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海と摩天楼  作者: 鶴次郎
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海と摩天楼 第1部


海と摩天楼

     鶴巻 繁


□第1部 青い鳥

◇1 青い鳥

 S大学児童福祉ボランティアサークル青い鳥の一行は、 「のびのび園』と書かれた木製の看板を見ながら施設の敷地に入った。一メートルほどの高さのネットで囲まれた敷地には、緑の屋根に白い壁のコテージが建ち並び、その周りを桜やクヌギなどの新緑の木々がとり囲んでいる。

 一行が管理棟に入ると、指導員の加賀健介が玄関ホールに姿を見せて挨拶した。

 「どうもご苦労様です。今日もよろしくお願いします」

 「よろしくお願いします」

 青い鳥の一行も声を揃えて挨拶する。

 加賀健介は一行の中の浅野冴子と目が合った。浅野冴子の澄んだ大きな目に出会って、加賀健介の顔はほころんだ。

 「浅野さん、いよいよ最高顧問だね」

 加賀健介は、経済学部博士課程の二年生になった浅野冴子に声をかけた。二人はS大学の社会学部時代、同級だった。

 「そうなの、私ももうおばさんね」

 Tシャツにジーンズといういでたちの浅野冴子は、笑顔で応じた。

 青い鳥のメンバーはおおむね月に二回、ボランティアとして、のびのび園を訪れ、食事の仕度や部屋の掃除や洗濯物の整理を手伝い、子供たちと遊んだりして一日を過ごす。天気のよい日には、グラウンドでサッカーやバレーボールをしたり、就学前の幼児たちには、本を朗読して聞かせたりもする。園の年中行事の遠足や運動会にも参加した。

 冴子は、博士課程で同級の岡本美樹とともに、焼き板に白ペンキで、 「ひまわり」と書かれた大きな表札の出ているコテージに向かった。 「ひまわり」の棟の玄関を入ると、顔馴染みのスタッフの蓮見さんという女性と、これももう顔馴染みになっている、小学生の女の子二人と男の子一人が迎えに出てくれた。

 「しばらくです。よろしくお願いします」

 挨拶して、冴子と岡本美樹は室内に入った。

 「みんな元気ですか?」

 冴子が蓮見さんに尋ねた。

 「こちらこそ、よろしくお願いします。それなりにみんな元気です」

 スタッフの蓮見さんは笑顔で答えた。

 のびのび園は何棟かのコテージで構成されていた。各コテージは、中央に食堂兼娯楽室を挟んで、左右に八畳ほどの部屋が二つずつ、計四部屋ある。各部屋には、二段ベッドが置かれていた。 「ひまわり」では、三歳児から六歳児までの男の子と女の子十人ほどが生活していた。ほかに小学生が暮らしている棟、中学生と高校生が生活している棟もある。

 浅野冴子と岡本美樹は蓮見さんから洗濯物の整理を託されて、早速それにとりかかった。子供たちのポロシャツやズボンやスカート、体操着、下着や靴下などが、キャスターの付いた大きなプラスチック製の篭に山盛りになっている。その一枚一枚の名前を確認し、畳んでそれぞれのロッカーにしまっていく。洗濯物は大量だった。どの衣服も着古されてはいるが、小まめに洗濯されていて汚れは少ない。すり切れて穴のあいた衣類は、大きなビニール袋に入れていく。のびのび園では、それをリサイクルに出すという。

 ふと、背後にじっと自分を見ている視線を感じて、冴子は振り返った。

 白いポロシャツにピンクのショートパンツ姿で、食堂兼娯楽室の片隅に立って、じっと冴子を見ている女の子。まりちゃんだった。冴子は、笑顔で 「まりちゃん、おはよう」と声をかけた。

 まりちゃんは無表情のまま玄関のほうへ走って行ってしまった。

 冴子は、のびのび園を訪れるたびに、まりちゃんのことが気になっていた。まりちゃんは三歳児で、背丈は冴子の腰の高さほどもなかったが、その年齢の子供にしては、表情が硬く暗い。

 まりちゃんはこの年明けに、のびのび園に入園した。冴子がまりちゃんに初めて会ったのは、まりちゃんが入園してしばらくしてからのことだった。ボランティア活動で訪れた冴子たちに、たまたまひまわりの棟にいた指導員の加賀健介が紹介してくれた。

 「まりちゃん、おはよう。よろしくね」と言葉をかけると、まりちゃんは今と同じように、すっと姿を消してしまった。

 それ以降、まりちゃんは冴子が訪れると、必ず離れた所から、じっと冴子を見ている。しかし、見ているだけで、ほかの子供のように、すぐに走り寄ってくるようなことはなかった。冴子が抱いてあげようとすると、まりちゃんはその手から逃れてしまう。遊びのつもりで追いかけて、ようやくつかまえて抱き上げようとしても、手足をバタつかせて逃れてしまう。その顔は拒絶の意思に歪んでいた。それは、三歳児にしては激しい拒み方だった。

 そんなとき冴子は、

 「ごめんね」と言って、仕方なくまりちゃんを捉えていた手を離す。

 まりちゃんは、ほとんど言葉を話さない子だった。一週間おきに冴子たちが訪れて、

 「まりちゃん、今日は何して遊ぼうか?」と尋ねても、じっと黙っている。ほとんど表情が動かない。じっと対面する人の顔を見ている。その目差しは、子供のものにしてはひどく冷たい。同じ年頃の子供の顔にはよく表れる、大人を魅了してやまないあどけなさや無邪気さ、ふんわりとした表情がない。対面する大人に対する、無意識の信頼や甘えといったものを含んでいないのだ。それは人の目というより、油断なく辺りを見回す野生の動物の目差しのようにも思われた。

 冴子は、指導員の加賀健介に尋ねたことがある。

 「ひまわりのまりちゃんは、情緒障害なの?」

 「情緒障害というのかな。入園したばかりの頃は、スタッフが手を差し出すと、それに噛みついたこともある。周りの子供たちとのトラブルも絶えない。部屋の隅にうずくまって、一時間も二時間もじっとしていた。まりちゃんは本当に辛い体験をしたんだ。お父さんの不倫が原因でお母さんが親子心中を図って、お姉ちゃんとお母さんは亡くなって、まりちゃんだけ生き残った」

 加賀健介の穏やかな口調で語られる話の内容の悲惨さが、冴子を黙らせた。背丈が冴子の腰の高さほどもない小さなまりちゃんが、生まれて三年の間に、そんな恐ろしい経験をしなければならなかったとは。

 「それに、お父さんがそういう人だったから、お母さんから八つ当たり的に、ずっと殴る蹴るの暴行を受けていたらしいんだ」と、加賀健介はつけ加えた。

 「本当に、世の中には親になるべきでない人、親になってほしくない人が親になったために、悲惨な目に遭わなければいけない子供がたくさんいるんだ」

 あんな小さな体で、大人に殴られたり蹴られたりしたら、それだけで子供は立ち直れないほどのダメージを受ける。場合によっては死んでしまうだろう。最近、テレビや新聞で、そういうニュースをよく目にする。まりちゃんは、そういう被虐待児の一人だった。

 「のびのび園にも、まりちゃんのように虐待を受けてきた子供は多いの?」

 「多いよ。昔は、ただただ家が貧しくて、食事もできずに、学校にも行けない子供たちがこの施設に入ってくるケースが多かったらしいんだけど、いまは半分以上の子供が、多かれ少なかれ虐待絡みでやってくる。虐待と言ってもいろいろあって、殴る蹴るだけじゃなくて、ネグレクトといって、食事を与えないとか、風呂に入れないとか、汚れた洋服を何日も何週間も着せておくとか、学校に通わせないとか、親として子供に当然してあげなければならないことを放棄するといったことも多いんだな」

 もはやそういう話に慣れているらしい加賀健介は淡々と言った。

 ある日曜日の朝食後、青い鳥のメンバーは、就学前の子供たちを相手に本の読み聞かせをしていた。テレビを見慣れている子供たちは、最初はあまり乗ってこなかったが、その中でまりちゃんは、冴子たちが読むお話にじっと耳を傾けて聞いていた。このときの印象が冴子の心に残った。

 冴子は加賀健介に相談したことがあった。

 「ひまわりのまりちゃん、何とかならないかしら。だって、童話を読んであげると、まりちゃんはじっと聞いててくれるのよ。言葉がわからなかったら、あんなに集中して聞けないと思う」

 「うん、スタッフもいろいろ考えているんだ。おそらく、言語中枢というか、脳の言葉を司る機能は失われていないと思うんだ。最近じゃ、集中してテレビを見たり、熱心にブロックで遊ぶとか、地面を歩いている蟻とかの虫に興味を示すといったことはちゃんとするし、起床から就寝までの生活のリズムもちゃんと身についてきているから、きっと粘り強く努力していけば、何とか話ができるようになると思うんだけどね。とにかく、生まれてから三年、自分を殺してというか、自分の中に閉じこもって虐待に耐えるだけの生活をしてきたわけだから、それを解いてあげるのは大変なことなんだ」

 「そう、やはりビタミン愛かしら」

 「そうだろうな、密着して愛情を注いでくれる人がいれば何とかなるかもしれない」

 「でも、そういう子供に対して、施設では限界があってね。二十四時間マンツーマンというわけにはいかないから」

 「そうね。でも、いまのうちに何とかしてあげないと、時間がどんどん経ってしまうと言葉の獲得も難しくなるし。私、まりちゃんを養女にしようかな」

 この冴子の言葉を聞いて、加賀健介が笑った。

 「だって、浅野さんはまだ学生でしょう」

 「親のスネをかじっている学生じゃ駄目かしら」

 「僕も思うことがあるよ、まりちゃんに限らず、この子を養子にして、何とか育ててやれないかってね。でも、やはり社会人として自立して結婚している夫婦のもとじゃないと、いい子育てはできないと思う。子育ては、ハイリスク・ノーリターンの営みだからね。十年、二十年とかかる息の長い大事業だから」


 その日の昼食後、加賀健介と青い鳥のメンバーの何人かが、グラウンドで子供たちとソフトボールを始めた。ひまわりの部屋の窓からは、その様子がよく見える。

 高校でソフトボール部に在籍しているという女の子が、ピッチャーを務めていた。その子は体も大きく、アンダースローから投げる球はなかなか速い。

 加賀健介はあえなく三振した。次にバッターボックスに入ったのは、雄介君という中学二年生の男の子だった。雄介君は、二球目のボールをファウルして、そのボールが何度かバウンドしてひまわりの部屋の軒下に転がってきた。リビングルームの掃き出しの窓から、無表情にその様子を見ていたまりちゃんが、そのボールを拾い上げた。

 「まりちゃん、それ、ポーンと投げて、お兄さんたちに返そうか」

 冴子が言うと、まりちゃんはそのボールを両手で抱いて、別の部屋に隠れてしまった。まりちゃんは確かに人の言葉を理解できると冴子は確信した。


◇2 冴子


 「お母さん、私、養子にしたい子供がいるんだけど」

 冴子が突然言ったのは、日曜日の朝食のときだった。

 浅野良子は驚いた。まだ結婚もしていない娘の冴子が、いきなり養子の話を持ち出したのだ。

 「養子って、あなたまだ独身でしょう」

 「でも、ほら、里親制度って知ってる?」

 「知ってます。養子まではいかないけれども、行政が里親として認定した人に、保護が必要な子供の親代わりになってもらうという制度でしょう」

 「そう、実は、私が通っている子供の養護施設の、のびのび園に、まりちゃんという三歳になる女の子がいるの」

 そう言って冴子は、まりちゃんについて良子に語った。

 「そうね、そういう子は確かに温かい家庭で育ててあげたら、きっといい効果が表れて、お話ができるようになるかもしれないわね」

 「そうなの。だから」

 「でも、冴子、あなたはまだ学生で、仕事にも就いてないし、結婚もしてない。それで里親になるといっても、それは無理だわ。自立して生活を始めてから、やはり結婚して家庭をもってからじゃないかしら」

 良子は娘をたしなめた。

 「それもそうね。つい思いばかり先走ってしまうの、私の悪いところね。でも私、学者には向かないから、博士号を取ったら児童養護施設の職員になりたいの」

 「そうねぇ、自分の好きな仕事に就くのがいちばんだから、あなたの思うようにしたらいいと思うけど。博士号を持った児童養護施設の職員もいていいんじゃない」

 母親は、娘の希望を認めてやった。一人娘の冴子は、浅野良子と夫の浅野雄次にとってかけがえのない存在だった。可能な限り娘の望みは叶えてやりたかった。

 「お母さん、ありがとう」

 澄んだ大きな目をした娘の幸福そうな笑顔が、浅野良子は何よりも好きだった。

 「でも、どうして児童養護施設なの?」

 「うーん、いま児童虐待が問題になってるじゃない。その被害に遭った子供たちの多くが、児童養護施設で生活しているの。でもね、施設の数がまだまだ足りないの。私、学部のときから毎月二回、のびのび園にボランティアに行ってるでしょう。そこで、まりちゃんのように家庭で虐待されてた子供たちに会うんだけど、そういう子供たちって無表情で、話しかけても、なかなか口を開かない子が多いの。あれは、きっと大人が怖いのね。殴ったり蹴ったりされるんじゃないかって脅えてる。でも、暴力に脅えながら、それでも子供は親についていく、親にすがろうとするっていう話を聞くと、本当に私泣いちゃうの。だって、小さい子供のうちって、頼れるのは親だけだもの。どんなに殴られても、食事を与えられなくても、汚れた服を着替えさせてもらえなくても、自分の親、自分を産み育ててくれた親にすがろうとするのね。本当に痛ましくて」

 「そういう話、最近よく聞くわね。でも、いい施設もあるけど、それこそ児童虐待するところもあるっていうじゃない」

 「そうなの。だから私、施設の職員になって、そういう子供たちを守ってあげたいの」

 「正義の味方ねぇ。大変だと思うけど、やってみたら。それが冴子の望みなら、そうしたら」

 「ありがとう」

 「冴子のようなやさしいお姉さんがいたら、施設の子供たちも喜ぶかもね」

 「博士号が取れて、どこかの施設に採用が決まったら最高だな」


 「頑張ってね」

 「人生において重要なのは体力と情熱、大切なのは愛と正義よ」

 そう言って冴子は笑った。冴子の笑顔は、子供の頃から少しも変わっていないと良子は思う。

 「でも、お父さんはどうかな。やっぱり役人か学者になれって言うだろうな。下手すると、キャリア官僚になれとかね。福祉をやるなら厚生労働省のキャリアになれとか」

 「お父さんは上昇指向だからねぇ」


◇3 プロポーズ


 加賀健介は昼食を終えてのびのび園を出た。夏の陽射しの下、坂道を二十分ほど歩いて丘の麓の駅から都心に向かう電車に乗る。駅への道の途中で、ランドセルを背負った子供たちに出会った。七、八人の一団がおしゃべりをしながらやってくる。黄色い帽子に黄色のランドセルカバーを付けている子供は、一年生か二年生だ。のびのび園の子供はいないかと探したが、その一団の中には見当たらなかった。

 健介は子供が好きだった。学生時代、のびのび園のボランティアに通うことで、その思いはますます昂じていった。あの丸くて限りなく柔らかな幼児。すばしっこく走り回る小学生。ちょっと不満気に大人を見る中学生。その表情、その様子が好きだった。

 そういう子供たちと一緒に生活できるなら、立身出世などどうでもいいと思った。だから、公務員試験も、地方自治体の福祉職採用試験も受けなかった。書類に埋もれ、文書を書くことに多くの時間を費やさなければならない役人を、健介は敬遠した。小学校の教員にでもなろうかとも思ったが、そういう思いも、のびのび園の子供たちの引力には勝てなかった。施設の子供たちは健介を必要としていた。どうしても健介でなければならないという、ある引力をもって健介を引き寄せたのだ。健介はその引力に引かれて、のびのび園の職員になった。

 四年生の夏、ボランティアで訪れた際、すでに顔見知りになっていた園長に、

 「大学を卒業したら私をここの職員にしてください」と頼んだ。

 園長はしばらく健介の顔をまじまじと見て尋ねた。

 「どうしてですか?」

 「子供が好きだからです。のびのび園の子供が大好きだからです」

 健介は月並みな答えを口にした。

 園長は、またしばらく健介の顔を見てから口を開いた。

 「気持ちはわかりましたが、ここの職員になるには、いろいろなものを捨てなければなりませんよ。特にあなたのように一流大学に通っている人は、捨てるものが多い。それができますか」

 「できます。もちろんできます。何でも捨てます」と、健介はきっぱりと答えた。

 その年の暮れにのびのび園に定例の活動に赴いたとき、健介は園長から採用の内示をもらった。採用後、二年間、健介はコテージのスタッフとして働いた。その後、指導員の席が空いて、園長の勧めでその任に就いた。


 都心に近い駅で電車を降りて、健介はS大学のキャンパスに向かった。その日は、毎月一回行われるボランティアサークル青い鳥の学生とOBを中心とした児童福祉関係の研究会が開かれる日だった。

 健介はキャンパスを出て行く学生を横目に、C棟7番教室に向かった。その日は健介がレポートをする番になっていた。C棟は、キャンパスのいちばん奥にある。健介は、まだ誰もいない教室に入った。

 開始時間の午後四時少し前から、ようやく一人、二人と参加者が顔を見せはじめた。会員は、学部と大学院の学生、福祉事務所のケースワーカー、施設の職員、それに大学の教職員などだった。ほとんどの出席者が健介と顔見知りで、健介は教室に入ってくる一人一人に挨拶した。

 教室の後ろの戸口から浅野冴子が入ってきた。のびのび園にやって来るときと同じ、Tシャツにジーンズ姿だった。

 目が合って健介が歩み寄ると、

 「今日は加賀君がレポーターね、頑張ってね」と冴子は笑顔で声をかけてくれた。

 定員五十人の小さな教室が半分ほど埋まった頃、顧問の志村隆行経済学部准教授が顔を見せた。女子学生たちが一斉に志村准教授に注目する。痩せた長身の、目もと涼しくやさしい顔立ちの准教授は、女子学生たちに人気があった。

 志村准教授が席に着くと、幹事役の男子学生が立ち上がって開会の挨拶をし、健介を紹介した。

 健介は用意してきたレジュメを参加者に配って演壇に立った。

 冴子は最前列の窓側の席に着いていた。その冴子と目が合って、健介は微笑した。

 「それでは、今日は、のびのび園の園児で、レジュメにある、Aちゃんについて報告させてもらいます」

 Aちゃんとは、ほかならぬまりちゃんのことだった。健介は、まりちゃんの生い立ちとのびのび園に入園するまでの経過、その家庭の状況、のびのび園での生活、言葉を話せない症状などについて話した。

 「このAちゃんのような被虐待児のケースは決して珍しくないというのが、いま日本の子供たちが置かれている家庭環境の深刻さ、厳しさを物語っていると思います。ある日突然、リストラなどで親が失業し、あるいは事業に行き詰まって自殺するといったことで、収入の道を断たれ、家庭が崩壊してしまう。その結果、家庭の中でいちばん弱い子供たちに皺寄せがいって、さまざまな被害をもたらすという状況にあります。…………食事を与えない、衣服を着替えさせない、風呂に入れない、学校に通わせないといったネグレクトから、殴る蹴る、タバコの火を体に押しつける、熱湯シャワーを浴びせるといった虐待を受けて、最悪の場合、子供が死に至るケースまであるわけです。子供たちは、親を選んで生まれてくることはできません。神は不公平なものです。神が不公平なら、私たちが子供たちに可能な限り公平な生育環境を与えてあげなければいけないと思うのです。問題は切迫していて、一刻も早い解決が望まれるにもかかわらず、そういう被害に遭った子供たちを児童相談所に保護するとか、児童養護施設に入所させるといった対症療法しかとられていないのが実情です。いまの日本の家庭の脆弱さ、社会の救済力の弱さが大きな問題ですし、そういった子供たちの親の世代、つまり二十代、三十代の人たちの家庭に対する子育て支援の施策が、ほとんど講じられていないのが実情で、これらの問題への対策の充実強化が早急に求められます」

 健介のレポートは終わった。何人かの出席者から質問が出た後、司会者に求められて、社会福祉経済学科の志村隆行准教授が演壇に立った。

 「感想を述べる前に、私も伺ったことがありますが、のびのび園は実にすばらしい施設で、園児たちは、まさにのびのびと安心して生活を楽しんでいます。そののびのび園の指導員をしている加賀健介さんに敬意を表します。いまの加賀さんの報告からも、現在の日本にも厳しく辛い状況に置かれている子供がたくさんいるということがわかります。レポートにあった種々の問題の深刻化と蔓延の裏には、現在の児童福祉制度の不備とか欠陥、そして政治と行政の鈍感さと怠慢があると思います。問題を解決する手段も予算も政治と行政が握っているわけです。私たちは、保守的で頭の固い政治家や役人の無為無策に怒りつつ、諦めないで日々粘り強く働きかけていく。あるいはそれを動かすために、マスコミにも訴えていく必要があると思います」

 研究会が終わって、幹事役の学生が、大学の最寄り駅近くの居酒屋にコンパの会場を予約してあるという話をして、健介や冴子、それに志村准教授を含めて、参加者の大半が夕暮れの街を会場の居酒屋に向かった。

 「今日のレポート、とてもよかったわ」

 健介と並んで歩きながら冴子が言った。

 「ありがとう。でも、まだまだ突っ込みが足りなかったと思うよ」

 「まりちゃん、元気?」

 「元気です。この前浅野さんが来たときと変わらない。落ち着いてる」

 健介は、まりちゃんが入園した当初の、まるで捕えられた野良猫のようだった様子を思い返しながら言った。

 健介にとって冴子は、学生時代から憧れ続けてきた存在だった。青い鳥で活動していた頃、冴子は健介のごく身近にいた。のびのび園でのボランティア活動でも、夏の合宿でも、ハイキングでも、コンパでも、いつも一緒だった。

 しかし、学部の卒業を機に、二人の距離は遠ざかった。冴子は大学院に進み、健介はのびのび園に就職した。就職して三年余の間、健介はとにかく忙しかった。児童養護施設というのは、一日二十四時間休みなく、毎日子供たちの生活を支える施設だ。現場で子供たちのケアをするスタッフは、勤務の日は二十四時間断続勤務になる。子供たちと一緒に寝起きをし、食事の仕度をし、食後の片づけをし、学校に通う子供たちを送り出し、洗濯や掃除をし、一人一人の子供の処遇記録をつけなければならない。

 そういう状況の下で、特に指導員は、各コテージの担当スタッフと相談しながら、子供たち一人一人の処遇方針を立て、春と秋の日帰り旅行、秋の運動会、四季おりおりの行事の準備と後始末、子供の家族や、のびのび園に子供を託している各自治体の福祉事務所や児童相談所との連絡調整と、休む暇はない。その一切合切を、健介はほとんど一人で担っていた。

 コンパが終わり、一行は居酒屋の前で三三五五別れた。

 「浅野さん、ちょっと相談があるんだけど、喫茶店に寄っていかない?」

 健介は駅に向かおうとする冴子を誘った。冴子はそれに応じて、二人はとある喫茶店に入った。

 店内中央に小さな噴水のある、落ち着いた雰囲気の店だった。二人はともにアイスティーを注文した。

 「浅野さんは、卒業したらどうするの」

 健介が尋ねた。

 「実は私ね、卒業したら、加賀君みたいに児童養護施設のスタッフになろうと思っているの」

 それは健介が初めて聞く話だった。大学院のドクターコースに進んだ冴子が、現場の仕事に就きたいというのは意外だった。

 「学者とか、役人になるんじゃなかったの?」

 「そういうの苦手なの。私には向いてないと思う。八年間大学に通っていてだんだんわかってきたの。現場で、毎日子供とつき合っているのがいちばん私には合ってると思うの」

 冴子の言葉に健介は歓喜した。

 「それはいいことだ。それは素晴らしい目標だ」

 ここで健介は一旦言葉を切り、運ばれてきたアイスティーを一気に飲んで、冴子への思いを述べた。

 「結婚してください」

 健介から唐突に切り出されたプロポーズに、冴子は戸惑って、言葉を探している様子だった。

 「ありがとう。でも……」

 冴子は目を伏せた。

 「確かに僕はエリートコースを外れて生きている人間で、児童養護施設の一職員だ。でも僕は浅野さんが好きだ。君ほど子供をよく理解して、子供にやさしく献身的に接している人を僕は知らない」

 「ありがとう。でも、私、そんなに献身的じゃないし、働き者でもないし。のびのび園には私より献身的で働き者の女性のスタッフがたくさんいるわ」

 「いや、君はとても献身的で働き者だ。僕は長年君とつき合ってきた男として、はっきり言える。とにかく君は僕が出会った女性の中でいちばん素晴らしい女性なんだ。僕には君しかないんだ。待つから、いつまでだって待つから」

 健介は早口に言った。必死の思いだった。

 「ありがとう」

 このとき冴子が健介に答えられるのは、この言葉だけらしかった。

 「飲み直そうか」

 「でも、もう遅いから、明日早いし」

 冴子は健介の誘いを断わった。


◇4 秘かな恋


 朝、冴子は軽い二日酔いの症状を覚えながら家を出た。母が用意してくれた朝食も、吐き気のためにとれなかった。

 「結婚してください」という加賀健介の言葉が、冴子の心にくっきりと刻まれていた。

 冴子は加賀健介が好きだった。健介のもの腰の柔らかな、遠慮がちに人に接する態度。中肉中背の体に比べて大きな顔と、やさしい大きな目をした、小型の熊のような健介は、S大学入学当初から冴子の身近にいた。健介がずっと自分に好意をもってくれていることも知っていた。

 「待つから、いつまでだって待つから」

 この健介の言葉が冴子の胸に残っていた。以前は、冴子のほうが健介の言葉を待っていた頃もあった。その健介からのプロポーズは、やはり嬉しかった。しかし冴子には、健介からのプロポーズを素直に受け入れられない事情があった。かつては秘かに待っていた健介のプロポーズは、いま冴子の新たな憂いの種になりそうだった。

 S大学は中央線のとある駅から歩いて十分ほどの所にある。二、三の学部が私立大学中最高の水準にあった。明治時代に建学された伝統、都心にありながら広く、緑豊かなキャンパスは受験生の間で人気が高かった。

 それは昨年秋のことだった。研究室のパソコンに向かい、インターネットでアメリカやEU各国で発表された論文を検索していた冴子が志村准教授に尋ねた。

 「志村先生、アメリカのX大学のホームページのアドレス、ご存じですか」

 「いま調べます」

 答えた志村准教授は、尋ねられた大学のアドレスを調べて、メモを冴子に渡してくれた。

 そのメモには、X大学のアドレスの下に、

 「今日、夕食を一緒にどうですか」という一行が書き添えてあった。

 冴子はこの誘いに応じた。女子学生たちに人気のある志村准教授に誘われたことに、冴子は驚きと同時に喜びを感じていた。やはり冴子も志村准教授に憧れを抱く平凡な女子学生の一人だった。

 二人は銀座のレストランで食事をした。食事の途中で、

 「浅野さん、コンサートのチケットがあるんだが、どうですか」

 「ええ、誰のコンサート? いつですか」

 「一週間後の夕方、Sホールです。ブレンデルのピアノ」

 アルフレート・ブレンデル。彼の弾くモーツアルトが冴子は大好きだった。冴子は志村准教授の誘いを受け入れた。これが冴子の不幸な恋の始まりだった。

 健介とは、志村准教授との関係を伏せたままで結婚できないことはない。冴子は、そういうことにはとても器用に振舞う女子学生たちを何人も見てきた。しかし、あの健介と自分の結婚について、それはしてはいけないことだと冴子は思った。結婚するなら、自分と志村准教授との関係をすべて清算してからにしなければならない。それでも、自分は健介に対して、一生語れない秘密を心の奥深くに沈めたまま結婚しなければならないことになる。やはり、加賀健介と自分は結ばれない運命なのだ。

 冴子は、込み上げてくる悲哀を噛みしめながらキャンパスに向かった。


◇5 横田教授


 大学の研究室にいた志村のもとに、経済学部社会福祉経済学科の横田教授から電話があったのは、その日の午後だった。

 「志村君、実はいま付属病院にいるんだが、どうやら緊急入院になるらしいんだ」

 そう言って言葉を切った横田教授の声は、力なく沈んでいた。

 「緊急入院ですか」

 隆行は驚いて問い返した。

 「そうなんだ。それで、今後のことを相談したいんで、病院のほうに来てくれるかね」

 「わかりました」

 電話を切り、隆行は同じ研究室にいた助手の高瀬保に電話の内容を伝え、一緒に研究室を出た。通りに出てタクシーを拾い、大学の最寄り駅近くにあるS大学付属病院に向かう。

 病院には、すでに横田教授夫人と長女の姿が見えていた。その家族とともに、横田教授は五階にある個室の一つに入っていた。

 「やあ、志村君、高瀬君、ありがとう」

 二人が入って行くと、教授はまだ背広姿で、病室の一隅にあるソファの一つに腰を下ろしていた。痩せた横田教授の顔は青ざめて、力なく体を背もたれに預けている姿は痛々しかった。

 「前々から気にしていたんだが、内科の斎藤教授に今日、改めて緊急入院を言い渡されてね。この忙しいさ中に進退きわまったが、医者には勝てなくて、こういうことになったよ」

 教授は笑顔をつくって言った。

 「そんなわけで、早速なんだが、これからしばらく、君たちに研究室と私が受け持っている講義をお願いしなければならんのだが」

 「それはもう、我々が万事お引き受けしますので、どうぞ安心して治療に専念なさってください」

 「ありがとう。それで、実は私のスケジュールの中に、今週末にNホテルで与党の政策研究会の講演を頼まれているのがあってね。演題は 「社会福祉経済学からの提案』というんだが、志村君、ピンチヒッターを務めてくれんかね」

 「わかりました。やらせていただきます。でも、政府与党の講演会ですか。よく先生に依頼してきましたね」

 隆行は笑顔になって尋ねた。

 「そうなんだ。社会福祉経済学なんていうのは、与党の政治家達には全く興味のないもんだと思っていたんだが、何の気まぐれを起こしてか、一か月ほど前に話がきてね。断る理由もないし、時間も空いていた。まあ、たまには与党の政策決定に携わっている連中にレクチャーをするのもよかろうと思ってね。政治の世界では、もはや保守の革新のという対立軸が薄れて、世の中を変えるのに与党のほうが革新的だったり、労働組合が改革に抵抗したり、幹部が多額の組合費を横領して逮捕されるような時代だからね」

 そう言って、横田教授は力なく笑った。

 隆行はいつか横田教授が酒を飲みながら話していた言葉を思い出した。

 「社会主義経済は衰退の一途をたどっているな。マルクスもエンゲルスも、人間そのものの科学的な探求はしなかった。社会はこうあるべきだ、国家はこうあるべきだ、共産党は、党員は、労働者は、人間は、みんなこうあるべきだというお手本は示した。でも、人間とはこういうものだという科学的知見が決定的に欠落していたんだ。生物としての人間はもちろん、人間の精神心理を、人間社会を科学的に分析することはしていなかった。理想の社会を説いてそれを押しつけるばかりで、生身の人間についての冷徹な理解がなかったんだ。人間は理想を追求する思想家たちが考えたような高尚な生物ではなかった。確かにそうあろうとする者たちもあり、そういう勢力は現在もあるわけだが、現実社会は公平で平等な社会ではないし、それを望んでいる者ばかりではない。権力を握った者、競争に勝った者、能力のある者が高い評価を得て、能力のない者より豊かな生活を営んでいるのが現実だ。アメリカの社会がまさにその象徴なんだが、社会主義国においてもそれに変わりはない。国を、社会を支配する者たちは巧妙に富を貯え、より多くの贅沢と快楽を手にしているわけだ」

 そう言って横田教授はグラスの酒をあおった。


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