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海と摩天楼  作者: 鶴次郎
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海と摩天楼 第4部

□第4部 撃ち落とされた海鳥のような

◇ 22 撃ち落とされた海鳥のような

 闇の中を風が吹く。狭く奥深い入江は波立ち、白い波頭が高く低く渦を巻きながら砂浜と磯に打ち寄せて砕ける。潮騒は風の音をかき消して辺りに鳴り響く。

 前夜から辺りを覆っていた霧は、風に吹き払われていた。闇が、濃い灰色から青に変わるとともに、松林に鳥の羽音とさえずりが聞こえ始める。沖合いから一筋の光が射すと同時に、日は空と海の接点を金色に染めながら海面にスッと顔を出した。日の周りの空と海が、濃い青から紫、赤、オレンジ、黄へと色を変える。

 U字型の砂浜が朝日に染まり、海も砂も空も、光にその輪郭を彫琢され、万象は色彩を帯びていく。

 その町で最も早く起きるだろう新聞配達員や、ホテルや旅館で客の朝食の仕度をしなければならない人々が、自転車や車で海に面した道路を一人二人と行き交い始める。

 砂浜の波打際から少し上がった位置に灰色のものが横たわっていた。

 よく見ると、横たわっているのは、海水に濡れそぼって灰色に見えるコートをまとった人の姿だった。その姿は、ちょうど撃ち落とされた海鳥のように見えた。

 その人は奥深い入江の、ホテル前の砂浜の波打際にうつ伏せて倒れている。潮の引いた波先は、倒れている人から少し離れた海岸を洗っている。

 誰かが電話をしたのだろう、パトカーと救急車のサイレンの音が近づいてきた。救急隊員や警察官が駆けつけた頃には、日は海上にあり、辺りの光景は隈なくあらわになっていた。通行人や近くのホテルの従業員、泊り客らしい人々が集まって来た。人々は、その近くまで寄って、撃ち落とされた海鳥のような人の姿を見ていた。

 乱れた黒髪が首のあたりに波打っている。砂上に投げ出された手は、透き通るように白い。

 救急隊員と警察官は、横たわっている人に近づくと、懐中電灯や聴診器を使ってその人の生死を確認した。その人は、仰向いた顔と濡れた衣服越しになぞられる体形からして、女性だった。

 懐中電灯と聴診器を使って生死を確かめていた救急隊員の一人が首を横に振った。隊員たちは、女の体を担架に移して毛布を掛けた。救急車は女を乗せて走り去った。

 その日の昼のテレビのローカルニュースは次のように短かく報じた。 「下田市の海岸で女性が遺体で発見された。外傷はなく、溺死とみられる。警察で事故、事件の両面から捜査中」という、ごく短いものだった。


 静岡県警伊豆南署刑事課の武田徳郎刑事は、午後の砂浜に立ち、溺死体で発見された女に関するメモを見ていた。女は身元がわかるものは何一つ身につけていなかった。金のネックレスとブランドものの腕時計をつけてはいたが、着ていたコート、衣服にネームは入っていない。周辺の砂浜を探して見つかったのは、左足の黒いバックスキンの靴一つだけで、これもその女のものかどうかわかってはいない。それ以外、女の持ち物らしいものは何一つ見つかっていなかった。あとは、女の遺体があった場所から二十メートルほど離れた所に、舟底を上にしたボートが一艘と、近くにそのボートのものらしいオールが二本、ばらばらに見つかっただけだ。

 身長百六十センチ。体重は五十四キロ。推定年齢は二十代から三十代後半。長髪。服装は黒いハイネックのセーターに紺のウール地のパンツと、発見時濡れそぼって灰色に見えた白いウール地のハーフコート。血液型はO型。死亡推定時刻は十一月二十九日夜半から翌三十日未明。死因は溺死。血液中からアルコール、ワインの成分を検出。外傷はなし。解剖の結果、妊娠初期であることが判明。

 女について、遺体が発見されて二日の間にわかったことはこれだけだった。

 武田刑事は伊豆南署に戻り、全国版のネットワークにオンラインになっている身元不明者のリストを洗うとともに、整った顔立ちの顔写真を一部修正して公表し、家族、縁者の申し出を待つ手はずをとった。

 武田は若い安藤刑事とともに捜査を開始した。事故であれ事件であれ、とにかく女の身元を割り出さなければならない。二人の刑事と数人の捜査員が再び海岸を隈なく探したが、すでに見つかっている左足の黒いバックスキンの靴とボート以外、何も見つからなかった。U字型の奥深く長い浜には、打ち上げられた流木や海藻、ガラスの破片、貝殻や魚の骨などが見えるだけだった。

 女の遺体の近くに打ち上げられていたボートに書かれた5という番号と、HAMAYAという文字から、それは、入江になっている浜の対岸の貸しボート屋のものであることがわかった。

 入江の周辺だけで三つのホテル、いくつかのペンションと民宿、それにコンドミニアムに別荘もある。しかし、女はその入江に近い宿に泊っていた客とは限らない。死亡推定時刻や遺体の状況からして、外海から漂着してきたということは考えにくいから、入江の中のどこかで海に落ちて死亡したものと見られる。

 翌日の朝刊の静岡県版には、 「下田市内のT浜で遺体で発見された女性の体内からアルコールが検出され、女性は酒を飲んで海に落ちて溺死したものとみられる。肺と消化管内からも海水が検出された。死亡推定時刻は前日の夜半から深夜にかけてであり、警察ではまだ事故、事件の判断をつけかねている」という記事が載っていた。


 聞き込みの結果、海を望む高台の上にあるコンドミニアムを借りていた若い女の客が二日ほど行方不明だということがわかった。コンドミニアムを管理しているペンションの主人が、家族から、連絡がとれないので様子を見てほしいという電話連絡を受けて見に行ったところ、女性客の行方がわからなくなっているという。

 武田刑事はそのペンションを訪ねた。ペンションを営む傍ら、コンドミニアムの管理人をしているという中年の男は、武田が示した女の修正された顔写真を見て、

 「この人です」と言った。それは確信があるらしい言い方だった。

 管理人は、女が書いたコンドミニアムの賃貸借契約書を見せてくれた。契約書には、行方がわからないという女の氏名と住所、自宅の電話番号が記されていた。氏名は浅野冴子。住所は東京都世田谷区下北沢××/五。

 武田は、ペンションの主人にその契約書を一枚コピーしてもらった。

 「それから、三十日の昼過ぎに、この浅野冴子さんという女性の友人だという若い男が訪ねてきましてね。訪ねて来たんだが、いないので、どこへ行ったか知らないかと聞くんですよ」

 「それで、その男は?」

 「夕方、明日の仕事もあるんで帰らなければならないと言って、この名刺を置いていきました」

 そう言って管理人の男は、 「児童養護施設のびのび園/加賀健介』と書かれた名刺を武田刑事に示した。

 「これ、ちょっと借りていいですか」

 「どうぞどうぞ」

 男は受け取った名刺を、再び武田刑事の手に戻した。

 「この名刺の人物以外に、二十九日の夜から三十日の朝にかけて、この女性を訪ねてきた人はいませんでしたか。あるいは夜中だったかもしれないが。車が来たとか」

 「さぁ、あのコンドミニアムはここからは離れていて、人の出入りは見えませんからね。誰か人が来ても、全くわからないんですよ。それに、袋小路じゃないんで、車は一晩に何台も通り過ぎますしね」

 「この女性は、初めてお宅のコンドミニアムを利用したのかな」

 「初めてだと思います。あるいは以前に来たことがあるのかもしれませんが、そこまではわからない」

 「この人は、電車で来たんですか」

 「ええ、スーパービューで来たって言ってました」

 「駅からはタクシーで?」

 「うちの前までタクシーで来て、鍵を受け取って、そのタクシーでコンドミニアムまで。私もそのタクシーに乗せてもらって、説明に行ったんです」

 「そのコンドミニアム、ちょっと見せてもらえますか」

 「どうぞどうぞ、こっちもあのままにしておくわけにもいかないんで、どうぞ調べてください」

 管理人とともに、武田は崖の上のコンドミニアムに向かった。

 「家族から電話をもらって見に来たときは、鍵もかかっていなかったんですよ」

 管理人の男はコンドミニアムの鍵を開けて言った。

 「渡しておいた鍵は見つかったんですか」

 「ええ、ベッドルームの机の上にありました。触っちゃいけなかったですかね。マスターキーはあるんですが、誰もいない部屋に鍵を置いておくわけにもいかないんで、持ち出しました。鍵以外のものは、触っても動かしてもいません」

 管理人は手にした鍵を武田に示した。

 「いや、やむを得ないでしょう」

 そう言って武田刑事は男とともに室内に入った。室内の空気は冷たかった。食事中だったのか、食事の後なのか、リビングのテーブルの上の、蟹の脚と食べ殻を載せた発泡スチロール製の皿や鉢が目についた。スライスハムや野菜サラダらしいものは、しなびて皿にはり付いていた。もう腐っているのかもしれない、蟹独特の濃い臭いが室内に漂っている。

 武田は、そのテーブルの上に、 「いま下田にいます/加賀」と書かれたメモを見つけた。それは名前からして、先ほど管理人から借りた名刺の主が残していったものらしかった。

 シングルベッドが四台入っている寝室の机の上には、ノートパソコンや本、大学ノート、ボールペンなどが無造作に置いてある。その下には旅行用のバッグが、ファスナーを開けたまま置いてある。クローゼットには、セーターやパンツなど、二、三枚の衣類がハンガーに掛けてある。

 リビングの一隅にあるキッチンの調理台の上に、絞られたタオルが二つ置いてある。タオルは乾いて固い塊りになっている。シンクには、プラスチック製の洗い桶のほかは何もない。冷蔵庫の中には、牛乳やスポーツドリンク、ヨーグルト、卵、ハム、未開封の肉、レタス、トマト、サラダ菜、リンゴ、マーガリン、食パンなどの食材が入っている。

 武田は携帯電話で伊豆南署に連絡をとり、安藤刑事と鑑識の係官にコンドミニアムに赴いてくれるよう依頼した。

 間もなくやって来た安藤刑事と二人の鑑識係官とともに、武田は改めてコンドミニアムの内外を丹念に調べた。

 女の旅行バッグの中からは、財布と健康保険証も見つかった。それらの物を一つ一つ改め、写真を撮る。作業を終えてから、武田は車で下田駅近くにある海浜タクシーの営業所に向かった。タクシー会社の事務所で、浅野冴子の財布の中にあった十一月二十三日付のレシートを示して、そのタクシーの運転手を尋ねた。運よくその運転手は夕方からの勤務に合わせて待機室にいた。初老の運転手は、武田が示したレシートと修正した顔写真を見て、確かにこの女性を乗せて駅からペンションを経由してコンドミニアムに行ったと語った。


◇23 遺  族

伊豆南署に帰り着くと、武田は気の重い電話をした。

 「浅野でございます」

と女の声があった。

 「浅野冴子さんのお宅ですか」

 「ええ、どちら様でしょうか」

女の声は、武田が何の用件も話さぬうちから不安に曇っていた。

 「こちらは静岡県警伊豆南署の武田と申します。もしかすると、浅野冴子さんかもしれない女性が下田の海岸で発見されまして」

 「冴子がどうかしたんでしょうか?」

 「いや、浅野冴子さんかどうか、まだはっきりしたことは申し上げられないのです。それで、遠いところをご足労様ですが、こちらに来て確認していただきたいと思いまして」

そこまで武田が言うと、もう相手は言葉を失っていた。

しばらく間を置いて、武田は必要事項を電話口の女性に告げた。相手の動転している様子が受話器を通して伝わってくる。言葉が出ないらしい。きっと家族について思い当たる事があるのだろう。

 「あの、どういう状況で見つかったのでしょうか」

と言う女の声は小さく震えていた。

武田は一瞬ためらったが、答えるしかなかった。

 「まことに残念ですが、亡くなっておられましてね」

女はまた言葉を失っていた。

 「本当に冴子なんでしょうか」

信じ難いことを告げられた女の声には、抗議するような響きが感じられた。

 「わかりません。ただ、遺体が発見された浜の近くのコンドミニアムを借りていた女性が、行方不明になっていましてね。そのコンドミニアムから、浅野冴子さんという方の保険証やパソコンや財布が見つかりまして。保険証に記載されている性別や生年月日から割り出した年齢と、発見された女性の様子が、ほぼ一致するものですから、とりあえずご連絡した次第です」

 「わかりました。いちばん近い電車でそちらにまいります。もう一度お名前を教えてくださいますか」

 「静岡県警伊豆南署刑事課の武田です。電話番号は……」

その日の夕方、一組の中年の男女が武田を訪ねてきた。

 「浅野冴子の父親です」

と、男は武田に名刺を差し出した。名刺には 「世田谷物産常務取締役/浅野雄次」とある。

浅野雄次も、妻と名乗った女も、沈痛な面持ちだった。娘は、下田のコンドミニアムで博士号をとるための学位論文を書き上げたいと言って、十一月二十三日に家を出て、その後何日かは携帯電話で連絡がとれたが、十一月三十日の朝以降、全く連絡がとれなくなっているという。

武田は霊安室に二人を案内した。この仕事は、武田のみならず、警察官皆が最もいやがる仕事の一つだった。人の喜ぶ姿を見るのは誰しもうれしいことだが、人がいきなり絶望と悲嘆の淵にたたき落とされる姿を見るのは辛いことだ。

遺体は、やはり浅野冴子その人だった。二人は、遺体を前に呆然と立ち尽くしていた。

どれほどの沈黙の後だろう、

 「冴子、冴子、冴子どうしてこんなことになってしまったの。どうして、どうして!」

とくり返した後に、母親の号泣が聞こえた。

それでも武田はその二人を伴って取り調べ室に入らなければならなかった。娘の突然の死。そんなむごい現実を突きつけられた親に事情を聞くためにだ。

両親の、血を吐くような思いで応じただろう事情聴取の結果、死亡した女性について、以下のようなことが判明した。

 「氏名は浅野冴子。生年月日は昭和××年二月二五日(二十五歳)。住所は東京都世田谷区下北沢×/五。独身、両親と同居。父は浅野雄次(五十六歳)。母は浅野良子(五十三歳)。職業は学生。S大学経済学部社会福祉経済学科大学院生。ボランティア活動に励む。今回下田を訪れた目的は博士号の学位論文を書くため。浅野家には下田に特に知己縁者はいなかったし、娘から誰か知り合いがいるという話は聞いた記憶がない。

また、浅野冴子は両親に下田に行くとは言っていたが、誰と行くとも告げてはいなかった。両親は、一応コンドミニアムの住所と管理者はわかっていたし、携帯電話もあり、いつでも連絡はとれる、心配はないだろうと思っていたという。死因については、自殺をするとは考えられないと両親はそれを強く否定した。死をも受け入れ難い両親にとって、自殺であったなど、耐え難いことだったのだろう。

両親が連絡の手段として頼りにしていたという携帯電話は、まだ見つかっていない。それと、持っていたはずの電子手帳も遺留品の中になかった。それは、娘の誕生日に父親がプレゼントしたもので、百科事典も入っているものだという。コンドミニアムにあった手荷物の中にも、着ていた衣服のポケットにも、その二つはなかった。あるいは、海に落ちた際に、ポケットから海中に落ちてしまったのかもしれない。

両親が武田に示した冴子の写真の顔は微笑をたたえて美しかった。

ここで武田は、両親の悲嘆に追い討ちをかけるようなある事実を告げなければならなかった。

 「実は」

と言って一旦武田は言葉を切った。

 「実は、解剖の結果わかったことですが、お嬢さんは妊娠しておられました」

夫婦の悲嘆に沈んだ顔が凍りついた。

 「まだ独身でいらっしゃったですか?」

武田は小さく尋ねた。

 「はぁ」

父親は呻くように短く答えた。

 「どなたかと婚約なさっていたとか」

 「そういうことはありません」

今度は母親が答えた。

 「つき合っていたボーイフレンドはいらっしゃった?」

 「それは、あの年頃の娘ですから、いたと思いますが、特に親に紹介してというようなことはなかったですから、よくわかりません」

再び母親が答えた。

 「冴子さんは、お酒は好きでしたか?」

 「特に好きということはなかったですが、いまどきの娘ですし、大学でのおつき合いもありますから、適当に飲んではいたようです。でも、家で飲むことはあまりありませんでした」

武田の問いに母親が答えた。

 「お嬢さんは泳ぎは得意だったですか?」

 「いいえ、水泳は苦手で、ほとんど泳げなかったと思います」

これも母親の答えだった。

それからさらに二、三の質問をして、武田は、夫婦にとっては長く苦しかっただろう尋問を終えた。夫婦は、紹介を受けた霊柩車に娘の遺体を載せると、父親がそれにつき添い、葬儀の手配等もあってだろう、母親は電車で東京に向かうことにした。

 「近いうちに、ご焼香がてら、改めて詳細な事情を伺いに上がりたいと思います。そのときはよろしくお願いします」

と武田が告げると、両親は無言で頭を下げて、妻はタクシーで駅へ、夫は霊柩車に乗り込んで行った。

武田刑事は、二人を見送って捜査一課の自分の机に戻ると、自分で注いだお茶をすすった。喉がひどく乾いていた。

自殺か事故か、可能性は少ないが、他殺か。それが問題だった。アルコールを大量に飲んで入水した可能性も、アルコールを大量に飲んだために海に転落して溺死した可能性もある。おそらく他殺ではなく、そのいずれかだろう。下田は海辺の街だったから、身元不明の遺体が海岸に漂着することは稀にあった。

人は、いとも簡単に自殺するものであることを、武田刑事はよく知っていた。近年では、若い娘の追っかけ自殺という、何とも軽い動機にもとづく自殺さえある。長い刑事生活の中で、武田は何度も自殺者の遺体に遭遇した。警察官というのは、実に因果な商売だと武田は思う。それがたとえ交通事故であっても、人が死んでいる場所に赴き、その骸を保管、安置し、遺族に引き渡さなければならない。死体が、顔をそむけ、目を覆いたくなるようなむごたらしいものであってもだ。

武田は浅野冴子の両親にチェックしてもらった遺留品を改めた。身につけていた金のネックレスとブランドものの腕時計、花柄のハンカチが着ていたコートのポケットに入っていた。コンドミニアムの寝室の卓上にあったノートパソコン。その内容はまだ詳しく調べてはいないが、英文で書かれた文章や、日本語や英語の参考資料、その他、実に多くのファイルが残されている。メモらしいさまざまな英語と日本語が混ぜこぜになった走り書きが見られる大学ノート。化粧品の入ったピンクの化粧ポーチ。大型の旅行バッグには着替えのほか、健康保険証と濃いワインカラーの財布が入っていた。財布の中身は五万七千二百三円。そのほかに銀行のキャッシュカードとクレジットカードが一枚ずつと、下田駅近くのコンビニエンスストアのもの、そして先にタクシー運転手の話を聞いた、駅から乗ってきたタクシーのものなど、レシートも何枚か入っていた。クローゼットには衣類が未整理のまま残っている。冷蔵庫には、かなりの量の食糧が入っていた。

そのコンドミニアムからは、キッチンの周辺からも、二つの部屋からも、建物の周辺からも、どこを探してもワインの瓶と、それを飲むために使っただろうグラスは見つからなかった。

コンドミニアムと浅野冴子の遺留品の指紋検査の結果が、武田のもとに届いた。玄関ドアとトイレ、バスルームのドア、リビングのテーブル、冷蔵庫、戸棚、クローゼット、その他リビングやベッドルームのあちこちから、浅野冴子のものを含めていくつもの指紋が検出された。浅野冴子の遺留品からは本人の指紋、一冊の本からは持ち主とは別の人物の指紋が検出された。なお、ノートパソコンについては、浅野冴子のものを含めて、一切の指紋が検出されなかったという報告だった。


◇24 告別式

その日は朝から雨だった。志村は、自分宛に届いた浅野冴子の告別式の案内を持って自宅を出た。斎場の最寄り駅からの道中、S大学の元同僚や顔見知りの学生たちに出会った。参列者の表情は一様に硬かった。

隆行が記帳をしているところに、中塚教授が現れた。隆行は目礼して参列者の席に着いた。場内に読経の声が流れた。女たちのすすり泣く声が聞こえる。

祭壇の中央に大きな遺影が掲げられていた。どこで撮られたものだろう、にこやかに微笑している浅野冴子の遺影だった。

研究室の中塚教授が弔辞を述べた。中塚教授は用意してきた弔辞を静かに読み上げた。

 「……情熱をもって福祉経済学の研究にとり組むとともに、児童福祉施設でのボランティア活動を通じて実践に励んだ貴女の姿を、私たちは忘れることはありません。どうぞ安らかにお眠りください」

中塚教授は弔辞を述べ終えて遺影に深々と頭を下げた。

続いて、同じ研究室の岡本美樹が弔辞を述べた。

 「どうしてあなたは逝ってしまったのですか。あれほど元気だった、子供たちを愛していたあなたが」

岡本美樹は、そこまで言って言葉に詰まり、涙にむせんでしばらく言葉を発することができなかった。

隆行は、一人の若者の視線が時折自分に向けられるのが気になっていた。視線の主は加賀健介だった。その、どこか咎めるような視線に、隆行はいささか居心地の悪さを覚えた。

斎場の隣が火葬場になっていた。出棺後、清めの酒と料理が出された後、一時間ほどで火葬が終了したという知らせがあった。葬儀後も残った参列者は火葬場に向かった。

ステンレスの台の上に灰と骨があった。それは、若く美しかったあの浅野冴子とはあまりにかけ離れた姿だった。

 「浅野さんはどうしてあの若さで逝かなければならなかったですかね。むごい話だ」

中塚教授がボソリと言った。その目は涙で潤んでいた。

隆行は何か言おうとしたが、適当な言葉が思い浮かばなかった。

 「若い人に先に逝かれるのは辛いな」

また中塚教授がボソリと言った。

 「本当に、そう思います」

と隆行は応じた。

 「海で溺れたという話だね」

 「そのように聞いています」

 「確か、下田のコンドミニアムで、学位論文を書くという話だったが。夜の海岸を歩いていて、誤って落ちたのかな。志村さんは、その辺の事情は知りませんか」

 「いや、全く知りませんでした」

隆行はうつ向いて答えた。

 「ところで、志村さんは次の総選挙に立候補するという話でしたね。準備は進んでいるんですか」

 「ええ、まあ何とか。何しろ未知の世界のことなので、手探りで」

 「どの政党から立つんですか」

 「与党です」

この隆行の答えを聞いて、中塚教授はしばらく言葉を失っていた。

 「与党ですか。なるほどね」

間を置いてそう言った中塚教授の言葉から、直前までの親しげな響きは消えていた。

やがて、白布に包まれた箱を胸に抱えた浅野冴子の父親が、傘をさしかける妻とともに火葬場を出て、駐車場に向かう姿が見えた。

中塚教授と隆行は、その浅野夫妻に歩み寄って挨拶をした。やつれた夫婦は、力なく二人に挨拶を返した。


◇25 手  紙

 浅野冴子の葬儀から帰宅した加賀健介は、着替えもせずにベッドに倒れ込んだ。前日の通夜から、ほとんど眠っていなかった。それでも健介は眠れなかった。体は疲労困憊しているのに、頭は冴え冴えとしていた。なぜ冴子はあのような死を遂げなければならなかったのかという思いが、冴子を失った痛みとともに健介の脳裡を絶え間なく行き来していた。

岡本美樹とともに訪れた通夜の後、冴子の両親から聞いた話によると、健介が冴子を訪ねて行った十一月三十日の昼には、すでに冴子は浜に打ち上げられた身元不明の遺体として司法解剖されていたという。十一月二十九日の夜から翌三十日の朝にかけて、冴子の身の上に何があったのか。冴子はなぜ初冬の海で溺れなければならなかったのか。

冴子は自殺したのではないか。この疑念が健介の脳裡に浮かんだとき、健介は身震いした。そんなことはない、そんなことはないと、その思いを健介は心の外に追い払おうとした。しかし、自殺という言葉は、健介の心に、石に刻まれたように鮮明に固着して動かなかった。

そんなことを両親に聞くわけにはいかなかったが、遺書はなかったのだろうか。冴子の両親は、冴子は事故で、海に落ちて亡くなったと言っていた。

冴子は何事にも慎重な人だった。その冴子が晩秋の夜、一人で海岸を歩いていた。酒でも飲んで泥酔していたか。それも冴子には考えられないことだった。青い鳥でともに活動した七年余の間に、健介はコンパなどで数えきれないほど冴子と一緒に酒を飲んでいた。しかし、冴子の酔った姿を健介はほとんど見たことがなかった。慎み深い冴子は、我を忘れて酒を飲むようなことはなかったのだ。

そうなると、やはり自殺しか考えられない。初冬の海に身を投げたとしか考えられない。

なぜ、どうしてと健介は思う。なぜ冴子は自殺しなければならなかったのか。

健介は、先にのびのび園を訪れた岡本美樹が言っていた、

 「志村先生って、許せない人なの」

という言葉と、 「冴子とつき合っていたの」という話のくだりを思い返した。告別式に何食わぬ顔で姿を見せていた恥知らずな元大学准教授に対する怒りが、寝不足でありながら眠れない健介の心に火花のように閃いた。

冴子は、志村准教授との関係に悩んで自殺したのではないか。何より、あの手紙だった。

健介はベッドを離れ、浅野冴子が死を前に書いただろう自分宛の手紙を机の引出しから取り出した。その手紙は手書きのもので、健介が下田から帰った日、つまり十一月三十日に、のびのび園の健介宛に届いたものだった。消印は十一月二十八日になっていた。

普段は電話やメールでのやり取りがほとんどで、健介は年賀状以外、冴子から手紙をもらった記憶がなかった。

{下田のコンドミニアムでこの手紙を書いています。

ご免なさい。私が何よりもあなたに書かなければいけない言葉はこの言葉です。この間はご免なさい。いまの私は、あなたの愛を受け入れることはできない、というよりその資格を持たないのです。

私はある人を愛してしまいました。それが禁断の愛であることは百も承知の上で、私はその人を愛してしまったのです。いけない、いけないと思いながら、私の弱さゆえに、これまでその人と別れられずにきました。

あなたをはじめとして、青い鳥の皆さんと一緒にしてきた、のびのび園でのボランティア活動の思い出は私にとってかけがえのない体験です。

まりちゃんは元気でしょうか。言葉の獲得はどうでしょうか。行くたびに私をじっと見ているまりちゃんの姿と視線に、私は、 「助けて、助けて」というまりちゃんの悲鳴を感じて居たたまれなくなります。この子を何とかしてあげたい、獲得できないでいる言葉を一日も早く獲得させてあげたいという思いが、私にはいつもありました。一度里親の話をしたことがありましたが、あれは本気でした。母にも相談したのです。

でも、結局何もしてあげられなかった。私の家の近くには幼稚園があります。朝には、お揃いの制服姿の子供たちがお母さんに手を引かれて楽しそうにあれこれ話をしながら幼稚園に向かって行きます。これは、私が住んでいる街だけでなく、日本中の多くの街で毎朝見られる光景でしょう。

でも、まりちゃんには、手を引いてくれるお母さんもいなければ、通える幼稚園もない。それどころか虐待の深い傷跡のために、三歳になっても言葉を話すことができずにいる。まりちゃんの明日を思うと、本当に胸が痛みます。

いつかお話ししたように、私は大学院を卒業したら、児童養護施設に勤めたいと思っています。加賀さんがそうしているように、施設で暮らしている子供たちに精いっぱい尽くしたいと思っています。

のびのび園の子供たちのために尽くしておられる加賀さんを尊敬しています。どうぞよき友人として、今後とも末永くおつき合いください。

十一月二十八日

加賀健介様

浅野冴子}

…私はある人を愛してしまいました。それが禁断の愛であることは百も承知の上で、私はその人を愛してしまったのです。いけない、いけないと思いながら、私の弱さゆえに、これまでその人と別れられずにきました。…

このくだりに、冴子の苦悩が色濃くにじみ出ていた。

ある人というのは、志村隆行にほかならないだろう。冴子は、志村との関係に苦しんで自殺を図ったと考えるのは妥当な推理ではないか。健介の心に再び志村に対する怒りが火花のように閃いた。

それにしても、あの冴子からの電話は何だったのか。冴子は、健介に至急下田まで来てほしいと訴えていた。冴子の声は、かつてなく震えていた。あれが、健介が最後に聞いた冴子の声だった。

あの時、冴子は自分に会って何を伝えたかったのか。この手紙を投函した翌々日、冴子の身の上に何が起こったのか。あるいは、起ころうとしていたのか。結局冴子は、呼び寄せた健介に会うことなく死んでしまった。その結果を思えば、冴子が健介に助けを求めていたことは確かだった。自分は冴子を助けてやれなかったという思いが、健介の胸を刺した。

そこまで思いをめぐらして、健介は先ほど葬儀場で一緒だった岡本美樹に電話をした。

 「今日はお疲れさまでした」

と健介が言うと、

 「加賀君こそ、本当にお疲れさまでした」

と岡本美樹が応じた。

 「実は、浅野さんが亡くなった原因について、いろいろ不審なことがあってね」

 「そう、加賀君もそう思った。私もそう思ってるの。どうして冴子はあんな形で死ななければならなかったのか。どうしてもわからない」

少し間を置いて、

 「自殺じゃなかったのかな」

と声を低めて健介は言った。

 「ウーン、それはないと思うな。冴子は、そんなに弱くない。一見おしとやかだったけれど、私なんかよりずっと強い心の持ち主だったから、それはないと思う」

 「でも、動機になり得ることではあったでしょう」

 「そうね、確かに、志村先生とのことがあったし、下田に行く前、しばらく体調が悪そうだったし。でも、私は冴子は自殺じゃないと思う。冴子の名誉のためにも」

岡本美樹はそうきっぱりと言った。この岡本美樹の言葉は、健介の心に強く響いた。冴子の名誉のためにも。確かにそうだと健介は思った。結局健介は、冴子の手紙のことは話せないまま岡本美樹との話を終えた。


◇26 選挙資金

 「現金で一千万円用意してください」

横浜の事務所から国会に向かう車の中で、相川貴和子が運転している秘書の戸部に命じた。

 「そんな大金、何に使うんですか?」

戸部は後ろのシートの貴和子に尋ねた。

 「志村先生の選挙資金です。もう事務所も開かなくてはいけないし、できるだけ早く用意してください」

 「志村先生本人が資金を用意するのは難しいですか?」

 「難しいと思います」

 「党からの選挙対策の特別支給金と、貴和子さんからの応援で選挙資金をまかなうわけですか」

戸部は皮肉を込めて言った。

 「そうね。私からお願いして立候補してもらうんだから、仕方がないわ。でも、志村先生もお金のかからない選挙をしたいとおっしゃっているから、並の新人候補よりはずっと安上がりにできると思います」

 「わかりました。明日中に用意します」

戸部は渋々そう答えた。志村のもとには、すでに相川貴和子事務所から、永川という選挙に精通したベテランの秘書と女性の事務員を一人、志村隆行事務所の開設を待って出向させることになっていた。

貴和子は、スタッフも金も丸抱えで志村隆行を選挙に出馬させようとしている。これは本気だ、相当まいっている。ハンドルを握りながら、戸部は内心舌打ちした。この夏、貴和子が三日間行方不明になっていたことがある。そのことを尋ねても、貴和子は下田の別荘にいたと答えただけだった。しかし、戸部が貴和子の所在を確かめるために下田の別荘に電話をしても貴和子は出なかった。携帯に電話したとき、応じた貴和子の声は、いつになく華やいでいた。

あのとき貴和子はどこへ行っていたのか。三日後、自宅に迎えに行って見ると、貴和子の顔は日焼けしていた。

やはり下田にいたのかと思いつつ、戸部はそれ以上穿鑿しなかった。

翌日貴和子は、戸部が用意した一千万円の入った紙袋を持って車で自分のエルミタージュに向かった。貴和子は戸部の忠告に従って、いつも二千CCクラスの大衆車に乗っていた。目立つ外車は自分が運転する車としては使わない。排気量二千CCの大衆車、色は白、ウインドガラスは濃いグレイ。そして、ほぼ一年で車を他のメーカーのものに換えた。同じ車種、同じナンバーの車に二年も三年も乗り続けるのは、これまた危険なのだ。そのため、高級車ではなかったが、貴和子の車はいつも新車の輝きを保っていた。

玄関のチャイムボタンを押して、しばらく待ってドアキーを差し込みドアを開けて中に入る。窓を開け、空と海の眺望に変わりがないのを確かめて、貴和子はホッとする。冬の海は濃い青をたたえていた。マンションの二十階の窓には、風が鳴っていた。

チャイムが鳴った。防犯用のテレビモニターを見ると、隆行が立っている。

貴和子はドアを開けた。

玄関で二人は抱き合った。

しばらくして抱擁を解くと、貴和子は紙袋を隆行に差し出した。

 「これ、私からの差し入れ」

 「何?」

と隆行は訝って尋ねた。

 「選挙資金。出所は極秘ね」

そう言って貴和子は笑顔を見せた。

 「ありがとう」

隆行はその紙袋を受け取った。

 「赤ちゃんがほしい。私が子供を産まなければ、私と父母の血は絶えてしまうわ。相川一族の血筋は弟の子供もいるから、絶えることはないでしょうけれども。私、本当に子供がほしい。私、もう三十八歳だから、もうほんの少ししかチャンスがないし」

ベッドの上で貴和子が訴えた。

隆行は沈黙した。妻子のある隆行にとって、いま裸身を接している相川貴和子は、やはり愛人だった。その愛人が子供を産みたいという。もちろんその言外にある貴和子の意図を隆行は察しはした。しかし、貴和子の意図を察しても、それを実行するのはたやすいことではなかった。

二時間ほどして隆行が自宅のマンションに帰り着いて紙袋の中を見ると、百万円の札束が十束入っていた。隆行はいま別れてきたばかりの貴和子の携帯に電話をした。

 「ありがとう」

 「供託金だけでも何百万円もかかるから。またね」

忙しいのだろう、貴和子はそれだけ言って向こうから電話を切った。

隆行は、選挙のハウツーから金に至るまで、すべて貴和子に委ねての選挙出馬に心地の悪さを感じはしたが、それは拒むべくもないことだった。


◇27 別  居

師走に入って、志村の生活は多忙を極めていた。隆行は十一月三十日で正式にS大学准教授の職を失った。それに代わって、総選挙の与党候補としての山のような仕事が待ち構えていた。与党の幹部や選挙対策本部の役員たちに挨拶回りをしなければならなかった。さらに、隆行が立候補を予定している東京X区の党支部から正式に候補として立つ承諾を得なければならなかった。党選出の区議会議員、都議会議員にも挨拶回りをした。それが済むと、与党が新人候補者向けに開催する選挙対策の講習会に通った。講習会では、東京都内の選挙区から選出されているベテラン代議士や、選挙のプロと呼ばれる大物代議士の秘書などが、公職選挙法の解説をはじめ、立候補と選挙戦の闘い方のハウトゥについてレクチャーをした。

隆行は、住んでいる渋谷区を中心とする選挙区、東京X区の私鉄駅近くのマンション一階に選挙事務所を開設した。もっとも、公示前に選挙事務所を名乗ることはできないから、あくまで 「志村隆行事務所」ということになるが、実態は選挙事務所だった。与党と相川貴和子の計らいで、スタッフも揃った。選挙参謀には、相川貴和子事務所で長年選挙対策に当たってきた秘書の永川という男が選ばれた。隆行は、先の講習で得た知識以外、選挙のノウハウについては何も知らなかった。選挙の準備はすべて、党の選挙対策委員会と区の党支部、そして相川貴和子のスタッフがとり仕切った。

隆行が立候補の準備に忙殺されている日々、妻のみずほは、いつもは三人で顔を合わせてする休日の朝食の仕度もしなくなった。読書や仕事のため、必要になれば深夜でも自由に行動できるように、二人は寝室を別にしていたが、もはや互いの寝室を訪れることもなくなった。

隆行は、何度かみずほと話し合おうとして、席に着くように誘ったが、みずほは

 「とにかく出馬を諦めてくださるのが先決です」

と頑に応じようとしなかった。そのあまりの頑さに、ふと隆行は、自分と相川貴和子の関係をさとられたのではないかとさえ思った。

 「お父さん、お母さんがね、今度の日曜日にこのマンションを出るって言うの」

娘のみずきが隆行にそう告げたのは、師走半ばのことだった。

隆行は、とうとうきたなと思った。

 「そうか。みずきはどうする?」

隆行は答えのわかっていることを一人娘に尋ねた。

 「私もお母さんと一緒に暮らすわ。でも、お父さんとはいつでも会えるよね」

そう言ったとき、隆行によく似た顔立ちのみずきの目は潤んでいた。

 「もちろんだ、これから先も、ずっと僕は君のお父さんだ」

隆行は笑顔でみずきに答えた。

年も押し詰まっての引っ越しになった。その日、朝から引っ越し業者が数人、マンションにやって来た。みずほとみずきの衣類や食器や本、その他の雑多な生活用品を詰め込んだ段ボールが、廊下の壁際に積み上げられていた。業者は、その段ボールと、机やタンスや書棚など、室内の多くの家具を手際よく運び出した。

 「これで全部終わったわ」

と、みずほは笑顔で言った。

それが、引っ越し荷物の搬出が終わったという意味なのか、それとも夫婦の間が終わったという意味なのか、どちらともとれるように隆行は思った。

家財道具の大半が運び出された部屋は寒々としていた。食器戸棚、テーブル、テレビまでみずほは運び出していた。隆行はそれを咎めなかった。室内に残された品々を見て、自分の荷物はこれほど少なかったのかと、隆行は改めて思った。壁には、家具の裏に当たる箇所にあちこちカビが見える。その壁にくっきりとついた家具の形とあちこちのカビが、三人で暮らした歳月の長さを物語っていた。みずほとは十三年、みずきが生まれてからでも十年になる。

みずきは意外に明るく、活発に振舞っていた。自分の荷物をあれこれ気づかって、部屋とトラックの間を往復していた。新しい生活への期待もあったのかもしれない。あるいは、みずほの配慮で、近くの、現在みずきが通っている小学校の校区内に転居先を定めたことも、みずきに安心感をもたらしていたのかもしれない。

 「これ」

みずほは、自分とみずきの鍵を隆行に差し出した。

 「いいよ、まだ使うこともあるだろうから、君、持っていていい」

この隆行の言葉に、

 「それはないと思いますけど」

と言いつつも、みずほはその鍵を自分のバッグにしまった。

三人は、マンションの一階に降りた。みずほは、駐車場に停めておいた車に向かった。隆行は、みずほとみずきの後について行った。

 「みずきのこと、くれぐれもよろしく頼むよ」

 「心配しないでください。ちゃんと育てますから」

みずほは笑みを浮かべて言った。

 「お父さん、今度遊びに来てね」

みずきも笑顔で言って、二人は車に乗り込んだ。

 「それじゃ、お世話になりました」

そう言ってみずほは車のドアを閉めた。

 「またね」

みずきが窓を開けて隆行に笑顔を見せた。

二人が乗った白いセダンは、母と娘の新しい生活に向けて走り去った。隆行は、その車が見えなくなってから、選挙事務所に向かうべく、駅に向かって歩き出した。あらかたの家具が運び出された、寒々とした部屋に戻る気にはなれなかった。


◇28 遺影の前

 あの日から、浅野の家には線香の香りがたちこめていた。浅野良子は、先立ってしまった娘の写真を拝して動かずにいた。動けないのだ。昨年夏、旅先の黒部峡谷で撮った写真の冴子の姿には、半年後の死の予兆はどこにも認められない。微塵の死の影も宿してはいない笑顔だった。笑っている目は、一点の翳りもなく輝いている。

これほど生気に満ちていた冴子が、なぜあのように無惨な死を遂げなければならなかったのか。それがどうしても良子には納得できない。納得も承服もできないのだ。冴子の死は、良子の生活への意欲を奪ってしまった。食欲もなく、気力も失せ、自分が宙を浮遊しているような感覚に陥っていた。

日がな一日、出産前から死に至るまでの二十五年にわたる冴子との生活のあれこれを思い、冴子の細かい一挙一動、言葉の一言一言までを思い起こしては涙にくれていた。

冴子は良子が二十八歳の年、妊娠九か月目に、二千八百グラムで生まれた。軽い妊娠中毒症状があり、医師の勧めを受けて、帝王切開手術で出産した。

幼年期、冴子は体が弱かった。すぐ風邪をひいて熱を出した。四十度に達する高熱を出したことが何度もあった。一度は熱性痙れんを起こして救急車で病院に運び込まれたこともある。冴子がようやく元気に日々を送ることができるようになったのは小学校に入学してからだった。

しかし、その冴子にプールで体を鍛えさせようとしたことが間違いだった。小学校に入ると同時に、近くのスイミングスクールに通わせたが、プールの水を飲んでしまったことが原因で、激しい下痢症状に見舞われ、このときも救急車で病院に運ばなければならなかった。それ以後成人するまで、冴子は泳ぐことを怖れ続けた。

もし冴子が泳げていれば、と良子は悔しく思った。もし、あのような下痢症状さえ起こさなければ、冴子はスイミングスクールに通い続けて、一通り泳ぎをマスターしていただろう。あるいは、あの下痢が治った時点で、またプールに通わせるべきだった。そんな思いが、くり返し良子を苛んだ。過去の記憶をたどっては、さまざまな出来事を思い出し、その出来事のあちこちに、自分の誤りを見出しては悔恨の思いにさいなまれる、苦しい日々だった。

そんなある日、伊豆南署の武田刑事から電話があった。上京して焼香をさせてもらい、これまでの捜査報告をした上で、改めて話を聞かせてほしいという。どうしても納得できない娘の死について、その後の捜査の話を聞くことは、良子がいま最も望んでいることだった。

浅野家は、京王井の頭線下北沢の駅から歩いて十二、三分ほどの所にあった。入り組んだ路地に武田はしばらく迷った。そしてようやく、瀟洒な洋館風の家を探し当てた。

武田は丁寧にお悔やみの言葉を述べ、焼香をして浅野良子に対した。これまでの捜査経過を説明し、

 「まだ事故か事件か、判断をつけかねていまして」

と述べた。

 「事件といいますと?」

浅野良子は、怪訝そうに尋ねた。

 「現在のところ、可能性は低いのですが、何らかの理由で、誰かに危害を加えられたかもしれないということです」

 「これまでお調べになって、そういう痕跡があるのですか」

 「いや、いまのところほとんどありません。ただ、可能性が低くても、事件かもしれないということは、頭の隅に置いて捜査しているということです」 そう答えて、武田は、改めて浅野冴子について、母親に尋ねた。

 「やさしい、いい娘でした」

浅野良子は、こみ上げてくる悲哀に涙ぐみながら語った。

 「大学は第一志望校だったんですか?」

 「ええ、中学生の頃からS大学へ行きたいと言っていましたから」

 「専攻も」

 「やさしい子で、ぜひ福祉の勉強をしたいということで。卒業したら、児童福祉関係の仕事をしたいとも言っていました」

 「学生生活で、おつき合いしていたお友達はたくさんいたでしょうね」

 「ええ、児童福祉関係のサークルにも入っていましたし、たくさんいたようです。でも、そういうことはあまり親には話しませんから、詳しいことはわかりません。若い子って、そうですよね」

 「下田のコンドミニアムを借りるのに、誰かと一緒に行くということは言っていなかったですか」

 「ええ、一人で学位論文を書くのに没頭したいからということで、誰と行くとも言ってはいませんでした」

と浅野良子は答えた。

あの時もし誰かと一緒だったとすれば、浅野冴子の死を包む闇は途方もなく深いものになると武田は思う。もし誰かと一緒だったとすれば、当然、浅野冴子の身の上に起こったことは、その人物を通して明らかになるはずだ。しかし、その人物はいまだに現れ出てはいない。もっとも、そんな人物はいなかった可能性が高い。

しかし、もしいたとすれば、姿を現せない何らかの理由があるということだろう。

 「冴子が溺れた原因はわかったでしょうか?」

浅野良子が尋ねた。

 「いや、まだわかりません。さっきも言ったように、捜査を続けて、事故なのか事件なのかはっきりさせたいと思います。もうしばらく待っていただけますか」

 「わかりました。よろしくお願いいたします」

そう言って母親は、武田に深々と頭を下げた。

 「それで、まことに聞きにくいことで恐縮ですが、お嬢さんが妊娠しておられたことは、すでにお知らせしたとおりなのですが、その、つき合っていた男性については、心当たりはありませんか」

武田は、浅野良子の心中を慮りつつ尋ねた。

 「わかりません。ボーイフレンドはいたようですが、特定の誰かとつき合っていたかどうか、知りません」

うつ向いて答える母親のやつれた表情には、悲痛さが滲んでいた。武田は、この件について、それ以上尋ねることを控えた。

 「お嬢さんは泳げなかったとおっしゃっていましたね」

 「はい、小さい頃は体が弱かったものですから、小学一年生の頃からスイミングスクールに通わせたのですが、それがかえって悪かったらしくて。プールで水をたくさん飲んでしまってお腹を壊したり、練習がきつくて熱を出したりしましてね。すっかりプールが嫌いになってしまったんです。ですから、とうとう大人になるまで泳げずじまいでした」

浅野良子の言葉には、悔やしさがにじんでいた。

 「お嬢さんの財布には五万七千円ほど入っていましたが、下田に向かうとき、いくらぐらい持って出たかおわかりですか」

と武田は尋ねた。

 「とりあえず現金で十万円渡しました。あとは必要ならカードで下ろすということで」

十万円というのは、財布に残されていた五万七千余円と、旅費や下田で買物をしたレシートの金額を引き比べて齟齬のない金額だった。

 「銀行の口座の残高はどうですか。特に減っているというようなことは」

 「それはありませんでした」

ということは、何者かに金を奪われた疑いもないということになる。

 「それから、お嬢さんの体内から、ワインの成分が検出されているんですが、あのワインは家から持って行かれたものかどうか、おわかりになりますか」

 「ワインですか」

そう答えて、浅野良子はしばらく考えていたが、

 「持って行っていなかったと思います。確かに家にはワインが何本かありました。でもそれは、そのままそこにありますから、持って行ってはいないと思います」

と浅野良子は、ソファの傍らにあるサイドボードを指さして言った。サイドボードの中には、何本かの洋酒の瓶とともに、ワインの瓶が見えた。

 「ストーカー被害にあっていたというようなことはなかったですか」

 武田は声を低めて尋ねた。

 「さぁ、聞いていませんが。特にそれらしい人から電話がかかってきたこともありませんし、そういうことはなかっただろうと思いますが、でもわかりません」

 「そういう話をお嬢さんから聞いたとか、あるいは何かに記録していた、日記に書いておられたとか、そういうこともなかったですか」

 「遺品の日記やメモをあれこれ見てはいるんですが。学部の学生の頃に、ちょっとトラブルがあったらしいことは聞いた記憶がありますけれども、ここ何年かは、そういう話はなかったように思います」

 「学部の学生の頃に、トラブルがあった?」

 「ええ、何か、同じ大学の先輩に結婚を申し込まれたとかで、ちょっと悩んでいた時期はありました」

 「その相手がその後つきまとったというようなことはなかったですか」

 「わかりません。ただ、その後、その人についての話は何も聞いていませんから、特に何かあったとは思えませんけれども」

 「その人の名前とか、現在の住所とか、おわかりになりますかね」

 「さあ、どうでしょうか。見当がつきませんが。日記にもその人の名前はなかったようですし」

母親は自信なさそうに答えた。

 「お嬢さんが使っていた携帯電話の契約会社と電話番号を教えていただけませんか」

武田は改めて頼んだ。

 「携帯電話の番号ですか。ちょっと待ってください」

浅野良子はソファを立ち、しばらくして戻ってきた。

 「それからお願いなんですが、冴子さんの携帯電話の契約については、しばらく解消しないでおいていただけませんか。携帯電話はまだ見つかっていないのですが、あるいは事件となったとき、何か関係が出てくるかもしれませんので、お願いします」

武田は、浅野良子が示した電話会社名と電話番号を手帳に書き留めて言った。

 「わかりました。そのままにしておきます」

 「お嬢さんがつき合っていた男性で、加賀健介という人はご存じですか」

 「承知しています。冴子が親しくつき合っていた男性の一人でしょうか。学部のときから、ボランティアサークルでもずっと一緒に活動していて、確か児童養護施設に勤めているとおっしゃっていましたね。十一月三十日に下田のコンドミニアムを訪ねたけれども、冴子は不在だったという電話をくださって、通夜と葬儀にも出ていただいて、いろいろ手伝ってくださいました」

 「加賀さんには、一度お会いして話を聞かせてもらおうと思っています」

と武田が言った。

 「そうですね、冴子の、私たちが知らない面をいろいろ知っている方だと思いますので」

武田は、引き続き捜査を続け、結果を報告する約束をして浅野家を辞した。


◇29 疑  念

 浅野家を出た武田徳郎刑事は、下田のコンドミニアムの管理人から預かった名刺の電話番号を確かめて、のびのび園の加賀健介に電話をした。武田が、亡くなった浅野冴子のことで会って話を聞かせてほしいというと、今夜は泊り込みの勤務なので、もし急ぐなら施設まで訪ねてきてほしいとのことだった。夜遅くても大丈夫だというので、武田は夕方、電車を乗り継いでのびのび園に赴いた。

まだ七時を過ぎて間もないのに、郊外にある施設の周辺は深夜の街のように暗く静かだった。その暗い街を吹き渡る風の冷たさが、武田の身にしみた。

門を入って、『のびのび園』と書かれたプレートの出ている建物の玄関先に立って声をかけると、若い男が出てきた。それが加賀健介だった。加賀は、武田を指導員室に案内した。

 「大学時代のサークルでは、どんな活動をしていたのですか?」

武田は型どおりの挨拶を済ませて、早速本題に入った。

 「主に児童福祉関係のボランティア活動です」

 「そうすると、加賀さんは、その活動が縁でこちらの施設に勤めるようになったのですか」

 「まあそんなところです」

 「先ほど浅野さんのお宅にお邪魔して伺ってきたのですが、浅野冴子さんとは長いおつき合いだったようですね」

 「ええ、S大学の社会福祉学科の一年生のときから一緒でした」

 「浅野さんのサークルでの活動ぶりはどうだったですか」

 「熱心でした」

加賀健介は力を込めて言った。

 「浅野さんは、一言で言ってどんな人でしたか?」

 「子供が大好きで、明るくやさしい女性でした」

そう言ったとき、加賀健介の大きな目が涙で潤むのを武田は認めた。

 「亡くなるまでの一週間、浅野さんが下田のコンドミニアムにいたことはご存じですか」

 「知っています。実は浅野さんから電話で、来てほしいという依頼を受けて、私は十一月三十日に下田へ行きました」

 「そうですか。浅野さんに呼ばれて下田へ行った。そのときの様子を話していただけませんか」

この刑事の言葉に従って、加賀健介は十一月三十日の昼から夕方にかけて、下田のコンドミニアムを訪ねたときの様子を詳しく語った。

健介は、二段ベッドから落ちたまりちゃんにつき添って病院で一夜を明かした。十一月三十日の朝、まりちゃんの容態が落ち着いたのを見て、のびのび園のスタッフに後を託して、健介は東京駅に向かった。

健介が新幹線と特急踊り子を乗り継いで下田駅に着いたのは昼前だった。半島先端の海辺の街は、晴れて風もなく暖かかった。健介は、駅前からタクシーで冴子がいるというコンドミニアムに向かった。

何度か冴子の携帯電話にコールしたが、 「電源が切られているか、電波の届かない場所にあるか……」というコールがあるばかりだった。

タクシーは十五分ほど走って、冴子が指定したコンドミニアムの前に着いた。

健介は懐かしい風景をなぞった。そこは、かつて青い鳥のメンバーとともに合宿をしたコンドミニアムだった。合宿に訪れたときは、夏の盛りだった。青い鳥のメンバーは、そのコンドミニアムから福祉関係の研修施設の研修会に参加するとともに、あしたば園という児童養護施設に通ってボランティア実習をした。

枯れ葉が地上に散り敷いている。その葉を落とした木と、常緑の木々の間から、入江の海と、遥かな水平線も見えた。

冴子に会える喜びを胸に、健介はドアをノックした。最初のノックで応答はなかった。二度、三度とノックしたが、やはり応答はない。

健介はドアノブを回してみた。鍵は掛かっていなかった。健介はドアを開いて室内に入って、

 「浅野さん」

と声をかけた。

室内から応答はなかった。健介はちょっと迷ったが、靴を脱いで室内に入った。

部屋は二つで、LDKらしい部屋の中央のテーブルの上には、食事の後らしく食材の載った発泡スチロール製の食器が並んでいた。蟹の脚と食べ終えた殻が見えた。

健介は靴を脱いで、室内に入った。靴下に、床がベタつく感じがした。

健介は、ドアが開いたままになっている奥の部屋に入った。そこは寝室らしく、シングルベッドが四台並んでいた。壁際の長いテーブルの上には、ノートパソコンが閉じた状態で置いてあった。数冊の本と大学ノートにボールペンも、健介の目に入った。

その机の下には、紺色のスーツケースがあった。それらはどれも、無造作にそれぞれの位置に置いてあった。

散歩にでも出たのだろうと思い、健介は冴子に行き会えるかもしれないと思いつつ、コンドミニアムを出た。

坂道を下って行くと、砂浜があった。ボートが何艘か浜に引き揚げられていた。健介は、さざ波の寄せる浜に立って、しばらく辺りの風景を眺めていた。穏やかな入江の風景が健介の気持ちを和ませてくれた。

健介は一時間ほど海辺で過ごして、再びコンドミニアムに戻った。やはり鍵は掛かっておらず、中に人影はない。健介は冴子の携帯電話に何度目かのコールをしたが、やはり応答はなかった。

健介は、寝室のサイドテーブルの上にあった『いま子どもたちは』というタイトルの本を取って読み始めた。

さらに一時間ほど経ったが、冴子は戻らなかった。一体どこへ行ったのかといぶかりつつも、景勝地の下田のこと、長時間の散索にでも出かけたのだろうと思い、健介はテーブルの上に、 「いま下田にいます」というメモを残してコンドミニアムを出た。

先ほどとは反対側のコースをたどり、夕方五時、再び健介はコンドミニアムに戻った。もう辺りは暗かった。やはりコンドミニアムに鍵は掛かっておらず、中に冴子はいなかった。

翌日、健介はどうしてものびのび園に出勤しなければならなかった。健介は、コンドミニアムの玄関のプレートに書かれていた管理者のペンションを訪ね、名刺を託して駅に向かった。

加賀健介が十一月三十日の自分の行動について一通り話し終えてから、武田は改めて尋ねた。

 「玄関ドアの鍵は掛かっていませんでしたか」

 「ええ、掛かっていませんでした。だから、浅野さんはきっと近くに散歩にでも出ていて、すぐに戻ってくるのだろうと思っていました」

 「テーブルの上には、食器や食べ物が出されたままになっていた?」

 「そうです。食事の後なのだろうと思いました」

 「床が少しベタついていたということでしたね」

 「ええ、玄関とリビングの床がベタついていました」

この、床がベタついていたという話については、鑑識から、海水が乾いたものらしい塩分が床のあちこちに付着しているのが認められたこと、キッチンの調理台の上にあった二本のタオルからは、塩分ほかの海水の成分が多量検出されたという報告が上がっていた。

 「ベトついていたのは、部屋全体のあちこちですか」

武田が尋ねた。

 「そうです」

 「コンドミニアムの中で、浅野さんの携帯電話と電子手帳は見かけませんでしたか」

 「詳しくは覚えていませんが、目につく所にはなかったように思います。私の目にはとまりませんでした」

 「加賀さんはその後どうしましたか」

 「しばらく散歩をしたり、中で本を読んだりして待ったのですが、いつまでも浅野さんが帰って来ないものですから、テーブルの上にメモを残して、管理人さんに名刺を託して帰りました」

 「そのメモというのは、これですか」

武田はコンドミニアムのテーブルの上にあったメモを示した。

 「そうです、これです」

加賀健介は驚いた様子で、武田が示したメモを見た。

 「話を十一月二十九日以前に戻して、下田の浅野さんから電話をもらったのは、その二十九日が最初でしたか?」

 「そうです。下田からもらった初めての電話でした。何か、とても切迫した様子で、会いたいから下田に来てほしいということでした」

 「下田に来てほしい、ですか」

やはり浅野冴子は、あの日、自分の身の上に何か重大な事態が起こることを予感していたのではないか。

 「それで下田に行ったんですか」

 「ええ、そうです」

 「失礼ですが、加賀さんと浅野冴子さんの関係は、どういう」

 「友人です」

 「それだけですか」

ここで武田は、浅野冴子が妊娠していたことを告げた。あるいはという思いがあった。

加賀健介の顔は驚きと不快感に歪み、しばらく言葉を失っていた。

 「正確に言うと、私が浅野さんに片思いをしていました」

かなり長い沈黙を置いて、ようやく加賀健介は口を開いた。

 「恋愛関係にはなかったということですか」

 「そうです。そうなることを僕は望んでいましたが、叶いませんでした」

加賀健介は、穏やかな表情に戻ってそう答えた。

 「こうして刑事さんがお見えになるということは、浅野さんの死について、何か不審な点があるということでしょうか」

 「まだ何ともいえませんが、事故か事件か、はっきりさせないでおくわけにはいきませんのでね。何かの事情で海で溺死した。その事情を解明してあげなければ、浅野さんも浮かばれないと思いましてね」

この刑事の言葉は、加賀健介の心に響いたようだった。

 「実は」

加賀健介は声を低めて新たな話を始めた。

 「浅野さんの死について、不審に思うところがありまして」

 「何か、思い当たることがありますか」

 「さっき電話をいただいたとき、捜査のお役に立てばと思って、コピーしておいたんですが、浅野さんが亡くなる前に僕宛に書いた手紙です」

加賀健介は机の引出しから封筒を取り出して武田に差し出した。

 「読んでいいですか」

 「どうぞ」

加賀健介の答えを得て、武田は封筒から手紙を取り出して読み始めた。

 「なるほど。ここに、禁断の愛、とありますね。愛してはいけない人を愛してしまったと」

 「そうです」

 「この恋の相手は誰か、ご存じですか?」

この武田の問いに、加賀健介はしばらくの沈黙の後、

 「志村先生です」

と、低いがはっきりとした声で答えた。

 「志村先生?」

 「そうです。この間まで、S大学経済学部の准教授をしていて、最近退職した志村隆行先生です」

 「浅野さんが通っていた研究室の先生ですか」

 「そうです。ボランティアサークルの顧問もしていましたから、浅野さんとは学部時代から師弟の関係にあった人です」

 「なるほど。わかりました。それで、この手紙のコピーはお借りしていていいですか」

武田は手紙のコピーを手にして言った。

 「どうぞどうぞ」

加賀健介は武田の求めに応じた。

 「加賀さんは、十一月二十九日の夜は、子供につき添って病院にいたということでしたね」

 「そうです。子供の容態が落ち着いたので、新幹線と踊り子を乗り継いで下田に向かいました」

 「大変な仕事ですね」

 「ええ、施設は二十四時間体制で子供たちを見守ってやらなければならないわけで。好きじゃないとできない仕事です」

 「頑張ってくださいね」

 「ほかにも何かご協力できることがあれば、おっしゃってください」

加賀健介は、いかにも人のよさそうな笑顔で言った。

 「わかりました。ありがとうございました。また何か気づいたことがあったら、いつでも結構ですから教えてください」

武田は自分の名刺を加賀健介に渡して席を立った。


◇30 研究室

 ビジネスホテルに一泊した武田は翌日の朝、S大学のキャンパスを訪れた。ウィークデーの午後のキャンパスは大勢の学生で賑わっていた。

武田は、事前にアポイントをとっておいた社会福祉経済学科の中塚教授に面会を求めた。

 「浅野冴子さんね、彼女はなぜあんな形で死ななければならなかったですかね」

教授室で武田と対面した中塚教授は、銀色のフレームの眼鏡を掛けた温和そうな顔を曇らせて言った。

 「浅野冴子さんは、どんな学生さんでしたか」

 「それは、実に謙虚で礼儀正しいお嬢さんでした。聡明で、サークルの中心になってボランティア活動をしていました。のびのび園という児童養護施設に月二回通っていましてね。随分献身的に活動していたようです。卒業したら、児童養護施設の職員になりたいと言っていました。博士号まで取って、そういう仕事に就くというのは珍しいと思うのですが、本当に子供が好きだったんでしょう。謙虚なやさしい人でしたよ」

教授は故人を懐かしむように言った。

 「浅野さんの下田への旅行のことは、先生はご存じでしたでしょうか」

と武田が尋ねると、

 「はっきりしませんが、下田で学位論文を書くという話は聞いたことがあったように思います。ただ、それを浅野さん本人から聞いたか、誰か人伝に聞いたかは覚えていません」

教授は曖昧な記憶をたどるように言った。

 「浅野冴子さんが亡くなったことは、どういう形でお知りになりましたか?」

 「ご遺族から連絡をいただきましてね。確か葬儀の三日ほど前だったと思いますが、突然のことでただただ驚くばかりで」

 「恐縮ですが、十一月二十九日の夜は、どちらでお過ごしでしたでしょうか」

 「あの日は学会のシンポジウムがあって、夜は懇親会、それから二次会と酒場を飲み歩いて、深夜に家に帰りました。必要なら、浅野さんと親しかった学生を紹介します。それと、十一月いっぱいで退職した志村君が、研究テーマについて浅野さんの指導に当たっていましたから、浅野さんのことについては私より詳しく知っているかもしれません」

中塚教授は志村隆行元准教授の連絡先を教えてくれた。

中塚教授の紹介を得て、武田は浅野冴子が在籍していた社会福祉経済学研究室の岡本美樹という大学院生に会うことができた。

教授室と同じフロアにある研究室には、岡本美樹と、ほかに二人の女子学生がいた。すでに中塚教授から連絡を受けていたのだろう、岡本美樹は席を立って武田を迎えた。

 「どうも、お勉強中にすみません。亡くなった浅野冴子さんのことでお話を伺いたくて来ました。中塚先生からご紹介をいただきました伊豆南署の武田です」

武田が警察手帳を差し出して名乗ると、

 「わかりました。隣の部屋でお話しします」

と言って、岡本美樹は武田を隣の部屋に案内した。そこは小さな会議室といった感じの部屋で、中央に長方形のテーブルが二台置かれてあり、二人はそのテーブルを挟んで腰を下ろした。

 「浅野冴子さんとはいつ頃からのおつき合いでしたか?」

と武田は尋ねた。

 「学部の一年生のときから同じサークルで活動していました。浅野さんは、あんなことになっちゃって」

岡本美樹は涙ぐんでいた。岡本美樹は、浅野冴子とは大学入学当初からのつき合いで、親友といっていい間柄だったという。

 「浅野さんの友人関係というのは、およそどんなものだったか教えてもらえますか」

 「親しくつき合っていた人は、私も含めて、この大学の関係者が四、五人いたでしょうか。青い鳥というボランティアサークルがあって、そのメンバーとして学部の頃からずっと一緒に活動してきました」

 「サークル以外の友達関係については、どうですか」

 「それはわかりません」

 「ボーイフレンドはいたようですか?」

 「ええ、いたとは思いますが、詳しいことはわかりません」

 「そういう関係の相談を受けたことはなかったですか」

 「ありませんでした。ただ、学部時代の同級生で、加賀健介君という男性がいます。彼は浅野さんがボランティア活動で訪れていた児童養護施設の指導員をしています。ご紹介しますから、と加賀君に話を聞いてみてはどうですか」

 「加賀さんには夕べお会いして、いろいろ話を聞いてきました。亡くなった浅野さんと加賀さんは、恋愛関係にあったんですか」

 「それはわかりません」

 「ごく親しい友達ではあったけれども、恋愛関係にはなかった?」

 「ええ」

岡本美樹は曖昧に答えた。

 「ほかの異性との関係で、浅野さんにトラブルがあったとかいうことはご存じないですか。たとえば、ストーカー被害にあっていたとか」

武田のこの問いに、岡本美樹は少しの間沈黙していた。何と答えたものか迷っている様子だった。そして、

 「ストーカー被害にあっていたことはなかったと思いますが、実は……」

と前置きして、浅野冴子と志村元准教授との関係を話しだした。

 「そのことで、何か相談を受けるようなことはなかったですか」

武田は一とおり話を聞き終えてから尋ねた。

 「相談を受けたことはなかったですが、悩んでいる様子でした」

 「苦しんでいた?」

 「あまり感情を表に出す人じゃありませんでしたが、とにかく悩んでいたとは思います。ピュアな人でしたから、モラルに反するようなことは本意ではなかったと思います」

そう言って岡本美樹は目を伏せた。

 「実は、浅野さんは妊娠していましてね」

武田は、相手に与える衝撃を少しでも和らげようと、声を低めて言った。

岡本美樹の顔に驚きの表情が浮かんだ。

 「そうですか。実は、浅野さん、下田に行く前あたりから、ずっと体調が優れない様子だったんです。そうだったんですね」

 「志村先生とは、いつ頃から、そういう関係になったんですかね」

 「去年の秋あたりからだと思います。志村先生って、許せない人なんです」

そう答えた岡本美樹の目から、不意に涙が溢れた。

武田は、岡本美樹がハンカチでその涙を拭くのを待って、さらに尋ねた。

 「岡本さんが浅野冴子さんが亡くなったのを知ったのは、いつ、どのようにしてですか」

 「最初は中塚先生から連絡をいただいて、間もなくご遺族からも電話で知らせていただきました」

 「失礼ですが、十一月二十九日の夜は、どこでどのように過ごしておられましたか」

武田のこの問いに、岡本美樹は一瞬不審そうに武田の顔を見た後、

 「浅野さんと同じで、卒論の提出期限が迫っていましたから、家で明け方まで卒論を書いていました」

と答えた。

 「そうですか。いろいろぶしつけなことを聞いてすみませんでした。また何か気がついたことがあったら教えてください。どうもありがとうございました」

そう言って、武田は研究室を後にした。


◇31 志村隆行事務所

 「静岡県警伊豆南署の武田と申します」

武田が名乗った後、電話口の相手からはしばらく応答がなかった。間を置いて、

 「何か」

と言った男の声は低かった。

 「先頃下田の海岸で遺体で発見された浅野冴子さんのことで、お話を伺いたいのですが、ご協力願えますでしょうか」

この武田の言葉の後も、かなり間があった。

 「わかりました」

答えて、志村は場所と時間を指定した。二日後の午後、渋谷の自分の事務所に来てほしいという。しかし武田は、下田へ帰る都合もあり、今日中に用件を済ませたかった。武田がその旨を伝えると、志村はそれを了解してくれた。

武田は一時間後、指定された渋谷のマンションに赴いた。内科クリニックや美容院の看板が並んでいるマンション一階のその戸口には、 「志村隆行事務所」という真新しい大型のプレートが貼られていた。

室内は広く、三人の男女が事務机に向かっていた。

志村はその隣室に武田を招いた。

志村隆行の洗練された端整な容姿と物腰は、まさに東京の一流私大の若いエリート学者そのものだった。

 「大学を辞めて、何か新しいお仕事をはじめられたのですか」

志村と対面してソファに腰を下ろして、武田が尋ねた。

 「新しい仕事というか、準備中といいますか」

志村は曖昧に答えた。

 「ところで、浅野冴子さんが亡くなった経緯についてはご存じでしょうか」

武田は本題に入った。

 「ええ、葬儀にも参列しました。下田の海岸で溺れて亡くなったと聞いていますが、転落したんでしょうかね」

志村は武田に問い返した。

 「下田のT浜で、遺体で発見されましてね。経緯はまだわかっていません。それで、浅野さんについて、いろいろお聞かせ願えないかと思って伺った次第です」

 「そうですか。わかりました。可能な限りご協力します」

志村は、姿勢を正してそう応えた。

 「志村先生と浅野さんは、S大学で師弟の関係にあったということですが」

 「そうです」

 「浅野さんとのおつき合いは、何年になりましたか」

 「学部の一年生のときからサークルの顧問をしていましたから、七年ほどになりますね」

志村は澱みなく答えた。

 「浅野さんは、どんな学生さんでしたか」

 「特に変わったところのない、ごく普通の学生でした」

 「なかなか綺麗な方だったようですが、それほど目立たなかったですか」

 「そうですね、積極的に前に出るタイプではなくて、控え目で、そんなに目立つ学生ではありませんでした」

答える志村の表情に変化はなかった。

 「浅野さんの交遊関係については、何かご存じでしょうか」

志村は切れ長の目をしばたたいた。

 「いや、まあ、教師と学生の関係で、つかず離れず七年余りつき合ってはいましたが、詳しい人間関係についてまでは承知していません」

 「なるほど。浅野さんのボーイフレンドについては、ご存じありませんでしょうかね」

 「あの年頃の娘さんのことですから、それなりにいたとは思いますが、私にはわかりません」

 こう答えたときも、志村は全く表情を変えなかった。

 「ストーカー被害にあっていたというようなことは、お聞きになっていませんでしたか」

 「さあ、特にありませんでしたが。最近そういう事件が多いようですね」

志村は淡々と答え続けた。

 「実は、浅野さんは亡くなったとき妊娠しておられましてね」

武田は、志村の顔をしっかり見据えて言った。志村は圧迫感を感じた様子で、武田から視線をそらした。しかし、その件に関しては何も言わなかった。

 「浅野さんが下田へ行くことはご存じでしたか」

武田は、しばらく間を置いて尋ねた。

 「下田で学位論文を書き上げたいという話は聞きました」

 「日程についてはご存じなかったですか?」

 「私は退職を間近に控えていて多忙を極めていたものですから、そこまでは知りませんでした。聞いていたのは、下田で学位論文を書くということだけでした」

受け答えする志村の表情は変わることなく穏やかだった。

 「浅野さんが亡くなったのを知ったのは、いつのことでしたか?」

ここで志村は少し考える様子で間を置いて答えた。

 「確か通夜と告別式の知らせ、訃報を受け取ったときが最初だったと思います」

 「ぶしつけなことを伺って大変恐縮ですが、十一月二十九日の夜は、どちらでどのようにお過ごしでしたか」

この武田の問いに、志村の表情は一瞬曇った。

 「このところ、連日連夜多忙を極めていましてね、はっきり覚えていませんから、ちょっとメモを調べてみます」

志村はスーツの内ポケットから手帳を取り出して、その日のメモを調べる素振りをした。

 「十一月二十九日は休日で、昼食時まで自宅にいて、その後、残務整理のために大学の研究室に行きました」

 「その後は?」

 「その後は、確か行きつけの酒場で飲んでから帰宅したと思います」

 「そうですか、どうもありがとうございます。そうそう、先生、申しわけございません、捜査の途中で至急お話を伺う都合が生じるかもしれないので、大変恐縮ですが、もし差し支えなければ、お使いの携帯電話の番号を教えていただけませんでしょうか」

この武田の依頼に、志村は素直に自分の携帯電話の番号を武田に教えた。

 「またいろいろお尋ねすることがあろうかと思いますが、その際はひとつよろしくお願いします」

そう言って武田は、名刺を渡して志村隆行事務所を後にした。

自分から切り出せる話ではなかっただろうが、とうとう志村は浅野冴子との関係については何も語らなかった。そして武田は、あえてそれを問わなかった。


◇32 交信履歴

 武田徳郎刑事は、浅野冴子と交遊のあった人々に事情を尋ね歩いた。しかし、浅野冴子の死が、転落や自殺といった事故なのか、あるいは何者かによってもたらされたものなのかを判断する材料はほとんど得られなかった。誤まって海に落ちたか、海に身を投げたか、あるいは何者かによって海に落とされたか。

浅野冴子の死因は、ナイフで刺されたことでも、首を絞められたことでも、銃で撃たれたことでもなく、溺死なのだ。もし仮に殺人事件だとしても、凶器は永遠に出てはこない。一見して他殺体とわかるように、何か重りをつけて海に投げ込まれたのでもない。いま武田にわかっていることは、浅野冴子は海で溺れて死んだという事実だけだった。

渋谷の志村隆行事務所を出た武田は、予め電話で場所を確認してから、世田谷区の携帯電話会社の営業所を訪ねた。警察手帳を見せて用件を告げると、窓口の女性事務員はすぐに技術系の職員に照会してくれた。

武田は、事務員に案内された部屋で担当の職員を待った。

間もなく若い男性職員がやってきた。

 「実はある事件のことで、どうしても携帯電話の交信履歴を調べる必要がありましてね」

と武田が事情を話すと、若い職員は、

 「交信内容はわかりませんが、交信履歴は以前に遡って調べることができます。あるいは、捜査令状と必要書類を提出していただければ、特定の電話について傍受も可能です」

と応じた。

武田は思わず自分の顔がほころぶのを覚えた。

 「ありがとうございます。それで、もちろん交信相手の電話番号やアドレスもわかりますか?」

 「わかります」

 「電話は紛失してしまっているのですが」

 「大丈夫です。ユーザーのお名前と電話番号、アドレスさえわかれば、サーバーに交信履歴がありますから」

 「それじゃ、電話番号と契約者の氏名・住所がわかれば、その交信履歴のコピーか何か、いただけますか」

 「警察の捜査に必要ということであれば、捜査令状を示していただければお出しできると思います。ちょっとお待ちください」

そう言って職員は部屋を出て、必要書類を持って戻ってきた。

 「これに必要事項を記入していただいて、あとは捜査令状さえ示していただければコピーをお渡しします」

武田はその書類を受け取り、丁重に礼を言って電話会社を後にした。


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