第4話 【神対応】
「上位の悪魔が頭を下げるのか。それも、ただの人間に」
オックスが、警戒してるふうに言った。
「ただの人間ですと? ハーッハッハッ、ご冗談を」
悪魔は大仰に仰け反って見せる。
「生まれながらに神の祝福を身に宿し、40年もの間、幾多の誘惑をはねのけて、七つの大罪を何一つ犯すことなく、さらに人間の業により、天寿を全うせしあなた様が、ただの人間ですと? 我が輩、こんな冗談を聞いたのは、実に500年ぶ……」
「アッハッハッハッハッハッ!」
唐突な笑い声が、悪魔の演説を遮る。
拘束されたまま笑うのは、天使フェルミンだ。
「愚かなり、悪魔ブラセオッ!」
「んーどうしたんです? 急に元気になっちゃって」
悪魔が面白そうに言った。
「その者は、たぐいまれなる善の者ぞ。悪魔の甘言なぞに、耳を貸すと思うてかッ」
「思うから来てるのですが?」
悪魔が、不思議そうに小首を傾げる。
「なにッ?」
「ほら、お迎えひとつを取ってもわかりますよね? 三下天使と超一流悪魔。どちらを選ぶかなんて、考えるまでもないでしょう」
「三下……だと?」
「しかも天使ちゃんってば、上から目線で『名誉に思いなさい』ときたもんです。お前は何様だって話ですよ。まさか神様気取りですか? たかだか〝四翼〟ごときが」
「ぐッ……そ、それは……」
「でも、まぁ――」
クルリと、悪魔は首だけをオックスへ向け、
「決めるのは、結局のところ、彼ですよね」
天使と悪魔の視線が、オックスに集まる。
オックスは言う。
「では条件を聞こうか」
∮
「いいですねぇ。盛り上がってまいりましたッ!」
悪魔が揉み手をして喜ぶ。
天使は顔面蒼白となる。
「オックスよ。どうしたというのですッ? 条件などと、あなたらしくもないッ」
「コホン、我が輩の提示する条件は――あなたには、人間として地上へ戻って頂きます」
「ハッ、それのどこが条件だッ! オックスよ、天界は初めからあなたを〝四翼〟の天使として迎え入れる準備が……」
「悪魔ブラセオよ。詳しい話を聞こう」
「お、オックスッ! なにを言ってッ! 悪魔の……ムグッ」
天使の口を、蛇の猿ぐつわが封じる。
「天使ちゃんってば、何もわかってないんだから黙ってなさい。――オックス君、あなたを悪魔として迎えるには、魂を悪に染めて頂く必要があります」
「もっともな話だな。だが、悪に染める? 具体的には?」
悪魔は、にんまりと嗤う。
「やはり、代表的な悪徳といたしましては、七つの大罪でしょうか」
「憤怒から始まる、例やつか」
「そうです、それに加え、なんといっても、今一番ホットでクールかつトレンドな悪徳は、ずばり〝復讐〟ですッ」
「復讐……」
「そう復讐……復讐、復讐、復讐、復讐、復讐、フクシュウ、ふくしゅう……あぁ、なんと蠱惑的な響き。どんな苦境も、極上のエッセンスへと変貌させうる、至高の娯楽……。裏切った者を、殴り、刺し、潰し、焼き、穴という穴を、犯して殺すのです。あなたには、その資格があるッ。楽しむ権利があるッ。魂を悪に染めなさい。薄ら暗い感情で満たすのです。さすればあなたは、我が輩と同じ十翼の大悪魔として、熱烈な歓迎を受けることでしょうッ」
悪魔はハァハァと息を荒げて、恍惚とした表情を浮かべる。
オックスは冷ややかに言う。
「それだけか?」
「とーんでもありませんッ」
悪魔がパチンと指を鳴らす。
すると、いくつもの黒い波紋が床に広がっていく。
そのひとつひとつから、人影が現れた。
その数7人。
「我が主の御心のままに」
現れた女達が、声をそろえて言った。
「従魔として、ご用意させて頂きました。――男の方が好みならば……」
「いや、いい」
この拒否は反射的だった。
頭浮かんだのは、リウムの肩を抱いて醜悪に嗤う、ロジウムの姿だ。
オックスの心に、不可解な感情がわき上がる。上手く言語化できない。
「全員悪魔、だな」
「お察しの通りでございます。――お前達、新たな主人に、ご挨拶なさい」
パチン、と大悪魔ブラセオが指を鳴らした。
めまぐるしく景色が変化する。
∮
気がつくとオックスは、荒野に投げ出されていた。
一瞬で汗が額ににじむ。かなりの気温だ。
「転移魔法だとッ? まさか実在していたとは」
悪魔や天使は、空間を跨ぎ移動する術と肉体を持つ。
しかし人間は、今いる空間を越えることはできない。
それを可能にするのは〝ゲート〟と呼ばれる門を作る〝転移魔法〟だ。
だがそれは〝神話〟の中だけのこと。
実際には存在しない奇蹟の魔術である、とオックスは思っていた。
今までは、だが。
「ん? またか……」
首から下が動かなくなる。
無駄な抵抗はせずに、見える範囲で周囲を確認する。
荒涼とした灼熱の大地は、遙か先にある地平をさらけ出している。
色といえば、点在する灌木が、単調な風景に淡い彩りを添えるのみ。
むき出しの太陽が、視界にあるささやかな凹凸に、短い影を作る。
そんな中、大悪魔ブラセオ(羽は消えている)が静かに立っている。
礼服を着て涼しげに佇む姿は、異質さを際立たせていた。
オックスの視界に映る人物が、もう1人。
袖のない毛皮のドレスに身を包む女悪魔だ。
こちらは、不思議なほど風景に馴染んでいる。
この場所で生まれ育ったと言われても、すんなり納得できる。
「初めまして、オックス様」
粗野な外見のイメージとは裏腹に、短いながらも礼を尽くした挨拶だ。
髪は金と黒のストライプ。
筋肉質な女悪魔だ。武器は持っていない。
「あーしは……」
その時、巨大な何かが中空から現れようとしている。
またしても転移魔法か。奇蹟の大安売りだな。
しかし、こいつはまさか……。
「クロムホーンだとッ!」
オックスが驚愕して言った。
現れた巨大な魔獣は【クロスホーン・ゾアーク】だ。
長く堅い角で敵を粉砕する、危険度Aクラスの準レアモンスターだ。
オックスも一度だけ、討伐に参加したことがある。
対象は、目の前のこれよりも、小さいサイズだ。
それでも体長はオックスの五倍以上で、10メルはあった。
討伐は成功したものの、そのとき12人いた冒険者の内の、3人が死亡した。
眼前にいるのは、体長15メルを越えるだろう。
どぉぉぉぉぉぉんッ!
轟音と共に着地するや、クロムホーンは、
「ぐおぉァァァァァッ!」
威嚇するように吼えた。
ビリビリと大気が震える。
数十秒の咆吼を終えると、眼前の女悪魔を見据える。
状況を図りかねているのか、警戒しているのか、その場を動かない。
「どうしたんすか? かかってくるっすよ。ホラホラ、武器は持ってないっす。怖くない、怖くないっすよ」
女悪魔が、にこやかに、両手をヒラヒラさせる。
言葉がわからないなりに、意図だけは伝わったのか。
女悪魔の挑発に、魔獣は怒りを持って応える。
一気に加速して、突進する。
ニヤリと笑う女悪魔も、魔獣に向かって走り、
「フンッ!」
跳躍した。
信じられない高さまで飛び上がる。
見る間に右腕が、虎縞に巨大化していく。
それを魔獣の頭に――、
「行くっすよぉッ! どりゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
振り下ろしたッ!
バキィィッ!!
クロムホーンの頑丈な角が、根元からへし折れた。
女悪魔は、魔獣の頭を踏み台にして再度高く舞い上がる。
白目を剥いた魔獣は、惰性で2,3歩あるくと、大きな音を立てて倒れた。
バサッ、宙を舞う女悪魔に、黒い羽が生えた。
その数4枚。
ほう、とオックスは感嘆の声をあげる。
天使の登場シーに比べると、あざとさがない。
素直にかっこいいシーンだ。
おっと、陰口はいかんな。
だが、どうにも、あの天使は虫が好かない。
しかし、悪魔とはどれほどの力を持つのか。
まさか、クロムホーンを一撃とはな。
しかも、まだ力の底を見せていない。
フワリ、女悪魔は魔獣の上へ着地すると、
「あーしは【暴食】の四翼、名は〝ボーリ〟っす。《以後あなたに忠義をささげると誓います》」
殺し合いの勝者は、肥大化した右手を胸に当てて、恭しく礼をした。
前半は親しげな、後半は儀式めいた口調だ。
「オックス君、相手の名前を呼んで、忠誠の許可を与えて下さい」
悪魔が言う。
フッと、オックスの身体が拘束から解かれる。
なるほど、儀式だったか。
「許可、か。よし。――《【暴食】の悪魔ボーリよ。私に忠誠を誓うことを許可する》」
我ながら偉そうだな、と思いながらのセリフだ。
すると、胸の奥にーー肉体ではなく、魂の胸の奥に、熱い何かが入り込んできた。
【暴食のボーリ】は頭を上げると、これからよろしくっす、と馬車で相席をするかのように言った。
「これは……」
胸を押さえるオックスに、悪魔ブラセオは言う。
「それが〝従魔契約〟です。これでオックス君と【暴食】のボーリは魂レベルで繋がりました」
「悪魔と魂でつながる、か」
「デメリットは少ないはずですよ。メリットに比べれば、ですが」
「デメリット? その説明は、契約前にするべきだな。――具体的には?」
「従魔の生命維持に、多少の魔力が必要になる――デメリットとしては、これくらいですな。しかし、この程度は、説明するまでもなく想定内では?」
「まあ、な」
「さて、次に参りましょう。では……」
「あのぉ」
悪魔ブラセオの言葉を、悪魔ボーリが遮る。
「ん? どうしたのです、ボーリ?」
「あーしは、これ食べてから戻るっす。もったいないっすから。ジュルリ。だってもったいないっすからッ」
「に、2回も言わなくてよろしい。う、うむ、なるべく早く戻るように。――コホン、さて次は……」
ブラセオは引きつった顔で、パチンと指を鳴らした。
一瞬で景色が変わる。
場所は変わり、薄暗い建物の中にオックスは立っていた。
さて、次は何が出てくるやら。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「あ、あの、しゃべる魔獣もいるんですよね。どうしてそんなに驚くんですか?」
わたしの質問に、冷静さを取り戻した受付の女性が、話してくれた。
震えながら、ぎこちないながらも、笑顔を浮かべている。
受付さんはプロフェッショナルだった。
プロの受付さんがいうには、こうだ。
・たしかにしゃべる魔獣は存在する。
・しゃべるといっても、普通は片言しか話せない。
・流ちょうに話せる魔獣は、伝説クラスの魔獣である。
・伝説クラスの魔獣を連れた人物もまた、伝説クラスである。
・わたし達二人は、どう見ても伝説クラスには見えない
・どゆこと? と受付さんの頭がパンクした。
・ヤダ怖い! と受付さんシャウト。
受付さんは話しながらも、ずっと警戒している。
受付さんにとって、お母様は、今も正体不明の魔獣なのだ。
もう取り返しはつかないなぁ。
嘘を重ねてぼろが出るよりましだ。
一部、本当の事を話そう……
わたしは
・お母様は魔獣ではなく人間で、呪いによりこの姿になっていること。
・二人とも一部記憶が無く、身分証も紛失していること。
・この村で仕事をさがしていること。
・馬小屋は臭い。
・ご飯が薄味だ。
以上のことを、時間をかけて説明した。
本当のことを、一部とはいえ、暴露したからだろうか。
わたしの気持ちが、少しだけ軽くなっていた。
さりとて、普通に考えて、怪しいことこの上ない二人組である。
日本なら即座に、パンダのような車で連行だ。
――そして、カツ丼をおごってもらったりして……。
カツ丼か……。ゴクリ。
た、食べたいなぁ。
「なるほど……そう言うことでしたか。それは大変でしたね。では、お二人には、仮の身分証明書を発行します。それをお使いになり、仕事をなさってください。今日から宿にも、普通に泊まれますよ。
「三ヶ月は、トラブルを起こさないでください。そうすれば、この村の正式な身分証明書が発行されます。もちろん三ヶ月経っても、問題は起こさないように。食事は『馬のたてがみ亭』という食堂がおすすめです。そこの『ボアシチュー』は絶品です」
なんとこれは、すべて受付さんの独断だ。
受付さんは、わたし達の言葉を信じた。
信じて、身分証明書まで発行してくれた。
なんということでしょう!
こんな柔軟対応、日本でもあり得ない。
か、神対応だ。
驚かせてしまったことを謝罪し、わたしたちは仕事の斡旋係へ向かった。
――お母様のおかげで、なんとかなった!
お母様が、機転を利かせて話してくれなかったら……。
さすがです! さすがです、お母様!
★
斡旋場は、大勢の人で賑わっていた。
わたし達は、掲示板に向かった。
受付さんから、大体の説明は受けている。
今募集している仕事は、全て掲示板に張り出されている。
やりたいと思った仕事が書いてある紙、その紙をとって、係の人に出せばいいのだ。
ふ、楽勝である。
お母様とわたしは、掲示板に群がるごつい人たちを、かき分けかき分け前に出た。
お母様が進むと、道ができるので楽だった。
理由は推して知るべし、だ。
マッチョな男性に囲まれても、わたしの男性恐怖症は発動しなかった。
治ったのかな?
もしかして女神様が治してくださった?
「チッ、押すなよ」
男性に軽く怒られた。
足が、ガクガクと震えた。
……治っていなかった。
掲示板にはいくつも張り紙があった。
不思議な文字で書かれていた内容は、全て理解できた。
日本語も不自由だったわたしが、異世界語を習得していた。
やったね、サチコちゃん!