆れたような視線が突き刺さる。
この二人は斡旋所の人のなかでもよくクレイに話しかけてくれる人たちで、暴走を目の前にしながら恐れず話しかけてくれる人の良い性格である。
「おっ、メアリーちゃん。仕事はいいのかい?」
「ゲイルさんこそ、仕事はいいのですか?受注している依頼がないのでしたら、」
「ああっーーと!そろそろ行かねえと、悪いなクレイ」
メアリーがファイルを開いたのを見てゲイルはそそくさとその場を立ち去っていく。メアリーはため息をつくとクレイの方へ笑顔で向き直る。
「お話の邪魔をしてすみません。・・・・一つ教えるのならグレイブさんは元から強かったですが、それだけではないんです。あの人は・・・・・」
「メアリー!手ぇ貸してー!」
メアリーの言葉を遮るように、もう一人の受付嬢ミーヤが彼女を呼ぶ。その言葉で吐き出しそうになっていた言葉を彼女は飲み込んだ。
「これから先のことはご自分で聞かれた方がよろしいかと」
そう言ってメアリーは入口の方を指差す。その先でグレイブは壁に背中を預けたまま入ってくる人たちと会話をしていた。クレイは立ち上がり、そちらのほうへ歩いていく。途中軽く頭を下げたクレイにメアリーは同じように頭を下げた。
「すまない」
「いい」
クレイとグレイブは軽く言葉を交わす。その後、クレイは先ほどのことを聞こうとして・・・やめた。結局は人のこと。今は自分のことだけを考えていればいいのだから。代わりに尋ねた。
「で、どこ行くんだ?」
その言葉にグレイブはニヤリと笑う。
「お前の好きな、金稼ぎさ」
二人がやってきたのは砂漠とは反対側の門の先の森。歩いてすぐのところだ。さわやかな風と程よい日光。常人なら昼寝の一つでもしようといった空間でそんなものとは無縁とばかりの二人は森の中へ中へと歩いてゆく。クレイは腰に砂漠で貰った長剣を差し、背中には小さめのリュック。目的は斡旋所の依頼。
「今回の目的はゴブリンっつう"心獣"の討伐だ」
「・・・なにも分からない」
ほいっとグレイブは斡旋所でとってきた依頼書をクレイへと手渡す。クレイはそれをまじまじと見るが「ゴブリン」も「心獣」も聞いたことのない単語だ。初めて見るその用紙で唯一分かったのは「報酬 1体につき1000キュア」の部分だけ。
「人は隠してる心がある。「殺したい」とか「犯したい」とかな。そいつらは理性であまり表に出ることはないが、そういった"負の感情"は世界に溜まってくんだ。それが生き物の形を成したのが"心獣"。もう一つ心獣の生まれ方はあるが・・・・」
そこまで話すとグレイブは足を止めた。つられてクレイも足を止める。「静かに」とグレイブが指を立てたのでクレイも口を閉じる。グレイブはそれを見た後、立てた指を左側へと向けた。
グレイブの指をさした方にいたのは二匹の生物。二匹ともが同じ姿をしていた。緑色の肌にとんがった耳と鼻。大きさは子供くらいで顔に浮かんでいるいやらしく悪意のこもった目玉を持っていた。
「あいつらがゴブリン。性欲や暴力が形を成したもので人に害を与える心獣は"魔獣"とも呼ばれる。放っておくと見境なく暴力をふるったり、女を襲ったりするぞ。・・・・だがあいつらは子供を為さない。なんでか分かるか?」
「・・・欲望を満たすことが目的だから」
小声で答えるクレイにグレイブも「正解だ」と小声で返す。二人の見る緑色の小人どもはまだこちらには気づいておらず、こちらには理解できない言語で話している。
クレイの中にふと不思議な感情が湧き上がる。嫌悪感、そして怒り。しかしただの怒りではない。本来ならばなにもしていない奴らに対して不快感は沸いても、怒りがそこまでわくはずがない。聖騎士の時ですら実害を受けてから怒りを感じていた。
それなのに、だ。いや、グレイブからゴブリンの詳細を知らされる前から、彼らの姿を見た時だった。その感覚はクレイの心に現れていた。存在が許せないほどの嫌悪感、そしてそこから生まれる怒り。
「おい、クレイ。あの2体はお前がやってみろ・・・・っておい」
その言葉を待っていたとでもいうようにクレイの体が不自然に動き出す。グレイブの声はもう届かない。足音を聞きつけたのかゴブリンたちがこちらを見る。ゆらりと突然草むらから現れた謎の存在にゴブリンたちは驚きながらもギャアギャアと威嚇する。
(うるさいな・・・)
クレイにとって目の前の威嚇に恐れる程度のものでもなかった。しかし彼の耳に届くのは黒板を爪でひっかいた時と同じように不快感のみを与える音。心の中の静かな怒りに油が注がれる。
"血流操作"を足のみに発動。今日まで血が足りなくなるからと使用を禁止されていたがもう気にしない。足に熱がたまるような感覚。まだ動かない。
ゆっくりと一歩目。剣すら抜かない目の前の人間にゴブリンたちは違和感を感じながらも、恐怖を感じている様子もないことからより大きな声で威嚇を続ける。静かな森の中で響いているのはその声だけ。
軽くニ歩目。トンと軽く地面を蹴る音が鳴る。瞬間、ゴブリンたちの前から消えた。
「ギュア?」
三歩目。ゴブリンの驚きの声を置いていき、二匹の間に着地するとすれ違いざまに二度剣を振るう。ブシュウと血の吹き出す音と共に首が飛んだ。何が起きたのかわかっていないゴブリンたちは間の抜けた顔のままで首を落とす。薄汚い血が足音の黄緑色の植物を赤黒く染めた。
(速い!・・・いやただ速いだけじゃねえ。緩急か・・・)
「緩急をつけろ」と教えた覚えがある。生物の目は速さに慣れる。だから常に同じ速さでするよりも50を70に変えたり、反応できる攻撃を混ぜることが効果的だと。今のはまさにそれ。0から一蹴りでトップスピードへと変化させて速さに慣れるよりも先に攻撃。
クレイはグレイブに比べ軽かった。だがそれゆえに力をつけるよりも軽さを使った速さを鍛えることで自分にはできない戦い方ができるとグレイブは確信した。
「よくやったな」
(だが、なんだ?この何とも言えない不安は・・・)
不安を感じながらもグレイブは二体を一瞬で屠ったクレイに草陰から出て声をかける。不安を悟られないように、この不安が杞憂であるようにと願って。
「大丈夫じゃないように見えんのか?」
いつものような喧嘩腰のしゃべり方に「杞憂だったか?」とグレイブはほんの少し安心する。目の前のクレイは剣から血を払い、鞘に戻した後グレイブに向き直る。けがをしているようには見えない。
グレイブが気にしていたのは「心の問題」。初めて生物の命を奪ったときに血などを見て調子を崩すことがある。特に人型の生物に対しては本物の人間と重ねてしまうこともある。クレイにそういった様子は見られない。・・・だからこそ、
(いかれてんな、この年で命を奪うことに躊躇いがないとは・・・・それに、なんだ?この不安は?)
グレイブが何か言わなくては、と思っていた時、
「助けて――っ!!」
静寂を破るように届いた救いを求める声。女性の声だ。グレイブが何か言うよりも速くクレイが声のした方へと動き出したため、グレイブもそれを追いかける。
森林を駆け抜けた先で女性が三人のガラの悪い男たちに襲われていた。ここから50メートルはあり、男たちの声は小さくて聞こえない。一刻も早く助けなければ、とグレイブはクレイに作戦を伝えようとする
が、
「!・・・・待てっ!」
口から出たのは先へと進もうとするクレイを止める言葉。勝てる見込みがないからではない。ただ、そこへ向かおうとする彼の、クレイの目。それが救いに行くものではなく、怒りを浮かべた先ほどと同じ。殺そうとしたときの目と同じだったから。
咄嗟に出たグレイブの声は先へ行くクレイには届かなかった。