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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

帝国

愛しい人が横で笑ってくれているだけで

作者: 伊藤@


「ははうえ…」


 勉強がひと段落したので家庭教師から休憩しましょうと言われた。急いで母に会いに行くと、今日の母は一目見て機嫌が悪い。母が父から与えられた青の間はまるで雪原のように寒い。


「また皇帝陛下が側妃を…これで5人」

「リリアーナ様」


 落ち着かないのか部屋を歩き回り、握りしめている扇子がミシミシと音を立てる。控えている侍女達もなんと答えていいのか決めかねている。

 運悪くこちらに向かってくる母と目が合う、扉の隙間から母を窺っていたのを見つかってしまった。目を吊り上げて怒りに燃える母は恐ろしい。


「アルフレードそこで何をしているの?」

「ははうえ…あの…」

「立派な皇帝になる為の勉強はどうしたのっ!」

「あ、あの、少し休憩と言われたので…」

「休憩?何を言ってるの?貴方は陛下のあとを継ぐのですよ?」

「リリアーナ様にお会いしたかったのですよ」

「まだ御年7歳ですから」

「リリアーナ様、アルフレード様とお茶でも…」


 あまりの剣幕に固まっていた侍女達が見兼ねて助け舟を出してくれる。


「お黙りっ!誰にものを言っているの?この子が優秀でなければ、また陛下は側妃を召されるのよ?陛下が!陛下が!」


 崩れ落ちる母を侍女が支える。突然荒れ狂う母が悲しくて逃げ出した。



 僕には人よりも魔力がある。皇帝である父には及ばないが貴族の中では飛び抜けて多いと教師が教えてくれた。

 だから、悲しい事や辛い事があると有り余る魔力でこの場所に転移する。父が僕だけに教えてくれた秘密の場所。一度行った場所なら転移は容易い。

 湖面が美しい僕の秘密の場所。今日の湖面はピンク色に輝いていた。


 草や落ち葉をサクサクと踏んで湖畔に近づくと人がいた。その細い後ろ姿は溶けてしまう砂糖菓子の様に儚く脆そうだ。


 さくりと葉を踏む音にその人は振り向いた。


「まぁ」


 深く優しい茶色の髪をおろしたままに、猫の毛並みの様に輝く灰色の瞳。深い緑のシンプルなワンピースを着た娘が地面に敷物を敷いて座っている。

 何もかも非現実的で、警戒して強い口調になる。


「お前はだれだ?何故ここにいる?」


 娘は嬉しそうに顔を輝かせる。その笑顔にハッとする。僕を見て嬉しそうに笑ってくれた人はいつ以来だろう。それだけでも胸が締めつけられた。


「私はグレース・リッヒ・クアールですわ、可愛い妖精さん。こちらにおいで」


 ポケットから何か取り出して気を引いてきた。ふんわりと甘い香りがする。どうやらお菓子のようだ。グレースと名乗った娘は猫を呼ぶようにおいでおいでをしている。


「我は猫ではない…」


 こんなに優しく呼ばれるのは久しぶりで、ソワソワと落ち着かない。彼女の優しい雰囲気に警戒を解いて近寄ってみた。


「はい、どうぞ」


 銀紙に包まれた茶色の物を渡される。少しだけ口に含むとトロリとした甘さと芳香が口いっぱいに広がる。


「…美味い、これはなんだ?」

「それは、チョコレイトというお菓子ですわ」

「チョコレイト…」


 グレースの声が心地良く、もっと聞きたいから側に座ってみた。グレースはふんわり微笑むとピッタリと側にいる僕を気にせず、釣り竿を握り直し釣り糸を垂らしている。娘が伴をつけないで1人でいるのも珍しいが、釣りなんてぶっ飛んでいる。しかも全然釣れる気配がない。

 だから、つい言ってしまった。


「魚が掛からないではないか!」

「ええ、餌をつけてませんから」

「はあ?それは釣りなのか?」


 釣りをして魚を釣らないとは、グレースは頭がおかしいのかと思ったら。


「魚を殺生する気はありませんよ、釣りと言うより偉人の真似事です」

「偉人の真似事?」

「ええ、先日読んだ本に帝国の祖と呼ばれる方のお話が載っていて、その方の真似事ですわ。悩む時は餌を付けずにひたすら己と向き合うとあったので」


 その言葉に、何か辛い気配が滲む。


「グレースは悩んでいるのか?」

「悩んでいると言うよりも、忘れたい思い出と折り合いをつけている、というところかしら」

「ふうん…」


 それ以上グレースに聞かないほうが良いみたい。母のお陰で僕は空気を読むスキルが磨かれている。

 なんて穏やかなんだろう。時折風が吹いて小鳥が鳴き、陽の光はグレースをキラキラと輝かせる。

 ポカポカとした春の陽気に眠くなったのかグレースは立ち上がった。


「妖精さん、私は戻るわ」

「明日も来るか?」

「ええ、雨が降らなければ」

「そうか」

「それじゃあ、またね」

「…うん」


 ゆっくりと歩いて帰るグレースの先にあるのは父の屋敷。ここは父の直轄地だった筈、特にこの湖を気に入っていたから決められた人間しか入れない場所。


 グレース・リッヒ・クアール、彼女は父の側妃だ…。突然、苦い物を飲み込んだ気分になる。さっきまでの幸せな気持ちが霧散してしまった。


 そろそろ戻らないと教師が怒られる。

 でも、中々動けなかった。


 ◇◇◇◇


「アルフレード殿下どうされました?」

「ハンス先生、お願いがあります」

「はい、何でしょう」

「午後の2時間だけ、時間を貰えないでしょうか」


 駄目なら黙って行くまでだ。


「アルフレード殿下の初めてのお願い事で御座いますね。宜しいですよ、その代わり厳しくなりますよ?」

「構わない!ありがとうハンス先生!」


 午後の2時間だけでもグレースに会える。あの湖畔の煌めきが瞼の裏に蘇り、満面の笑顔を浮かべた。

 不思議と毎日楽しみがあると、辛かった勉強すら苦では無くなった。


 昼の食事をそそくさと済ませると、直ぐに転移してグレースの元に駈けてゆく。グレースは敷物の上でパンに具を挟んだ物を食べていたり、時にはうたた寝をしていたり、本を読んでいたりと様々だった。


 それでも、毎日変わらないものがある。いつも穏やかでとても嬉しそうに僕を受け入れてくれるグレースの優しさだ。


 グレースの側にいると心が安らぐ。何もしない贅沢というものもグレースが教えてくれた。グレースが笑いかけてくれると胸が高鳴る。グレースの膝に頭を乗せるとグレースが頭を優しく撫でてくれて幸せで涙が滲む。母にもされた事がないなんて言えない、バレたら恥ずかしいから誤魔化したけど。


 そんな幸せな日々も終わりを告げる。


「アルフレード、貴方毎日どこへ行ってるの?」


 転移で帰ってきたら、母が凄い形相で仁王立ちしていた。バレたらグレースが殺される。


「気分転換に街へ…」

「嘘おっしゃい!何処に行っていたの!」


 俯き無言で母の小言の嵐が止むのを待つ。長々と同じ事を言われ、また最初に戻って繰り返す。その時、母がこう言った。


「こんな事をしては陛下が見限りますよ!全く、居場所を特定する魔術を施しますから、ちゃんとしなさい!」


 場所を特定されたらグレースが危ない。そう思うとカッとしてしまった。だからつい口を滑らせて。


「見限られるのが怖いのは母上でしょう?」


 破裂音と右頬が痛む。母に頬を叩かれたのに遅れて気づく。呆然として母を見上げると、母は紙のように白くなり震えていた。

 僕が母を傷つけたと悟った。

 周りの侍女が慌て始め母に声をかける。


「リリアーナ様!なんて事を!お止めください」

「お黙りお黙りお黙り!!どいつもこいつもわたくしを馬鹿にして!」


 みるみるうちに母の目には涙が溢れその場に泣き崩れた。母はなんて可哀相な人なんだろう。

 その場に崩れ落ちる母を抱きしめると、僕が小さいから母の背中まで手が届かない。ビクリと母は震えて、それから恐る恐る抱きしめてくれた。


「母上、酷い事言って傷つけてごめんなさい」


 母は僕を抱きしめ号泣してしまった。漸く全て吐き出すように泣き終わると泣き腫らした目で小さな声で言った。


「心配したのよアルフレード」

「うん、ごめんなさい」


 こんなに怒る以外の感情を出したのは初めてなんだろう。泣き疲れた母はそのまま侍女に連れられ寝所に行ってしまった。


 これ以上は危険だ。もうグレースと会えないと思うと胸が張り裂ける。


 ◇◇◇◇

 

 どうしても最後にグレースを一目見て、格好良く別れの挨拶をしたいと湖に来た。


「グレース」

「なあに?」

「明日から暫く来ることが出来ない…」

「そう…残念だわ」

「待っててくれるか?」


 お願いグレース待ってるって言って?

 グレースは目を伏せて何かを諦める様に話し出す。


「もう少ししたら私もここを離れる事になります」

「それは…」

「ええ、側妃の仕事をしないといけませんから。皇帝はお優しくて私の心が落ち着くまでこの離宮で静養させて頂きました」

「嫌だ!」


 理性じゃない何かが込み上げて、グレースにしがみつく。


「嫌だ!嫌だ!グレースは僕のだ!」


 気がつくとグレースの腕の中にいた。初めて抱きしめられて体が歓喜に震える。でも、離したらグレースは行ってしまうんだ。そう思うと涙が止まらない。涙でぐしゃぐしゃになりながら、きつく抱きつく。


「アルフレード殿下」

「なんだ…」

「また帝都でお会い出来ますよ?」

「帝都で会ったらグレースは父の物だ!嫌だ!絶対にグレースは渡さない!」


 そうだ、父には側妃は沢山いるじゃないか。ありったけの気持ちを叫んでグレースの腕の中からすり抜けた。


 絶対に誰にも渡さない。



「父上」


 涙でグシャグシャのまま父に対面した。


「アルフレードか、そろそろ来る頃だと思っていたよ」

「父上、グレースを下さい」

「アルフレード。グレースは物じゃないよ?」

「わかっています!父上の意地悪!」

「ああ、ごめんごめん。ついね」


 父は僕を抱き上げて服の袖で涙を拭いてくれる。父を見つめて懇願すると、父はにこやかに聞いてきた。


「そうか。それでアルフレードはグレースの代わりに何を帝国に差し出してくれるの?」

「帝国の勝利を!」

「そう…それは結構大変だよ?大丈夫かい?」

「はい、僕はグレースを守りたい。それは帝国を守る事、だから出来ます」

「分かった。そうだね、これから10年頑張れるかい?」

「はい!父上」

「なら約束してくれるかな?死なない事、それが帝国の勝利だから」

「お約束します!父上」

「よし、いい返事だ。じゃあ早速将軍にお願いしておくから今日から頑張るんだよ」

「ありがとうございます父上」


 

 その日から将軍に鍛えられ、初めての戦いは12歳だった。盗賊が集まっており大きな集団になる前に拠点を潰す事になり参加させて貰った。人よりも魔力があるから単純に僕にも出来ると慢心していたと思う。


 その日は朝から雨が降っていた。

 雨だと人は外に出るのが億劫になり、賊の殆どが拠点に籠もっている、そこを叩きますと将軍が教えてくれた。

 作戦が始まって、泥塗れになり人を初めて斬った後は体の震えが止まらなかった。悪意を向けられ罵詈雑言の嵐の中、殺意を向けられ震えながら剣を構えて嘲笑われた。嘲笑った相手と無我夢中で戦い、気がつけば相手は手助けしてくれた将軍達により、地に伏していて僕の初めての戦いは終わった。


「アルフレード殿下大丈夫ですか?」

「将軍、大丈夫です。いつもこの様に戦われているのですか?」

「そうですね、それが我々がいる意味ですから」

「僕を。いや民や帝国をいつも守って下さって感謝します」


 お互い泥塗れだけれど、真っ直ぐに将軍を見つめた。僕の言葉に感動して赤くなった将軍が言う。


「殿下も既に守っております!これからはもっと我々が鍛えて差し上げますとも!」

「そうですとも!」

「お任せ下さい殿下!」


 それからは皆から鍛えて貰った。子供の体から少しずつ大人の体へ変わり。気がつけば可愛いとよく言われた容姿は熊の様になってしまった。母には、可愛いアルフレードがと嘆かれる。


「皆どうしよう!僕いつの間にか熊になってしまった。グレースに嫌われないかな?!」

「…アルフレード殿下が惚れたグレース殿は容姿が変わったからといって嫌われるような女性なのですか?」

「そんな事ないよ!グレースは心優しいから…多分」

「自信をお持ちください。アルフレード殿下」

「そうですとも!アルフレード殿下から毎日耳にタコが出来るほど聞かされるグレース殿は熊如きで嫌いませんよ!」

「アルフレード殿下のグレース殿の惚気話は日課だしな」

「何かと言うとグレース殿のお話で、お見かけした事もないのに知り合いの気分ですよ!」

「全くだ!」


 僕のグレース好きは、知らない人はいない程有名になった。父との約束を皆知っており生温かく見守ってくれている。


 そんなグレースは道を整備し始めたと聞く。グレースに会いたくて、どうしても我慢出来ない時は、こっそりと転移して遠くからグレースを見つめた。

 その内にグレースの領から整備された道が七色に輝き皆の度肝を抜く。こっそり見に行ったらとても素晴らしかった、まるであの湖面の様に輝いてため息がもれた。


 約束の10年が経つ。


 父にお願いして、早々にグレースを呼んでもらう事にした。この10年の間に母は正妃となり、正妃の立場は母を少し安心させたようで、穏やかになってなによりだ。

 父は家臣から言われるままに側妃を娶り今では20人にも膨れ上がっている。しかし健やかに育ったのは僕と異母妹の2人のみ。

 グレースは当初、捨て置かれた側妃と本人のいない処で嘲笑われていたが、その理由が僕の恐ろしい程の執着と周知され、今では誰も父の側妃とは言わなくなってしまった。うん、それで良い。

 



 ズラリと並んだ謁見の間で、皆平伏して皇帝のお言葉を待つ。


「皆面を上げよ」


 一斉に衣擦れの音と共に皇帝を見つめる。

 

「グレース・リッヒ・クアール。この10年捨て置いた事を謝罪する」


 ざわっと間が揺れた。皇帝からの謝罪だ。


「その境遇にも腐らず、寂れた領地を豊かな領地へと変えた手腕見事である。よって褒美として余の嫡子アルフレードへ下賜する。アルフレード参れ、後はお前が説明しろ。さて皆のもの広間にて宴の準備をしておる、存分に楽しむがよい」


 謁見の間から集まっていた人々が祝福の声を上げながら出てゆく。


 グレースは目を白黒させていた。あの日よりも輝く程美しいグレースの前に立つ。

 何かショックを受けていているみたい。でも構うものか。漸くグレースを手に入れたんだ。


「グレースお待たせ!やっと僕のお嫁さんに出来た!」


 逃げ出さない様にグレースを抱き上げる。なんて軽くて柔らかくて物凄くいい匂いがする。夢なの?と呟いてグレースはペチペチと僕の頬を平手で叩いている。なんて可愛いんだろう、つい笑顔になってしまう。


「夢じゃないよグレース。遅くなってごめんね?怒ってる?」


 夢でないと理解したグレースがグズグズと泣き始めてしまった。


「怒るわけないです…もう私の事は忘れていると…」

「泣かないでグレース。ごめん、ごめんなさい。ずっとグレースだけを思ってた。だからあの日戻って直ぐに父上にお願いしたら」

「お願い?」

「そうグレースを僕のお嫁さんにしたいってお願いしたら、代わりに何を寄越すのだと言われ。この帝国の勝利を!って言ったんだ。だから沢山戦って強さを認めて貰ったよ!」


 ピタリと涙は止まったけど、少し怖い顔をすると僕の頬をまたひとつ叩く。


「危険な事をして!」

「体を鍛えていたらこんな体格になったけど許してグレース。大好きなんだ」


 すりっと子供の頃のように頭を押し付ける。どうかグレース僕を受け入れて。グレースは震えながら僕を抱きしめてくれた。


「私も大好きです」





 グレースは正妃として皆から祝福された。

 10年分の愛のお陰で子供が5人も産まれた。

 父は孫がこれだけいたら安心だと側妃を殆ど下賜してしまった。グレースは財務大臣と母から非常に感謝されたようだ。

 僕が思うに父の魔力は桁外れで、ただ魔力が高いくらいの女性では中々子供が出来にくいのではないかと思う。その点、僕とグレースはバランスが取れていて丁度良かったのだろう。


 母の激しい気性はどこにいったのかと思う程、今は穏やかになり父と語らっているのを見ると何とも言えない気持ちになる。



 暇ができると湖の屋敷に行き、グレースと敷物の上で釣り糸を垂らし本を読みサンドイッチを食べる。


 グレースが、密かに年上なのを気に病んでいるのは知ってる、僕がグレース以外に目を向けても仕方ないなんて思っているようだけど、僕の粘着気質を舐めていると思う。


 50年先、お互い皺くちゃになって歳が上か下かなんて気にならなくなるまで離さないでいたら、グレースは心の底から僕の事を信じてくれるだろう。


 愛しいグレースが僕の横で笑っていてくれたら、僕はそれだけで幸せになれるんだ。




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