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ロンリーの唄

作者: ゆき猫

  隣で眠っている猫の身じろぎで目が覚める。意識が覚醒していくと同時に、私は毎日絶望を感じるのだ。“あぁ、また朝が来てしまった”と。階下で響いている生活音を聞いて重い体を無理やり起こし、また眠りにつこうとしている猫に布団をかけてやってから階段を降りる。

  母親と父親がいる空間に足を踏み入れる前に目をつむり、大きく息を吸ってこれからの出来事に耐えるための準備をする。ドアを開けるといつもと同じ様に母親のナイフの様に鋭い言葉が飛んできた。

  幼い頃は躾と称した暴力を用いていた両親は、私が大きくなった今は「言葉」という武器で私を無自覚に傷付けるようになった。母親は休むことなく捲し立てる。心が悲鳴をあげるのを感じ思わず顔をしかめた。その様子を見た母親と父親は私の反抗心と捉え、更に「否定の言葉」という見えないナイフを投げつける。

  逃げてしまえばいいと言う人もいるかもしれない。だがそうした所で何も変わらないことを、更に悪化させるだけだという事を私は知っているのだ。反抗する力なんて私にはもう残っていない。私に出来るのは、ただ親の放つ言葉がおさまるのをじっと待つだけだ。これが私が習得した自分を守る方法だった。


  両親の機嫌が良い時、彼らは猫なで声で私を持ち上げる。だが私にはどうしてもそれが嘘くさく聞こえてしまい、声を聞くだけで鳥肌が立つ。それでも傷付くのは怖いため両親の機嫌を損ねてしまわぬよう、出来は悪いけれどよく気が利く子供を一生懸命演じる。否定されないように上手く笑って立ち振る舞おうとする。しかし時々思い出してしまうのだ。親からの否定の言葉と、親が広めた否定の言葉で構成された私の、周りからの評価の悪さを。

  今までの行動を否定されてしまった気持ちになり、周囲の視線が気になり体を上手く動かせなくなる。私の中は恐怖で一杯になってしまう。そうなってしまうと、もうどうしようもないのだ。ただうずくまってその恐怖と悲しさの波が去るのを待つしかない。私は自分がどうしようもなく汚く感じ、誰よりも何よりも嫌いだった。口を開こうとしてもいつも肝心な言葉は外に出てくることはなく、いつしか私はこの世から消え去ってしまう事ばかり願うようになっていた。


  私の両親は泣く事を許さない。だから両親が一通りナイフを投げ終わり気が済んだ後は、必ず笑顔を求められる。その要求を私はいつも上手く飲み込むことが出来ず、それは更に親を激情させる原因となった。誰も見ていない所で口角を指で上げ、形だけの笑顔を見せる準備をする。しかしどうしても笑っていることに後ろめたさを感じてしまい、親が視線を向けるその時には私の口角はいつも下がってしまうのだ。

  両親の前で泣くことだけは回避し、急いで階段を駆け上がる。途中で鳴く猫を抱き上げベットに座ると、その小さい体を抱きしめ声を殺して泣く。それが私の大まかな日常だった。

  私の体には、目に見えない鎖が巻きついている。物心ついた時にはもう既に巻き付いていたそれは、年をとるにつれて恐れ、羞恥心という感情を取り込んで次第に太く頑丈になっていく。それは時にネトネトとした粘着質の液体を持って私に絡みつき、またある時には重くきつく巻き付いて私の体を痛みつける。

  頭では理解しているのだ。私だけではないと。そう理解はしていても、やはりどうしようもなく苦しかった。

  なかなか一人きりの空間を持てない私は、両耳をイヤホンで塞ぎ、音楽を聴くことで一人の世界を作り出していた。目を瞑ってしまえば私を傷付けるものは何も無い。嫌われてしまうのが怖くて、傷付くのが怖くて心の奥底まで誰かに見せるという事が出来ない私には音楽と長年一緒に成長してきた猫だけが助けだった。


  そんな私にもとうとう限界が近付いてきているのを薄々感じていた。体は思うように動かすことが難しくなり、思考は停止して常に異常なほどの眠気が襲い、起きている時間が寝ている時間よりも少なくなっているのではと思う程になって来た。このまま眠りについたまま起きることがなくなる日が来るのではないか。それもいいと私は思った。きっと私には現実に目を向けてこの先長く生きていくという事は出来やしないのだから。そんな事を考えて悲しくなり、イヤホンを耳に嵌め猫を抱きしめて目を閉じた。

  何も変わることなくしばらく経ったある日のこと、私は隣で寝ているはずの熱を感じないことを不思議に思いながら目を覚ました。体を起こしてみると、そこには定位置で横たわっているいつも通りの猫の姿。ただいつもと違うのは、呼吸と共に上下するお腹がピクリとも動いていないことだった。老猫だったのだ。いつ息をひきとってもおかしくなかった。覚悟はしていた筈なのに、その時が来ると涙が溢れて仕方なかった。

  心の拠り所が無くなっても、時間はいつも通り過ぎていく。私は出掛けなくてはならなかった。外は昼なのに暗く雨は激しく降り、まるで私の心の様だった。強い喪失感と絶望を抱えながらバスに乗る。バスの窓から見えた赤信号で止まる目の前の車のブレーキランプは、雨粒で滲んで血しぶきのように見えた。まるで私の心から流れ出ているような。

  目的のバス停で降り、おぼつかない足取りで賑やかな街の中を進んで行く。心の拠り所が無くなった今、これからどうして行けばいいというのだろう?家に帰っても傷付く生活がまた待っているだけだ。いつもは傷を癒してくれる音楽も、今は効果がない。頭が痛くなり瞼が重くなり始める。今までは理性が働いていたため人の迷惑になる事はして来なかったつもりだが、どうやらもう無理そうだ。

  私は次に目が覚める時のことを考えないようにしながらその場に倒れ込む。音楽が止む瞬間に聞こえてくる周囲の人の駆けつける足音と私を呼ぶ声を聞き流しながら、私は意識を手放した。 〈完〉

臆病者の戯言です。

今回の話は、私の臆病な部分を少しだけ元にして書きました。


私は以前、友人に問いました。「泣いてしまうことは卑怯なのか 逃げなのか」と。


一人の友人は言いました。「辛い時は泣いていい 器用に感情をコントロール出来なくてもいい」と。


また、もう一人の友人はこう言いました。「たとえ泣くことが逃げだとしても、それは悪いことなのか? ただ逃げるだけだったらそんなに涙は出ないはずだ」


その友人は最後にこう言いました。「真実はいつも一つだと限らなくたっていい 君は君だよ」


真実はいつも一つだと思い込んで、それに近付こうと足掻き苦しんでいた私の心に友人の言葉は温かさを与えてくれました。 自分の気持ちを直接伝える事が苦手で不器用な私のことです。傷付く事を恐れて目を背け、逃げる事も出来ずにまた沢山友人に甘えてしまうでしょう。それでも、弱虫な私だけれど、大切な友人への感謝の気持ちだけは忘れずにゆっくり前進していけたらいいなと思います。


この物語はハッピーエンドとは言えない形で終わっていますが、きっと彼女もまた立ち上がれる日が来ると思います。

人間って脆いように見えて実は強いから。


最後まで読んでくださりありがとうございました!

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