二部9
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裏方に徹したアーチBDが、山に関する情報を収集し終えレポートを仕上げるのと、矢巻智治が懸念を顔に浮かべて帰宅したのはその日の夕方だった。
アーチBDは資料を広げて閲覧させ、聞いた話の受け売りを語る。
「そうか……もう百二十年も前に……」かみ砕いた説明を受け入れ、矢巻は感嘆する。「ノークスがあの山にこだわる理由も、判明したな……。ありがとう、アーチ。一日で調べてくれて大変だっただろう」
矢巻の方も地図を広げてくる。等高線で書かれた山岳図が赤い色で塗分けている。
アーチは地図をのぞきこみ、三角巾を外したミノブも机に寄ってくる。
「……この赤く塗り分けた部分は?」
「おれが今日、山に入って探索した部分だ」
「はぁぁっ!?」
声が裏返るのをアーチ少年は制動できなかった。だって、全体の半分は塗られている。これを一人で? 危険な有毒火山ガスの噴き出る危険な場所を?
「どこにもノークスは発見できなかった。塗られていない白い部分を明日は探索したいが、ちょうど山の裏と表の位置だ」
「二手に分かれたほうが効率的ということか」
推し量ったミノブがつぶやく。矢巻がうなずく。
「今朝からどうも火山ガスが濃く滞留している。ガスを避けて点々としているから会えない、というのが理由ならばいいのだが……」
ひとり気持ちが前につんのめっているアーチBDは、過去に例がないほどどもった。
「ば、ばば、馬鹿なそいつはっ、もう町に降りているんだろうっ!? 山に居ないから、あ、会えねーんだよ!」
「ノークスが下山した様子はないし、見張りの人も見ていないと言っている」
「たたたた、態度も脳も体も野生の馬鹿なんだからっ! だ、誰も見ていないところをコソコソ抜けたんだよっ!」
「そうならばいいが、万が一怪我でもしていたら、単身行動の彼は非常に危険だ。早めに保護したい」
「じ、じっ自業自得だろうっ、そんなのっ! ほっ、放っておけよっ! 窪地の動物の白骨死体と同じ末路で当然だっ!」
「アーチ」穏やかな黒曜石色の瞳が、少年と同じ高さに降りてくる。「せっかくアーチが収集してくれた情報だ。生きた彼に出会って説得する材料に使用したい。それにはまずノークスを発見しなくては」
胸が詰まって何も言えなくなってしまう。黒い瞳の残像が、頬を染め、気持ちを落ち着かなくする。
「………………うん。わ、分かったよ」
明日、日の出同時に出発。二手に別れる内訳は、矢巻智治単身と、アーチ、ミノブのコンビ。
矢巻は時間をかけて注意事項を述べ、分担範囲の探索を終えたらすぐ下山すること、少しでも危険を感じたら即座に探索終了することを二人に約束させた。
火山ガス対策に、秘密兵器も取り出す。
小さなガラスの小瓶で、中に緑色のうすぼんやりしたものが浮かんでいる。
「あ、風のエレメントのラベルが付いている」
文系少年のアーチがラベルを見て指摘する。登山にどんなふうに関連するかは予想も立たない。
「そうか……風のエレメントというのか。おれは依頼して作ってもらっただけなので、どんな仕組みかは知らない。効果は……開封すると使用者の周囲に微風を起こして空気を入れ替える。例の山の、たとえ頂上に居ても、麓に着くまでのあいだくらいは、効果を保つように調整してもらってある」
「ふむ。ガスに巻かれたときは、これを使って下山できるな」
ミノブが小瓶を揺らす。矢巻智治は頭を下げた。
「本当に二人には申し訳ない。刺激臭を感じたらすぐにでもこれを使い、安全に下山して欲しい。君たちはなくてはならない存在なのだから」
日の出と共に山小屋を出る。目的の山は朝霧か、それとも停滞したガスの所為か、探索を望む者へ悪意をふりまくかのように、白っぽい靄に包まれたたずんでいる。
「忘れ物はないか?」
ミノブが最終確認をする。生返事をしながらアーチBDはポケットの物をあれこれリュックに入れ替える。
「大事なものはあらかじめポケットに入れておけ」
山男の含蓄あるお言葉。彼の胸ポケットから緑の小瓶が覗いているのが見えた。
「そうだよな。緊急時にはすぐ取り出せるよう……俺もポケットに移しておこう」
リュックにしまった例の小瓶を、取り出しやすいポケットに移し替えた瞬間、アーチBDは聞いた。
ミノブの眉が鋭く吊り上がる音を。彼の周囲の空気が凍り付く音を。
「…………?」
「……お、お前さん……それ……その瓶……は……」
いつになくミノブの声は震えている。彼らしくもない。何だろう。アーチBDは嫌な予感を覚えた。舌が粘っこくて重く、知りたいけど聞きたくない気持ち。
「俺が……持っていたら、いけないのか?」
「自分は……魔術工房に、なじみは居ないから……カツラギが事務的な手配はすべてしていた。届いたのを受け取っただけだ……自分は」
「だから、何なんだよっ……!?」
「自分が受け取ったのは小瓶二本だった。試作品で二本きりしかありませんからねと、念を押された。大量生産の軌道に乗せるには多額の金と大量の時間が必要だと……」
「はぁあ…っ!?」
ミノブは黙って目をそらした。
どしんと地面を震わせる音。アーチBDが地団駄を踏んだのだ。ガリガリと神経質な継続音は、アーチBDが髪をかきむしっているのだ。
「はぁ? はぁあ? はぁあああああっ!? なんで、なんで、なんでなんだよぉおおおっ!?」
矢巻智治はミノブに一本渡した。コンビのリーダー側が持っておくべきものだろうと、ミノブは受け取った。
そして矢巻はアーチにも渡していたのだ。おそらくガスへの注意事項をしつこいほど繰り返し、緊急時にはこれで命を守るようにと。
これでもかと生命の大事さを説いた本人は――空手でガスのたちこめる山を登っていく。
「ぁああああー、もう、もうっ、もうっ! なんであいつはっ、なんでっああなんだよぉおおおっ!」
少年が駆け出そうとする方向を見定め、ミノブは腕を伸ばしてリュックを捕まえる。
例の山の遠い側の区域を担当する矢巻は、一時間も前に山小屋を出立している。さらに彼はガスの危険の次に重要事だとばかりに、ミノブに言い含めていたのだ。『アーチに余計な行動をさせないように』と。
「行くぞ。自分たちに任された区間を急いで見回る」
「はぁ!? 本気かよっ!? あいつは……ヤマキは……エレメントも持たず、単身で登っていったんだぞ……っ!」猫の仔のようにリュックを持たれるアーチBDは、両足のじたばたに拍車がかかった。「あいつに何かあったら……どうすりゃいいいんだよっ!」
「今更追いつけないし、どのルートを辿ったかはあいつ自身にしか分からん」
「だっ、だけどっ!」
「自分たちは任された区間を急いで見回りノルマを消化する。その後ヤマキの区間に足を延ばす。ピーク側から回り込めば、麓をいくより時間はかからん。遮蔽物も少ない山だから、ヤマキを探すにも頂上側からのほうが都合がいいだろう」
「…………」リュックを離されストンと落ちるアーチ少年は、歩き方を知らない仔猫のように座り込む。「それは……最善の方法……か?」
「自分が考えうる限りでは」
「………………ん。分かった。急いで行って、ヤマキの見回り区間も奪おうっ」
人が変わったようにシャキシャキ歩き出す少年。後を追いながらミノブはその可能性が低いことを、すでに認めていた。
……あれは……ヤマキは、戦場の疾風の猛将だ。鎧を捨て機動力を重視し、盾も持たず武器の二刀流を選ぶことで、殲滅速度を短縮する。味方すら置き去りにされる一陣の疾風は、しかし刃の傷ひとつ、細い矢の一本で致命傷に至る危険もはらんでいる。
疾風の猛将に問おうか「命は惜しくないのか?」
彼はこう答えるだろうか「命は惜しくない」
では、彼は……一体何を求めて戦っているのだろう。
ノークス・ツチハが救出されたのはその日の昼のことだった。
両足を負傷し、雨やガス、痛みや寒さと単身の戦いを始めてから30時間後のことだった。
発見された場所は、アーチBDとミノブが担当している区域だったが、第一発見者と第一接触者を兼ねたのは矢巻智治だった。
自分の区域をいち早く見回り終えた矢巻は、ピーク側から回り込み、遭難者のいるテントを発見し、救助に向かった。ちょうどその時、下の道から登るアーチ・ミノブのコンビもテントを見止めたところだった。
ノークス少年を救助したその場所で、三人のレスキュー隊は合流したのだ。
再会直後、食って掛かるアーチ少年。
「あ、あっ、あのなぁっ! あんたはなんで単独行なのにエレメントを持っていかないんだよっ、いくら何でも無茶が過ぎるだろうっ!」
「結果的に無事なのだから、いいじゃないか。アーチ」
笑って流す矢巻智治。
そんなアルカイックスマイルで軽くあしらっていい問題ではないと思うのだが。
テントに上半身を差し入れていたミノブが、二人を振り返る。
「痴話げんかはもういいか? 遭難者は両足負傷だが、固定すれば担架で二人がかりの搬送は可能だ」
てきぱきと担架を組み立て始める。
(俺も……自分の領分を全うしなくちゃな)
気持ちを入れ替え、アーチBDもテントにもぐりこむ。一昨日は活発を体現していた若い少年の肉体が、今は小さく丸まりうわ言を唱えている。
(……熱が、あるな)
両足の具合も、観察して見当をつける。
(出血は……消毒と止血。骨折は……ああ、あんなに腫れあがって酷いな。とりあえず湿布薬草で冷却しよう)
手早く必要な調合を行い、両足も搬送作業に耐えうるよう応急処置を行う。
「ほら、沈静剤のんでおけよ。これから数時間、えっちらおっちら担架で運ばれる作業だ。痛くても病院に着くまでは止まらねーぞ。
これはズバリ、止まらないもの三大ランキングに入るからな。
『男の言う、先っちょだけ』
『歯科医の、痛かったら手をあげて』
『危険箇所からの、重傷者の搬送』ってな。
……っと、水でもなくちゃ飲み下せないよな。ほら、水筒から直で悪いけど。まだ俺は口をつけてないし……手袋もしているから……な? 今だけ、毒屋なのは見てみないふりしてくれよ」
弱弱しくノークスが首を振った。こくりこくりと喉を鳴らし、幼児のようにアーチの介助で薬を飲み干す。
慎重に担架へ固定作業をするあいだ、アーチBDはテントと彼の荷物をまとめる。ノークスのリュックのポケットから、古い文書のページが何枚か出てきた。
ビンゴだと、アーチは矢巻に古文書を突きつける。
「俺の予想通りだったろ」
「……ああ」じっと眼を注ぎ、静かな口調で矢巻智治は担架の少年に語り掛ける。「ノークス。君にとってはこの文書、解くべき謎の暗号で、解読のあかつきには莫大な財宝が見込まれる、そういう類のものなのだろう?」
担架に固定されたノークスは、うつろな目つきで何も言わない。
「おれには暗号には見えない。見覚えある文字だからだ。地球で使われている外国の言語。あいにく翻訳はできないが、おれより昔に、ここへ転移した地球人の存在は確信できる」
100年だか120年前だか、アーチの調べでは年代までは把握できなかったが『異世界からの稀人』が存在したことは突き止めていた。
稀人は死の間際に、自分の知識のすべてを山に埋めたと言い残し、在処を文書に残した。100年前のこの山は、ゴールドラッシュもかくやという盛況に見舞われたのだ。
「……だけど知識の宝を見つけた者は誰一人としていない。
『稀人は我々を騙しているのだ』『ウソの宝に右往左往する我々をあざ笑っているのだ』と疑いが立つようになってしまい、宝を探す者もなくなった。稀人の伝聞があまり残っていないのもその辺に理由があるんだろうな」
腕を組み、レポートを披露するアーチ。矢巻が問うた。
「亡くなった人のことは、確認しようもないし、是とも非ともおれは言う立場にないが……ほかに一攫千金が狙えるような伝説や埋蔵金の噂などは、ないのだろうか?」
「いやいや、いっぱいあるんだよな、これが」アーチBDは指折り数える。「海洋の沈没船お宝話だけでもゆうに10はある。これらは出港記録や積み荷リストが現存しているんで、信ぴょう性がかなり高い。山の埋蔵金伝説も、行軍途中に軍用金を埋めたとか、亡国王家の末裔が財宝と共に隠れ住んでいた洞穴とか、歴史的資料を漁ればかなり金ピカに接近できるはずだ」
「そうか……」優しい声で矢巻は担架の少年に語り掛ける。「世界にはこれだけ一攫千金の夢がありながら、地理的危険度の高いここを選択した理由は……君にしか理解できないのだろう、ノークス。それを知るよう、おれはもっと寄り添えたかもしれない。君の心を深く知ることができれば、適切な助言を与えられたかもしれない。
できなかったことをおれは悔やみつづけ、一生の反省点として抱え続けるだろう。
けど、ノークス、君が歯を食いしばって生き延びてくれたおかげで、おれはまた機会を得た。君の気持ちを理解する機会を。
ありがとう、ノークス。生還……おめでとう」
「………………っ、ううっ……お……うあぁあっ……」
耐えかねて漏れる嗚咽。担架のシートにボタボタ涙の粒が落ちる。
しゃくりあげながら少年は語る。海は遠く、埋蔵金伝説のある山はライバルが多く、とてもぽっと出の少年が参加できる争奪戦ではないこと。忘れ去られたこの山に賭けるしかなかったこと。
矢巻智治がアーチを見る。
「うん……海のサルベージは人数が要るし、組織で取り組むところが多いかも。山だって、可能性が高いところは、探し屋チームが入り込んで、情報や場所を占有していて、個人が入り込める空気じゃないかも」
「そうか、ノークスにはそういう事情があったのか。自分にできる範囲で、お宝を獲得しようとする熱意も」
ぐずぐず泣きはらした目で、ノークス少年がうなずく。
「……あいつを……カルダを……アカデミーに、入学……資金を……手に入れてやりたかった……っ」
泣きじゃくる少年の、肩をぽんぽんし、労わる言葉を矢巻智治はかけている。
(……ん?)
不機嫌にみつめるアーチBDは、疳の虫に引っ掛かる部分を、先のセリフに覚えていた。
(……手に入れてやりたかった……なんで、過去形?)
「大事な人のための、入学資金が必要だったのか……。だったら、ノークス、君がもう危険な場所に踏み入れる必要はない。ライバルとお宝を奪い合う必要もないよ」
「……え?」
「百年前の稀人が、研究者だとか専門家だったとしても、年代のアドバンテージはおれの方にある……そう考えても吝かではないと思う。技術の進歩の恩恵を受けているから、おれの知識を切り売りすれば、入学分の資金は貯められるだろう」
「あ、え……それって……」
「ここに来る直前まで、日本で話題になっていたのはドローンという奴かな。構造は知らないが、形状や効能なら説明できると思う。アイディアとしてどこかに売れはしないか……。
それともレシピとかの方がいいか。代用の材料が見つかれば、この世界でも再現できるだろうし、レストランなんかに売り込めば……」
「そ、それ、いいっ! グッドアイディアだよっ! オレ、あんたの技術もらって、あちこちに売りつけるよっ!」
担架の少年がガバと身を起こす。端を支えていたミノブがバランスを崩しかけ、矢巻があわてて少年をなだめる。
『オレ、実は恋人がいるんだ』
『そう、おめでとう』
『そいつ頭がいいんだけど、入学金を確保できなくてさ』
『それはご愁傷様』
『だけど、山にあるお宝が手に入るかもなんだ』
『そう、おめでとう』
『でも危険な山で怪我しちゃったんだ、お宝も手に入らなくて』
『それはご愁傷様』
『怪我したオレを、助けに来てくれた人がいるんだ。無事、救助された』
『そう、おめでとう』
『お宝を手に入れるアテはなくなっちゃったけど……』
『それはご愁傷様』
『他の事でお金を作るアテができたんだ。オレを助けてくれただけでなく、手伝ってくれるなんて……。
オレ、もうそんなにいっぱいお金を儲けなくてもいいかなって気持ちになったよ』
『……』
体内で精製された毒が、四肢に満ちる感覚をアーチBDは得た。
たぶん、おそらく、近いうちに、猛毒の申し子として振舞うであろう予感がした。




