第1話 【絶叫スタートの異世界生活】※挿絵『サチコ&お母様』
1話の前日譚はエピソード1-1~エピソード1~3です。
オックス君を、ひと言で、ですか?
ふむ……やはり『善の人』ですかね。
『善人』とは少々……いえ大分違いますよ?
『善人』とは、『人のいい人』です。
これは、我が輩達の、カモとなる人種です。
極上の獲物のことです。
対して、オックス君は『善の人』。
つまり『善いことをするために生きている人』です。
言うなれば、頭のおかしい人です。
気が違っている人だったのです。
彼は常に善行を成して、世の悪徳を憂いました。
笑ってしまいますな。
我が輩とは、面白いほど真逆であります。
そんなオックス君は、生まれながらにして祝福を受けていました。
しかも、あの(憎々しい)全能神ローレンシアの祝福を、です。
『神の加護』(笑)を授かっていたわけですな。
まったく、嘆かわしいことです。
加護のおかげで、魔力の量が常人より多く、魔術の習得も早かったようです。
全能神の加護にしては、しょっぱい特典だとお思いでしょう。
当然、(忌ま忌ましい)全能神の加護の効力は、それだけではありませんよ。
まぁ、それについては別の機会に。
オックス君は、生まれ持った祝福や才能にあぐらをかくことなく、鍛錬に励みました。
そして10代にして、最高の魔術師となったのです。
ブラボーッ!
まったくもって素晴らしいですな。
しかし、ダメです。
その後がよくありません。
ええ、よくありませんとも。
力を得た者が歩むべきは、傲慢の道です。
いいですな。『傲慢』。
我が輩の大好きな『罪』です、はい。
おっと、話が逸れましたね。続けます。
ですが、オックス君は、謙虚、そして堅実でした。
それはもう、頑ななまでに、謙虚に生きました。
『傲慢』の罠に、彼は嵌まらなかったのです。
実に腹立たしいですな。
なにが彼を駆り立てるのでしょうね。
我が輩からすると、狂気としか言い様がありません。
驕らず、偉ぶらずに、その力は、いかなる権力にも組みすることはありませんでした。
20歳になる頃には、オックス君の名が国中に広まります。
多くの救いを求める声が、彼の元へ集まります。
彼は寝る間も惜しんで、嬉々として働きました。
村を襲う盗賊を、街道を跋扈する魔獣を、人心を拐かす魔族を、彼は退けました。
いわゆる、献身というやつでしょうか。
まったく虫唾が走りますな。
人々はオックス君に感謝しました。
可能な限りの金銭を、喜んで差し出しました。
まぁ、当然ですな。
金銭だけじゃなく、蓄えた食料や、豪華な邸宅を。
中には自慢の娘を、差し出した者もいました。
ふむ……、単純な善意や、純粋な感謝とは言えない贈り物も多々あったでしょう。
ここには少しばかり、打算や計略の色が混じってますな。
欲にまみれた臭いがします。
プンプン臭います。
そして、ククク……我が輩でなくとも、おわかりでしょう。
これは『暴食』『強欲』『色欲』『怠惰』を充たす絶好の機会なのです。
普通の人間ならば、食を貪ります。
財を溜め込みます。
色に耽ります。
そして堕落のぬるま湯を、心ゆくまで堪能するはずなのです。
これが、通常ルートです。
正しい道なのです。
なのに。
なのに、ですよ?
オックス君は、全 て を 断 っ た の で す 。
クレイジーです。
とても人間とは思えませんな!
自らの生活費は、魔獣を狩って、素材を売って賄いました。
その金銭すらも、貧困に喘ぐ者達へ、可能な限り分け与えたのです。
……我が輩、ただただ絶句であります。
オックス君は、粗末な衣服に身を包みました。
質素な食事を取りました。
雨風が防げるだけのあばら屋に住んだのですよ?
オーマイゴッ……ではなく、オーマイデーモン!
30歳になると、オックス君は聖人と呼ばれるようになります。
そして、彼の元へ、大勢が教えを請いに集まります。
その全てを、彼は受け入れたのです。
弟子が増えれば増えるだけ、暮らしはさらに貧しさを増します。
ですが、彼は幸せそうでした。
ここです。
ここですね。
オックス君がミスを犯したとすれば、ここでしょう。
彼は見誤っていたのです。
凡人の『嫉妬』や『憤怒』などの悪感情を……。ククク。
やがて時は経ち、オックス君は40歳の誕生日を迎えます。
そして、オックス君の生誕を祝う食事会が催されたのです。
参加者は『古参の弟子8名』と『オックス君』のみ。
例年通りの、それはそれは、ささやかな宴でした。
ククク。
ささやかな、ねぇ?
ん?
なんですか?
我が輩が誰かって?
慌てないで下さい。
すぐにわかりますよ。
すぐにね。
ククク……クックックックック……。★★★★
「…………ん…………チコさん」
――お母……様……?
さっきまで、ものすごく、リアルな夢を、見ていた。
なんと、女神様と、お茶を飲む夢だった。
気付くと、背中が、ゴリゴリと、痛かった。
――あれれ?
敷き布団も、枕も、掛け布団も、ない。
――え? え? どういう……
「うっ!」
強烈な光が、目に飛び込んだ。
――え? なに? どうして、こんなにまぶしいの!?
状況が、まったくわからなかった。
――えぇっ? これは、太陽の光? こ、ここって、外なの?
右手をついて、起き上がろうと……。
――え? これは……草? た、たしかに、草の匂いがする!
手には、草の感触、そして、周囲から、濃い草や、土の匂いがした。それに……。
――それに、この臭いは…………獣臭?
「サチコさん! 大丈夫?」
また、お母様の声だ。
逆光でわからないけど、ぼんやり、人影がある。
「お母様? ここは……へっ?」
人影は、人の影ではなかった!
「ふぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
わたしは、今まで、出したことのない声で、叫んだ!
「ヒィ! ヒィ! ヒィ! ヒィ! ヒィ! ヒィ! ヒィ! ヒィ! ヒィ! ヒィ! ヒィ! ヒィ! ヒィ! ヒィ! ヒィ! ヒィ! ヒィ! ヒィ! ヒィ! ヒィ! ヒィ! ヒィ! ヒィ! ヒィ! ヒィ! ヒィ!」
全身茶色の化け物も、叫んだ!
「ひぃぃ!」
わたしは、座ったまま、後ずさった。
五メートルほど下がると、自分の腰に、なにかがあることに、気付いた。
――こ、この刀……いや、剣は……
化け物は、絶叫を終えると、元いた場所から、動かないまま、頭を抱えて、震えている。
わたしは、未だかつてないほど、ブルブル震える手で、剣を抜いて、立ち上がった。
「ば、ば、ば化け物! 近寄らないで!」
剣を向け、叫んだ。
震える剣の先では、化け物が、頭を抱えていた。
――え? わたしに、怯えて……る? あれ? この化け物って……あ! そうだ!
わたしは、その化け物に、見覚えがあった。
茶色い体毛の、大きなお猿さんだ。
――たしか、動物園で見た……オラウータン……だっけ?
正体がわかると、少しだけ、安心した。
頭を抱えて震えている、オラウータンを見ると、不思議と、冷静にもなれた。
と、同時に、ひどく怯えるオラウータンが、かわいそうなった。
わたしは、警戒を緩め、剣を、おっかなびっくり、鞘へ収めた。
――この剣って、たしか、夢の中で……
いやいや、今は、それどころじゃない!
お母様を、探さなきゃ!
お母様、どこにいらっしゃるの? それに、このオラウータンは?
「大きな声を出して、ごめんなさい、驚かせちゃったわね」
わたしは、努めて冷静に、声をかけた。
「いきなり、目の前にいたから、びっくりしちゃった」
オラウータンが、ゆっくり、こちらを、向いた。
なにか、言いたそうな目をしている……ように、見えた。
「ねぇあなた、もしかして、お母様が、どこにいるのか知ってる? って言っても、わかんないか……はは」
すると、オラウータンが……。
「サチコさん」
わたしの名前を呼んだ。
「ふぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
わたしは、今まで、一回しか、出したことのない声で、叫んだ。
「ヒィ! ヒィ! ヒィ! ヒィ! ヒィ! ヒィ! ヒィ! ヒィ! ヒィ! ヒィ! ヒィ! ヒィ! ヒィ! ヒィ! ヒィ! ヒィ! ヒィ! ヒィ! ヒィ! ヒィ! ヒィ! ヒィ! ヒィ! ヒィ! ヒィ! ヒィ!」
オラウータンも、叫んだ!
★
「お、お、お、お、お母様!? その、お姿は、いったい!?」
「さ、サチコさんこそ、ど、ど、どうしたの!?」
「え? わ、わたし、なにか変ですか?」
「変だよ! ものすごく、若返ってるよ!」
「えぇぇぇっ? わ、若返ってるぅぅ!?」
「わ、わ、わたしは、どうなってるの? ど、どうして、全身毛むくじゃらなの!?」
「お、お母様の方は……あの……その……」
「ハッキリ、言っておくれ!」
「あの……オラウータンです……」
「お、お、お、オラウータン!!?」
そのとき、頭上から、ひらひらと、白いなにかが、舞い落ちてきた。
――これは……?
地面から、恐る恐る拾い上げた。
――これは紙……だよね?
A4サイズの、白紙の、紙だった。
「サチコさん! 裏に、なにか書いてあるよ!」
お母様の言葉で、わたしは、紙を裏返した。
『オラウータンじゃありません。オランウータンです。 女神より』
紙には、日本語で、そう書かれていた。
「女神…………えぇぇぇ! 女神ぃぃぃぃぃぃ!?」
――あ、あれは……夢じゃなかったの!?
「お、お、お、お母様! 女神様……白いドレスを着た、女性のことを、覚えてますか!?」
「えぇ!? どうして、サチコさんが、わたしが見た夢を、知ってるの!?」
「お母様……実は……夢じゃなくて、あの方は、女神様みたいなんです……すみません」
「えぇぇぇぇ! 夢じゃないの!? あ、あのハレンチ女は、本物の女神!?」
「みたいです。……すみません」
「ど、どうして、女神が、わたしを、オラウータンに、変えるのさ!」
「す、すみません! ど、どうしてでしょう?」
――あのとき、お母様が、女神様に、詰め寄ったから? え? 狭っ! 心狭っ!
やさしそう人に、見えたんだけど……ん? あれは……?
そのとき、頭上からひらひらと、紙が舞い落ちてきた。
『オラウータンじゃありません。オランウータンです』
日本語で、また、そう、書かれていた。
「はぁ!?」
それを見たお母様がブチ切れた。
「ふざけんじゃないよ! オラウータンだろうが、オランウータンだろうが、どうでもいいだろぉぉ!」
すると、また、ひらひらと、紙が……。
そこには……やはり、同じ文言が、書かれていた。
「ちくしょー!!! オラウータン! オラウータン! オラウータン! オラウータン! オラウータン! オラウータン! オラウータン! オラウータン! オラウータン! オラウータン! オラウータン! オラウータン! オラウータン! オラウータン! オラウータン! オラウータン! オラウータン! オラウータン! オラウータン! オラウータン! オラウータン! オラウータン!」
お母様が叫ぶと、空から、ひらひら、ひらひら、ひらひら、ひらひら、ひらひら、ひらひら、ひらひら、ひらひら、ひらひら、ひらひら、ひらひら、ひらひら、ひらひら、ひらひら、ひらひら、ひらひら、ひらひら、ひらひら、ひらひら、ひらひら、ひらひら、ひらひら、紙が、舞い落ちてきた。
22枚の紙には、案の定、同じ文言が、書かれていた。
女神様の、粘着質な性格を垣間見て、ゾッとした。
敵に回すと、一番やっかいなタイプだ。
――意味がわからないけど、ここは穏便に……あれ? お、お母様?
お母様のつぶらな瞳は、怒りに燃えていた。
「……一筋縄じゃ、いきそうにないね」
なんと、お母様は、この状況で、戦意喪失していなかった!
さすがです! さすがです、お母様ぁぁぁ!