二部13
13
今日で変装は最後にしたかった。
三回目の対面、昼間のカフェでカルダ青年は遠慮の文字を忘れたように、席の隣に座ってくる。当然の権利だとばかりに、腰にときどき手を回してきたりもするのだ。
(……早く……一刻も早くっ)
(ノークスを追い出すぞ……こいつと縁のない人生を……送るぞ……っ)
悪寒をこらえ、あらためて少年は固く誓うのだった。
「……でね、僕はまあ天才的勘で絞り込めるとは思うんだけど、実際身近で接している君の方が、悪の根源である脳筋武系男を絞り込むのに適任だろうなあって……」
要は容疑者をもっと減らせということだ。
「俺の頭じゃ、とてもカルダさんの推理力には敵いません……。もし間違った人を選んだらって思うと……っ」
「あぁああ、ごめんよ。君を泣かせるのは本意じゃないんだ。ただ、理知的頭脳の文系人間が、容疑者50人全員に対処するのは、スマートじゃないなぁって」
(嘘つけ……50人分の毒を買おうとしていた癖に)
「それでしたら……カルダさんの推理力を生かして絞り込み、対処する機会があります」
「ん? 機会?」
「明日、山小屋で講習会が開かれるんです。一般の方の参加は自由ですし、リストに挙げた人も多く集まります。カルダさんの卓越した推理力ならば、会の短い時間の間に、諸悪の根源を見つけ出し、対処できると思います」
「……講習会……」
「チラシ、置いていきますね」
カフェを後にしたアーチBDは、解放感に満ち溢れていた。
明日にはまちがいなくノークスを追い出せるだろう。何よりこのストレスマックスの、カフェ面会をもうしなくていいと思うと、指の先まで自由の感覚が行き渡るようだ。
町の大通り、華奢な体躯の少年は、金色の付け髪に陽光をキラキラと受け、深いエメラルドグリーンの瞳を細め、ぴったりした白絹手袋の腕を無防備に伸ばしていた。
「アーチ? アーチBDなのか?」
人波から投げかけられる声が、少年の解放感を木っ端みじんにする。
聞き覚えのある声だった。きょろきょろし、アーチBDは頭一つ抜きすさんだ長身を見つける。
(あー、なんだミノブか)
聞こえなかった振りをして、雑踏に紛れてしまおうと考える。どうせ向こうだって、日中堂々と毒屋と並んで歩きたくなどないだろうし。
そこまで考え、アーチBDに戦慄が走る。
(…………おい、違うだろう)
(俺、今……変装……しているじゃないか……)
かつらと手袋で毒屋の痕跡を完全に消し、変装したこの姿に騙され、腰に触れてくる男までいるというのに……。
まさか見抜かれるなんて。よりにもよってそれが、山にしか興味を持たない山オタクのミノブだなんて。
「アーチ!」
手首を捕らえられビクリとする。震えるまつ毛でぼやける視界に、山男の表情が映る。切れ長の瞳がアーチBDの全貌を、上から下までじっと見まわす。
「……やはりお前さんか……アーチBD……」
大きく見張った眼差し。感嘆めいた息を交えたあと、彼の声は詰問口調を帯びた。
「前にも一度、この姿で会っている。雪山ふもとの病院内だ」
「……っ、何でそんなつまらないこと、覚えているんだよっ……」
もういちど嘆息。失言を悟ったアーチ少年の、全身がカッと羞恥に染まる。
……今のはどう考えても、白を切る最後のチャンスだったのに……。
「……どうして変装など? 前の病院の件と繋げて考えるべきな…」
「助けてぇええええっ! この人、強姦魔ですっ!」
可憐な声でアーチBDは通行人に助けを求めた。金髪を翻し、潤む翠の瞳で訴えられ、華奢な細腕を差し伸べられれば、発奮しない男などいない。
たちまちもみ合う通行人十数人と、山男のミノブ。その隙にこっそり、少年は場を立ち去った。
翌日の講習会。
準備に追われる関係者の面々のなかに、ムスッとした顔つきのミノブが居るのを、アーチBDは見止めた。
頬に殴られた痕があるのは、取り押さえられたときの負傷か。
(……つまらない事に顔を突っ込むのが悪いんだ……偽善者め……)
忙しさに追われてか、とりあえず山男に昨日の続きを再開しようとする様子はみられない。少年はホッとした。
気を緩めている暇はない。アーチBDは一般参加者の中に、カルダ青年を発見する。着かず離れずマーキングし、兜の緒を締めなおす。
登場時から服の右ポケットに入れたままの手を、青年は開会しても一向に出そうとしない。付近の客が不審そうにジロジロ見遣る。
(直情派の見本かよ……ポケットに入れた薬瓶をずっと握ってやがるな)
会場では簡単な関係者の紹介が行われている。カルダの瞳が光るタイミングは、アーチの予想とぴったり一致した。
(名前も顔も一致しない大勢の人でごった返す会場……そこで行われる関係者の紹介、特に目立つ異世界からの稀客、リストと顔の一致しやすさ……血気はやるあんたは飛びつくしかないよな……)
壇上で矢巻智治は「気楽に聞いてくださいね、飲み物を楽しみながら」と聴衆を和ませている。
トレイに乗った大量のカップは、参加者たちがセルフサービスで取り分けていくのが、講習会の通例だ。
ひとり飛び出し、トレイを独り占めにするカルダ青年。このとき周囲の目は「初参加でルールを知らないのね」とまだ生暖かかった。
しかし、右手を取り出す青年が、背でトレイを隠してゴソゴソし始めると、周囲は不審にざわついた。
ゴソゴソが終わると、今度は周囲の客にカップを押し付け回る。気味悪そうに受け取る客たち。たった一つのカップを残し、カルダは壇へ向かっていく。
(目撃者は充分確保した……あとは、俺が出るだけ……っ!)
(けど……二度と矢巻は傷つけさせないからな……っ!)
タイミングを見計らって飛び出す少年は、側面からカルダ青年にぶち当たる。トレイが揺れ、カップの中身が少しあふれた。
「悪ぃ、ぶつかった!」有無を言わさずカップを取り上げる。「こいつは俺が責任とるから、あんた、新しいのもらってきなよ」
薬瓶の中身が栄養剤である保険はかけてある。だが、矢巻への殺意を未遂にするだけでは万全ではない。アーチBDは自らを犠牲に、青年を破滅に追い込むまでを台本に記していた。そしてあとは演じるだけだ。
「げふっ!」
吐血。床に広がる赤い染み。聴衆の中から悲鳴があがる。腹部を抑え、アーチBDは床に倒れこんだ。
昨夜の内に歯に仕込んだカプセルは、さっきのタイミングで噛み砕いている。中身は、唾液に色をつけ、血液っぽく見せる着色料、口内物質に反応して嘔吐反射をもたらす劇薬、そして致死量未満の毒薬を調合したものだ。
震える手をもちあげ、カルダ青年を指差す。耐性はある程度つけていたが、やはり実際の毒薬はしんどい。頭がガンガンし、視界が狭く、舌がうまく回らない。
「あ……あんた……飲み物に……一体、何を……?」
臨場感はおかげでよく演出されたようだ。
「し……知らない、僕は……そんな……なんで、関係ないお前が……飲んで……」
力なく立ち尽くすカルダ。彼の手から殻の小瓶が落ちる。手が震えた振りして、アーチは小瓶を壁際に弾き飛ばす。ガラスが砕ける硬質な音がした。
(……証拠隠滅も……完了……っと)
ふーっと大きくアーチ少年は息を吐く。同時に、意識を失いそうな激しいめまいを覚える。
(体重で薬量を調整したんだけど……)
(そういや、体重を測ったのはだいぶん前だったよな……ヤバいか?)
体がゾクゾクしてくる。心なしか呼吸もし辛いようだ。
「アーチ! 大丈夫か、アーチ!?」
駆け寄る足音、厚い胸がアーチの背を支えてくれる。「早く毛布を!」と焦った声がする。
(ああ……)
アーチBDは一時、苦しさを忘れられた。背中越しに染みわたる暖かさにうっとりとする。
(……ヤマキ、ヤマキ……っ!)
今なら死んでも悔いはないと思った。
矢巻の腕に全身をゆだねていたため、カルダ青年の糾弾シーンは、残念ながら、前半部分を見逃してしまった。
何でも聴衆が総立ちし、数十人の指先が迷わず青年を指し示したという。
「ずっと右手に手を入れ怪しかった」「飲み物を独り占めし不審な行動」「目つきが犯罪人のそれだ」「私に無理やり押し付けたカップもきっと毒が」「彼は毒殺犯なのだ」一斉に糾弾される様は、それは見物だっただろう。
「ちがいます、ちがいます、ちがうんです……っ、僕はノークスくんの為に……っ」
名指しで呼ばれ、顔色を失ったノークスが人垣を割って現れる。悲しさと裏切りのいりまじった瞳で、座り込む恋人を見下ろす。
「の、ノークスくん……っ、僕ですっ……僕はっ、騙されているノークスくんを救いたかったんですっ……」
「…………」
「理知的でスマートな文系のやり方でっ! ノークスくんを奪い返したくて……ああ、でもうまくいかなくて……これはバチ? 寂しさのあまり、浮気のようなことしたから……その天罰?
でも信じてください、ノークスくん、僕が本当に愛しているのはノークスくんだけなんですっ! 心から、君を救いたかったんですっ!」
「………………カルダ」
半狂乱の恋人に、近づき、寄り添い、抱きしめ、ノークス少年は諦観したように目を閉じた。
捕縛されたカルダと、それに付き添うノークスは、小屋を出る間際、かぼそい声をかけた。
毛布にくるまるアーチBDと、アーチの肩を抱く矢巻智治の二者に。
「その……迷惑かけて、悪かったな……」
アーチは何も言わない。矢巻が黙ってうなずいた気配があった。
「これでも、さ……オレ、別れ話、ちゃんとした積もりだったんだ。もう一緒には暮らせない、けど、入学資金は捻出する……アカデミーの新生活を、オレのこと忘れて楽しんでくれって……。
……でも、急すぎたんだろうな……一方的過ぎて受け入れられなかったんだろうな……試験勉強が手につかなくなるだけじゃない、こんな事まで起こしちまって……」
重い沈黙。誰も、口を開かない。
「こいつが落ち着くまでオレが傍にいる。山小屋にも迷惑かけないよう、見張っているから」
消え入りそうな少年の声がガラリと変わり、アーチBDに振ってくる。
「ぐったりしているけど、顔色は良さそうだし、性格極悪な奴ははしぶといって言うし、ゴキブリ並みの生命力を見せてくれるよな、アーチBD」
よっぽど殴り掛かってやろうかと思ったが、矢巻の手前、大人しくしておく。
「オレ……さ、お前と友達になれるかもって、思ってた。お前に淹れてもらったお茶も、悪くなかったぜ。独特の苦みが癖になるっつーか」
カラッとした口調に、相変わらずのへらず口。アーチBDは相手の言葉の裏に隠れた、寂寥感に気づくことはなかった。
それも当たり前だろう。
アーチBDは自分自身の本心にさえ、未だ、半分以下しか向き合っていないのだ。




