変な冒険者の噂
この頃、変な冒険者が出入りしていると冒険者協会リーン・グラッセン支部職員の間で噂になっていた。
変な冒険者、というのはなんともおかしな話だ。そもそもおかしい奴らが──特に高ランクに──多い冒険者という存在。それを普段相手にしている協会職員がわざわざ噂するなんて、いったいどんな奴が現れたのか。
支部長であるデオは興味が沸き、休憩中の職員を見つけ尋ねてみる。
「それでおかしいって言うのは、なんだ、五歳の子供がSランクにでもなったか?」
「年齢制限に引っかかるでしょう。それに、新人で強い程度じゃ、冒険者の間ではともかく私たちはなんとも思いませんよ」
「そりゃそうか、だったら全裸でクエスト行くとか」
「そんな訳ないって分かってるでしょう、けど、いい着眼点ではありますね」
「分かった伝説の武器でも装備しているんだろ」
「その逆です」
「……まさか、呪いの装備か?」
「ええ、それも全身を呪いの装備で固めているんです」
呪いの装備。強力な魔物によって倒された冒険者の装備などが、運よく壊されずに魔物の側で長くその魔力の影響を受けることで硬度や斬れ味に補正を、あるいは特殊な能力を持つ。そこだけならば有益なものなのだが、蓄積された魔力は装備しているものに悪影響を与える。そのため、大抵の場合は使えずに廃棄される。
「とち狂った新人が身につけて、次の日には体調ぶっ壊して寝込んで来なくなるなんて昔はよくあったが……それを全身?」
「ええ、間違い無いですよ、特殊な模様が浮かび上がってますし。本人がそう言ってるんですから」
「待て待てあり得ないだろう、どんな人間だって他の魔力で自分の魔力を狂わされればおじゃんだ。それを全身だって? とてもじゃないが信じられん」
「そうは言っても、本人はかなりのペースでクエストを受注、完了してピンピンしていますよ。まあ全身が呪いの装備ですからね、戦力としてはかなりのはずです。ついこの前、Aランクになりました」
「待て、それならランクアップの書類で確認してるはず。この前のは……確か三ヶ月程度の新人がいたな、そいつか」
「ええ、ちなみに呪いの装備をしているのは昨日今日の話じゃ無いです。少なくとも一ヶ月前から今のような全身装備になっていました」
「重ねて言おう、あり得ない。ずっと着けている、なんてことは流石にないだろう。しかし魔物の討伐中肌身離さずで一ヶ月、しかも全身なんていうのは、そいつが英雄だとしても無理だ、元Sランクの俺が言うのだから間違いない」
「だから、噂になっているんですよ。ちなみに職員間での予想は、魔力が完全に抜かれた浄化品を身につけている、実は中身が入れ替わっている、正体が魔物……なんて言う人もいます」
「何にせよ、一度確認する必要があるな」
噂が回るというのは、いいことでは無い。ここは冒険者のための協会、その支部。他愛ない街の噂ならともかく、冒険者への偏見が職員同士の間でやり取りされるなど、褒められることではない。そう言った僅かな綻びから、ミスというものは生まれてしまう。クエストの発注に必要なのは人となりではなくランクのみ、それが冒険者協会。その前提が万が一にも崩されるのは防がねばならない。
まあ、その人となりを重視しないということが、こうして冒険者に変人が多くなるのを生み出してしまっているわけが。
「ちょうど本日がクエストの予定期間日ですね。魔物の討伐、ターゲットは『七怪鳥、ババルネゴス』になってます」
「Aランクでも苦労するような大型の毒鳥じゃねぇか、ついこの間ランクアップしたばかりだろう」
「ね、全身呪いの装備ってのも嘘じゃ無いと思いませんか?」
「──見てからだ」
思わず頷きかけたのを隠し、ともかくデオはその冒険者を待った。
幸い、予定期間美を過ぎることなく、件の冒険者は完了手続きに現れる。
返り血を浴びたような、赤い模様がいくつも散らばる黒の全身鎧。背中に背負うのは、歪な形にねじれ曲がった大型の剣。攻撃を防ぐことよりも、それで目の前の敵を轢き殺すのを目的としたような装飾のついた盾。
およそ人の手で造れるようなものではない。どれもこれも、呪いの装備。
元とはいえSランク、魔力に敏感なデオは、窓口で手続きを行うそれが、未だ蓄積された魔力の尽きない本物──それも、とびっきり強力なものだと、瞬時に理解する。
(あれら全てに触れていて、なぜ平気でいられる?)
見れば周囲の冒険者は距離を置いてしまっている。触れ続けなければ問題ないものではあるが、心情的には近づきたくないだろう。何より、あれらはその特性上冒険者達の遺品、死の象徴と言ってもいい。縁起の悪いそれらにわざわざ近づく、ましてや着けるなど。
(いや、新人ならまだ、そう言ったことに疎いのは理解できるな)
どうやら手続きは済んだようで、立ち上がろうとした件の冒険者に職員が案内をする。支部長がお呼びです、と。
デオは表情を明るくにこやかなものにすげ替える。
「どうも、俺はここの支部長、デオ・テビープだ。君に少し聞きたいことがあってね、呼び出させてもらったよ」
さて、どうやってその鎧の下を暴いてやるか、などと考えていたデオの予想を、件の冒険者は裏切る。
その呪われた装備の一部であるヘルムを脱ぎ去り、こちらに応じたのだ。
戦闘のためかやや汚れているものの、人懐っこい笑みを見せる顔立ちは、健康そのもの。どこにも呪いの影響を受けたようには思えない。怪しい点を、無理やりあげようとするならば、この国には珍しい黒い髪という、それだけ。
「はじめまして、コージ・クライシです」
デオは貼り付けたはずの笑みを思わず解きそうになる。それほど、なんてことはないただの好青年だったのだ。
支部長室に移り、座らせて、さてどうしたものかとデオはこめかみを抑える。
魔力は確かに蓄積されている、つまり体内の魔力に影響を受けているはず。だというのに本人は自分よりよほど健康そうで、今も珍しいのかきょろきょろと辺りを見回している。
毒々しいはずなのに、毒気を抜かれる。その相反する直感のせめぎ合いが、デオを悩ませていた。
「それで、何についてお話しすればいいですかね?」
入ってから何も会話がないものだから、冒険者、コージの方から話しかけてくる始末。
もう後はどうとでもなれ、と半ば投げやりに、直球で話すことをデオは決めた。
「コージ、君は少々特殊な装備をしているだろう。それがどういうものかは知っているかな?」
「ええ、呪いの装備ですよね。特にこの剣はお気に入りなんですよ。コヤカという冒険者の方が使っていたものらしくて、あ、質問はこれをどこで買ったとかですか?」
「違う違う、どうせ許可書を持ってるか怪しいモグリの露天だろう。なら、なぜそんなものを装備しているんだ。いいか、呪いの武器は確かに強い武器ではあるが、なにもそれだけで無敵というわけではないんだぞ」
そう、呪いの装備はよほどの蓄積魔力がない限り、平均よりは比較的使える程度に過ぎない。きちんとした店で揃えた装備品の出力を上回ることはほぼ稀。しかもデメリットを抜きにしての話である。だからこそ使うものがいないのだ。
「なぜって、そりゃ罹りたいからですよ、呪いに」
「……君は自殺願望者かね?」
稀にいるトンだ奴らか、とデオは呆れる。
が、いえいえとコージは手を振り。
「そもそも僕は、魔力干渉が効かない体質なんで」
「恩恵持ちか」
「『魔がいもの』って呼んでます。多分、この世界で僕一人だけの特異体質だと思いますけどね」
「ああ、多数の恩恵持ちと会ったが、そんな恩恵は初めて聞いた。それなら呪いの装備で固めているのにも納得はできる。が、そうなると理由が通じない」
呪いが効かないのに、呪われたい。
コージは、微笑むと。
「僕は昔から、怖い話が好きです。中でも呪いってのが特別に好きなんですよね、死者の念が物に宿り、不幸を振りまくというのが。あの理不尽で屁理屈で、無理解な概念。けど、どうもここは、魔力や、魔物がそれに理由と理屈と理解を与えてしまっているみたいで」
言い回しがやや気になったデオだが、指摘することでもないと思い、返す。
「そうだな。今でも老人や子供は幽霊や、呪いを信じているが、それは魔力の知識に乏しかった昔の概念だ。今やどれも説明できる事柄に過ぎない」
「だからこそ、僕はここで呪いを証明したいのです。他ならぬ僕自身が、魔物に負けない強さの、呪いの効かない体質の僕がもし、怖い思いをしたなら……それはこの上ない証明になると思いませんか?」
妄言だ、などと切り伏せることは出来なかった。そんなことはありえない、すべて、証明され尽くしたことなのだと言うはずだったのに言うはずだったのに。
デオは優秀すぎたのだ。冒険者時代も、それを引退した後も、こうして支部長になったときも、彼はいつだって戦局を、危機を、物事を正しく見抜いて、生き延びてきた。だからこそデオは、その瞳に、暗くて深い何かを見てしまった。
ああ、これは駄目だ。これは狂っていない。正気だ。だが、その上で、死を超越する概念を信じているのだ。これほど恐ろしいものはない。だって、まるでそれでは、こちらが狂っているようではないか。
「……分かった、ともかく君には実害がないということだな」
「ええ、今の所残念なことに」
「なら、問題はない。呪いの装備で出入りする冒険者がいると聞いてな、新人は調べもせずに使っている場合が多いから注意しようと思ったんだ」
「そうでしたか、それはご足労をお掛けしました」
確認は取れたので、コージはそのまま帰る。
一人になった支部長室、深呼吸を繰り返して、ようやくデオは落ち着きを取り戻す。
(あれは駄目だ。関わったら、こちらの命がいくつ会っても足りない)
どんな強大な魔物を目の前にしても、あれほどの恐ろしさは感じない。一瞬とはいえ、自分を含めた世界が揺らいでしまうなど、今まで一度もなかった。
それは、自己を見誤り死んだ人間をたくさん見てきたデオだからこそ、気づけた異質さ。
(もう俺は手遅れかもしれないが、せめて職員たちには禁止令を出しておこう。あれに深く関わるな、噂するな、向き合うな)
しばらくして、リーン・グラッセン支部から『変な冒険者』の噂は消えた。
それは禁止令が出たこともあるが、何より新しい噂が蔓延したことも理由だ。
妖精の声の噂。
とある高ランク冒険者のギルドが、密かに繁殖していた棘鎧蟻レネルの巣を発見、これを殲滅した。
狭い洞窟の奥に生息するこの魔物は、発見が遅れると大規模な群れの移動を開始し、被害を拡大させる。
この地域では行方不明者がやや増加の傾向にあったのだが、レネルによる被害に違いないだろう。
どうして見つけられたのかという質問に対し、ギルドのメンバーは皆一様に「誰かの声が聞こえた」と話したらしい。
人前に姿を見せなくなって久しい、妖精ではないだろうか。
戻ってきた形見の噂。
クエストから帰還せず、行方不明者として扱われていた男の妻の下へ、装備だけが帰ってきたらしい。
朝、家の前に置いてあったのを妻が発見。
冒険者協会に問い合わせたものの、関わっていないことが判明した。
生前に出かけたクエストはソロのため、仲間が届けたとも考えにくい。
装備は兜のみ、呪いの装備化していたという。
死ななすぎた死者の噂。
とある宿屋の一室で、腹を捌かれ、内臓で首を閉められた状態で発見された男。
魔法による調査の結果、男は内臓で首を絞められるまで、三時間ほど生きていた可能性が高い。
その間、大量の出血では死なず、かといって誰にも助けを求めずに、静かに殺された。
なによりもこの事件の不可解なことは、それが魔力によるものではないらしいということ。
犯人は未だ捕まっておらず、凶器も不明。自殺という声も上がっている。
遺品を買い取る男の噂。
そいつは、二束三文にもならぬような引き取り手に困るような遺品の噂を聞きつけ、なぜかとてつもない金額で譲ってほしいと頼み込むらしい。
特に、生前に悔いがあったり、言い方は悪いが嫌われていたような人のものほど買いたがる。
一度、どうしても気になり理由を尋ねたやつがいた。
すると。
「いやあ、次はこういうのでも証明できるかな、と思いまして」
男は人懐っこい笑みを見せる、好青年だという。