百合好きJKのお隣が好きな『百合漫画』の作者だったお話
「はぁ……てぇてぇ……」
ポツリと呟くように、わたしの口からそんな言葉が漏れた。
やっぱりベッドに横になりながら読む百合漫画は最高だぜ――そう思いながら、わたしはページをめくる。
高校一年生になり、わたしはようやく一人暮らしを始めることができた。
親に頼み込んだ結果だけれど、一人暮らしをしたかった理由は至極単純。百合漫画が読みたかったからだ。
もちろん今後、社会に出ることを考えたら……っていう理由もあるわけだけど。一番の理由は百合になる。
どうして百合漫画を読むのに一人暮らしなのか――それも、単純な理由だ。
わたし――天羽しぐれは『女』だからだ。
それだけで何か問題があるのか? と聞かれると、問題はある。
残念なことに、一度中学のときに持っている百合漫画で、わたしは家族会議を開かれた。
女の子なのに女の子が好きなんじゃないか……そんな疑いをかけられたのだ。
わたしは百合が好きなだけで、わたし自身の恋愛対象は女の子っていうわけじゃない。
まあ、男の子を好きになったこともないのだけれど、それは相性というのもあるだろう。
女の子を好きになったことだってないわけだしね。
けれど、勘違いされるのは面倒だし、百合漫画を集めれば集めるほど、家にいるのも窮屈になってしまう。
好きな物を好きと言えない――そんな環境には、いたくなかった。
だから、わたしは一人暮らしを始めたのだ。
これがとても最高で、家でだらけていても文句は言われないし、今みたいに百合漫画を見ても何か言ってくる人もいない。
好きなことを好きなように――それができるのが、最高だった。
わたしが『百合』を好きになったのは……いつからだったろう。
初めはいわゆる女児向けのアニメを子供なりに楽しんでいるだけだったはずだった。
それが成長するにつれて、『女の子同士の友情』とかっていいな……というか、女の子だけいればいいなって思うようになった。なってしまったのだ。
だから、アニメや漫画の女の子同士の絡みを尊いと思うようになってしまったわけで、決して現実の女の子には恋をしない。
「現実より漫画だよねー。はあ、それにしてもてぇてぇ……」
わたしは思わず、再び呟いてしまう。
今読んでいるのは、『百合漫画家とJK』という百合漫画だ。
作中の主人公が百合の漫画家で、ひょんなことから隣に住む女子高生と知り合って、恋をする――そんなお話だった。
まあ、百合ネタを提供するために初めは一緒にいるわけだけど、だんだん本気で恋に落ちていく……みたいな? 本当にこの漫画がすごく好きなのだ。……けれど、
「先月から休載、なんだよねぇ」
パタン、と漫画を閉じて、わたしは小さくため息を吐く。作者の体調不良なのか――理由は分からないけれど、今は雑誌の方でも休載しているらしい。
つまり、この漫画の続きは――今は読めないのだ。
この二人が今後どういう関係になっていくのか……気になって仕方ないのだけれど。
「隣に漫画家、ねえ……」
そんなことはあり得ないだろう――そう思いながら、お隣の部屋の方に視線を送る。
そこはいわゆる端部屋になるわけだけど、ここにきてから一度挨拶したきりだ。
顔を合わせたこともなく、どういう人かも分からない。少なくとも分かっていることは女性ということで、随分と根暗な雰囲気を感じさせた。
そういう意味だと、
「……この漫画の主人公に、似てる気はする――って、何言ってるんだろ」
思わず続きが気になって、ばかばかしいことまで考えてしまう。
「あ、洗濯物……」
だらりと横になったところで、すでに夕刻だというのに洗濯物を取り入れていなかったことに気付く。この辺りは、一人暮らしになると誰もやってくれない――自分のことを自分でやるのは、当たり前の話かもしれないけど。
わたしは起き上がって、カラカラとベランダの窓を開ける。
「うぅ、私はダメ人間なんだぁ……」
「――」
聞こえてきたのは、そんな泣き言。思わずすぐに窓を閉めようとしてしまったけれど、身を乗り出していたわたしは、その人を目があってしまった。
「「あ」」
声が重なる。そこにいたのは、先ほどわたしが思い出していた隣人さん。
髪も整わずに、缶ビールを片手にベランダで一人飲み会を開いているようだった。
その上、泣いているという――とんでもない状況。
「えっと、こんばんは?」
「……こんばんは」
ズピッと鼻をすする音と共に、お隣さんは再び缶ビールを煽る。
めちゃくちゃ気まずい――けれど、挨拶をしてしまったからには、ここで閉めるのもさらに気まずい。
わたしは、何も見なかったことにして、洗濯物を取り入れることにした。
カチャカチャと洗濯物を取り入れる音と、お隣さんが鼻をすする音だけがベランダに響く。
……いや、やっぱりめっちゃ気まずい。
「あ、あの……何かあったんですか?」
わたしは、思わず聞いてしまった。
それが、わたしの最初に間違いにして――最大の間違いだったのだと思う。
「! 聞いてくれますか!? 実は……実はですね……私、漫画家なんですけど、漫画が描けなくなってしまったんですぅ……っ」
そんなに深く聞いていないのに、彼女はすぐに状況を話し始める。一瞬、「まじか……」って思ったけれど、それ以上に気になる言葉があった。
「え、漫画家さん、ですか?」
「あ、はい。でも、今時の女子高生が知ってるような漫画じゃないんですけど……あ、漫画とか詳しいですか?」
「……そこそこには」
「そこそこだと絶対読んだことないです。うぅ……」
「な、何てタイトルなんですか?」
「『百合漫画家とJK』……知らないですよね」
「――」
わたしはピタリと硬直した。
知らないどころか、たった今さっきまでわたしが「てぇてぇ」していた漫画だ。
「……なんて?」
「『百合漫画家とJK』ですぅ……やっぱり知らな――」
「いや、あの、めっちゃ知ってるというか……大ファンなんですけど」
「……ふぇ? ええええええええええっ!?」
近所迷惑――そのレベルの叫び声が周囲に響き渡る。
お隣は百合漫画家で、わたしの好きな漫画を描いていて……しかもわたしは女子高生。
まるで、漫画と同じ展開であることに気付くのは、少し後の話だ。
***
「すみません。その……わざわざ家にあげてもらって」
「いやぁ、全然大丈夫ですよ。えへへ、だって私の漫画読んでくれてるファンの子なんですよ? 初めて会いました……好き」
語尾についた言葉は気にしないことにして、わたしは苦笑いを浮かべて答える。
種田たね子――それが彼女のペンネームで、本名は飯田ゆかり。
本名より、わたし的には『たね子先生』の方が呼びやすいので、そう呼ぶことにする。
「まさか、たね子先生がお隣住まいだったなんて……」
「えへへ、ごめんなさいね。最初に挨拶してもらったとき、生JKのポジティブエネルギーに勝てなくて、不愛想にしてしまって……」
「な、生JKって……」
「あ、ごめんなさい、引かないで、引かないでくださいっ」
「だ、大丈夫です。引いてないですっ。ちょっと、驚きが色々勝ってるというか……」
「そうだよね。漫画の状況と一緒だし、色々驚きだよね」
「そう言われると、そうですね」
漫画の状況と一緒――本当に一緒ならば、JKである『わたし』が『漫画家』の手伝いをするヒロインということになるけれど、生憎わたしには漫画の知識がない。
一先ず話は聞くだけ聞いてみることにはしたけれど。
「それで、漫画家が描けなくなったって……?」
「うぅ、そうなんですよぉ……。私、百合がずっと好きで描いてきたんですけど、いざ連載勝ち取って描き始めたら、好きなことっていうか……その、『受ける』ことを描かないといけないときもあって……? それで、読者が好きな百合ってなんなのかなーとか色々考えてたら、うぅ……描けなくなっちゃったんですぅ! 私は無能なんですぅ!」
「い、いや、無能ってそんな……。漫画が描けるだけで有能ですよ」
「今は書けない無能なんです……。私はダメダメなんです……。漫画が描けなかったら生きていくこともできない……うぅ」
「えっと……」
正直、どう励ましていいか分からなかった。
だって、漫画のことなんて分からない。けれど、好きな漫画を描いている人が困っている――わたしにできることは何かないか、そう思うのが普通だろう。
でも、できることと言ったら……それこそ、漫画と一緒になってしまうのではないだろうか。
つまり、わたしが彼女の手伝いをする――百合というものがどういうものか、一緒に試していくということだ。そんなこと、できるはずがない。
「その、何て言ったらいいか、分からないんですけど」
「……あぁ、ごめんなさい。取り乱したりして。こんなところ、見たくなかったですよね。学生さんの夢を壊すようなこと――やっぱり、私は漫画家失格です」
「――そ、そんなことはないですっ」
「……え?」
やっぱり、放っておけなかった。
「か、描けなくなるっていうのがどういう気持ちなのか、分からないですけど……好きなことができないのって、やっぱりつらいと思うんです。その気持ちは……わたしにもわかります。だから……わたしに、協力できること、ないですか?」
「……協力? 協力って……え?」
ハッとした表情をたね子先生も浮かべる。――まあ、わたしもそのことを提案するつもりで言ったのだけれど。
「漫画と一緒です。わたしと、百合の関係を……試してみませんか?」
「っ!? そ、そんなこと、え!? いいの!?」
ダメだよ――ではなく、たね子先生はめちゃくちゃノリノリだった。びっくりするくらい表情が明るくなって、思わずわたしは引いてしまう。
けれど、たね子先生は気にした様子もなく。
「きょ、協力してくれるなら本当に助かりますっ! リアル……そう、リアルJKとお知り合いになって百合っ。これはインスピレーションがすでに捗ってきました! 今なら描ける気が――」
「ほんとですか!?」
「その前に……協力してくれるなら、ちょっとだけいいですか?」
「……? ちょっとって、何ですか?」
「えへへ、詳しくはベッドの上で教えますからっ。ささ、こちらにこちらにっ」
「わ、分かりました」
わたしは軽い気持ちで彼女と共にベッドに向かう。
思えば――『ベッドの上』という時点で気付くべきだった。
この後、めちゃくちゃ百合百合した。
好きな百合ネタを書きました。
ご査収ください。