暴走の裏側
人類最強。それは斡旋所から与えられる称号である。聖騎士や異端者などの例外を除く人間の中で最も強いと思われるたった一人に与えられる称号。別名『最終兵器』とも呼ばれ、神の介入しない危機が訪れた場合に声をかけられ、この称号を持つ者が負けるということはもう頼る人がいないということを意味する。
「グルアアアアッ!」
「・・・・っと!」
(こいつ!さっきより段違いに速い!)
暴走したクレイが目で追えないほどの速度で近づくと思い切りその紅い爪を振るう。グレイブはそれを後ろに下がり躱す・・・・が完全には躱しきれず、顔に赤い切り傷を薄く残す。すれ違いざまに腹に向かって握りしめた拳。ドゴッという鈍い音を鳴らしてクレイを吹き飛ばす。しかしその威力はいつの間にか胸元に生成された血の膜で防がれる。
「殺すわけにはいかねえしな、っと!」
瞬間、グレイブの体を襲う"凝血"の感覚。体が鎖で縛り付けられたように動かなくなる。そんな隙をつくようにクレイの背中を突き破り現れたのは血の触手、その先端を鋭くとがらせ貫こうと一直線にグレイブに向かっていく。
「すっかり化け物じみてるなぁ!おい!」
グレイブが悪態をつく。襲いかかるのは10の紅い槍。手元の大剣"武骨"を片手で握り、集中。想像するのは飛翔する斬撃!
「"斬意・十握"」
一振りにして放たれた十の不可視の斬撃は一つ残らず紅い触手を切断ずる。地面に落ちた紅い触手は、"凝血"が解除され、ビチャッ!と音を立て血だまりを作る。
グレイブは地面を滑るようにしてクレイに近づき、その大剣の腹をクレイの顔面に振るう。砂を巻き上がらせるような衝撃を生む・・・がクレイの顔を覆う紅い仮面はパキッと僅かにヒビを入れる。しかもその傷口は液体に戻ったかと思うとまたも元の形で"凝血"する。
「傷すらつかねえのか・・・ちょっと自信なくすぞ」
グレイブの軽口にクレイは腕からの血のレーザーで応える。傷口で圧縮された血液のレーザーは地面を触れた瞬間、シュパッといとも容易く切れ目をつける。
「遅い!」
グレイブはその大きな体躯でひらりひらりとその赤いレーザーを躱し、クレイの側面へと回ると無防備な首へ向けて手刀を構える。ブウォン!と音を鳴らしたそれは首に当たる直前に首の傷から伸びた血液で防がれる。
「動かねぇ!?くそっ!」
しかしグレイブは動く足でクレイの腹に対し膝蹴り。鈍い音を響かせながらクレイの体内を衝撃が貫き、内臓を傷つけ、吐血させる。そこまでされてようやくクレイはぐったりとし、顔からパラパラと紅い破片が落ちる。
「止ま・・・・った?」
突然静かになったクレイ。確かめるためグレイブがその顔へと手を伸ばしたその時・・・・ぐるっとクレイの首が回ったと思うとその紅い仮面の口元のみがひび割れたように広がり、
「ガアッ!」
「なっ・・・」
飛んできたのは咆哮。しかし怒りの込められたその声はまさに音の爆弾。"怒号"と言うべきそれはグレイブの意識を一瞬とばす。はっと思った時には目の前のクレイは大きく手を振り上げて、
「やばっ!」
見えない何かに引っ張られたようにグレイブが後ろへと吹き飛び、クレイの紅い獣のもののような爪は地面をえぐり、10センチほどの亀裂をつくる。
「ちぃとばかしキツイな」
「ぐるるる・・・・・」
クレイは荒い息を漏らす。その口元からは息とともに血を吐き、明らかに顔色が悪い。本来動けるはずのない体を怒りで無理やり動かしているような感じだ。しかし体の限界が近いのは明らか。
いったい何が彼をそこまで突き動かすのか。だんだんと気になってきた。とはいえ殺しはしないとはいえ、このままでは分が悪い。
「悪いが腕の一本は覚悟しろよ・・・・そんで終わったら、話聞かせてもらうぜ」
・・・ああ、前が見えない。視界が赤い壁が邪魔をする。それでも気配で目の前に誰かいるのは分かる。きっと聖騎士か仇だ。だってこんなにも怒りがわいてくるから。
目の前のやつが何か言ってる。いや、聞く必要はない。どうせ自分勝手で身勝手で、俺の自由を奪うための詭弁を言ってるに決まってる。
どれだけ攻撃しても目の前のやつには効かない。どうすればいい。どうすればアイツを殺せる。どうすればアイツに苦しみを与えられる?
「さて、どうやって止めるか・・・」
グレイブは己の大剣、武骨を構えつつ、考え続ける。
気絶はしない。失血でも止まらない。かといって殺すわけにもいかない。一瞬でも意識が弱まれば手があるが・・・あそこまで怒っていればそれも難しい。
(窒息を狙うか?いやおそらくあの首の傷から空気を取り込んでいる。水もねえし・・・・・)
ビュ!と"血の槍"がグレイブを襲う。左に躱すがその槍はグレイブを無視してそのまままっすぐ進む。
「あぁ?どこ狙・・・・・って!」
その矛先の向かう先へ視線を飛ばすグレイブ。そしてそこから見る最悪の未来を予見し、グレイブはクレイから背を向け、駆け出す。
「おい!それは、ダメだろうが!!」
訓練場の入り口。いつの間にか戻ってきていた職員の女性を貫かんとしていた。グレイブはその触手を側面から斬り落とそうとする。ブォン!と風を切る渾身の一撃は・・・。
「なっ!?」
刃が触れた瞬間、液体と化した触手はその斬撃をすり抜ける。空を切った大剣の表面が赤く染まる。緩まることなく血の触手はその先端を槍のようにして進んでいく。
クレイにはグレイブの言葉が届いていない。そもそも彼が一番苦しいと思ったのは身内が殺されたときだった。ならば聞こえていたとしてもやめることはない。それが一番苦しくて辛いことだと知っていたから。
(間に合うか!?)
そのどうにか攻撃を止めるべく、意を決してクレイの首めがけて"斬意"を放とうとする。その時、
「"風鎌"っ!!」
女性の前を小さな竜巻を思わせる風の斬撃が吹き荒れ、液体となった血の槍を弾き飛ばす。小さな竜巻のようにも見えたそれは血を吹き飛ばしきり、そこから一人の人物が姿を現す。
「よお、手ぇ貸しに来たぜ!」
「ゲイル!助かった!」
その人物はクレイを引き留めた男、ゲイルだった。両手に片手鎌を持ったゲイルは礼を言うグレイブに「いいってことよ」と返す。
その後、グレイブは女性の方を向く。その間も"血の槍"が三人を襲い続けるがゲイルがそれらをはじき返し続ける。
「嬢ちゃん!避難してろって言ったろ!」
「すみません!お邪魔しちゃって!」
そう言われてグレイブの手に渡されたのは小さな小瓶。中には黄緑色の液体が入っており、その隙間から僅かに良い香りがする。
「リラックス効果の香りあるアロマです!私がいつも使ってるヤツ。これなら、」
「なにやってる!?戻ってろ!あんたが死んだら・・・・」
「助けたいんでしょう!?顔見ればわかります!それなら」
「おい!そろそろきちぃぞ!」
二人の言い合いを遮るように、ゲイルの慌て声。二人を守るように自分たちを襲い続ける血の触手を弾き続けていたゲイルに目を向け、グレイブは瞬時に判断する。
「ちっ・・・・・・・・ゲイルっ!」
グレイブの言葉にゲイルは攻撃への対応をやめて、グレイブの方によって来る。グレイブは懐から小さなガラス玉を取り出すと地面に叩きつける。パリンと割れると三人を囲むように半透明な障壁が現れ、クレイからの攻撃を防ぐ。
「こんなもん持ってたのか」
「そんなにもたねえ。それに時間をかけんのはあいつの命にかかわる。」
「そんで?なんか思いついたのか?」
「ああ、残念だが嬢ちゃんのおかげでな。作戦は・・・・・・・・」
グレイブは作戦を二人、主にゲイルに対して伝える。二人は真剣な顔つきでグレイブの作戦に耳を傾ける。
「なるほど。じゃあ俺の仕事は、」
「ああ、少しの間時間をかせいでくれ。嬢ちゃんはもっと後ろに。」
「分かりました」
グレイブはよし、と頷くと、ゲイルとともに武器を構える。周りの障壁に少しずつヒビが入りだし、女性は数歩後ろにさがる。そんな中、前を向いたままグレイブは二人に問いかける。
「なあ、お前らなんで戻ってきたんだ?」
「いやー、あんとき小僧に大人げないことしちまったからな。あんなことになってんのにちょっと責任感じてんだよ、俺。」
「私はなんか最初来た時すごい悲しい顔してて見過ごせなくなったっていうか・・・」
「え、そうだったのか。メアリーちゃん。てっきり俺はそういう趣味かと・・・」
「あなたと一緒にしないでください、大人げないゲイルさん」
「ちょ!確かに俺が悪かったけどさあ・・・」
「・・・そろそろ話は終わりだ。」
「「お前 (あなた)が始めたんだろ(でしょ)!!」」
緊張感のない二人のツッコミにグレイブは静かに笑みを浮かべる。先ほどまでとは違う。味方がいることの安心感。
「さあ、これで終わらせる。」
グレイブの言葉とともに、パリーン!と周囲の障壁が砕け散り、最終ラウンドのコングが鳴った。
飛び出したのはゲイル。二つの鎌を手に持ち、身体を回転させながらクレイへ突撃するがそれをクレイは凝固した血液の触手で防ぐ。
「さっきは悪かったな、今度は時間稼ぎに付き合ってくれっ!」
ゲイルを狙って触手の先端を鋭く変化させるがゲイルはいともたやすく切り落とす。その上、風をまとった鎌は先ほどと同じようにすり抜けようと液体と化した部分を吹き飛ばす。
「聞いた通りだ!動かすときは触手の"凝血"は弱くなる!」
クレイは相性が悪いことを悟ったのかその矛先をグレイブへと変えようとするが、それを見逃すゲイルではなかった。
「やらせねえよ!"大刃・風鎌"!」
ゲイルの放った"斬意"に似た巨大な風の斬撃はクレイの伸ばした"血の槍"を切り落とし、吹き飛ばす。その後もゲイルはクレイの猛攻を凌ぎ続ける。時間といては僅か1,2分。準備は整った。
「しゃがめっ!」
グレイブの大声にゲイルは言われた通りにしゃがみ、「時間稼ぎは終わりだ」とクレイに笑いかける。
グレイブは腰に"武骨"を居合の形で構える。ゲイルが時間を稼いでいる間、グレイブはその態勢で制止して力を溜める。目標は大剣の間合いの外。しかし届く。
グレイブは高速の抜刀とともに己の意志を放つ。それは今までの努力からの自信であり、"人類最強"の称号を持つ者の自負であり、必ず斬るという信念となってクレイへと伝わる!
「"斬意・草刈ノ陣"」
その斬撃は風を、音を置き去りにした。
バキッ、バキッと砕ける音がして今までほとんど傷のつかなかった赤い仮面を吹き飛ばす。赤い目をしたクレイはそれを気にせず、目の前のゲイルを襲おうと爪を伸ばして、
「「今っ!」」
「"白鯨"!!」
二人の声に呼応して今まで後ろに下がっていた女性の放った白い煙の塊は白い鯨の形を成してクレイへと飛んで行く。そしてクレイへ衝突し、拡散。白い煙が訓練場の中に広がる。
仮面を壊され、視覚に頼りだしたクレイの索敵能力が白い煙によって奪われる。クレイは咆哮によって煙を吹き飛ばそうとするが、ヒュ!と煙を突き進み飛んでくる何かを感知し、"血の槍"でそれを破壊する。
破壊したのはただの岩。
「悪いな、本命はこっちだ。」
下から声がした。そして目の前を浮かぶガラス瓶。それをゲイルは弱めの"風鎌"でガラス瓶を破壊する。破壊されたガラス瓶から漏れ出た黄緑色の煙がクレイの目の前を包む。
鼻孔をくすぐる良い香りが二人の戦意を弱める。
その匂いとともに煙の中からグレイブが現れ、クレイの額に手を当てる。クレイのその顔から溢れる液体は透明になっていた。
「戻ってこい、クレイ。"心伝"」
グレイブは心術を発動する。”心伝”は自分の気持ちを相手に伝える心術。相手と自分の心を繋ぐ心術。これならばあいつに届くだろう。そしてグレイブはクレイの心に語り掛けるのだった。
どこかの路地裏。血を流して倒れる黒髪の女性。血の付いた剣を持つ一人の聖騎士。そして
「なんでここにいる?」
「"心伝"でな。慣れると人と心の中で会話したり、心の中の世界に入ることもできる」
心の中ではあるがクレイの横に立ち、同じ方向を見る。
「勝手に人の心を覗けるのか」
「いや、違う。"心伝"は自分の気持ちを伝え、相手の思いを伝えられ、互いに理解する心術だ。だから、見られたくないものまで見ることはできない。」
クレイは黙っている。ただその景色をじっと見続けている。
「理解してもらいたかったのか?」
「出て行けよ」
クレイの拒絶。しかしグレイブは"心伝"をやめない。
「いいや。お前は本心では望んでいるはずだ。誰かに理解されることを。だから、これを俺に見せた。」
「お前が勝手に覗いているんだ!」
「それは出来ないって言ったろ」
「うるせえよ!ほっといてくれ!」
クレイが大声を出そうと、その景色にはなんの変化もない。その姿は今まで見ていた彼とは違う少年らしい表情と反応。
「理解してもらいたかったか?それとも許してもらいたかったのか?大丈夫だ、別に軽蔑しようとは、」
「お前に何が分かるっ!!」
心の中でクレイとグレイブが向き合い、クレイは相手の胸倉をつかむ。そんな怒ったクレイに対し、グレイブは落ち着いている。
「分からねえから、聞いてるんだ」
「分かってねえだろ。あんたに!弱くって動けなかったヤツの気持ちが!そんな力を持っていてなんでも守れんだろ!」
「・・・・・・・・・・・・・」
「ああ、そうだ。俺は憎らしかったんだ。そんな力を持っているアンタが。今まだ俺が弱いと分からせたから。それじゃあ守れないと言われて反論できないから。これは八つ当たりだ。自分が出来なかったことの。」
景色が移り変わり、周りが木材で敷き詰められる。そんな狭い木箱の中でクレイとグレイブは見つめ合う。まるで迷子の子供のようなこの数時間で見たクレイからは想像のつかない顔。
「なあ教えてくれよ。あの時、力があれば、あんたみたいな力があればなにか変わったか?」
グレイブは黙る。彼はどのような言葉を欲しているのだろうか。どんな言葉なら救ってやれるだろうか。自分の中で自問自答した後、結論を述べる。
「いや、なにも変わらなかっただろう。力の強さは関係ない。ここから出る勇気のないお前では力があったとしてもたかが知れてる。」
「勇気は強さからできるもんだろ」
「いや、違う。どれだけ力が強くても一人でできることなんてほんの少しだった。そうやって何もできなかったヤツを知っている。それに俺はその行動は正しかったと思う。もし出てきても二人とも」
「俺じゃあだめなんだよ!!」
またもクレイが叫ぶ。周囲の木材が吹き飛び、最初の記憶の景色へ戻る。
「俺が、俺だけが生き残っても意味がなかった。俺が生きる目的がない。」
だんだんと幼げのあったその顔が、知ったものへと変わっていく。
「八つ当たりだけじゃなかった。俺は何かに怒っていないといけないんだ。俺はあの日から自分の弱さを否定し続けなきゃいけないんだ。」
クレイはあの日あのことを後悔し、聖騎士に、神に、自分の弱さに怒った。そして"憤怒の心核"は怒りを助長させる。そんな彼が他者に怒ることをやめれば残る対象は一つ。
「そうしなきゃ俺は俺を殺す。」
「・・・ならなぜそうしない?」
グレイブの言う通り、生きる目的がないのであれば生きる必要はない。怒り続けることはとても疲れることで、簡単に言えば「死ねば終わる」ことなのだ。それでも
「約束したんだ。生きるって。目的はないけど理由はある。神なんていないかもしれない。それでも怒り続ければ俺は・・・・・生きる目的を持ち続けられる。」
そう。そもそも彼は神がいるかどうかはどうでもよかった。姉の復讐を果たす。それだけでなく消えない怒りの対象として選んだ。
「殺してくれよ。自分で死んだら怒れるだろうけど、誰かにならっ!!」
クレイの悲痛の叫びを突き破るようにグレイブの拳骨が突き刺さる。心の中であるため痛みはないが、クレイの言葉を途切れさせる。そしてクレイの顔を掴み、自分の方へ向けさせる。グレイブはクレイの目を覗きながら話す。
「お前を殺すのは簡単だ。だが俺はお前を助けたいんだ。」
「なんでっ!」
「同じだ。お前と。そう約束したから」
もちろんそれだけではない。しかし、今までの会話からクレイが「約束」という言葉に思うところがあると思ったから。実際クレイはその言葉で怒り散らしていたその口を閉ざした。
「俺が思うにお前の姉さんの生きろってのはそんな顔して生きろって意味じゃねえだろ。ただ幸せに生きてほしいって意味じゃねえのか」
「理由もなく、ただ生きてろって言うのか。怒りだけで」
「いいや」
グレイブは拳をクレイの胸に打ち込む。今度のそれは攻撃ではなく、鼓舞。まっすぐ自分の思いを伝えるように。
「お前にとっての姉のように・・・お前は誰かの生きる理由になってやれ。自分を生かすためじゃなく、誰かを生かすために生きろ。そのための力なら、俺が教えてやる」
グレイブはニッと笑う。途端,
パキパキッ!
周りの景色が硝子が砕けるように崩壊し始める。"心伝"の効果が切れたのだとグレイブは察する。
それだけではない。今まで怒りのみの感情だったからこそクレイの奥深く、本当の感情の近くまで近づくことができていた。そしてその心がもうグレイブの言葉を必要としていない。それはクレイの暴走からの覚醒を意味していた。
「なんで、そこまで・・・・」
「おめえがガキだからさ。大人がガキを助ける、なんてのは昔からのお約束なのさ。だからおめえは俺らに気持ちをぶつけりゃいい。もっと頼れ。」
それで次の誰かを頼らせる。そんな言葉を前にも聞いた気がした。
「悪い、手間かけた」
「なんだ。ちゃんと謝れるじゃねえか」
「約束、だか、ら・・・・・・・」
「なんだそりゃ・・・って気絶してやがる。」
グレイブはクレイを持ち上げ、斡旋所の医務室まで抱えていくのだった。