表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/37

序章1

序章


矢巻(やまき)智治(ともはる)は、子供を助けに飛び込んだ甲突川で水死し、転生した。

異世界への転生である。

彼はまず助けた子供の様子を案じた。

(子供を抱えて、岸に泳ぎ着いて……)

(……そうだ、母親らしい女性の人がいた。彼女に手渡したところまでは覚えている)

(その後、上流から強い流れが来て、おれは流されて……)

(…………)

(とにかく幼い命は救われた、無限の未来に生きる価値のある生命が……)

目を閉じた述懐ののち、矢巻智治はようやく周囲に注意を向けた。

川ではない、ましてや病院でもない。見知らぬ街角。日本とも現代ともどこか違う空気。濡れた形跡などない頭髪。同じく乾いている学園の制服。彼と彼のいでたちに、通行人たちは異邦人とみなした視線を投げかけてくる。

(…………ここは、どこなのだろう?)

ようやく身の内に疑問をふりわけた。


通行人の通報で町の衛兵がかけつけ、矢巻少年を領主の館に連れていく。道程に受けた説明で、矢巻智治は身の上におきた出来事をほぼ消化し終えていた。

……一度、自分は死んだこと。

……ここは日本とは違う異世界だということ。

こういう異世界からの稀客は、頻度は高くないが領主が代替わりすることに一度はあり、貴重な技術や最先端の知識を生かす質問とノウハウが、領主一族には伝わっていた。

「そなたは何ができる? 何をしたいか決めているか?」

「……おれは……人を助けたい。人を救助し、かけがえない生命を守りたい……」

勧められた椅子で矢巻智治が返事をするや否や、謁見室の扉がけたたましく開けられた。

こけつまろびつ入室し、絨毯に跪く急使は、切れ切れの声で急務を発した。

国内北の稼働中G鉱山で、突然の内部噴火が起こったこと。坑道がマグマに埋まり、作業中の鉱員が多数取り残され助けを求めていること。

矢巻智治は椅子を蹴立てた。



アーチBDは、訪れたG鉱山の往路でこんなジョークを思いついた。


新米医師が威張って言った。

『昨日は、伝染病患者の検体を検査できたぞ』

『今日は、伝染病患者のいる病室前の廊下まで行ったぞ』

『明日は、伝染病患者の病室に入って治療をするぞ!』


G鉱山内の坑道を先導する案内人ときたら、まるでアーチ少年を件のジョークの患者のように扱うのだ。

もちろん、アーチBDは伝染病患者なんかではない。

17歳の小柄な体に薬草詰まった行李を背負い、外出もままならない鉱員のため、出張で薬の販売・調合をする薬師だ。

若い足に遠出の苦労をかけ、狭く熱い坑道を辛抱して歩いてやる誠意も分からぬ新米医師――もとい案内人には、トコトン嫌がらせしてやりたくなる――アーチ少年は翠の瞳を意地悪く輝かせるのである。

行李を、手が滑ったふりで落としてみる。舞った粉はヤバいブツだった! 的な青ざめた顔をしてみせると、面白いほど案内人はビビるのだ。

転んだと見せかけ、案内人の方によろけると、ギョッと後ずさる彼が、坑道隅の溝に落ちそうになるのも、これまた見物だ。

目的地である鉱夫宿泊所に着くまで、時間をつぶせるいい玩具を見つけたと思ったが、結局、目的地に着くことはなく――玩具を楽しむ時間も短かった。

「火が出たぞ!」「マグマが上ってくる」と、血相抱えた悲鳴と人の群れが下層から押し寄せた時、案内人は尻尾に火がついたようにぴゅっと逃げ出してしまった。

ふん、と鼻を鳴らし、アーチBDが冷ややかに見つめるのは、逃げた案内人だけではない。

冷ややかな少年の眼差しは、下層からあふれ出す避難者たちにも注がれていた。


Q『金の鉱脈が発見された。国内の津々浦々から人が集まってくる。地学質の専門家、穴掘り名人、腕っぷし自慢の男、鉱脈を読む占い師など……さて、いちばん儲けたのは誰?』

A『シャベル売り』


アーチの目線の先は、坑道の合流点にあたる狭い通路で、奥には昇降装置がある場所だ。

そこには、屈強な男たちが殺到している。この層担当の大勢の鉱夫、監督、運搬人、下の層から脱出してきた者、視察の役人。アーチを案内してきた案内人もパニックの一団に加わっていた。

我先にと押しのけあい、過剰な排除動作は、殺気のこもった殴打でお返しされる。ぎすぎすした空気はやがて血なまぐささを伴い、罵り声と怒号がエスカレートしていく。敗者もすでに出ており、肉を踏みにじる音とうめき声はセットになっていた。倒れた者は起き上がれず、殺到する男たちの体重に踏まれるがままなのだ。

「儲けたのはシャベル売りだけ。他人と同じことしてたんじゃ、金を手に入れるどころか、生命っていう大事なお宝すら、失っちまうぜ?」

肩をすくめアーチBDは他の出口を探しに歩き出した。


強気でいられたのはわずかな間だけだった。

別ルートを求めて坑道をさまよい半刻も経たないうちに、少年の小柄な身体は暑さにまいってしまう。まるで湯が沸騰しきってもなお、空焚きし続ける鍋の内側のようだ。

締め切った風呂場の数十倍の密度をもつ湯気が、発汗を許さず体内に熱をこもらせる。

(どうしてこんな……白いんだ……前が見えねー……)

彼の右手側の窪地はもともと小規模な地底湖だったが、急激な地殻の温度変化で蒸発し、すべて湯気に変わってしまったのだ。

(……そんな、長い間歩いてないのに……っ、すごい、だるい……)

すでに弱気の虫は顔を出していた。アーチ少年に決意させるのは、熱の壁を突破しようと、目を閉じ、息を止めてふらふらと前進したそのわずか数秒後の出来事だった。

「……っ!?」

目の前が眩み、額が耐えらないほど熱くなった。ジリジリいうのは皮膚が縮む音? 肌が焦げる音?

まずい、と咄嗟に両手を押し付けパンパンする。

幸い、熱さはすぐに引いた。両手にはギョッとするほど大量の眉毛がくっついている。

眉毛はすべて焦げていた。人毛を燃やす嫌な臭いに気分が悪くなる。

心臓が急にドキドキ打ち始める。

(なんだ……これは……? 火だるまになった虫でも飛んできて、くっついたのか?)

虫の死骸のようなものはどこにも見当たらない。だいたい、人間が茹だる温度の中で、小虫が生きていられるはずがない。

茶色をベースに赤みのかかった頭髪に触れてみる。前髪や毛先などがピリピリ震えているように感じられた。

(温度がすごく高いから……発火し易くなっているのかも……)

仮に小さな火の粉でも、乾ききって静電気を帯びた毛束はあっという間に燃え上ってしまうだろう。

「…………バカどもの壁も薄くなっているだろうから……仕方ない、あっちを使って脱出してやるか」

原因が判明しても、強がりを言っても、おさまらない鼓動が少年の本心を示している。


金細工アトリエの張り紙

『金のカケラは落とさないようにしましょう』

噴火中の鉱山内部に張られた訓戒

『火山の精霊どもへ告ぐ。火のカケラこぼすの禁止!』


ジョークを浮かべる余裕などなく、来た道を急いで戻るアーチBDはまもなく進退窮まった。

「おい……こんなマグマの海、来た時にはなかったぞっ」

リアルタイムで変化する坑道ハザードマップに、足止めを食らう少年は悪態をつく。強制的な進路変更にも勇ましく立ち向かおうと試みるが、だいぶん前から、声は震え、足取りは重く怯えを伴っていた。

上りの道を選びつづけたものが、ついに選択の余地もなくなり、下りしか行く場所がない。

道の先は明るく見えるが、どうみても外の明るさではない。髪をチリチリさせる熱風がのぼってきて、まぶたを開いていれば数秒で眼球の水分が蒸発しきってしまう。

こんなところ進めるはずがない……!

アーチBDはその場にしゃがみこんだ。ぼんやりと走馬灯らしきものが浮かぶ。

蘇った記憶は、彼の意地と呪詛を引きずり出した。動けなくともいまわの際に、憎んで呪ってやることはできるのだ。

アーチBDの人生は衝突の連続だった。自分を傷つける者と戦いつづけてきた。

その筆頭でありトップバッターが、彼の名付け親だ。


(教会の前に放置されていた、捨て赤子の俺を拾い上げた……神父の糞ジジイが……っ)

(……なにが、神父だ。お前のセンスは悪魔の賜物だろうが……っ)

(……なにが「ありきたりでない名前を」だっ……)

(ABCDをACBDに入れ替えただけじゃねーかっ!)

海老の方がまだマシじゃないかと、流れる悔し涙は、熱したフライパンに落ちた水滴のように、音を立てて蒸発する。

「俺は……お前がせいぜい惨めな老後を送るよう……全身全霊で呪ってやるからな……」

神父の糞ジジイは、孫誕生時にも勘違いセンスを発揮するのだ。

出産直後の嫁が『はぁ?』と白い目を向けるくらいの、奇天烈で時代遅れのネーミングなのだ。

それを機に、息子一家の態度はよそよそしくなり、神父のジジイは疎外感と孤独を味わう事になる。

……アーチBDの憎しみはまだまだ終わらない。

可愛い孫も、ジジイを白眼視する。『お祖父ちゃんね、あんたに酷い名前をつけようとしていたのよ。若い魂の足を引っ張る、古臭い呪いのような名前なのよ』と吹き込まれているからだ。

唯一の頼みは息子であるが、彼も『俺、嫁さんが怖いから』と味方になってくれそうにない。

かくしてジジイは、存命な身内に爪はじきにされる悲惨な末路を、わびしい隠居先で送るのである。


「大丈夫かい?」

肩に触れる感触に、呪詛満載の妄想中だったアーチBDは飛び上がった。

恐る恐る振り返る。黒い髪黒い瞳の持ち主が、優しい男声で語り掛けてくる。

「よくここまで頑張った。生きていてくれて……ありがとう」

相手の声はちゃんと聞こえているのに、アーチ少年はぽかんと口をあけるだけだった。

言葉の意味は分かっているのに。助けに来てくれたのも理解しているのに。返事の言葉が見つからないのだ。

「ああ、口や鼻はできれば塞いだ方がいいよ」相手は黒い服からハンカチを取り出し、アーチの顔にそっと当ててくる。「外皮の体毛はもちろんだけど、内部の体毛も着火しやすい危険があることに変わりはない。鼻の中のすすや焦げは、呼吸器の損傷に直結するからね」

やはりぽかーんと聞き流したまま、アーチBDは微動だにしなかった。

ちょっと困ったように相手が小首をかしげる。いつまでもハンカチを当てつづけるわけにもいかず、アーチの右手首を握った。

「っ!?」

大切な宝物を扱うように右手首を誘導し、ハンカチを抑える手を交代させた。

「こうしていれば安全だから、ね?」

(……な、なんで、こいつ……)

(平気な顔して俺に触れられるんだ……?)

ハンカチを抑える右手は、五本の爪が真っ黒なのに。「毒屋」の証拠を如実に示しているというのに。


安全な場所に誘導する黒髪黒服の相手は、気にした様子もなくアーチBDの手を握った。マグマの海を横切る際は、アーチ少年が体の影に隠れるように位置取りする。

薄いマグマの流れを越えるときは、少年を背負おうともする。

「あ、あんたが俺をおんぶして……こ、ここを渡るって……?」

「ほかの道は通行できなくなってしまっているから、どうしてもここを通る必要があるんだ。

俺の靴は耐熱底だから。君を背負えば誰も怪我せず渡ることができる」

アーチBDの赤銅髪の、前髪が不安そうに触れる。少年の前髪の一部も、やはり爪と同じ黒に染まっている。特殊な薬草を扱い、調合の煙や釜から発する湯気に蒸れて変色してしまう、逃れようもない彼の職業の烙印だった。

背負われ胸と相手の背中が密着するときから、心臓は早鐘のように打ち通しだった。黒い烙印の前髪が相手の首筋に触れると、マグマに振り落とされるのではないかと恐怖が一秒ごとに募った。

「……君は軽いんだな。君みたいな子供が、こんな鉱山の奥にどうして……」

「あんたなぁ……っ、子供って……俺、十七歳だぞ。普通に手に職持っている年齢じゃねーか」

「……十七歳……そうか、すまない。おれとたった一つ違いなんだな」

目を見張る黒髪の相手は、文脈から察するに十八歳ということなのか。アーチBDは推測し、いくつか浮上していた疑問を整頓することができた。

変な服と靴、あまり見かけない髪と瞳の色、妙に知識に富んでいる一方、アーチの世界にあまり精通していない様子、極めつけは、一歳違いというのにおんぶが可能な体格差。

(まあ、俺は小柄な方だけど……)

(それでもよほど栄養状態がいいとか、環境が豊かでないと、この身長はでないよな……)

180センチ近い黒髪の少年と、160センチを超えたばかりのアーチBDの背丈差。

少年の正体に疑問がわき、好奇心が鎌首をもたげる。相手と自然に会話が交わせるようになったのを、アーチBDは自覚せずにいた。


「……マグマの流れが途切れたみたいだから、もう降りてもいいか?」

「まだ先にもうひとつ流れを渡るから。すまないが辛抱してくれないかな」

「あんたとあんたの靴は大丈夫なのか?」

「ああ、心配してもらってすまないな。熱、薬、水、油に強いベーシックソールで、芯には鋼線も入っているタイプだ。おれの住んでいた地域は、風向きで火山灰が積もったから、普通のスニーカーでも耐熱構造になっているものが多い。身に着けたものは失われず転生できたのは幸運だった」

「……………転生…………」

異世界転生。言葉は知っていたが、実物に出会ったことはこれが初めてだ。

それでも、やはりという思いが胸に去来した。

自分をおんぶする相手が、異世界からの稀客だとすると……先のいろいろな疑問に片が付くのは確かなのだ。

「あんた、異世界からやってきたんだ……? だから、そんな服と靴。髪と瞳もあまり見かけない色で……変に知識が豊富だったり、この世界についてはまったくの無知……だったりするのか」

「ああ、そうか、すまない。領主の館で急使を聞いた直後に飛び出してきたから……通行人にジロジロ異端視されていた制服姿のままだった。髪や目も、君がそう言うほどには珍しい色なのだろう。

君の警戒を解かないまま、手を取ったり、背負ったりして……怖かっただろう? 配慮のないことをした、すまない」

(……いや、俺は別に警戒とかしてなかった……)

(毒屋の俺に躊躇なく触れるから驚いただけで……)

(それに、あんた)

(もう四回もすまないを言ってるぞ……)


「おれの名前は矢巻智治。十八歳。地球の日本という地に居たが、そこで死んで、この世界に生まれ変わったそうだ」

(……ヤマキ、トモハル……)

「知らない町中に放り出され、途方に暮れるしかなかった無能なおれを、親切な町の人や、衛兵さんが親切にも誘導してくれたんだ」

警戒を解くように、身の上話をする矢巻少年。

(俺はもう……警戒なんか……してないんだけどな)

「地方を治めるだけある領主さんも、何もできない若造のおれに問いかけ、使い道を見出してくれた。彼らの誠意に報いるためにも、おれは今度こそ……人を助けることに全身全霊を傾けるんだ……」

躊躇いながらアーチ少年が口を開こうとしたとき、ぽふんと地面に降ろされる感覚があった。

坂の先には頑丈そうな金属製の一枚扉がある。矢巻の説明によれば、採掘所と工事事務所の境界扉でに当たるそうだ。内部の事務所は、現在避難所の役割を担っている。外につながる出入口も事務所の奥にあり、とりあえず安全は確保できそうだ。

アーチBDが扉への上り坂を一歩踏み出す姿の鏡像のように、矢巻智治少年は、来たばかりの道を戻っていこうとする。

「……はぁっ!? あんた何しているんだよっ、避難しないのかよっ」

「おれはもう一度見回ってくる。まだ逃げ遅れている人がいるかもしれない」

軽やかに言い残し、異世界の少年の姿は、火の粉と熱気が渦巻く中にかき消える。完全に姿が消えてもなお立ち尽くし見守るアーチ少年は、胸に生じた鈍い痛みの意味をまだ知らないでいた。

(……そういや俺、お礼を言ってないぞ)

(あ、名前もっ。向こうが一方的に名乗っただけで、俺の名前、伝えてない……っ)

後者がより強く、もどかしく心に訴えかけてくる理由を理解するには、まだまだ、アーチBDは自分自身と向き合えていないのだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ