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蝶々夫人の真実、明治の日本人女性と外国人男性の結婚の真相

作者: 舜風人

蝶々夫人の真実、日本人女性と外国人の結婚






らしゃめん、洋娼婦、幕末・明治のころ、多くの外国人男性が日本に来ました。

         その外人の要望を満たしたのがラシャメンです。


         下級の外人はもっぱら外人相手専門の遊郭で一夜限りの関係を、、

         上級の外人は妾として家を当ててそこに囲ったと言われます。

         上級の囲い妾には子供も生まれました。


         シーボルト、グラバーなどがそうです。

         よく言えば国際結婚ですが、当時はそういう正当な結婚ではなくあくまでも、

         現地妻だったのです。その証拠に、シーボルトは帰国後正式な結婚をして

         お滝さんとは縁を切ってしまったわけですからね。


当時の実態を伝える文献としてはたとえば、


ピール・ロチの「マダムクリザンテーム」(お菊さん)とか「お梅が三度目の春」などに描かれています。


フランク・ハリスの[my life and love](わが生と愛)などに登場する


芸者ガールなどがそうなのでしょう。


あるいは最近の映画作品ですが「ぼっけえきょうてえ」などもその辺に題材をとったホラー作品ですね。

2006年、「マスターズ・オブ・ホラー」シリーズのひとつとして三池崇史監督がその辺をうまくホラー化していますよ。



         さて当時こんな蝶々夫人のような

         愛に準じるような、らしゃめん、現地妻?がいたのでしょうか?

         日米両国の国旗を子供に持たせて

         自分は自害し果てるような日本女性がいたのでしょうか?

         これは実話ではないのですね。


         あくまでフィクションです。

         幕末当時長崎には500人の洋娼婦が居たそうです。

         長崎奉行は鑑札を出して外人専門の娼婦を区別していたのですね。

         それ以外にも、外人相手に田舎から出稼ぎで来ていたもぐりのらしゃめんも

         いたそうですから、実数はもっと多いでしょう。

         持ちろん稼ぎの良い仕事として来ていたわけです。


         唐人お吉もそんな一人だったのでしょうか。

         ハリスは看護婦?を要求したようですが

         幕府の役人は気を利かせて?現地妻を送り込んだのです。

         

もちろん、こうしたらしゃめんは、差別の対象でした。


唐人お吉はその後、自殺していますし、お滝はシーボルト帰国後は結婚離婚を繰り返していますね。


また、らしゃめんになることを恥じて「ふるあめりかに袖は濡らさじ』とうたった太夫さえいます。



やがて明治も時代が進み、


ラフカディオ・ハーンのような日本に帰化して正式に日本女性と結婚する外人も現れますが。

あるいはモラエスのように徳島で「オヨネとコハル」と結婚生活をして日本に骨を埋めた人も出てきたのです。


反対に、外国に嫁いだ日本女性は


モルガンお雪。モルガン財閥の夫と派手な外国暮らしをしました


ラグーザ玉。イタリア人の画家と結婚してイタリアへ移住。


クーデンホーフ光子、クーデンホーフ伯爵の正妻になりました。なども、


明治の女性でしたから祖国愛はすごくて、


ニッポン恋しやと、


望郷の念を終生、忘れることはできなかったようです。


さて時代は進んで


敗戦後の日本。



進駐軍が大量に来ました。


そこでパンパンという女性があらわれました。

要するに洋娼婦ですね。

その実態はこんな映画で窺うことができるでしょう。



『肉体の門』(1947年小説、田村泰次郎原作)

『夜の女たち』(1948年映画、溝口健二監督、田中絹代主演)

『恋文』(1953年映画、田中絹代監督、森雅之・久我美子主演)

『女ばかりの夜』(1961年映画、田中絹代監督、原知佐子主演)

『ゼロの焦点』(1959年刊行、1961年・2009年映画化、1961年・1971年・1976年・

   1983年・  1991年・1994年テレビドラマ化 松本清張原作)





殆どはその場限りの関係で結婚にまで進んだケースは少ないようですが。


そして子供ができるとアメリカ兵は帰国してしまって音沙汰なしというのがほとんどでした。


こうした混血児は「エリザベスサンダースホーム」でご存じのとおりです。




なかにはアメリカ兵に見初められて、正式に結婚して、アメリカに渡った


いわゆる「戦争花嫁」war bride もいましたが。


さて現地にいって見ると、親戚が『なんで敵国の東洋人女なんかつれてきたのだ』と


猛烈な差別で、自殺したり、離婚させられたりと苦難の道を歩んだ女性も多かったそうです。



この辺は映画『東は東」japanese war bride(山口淑子主演 )という古いアメリカ映画に詳しくえがかれていますね。



そもそもアメリカには

「 異人種間結婚禁止法」という法律がありました。


あの、人権をいつも国際社会で声高に叫んでいる、


他国の人権侵害をいつも糾弾し続けているアメリカが、


つい、この間までこういう法律を温存させていたのです。


合衆国法としては1967年に廃止されたようですね。


とはいえ1967年まであったことのほうが驚きますが。


私も知る限りでは、「異人種間結婚禁止法」というのは、


黒人および黒人の血を引く人種との結婚が禁止されていたようですね。


東洋人やインディアンについてはどうなのでしょうか?


おそらくこの法律に抵触することだけは確かでしょうね。


以下引用です、


『ネヴァダでは、1958年に、白人男性と日系人女性との結婚に対してペレス判決を判例として州法を違憲とみなし婚姻証明の発行を命じる判決が地方裁判所で出され、翌年、州議会は禁止法を廃止した。また、アリゾナでも1959年に白人女性と日系人男性が起こした訴訟で、禁止法が違憲とされ結婚を認める判決が出された。その三年後に、アリゾナ州議会は禁止法を廃止した。こうして、西部・中西部の全ての州が異人種婚禁止体性からの脱却を果たした。国連総会で、アメリカ合衆国も賛成した人種差別撤廃条約が採択された1965年末の時点で、引き続き禁止法体制を維持したのは、南部17州のみとなっていた。』





そもそもなぜこの、法律ができたかといえば、


もちろん白人優位主義です。


遺伝的に白人が優れているという誤解?に基づいているわけです。


その過激派がKKK団ですね。


遺伝学的に白人が優秀ということはありえないと思いますが、


そこがこの法律の出発点ですから、


誤解と偏見の怖さですね。


白人と黒人の男女が同室したただけで、


逮捕です。


合衆国法では1967年で廃止ですが、



何しろアメリカという国は、


州の自治権が圧倒的に強いです、


州法があり州兵がいます、


州兵はちょっとした小国の軍隊ほどの軍備さえ持っています。


ですから、いくつかの州では2000年までも、



異人種間結婚禁止法が州法として存続していました。


さすがに今現在はどの州にもなくなったようですが、


あの人権国家アメリカの恥部を見たような気がするのは私だけでしょうか?




さてそんな時代を経て今や


テレビはハーフのタレント花盛りですね。


ベッキー、ジョイ、など人気者ですが


日本のこうした国際結婚の歴史をたどると、



ここ迄来るのも大変だったことがうかがえることですね。



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― 新着の感想 ―
[一言] シーボルトは、最初の帰国も一時的なものでまた日本に来るつもりがシーボルト事件で国外追放になり(その際も日本から一生出ないでも良いと言ったのだった記憶が)、滝を呼び寄せる為にヨーロッパの色々な…
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