第99話 奇妙な依頼と妙な羽
「……羽?」
俺がかくりと首を傾げると、ロレーヌも同じようにかくりと首を傾げて、
「……気づいていたんじゃないのか?」
と尋ねてきた。
ロレーヌとしては、別に意図的に黙っていたとかいうわけではなく、俺がすでに分かっているものと思っていたようである。
しかし、である。
「自分の背中なんて見れないんだ。気づいているわけないだろ……?」
そう言うと、ロレーヌは、
「いや、先ほどから結構ぴこぴこ動いているから、意識的に動かしているものだと思っていた。すまないな……なんだ、意識せずとも勝手に動くものなのかな? 瞼みたいなものか……あぁ、鏡がもう一枚必要かもな。無理やり背中を向けると見にくいだろう。ちょっと待て」
そう言ってごそごそと部屋の中にある棚を漁って鏡を取り出す。
一応、俺が借りている部屋とは言え、もともとはロレーヌの部屋だ。
大した荷物があるわけでもないし、部屋の中にある棚やらチェストやらの中身はほとんどロレーヌのものだ。
ロレーヌは取り出した鏡と、俺の前に置いてある姿見の位置を調整して、俺が背中を見れるようにしてくれた。
そしてそこに映っていたのは……。
「……羽、だな」
「あぁ、羽だ。さっきからそう言っているだろう」
まさにそれは、羽だった。
俺の背中、肩甲骨の僅か下、背骨寄りの位置に、左右対称の位置で羽が生えているのが分かる。
それは、どちらかというと、羽毛のある鳥の羽と言うよりは……蝙蝠の翼膜のようであった。
小さく畳まれているようだが、意識してみると確かに動かすことが出来る。
それを見て、ロレーヌは、
「……お、自分で動かせるのか? となると、さっきまでの感じは何だったんだろうな……」
そう言いながら、翼膜に触れ、撫でたり伸ばしたりし始める。
かなりくすぐったく、しかしロレーヌはこれで魔物の専門家である。
彼女に体を見てもらうことは、自分を深く知ることにもつながるだろうと、その行為を受け入れようとしたのだが……。
「おい、逃げるな」
とロレーヌが言う。
「……? 逃げてなんているつもりはないが……」
「しっかり逃げているぞ。体がじゃない。お前の羽がだ。翼膜と言った方がいいのかもしれんが……まぁ、私もお前も空を飛ぶものの器官を意味する言葉について厳密な定義がしたいわけでもないし、どっちでもいいだろう。ともかく、その羽が、逃げているのだ」
事実として、俺は特に翼を動かしているつもりはないのだが、ロレーヌからしてみると逃げているようにしか思えないようだ。
今度はしっかりと逃げないようにという意思を持って、触れてもらうと、
「……うむ。逃げてないな」
と納得された。
しかし、それでもさっきのことは気になるようで、ロレーヌは首を傾げて、
「さっきはなぜ……む、そうか、もしかして……」
そう言い、それから俺の翼をなんだか妙な手つきで触りだした。
それはまるでくすぐっているようであり、事実、鏡に映るロレーヌの表情は何かちょっと笑っている。
……いたずらである。
しかし、俺はそんなものには負けないと強く意志を持ち、しばらく努力する。
くすぐりなど、耐えようと思えば何時間でも耐えられるのだ。
そう、何時間でも……なんじかんでも……なん……無理。
そう思ってあきらめた瞬間、
「……今、羽を意識的に動かしたか?」
そう聞かれたので、
「いや。くすぐったかったけど、出来る限り耐えたつもりだぞ」
そう答えた。
実際、最後にはくすぐりに耐えきれなくなったのは確かだが、基本的には動かそうとはしなかった。
ロレーヌはそれを聞いて、
「やはりか。意識的にも動かせるようだが、無意識にも反応するようだな? 私がくすぐっている間、ずっと羽は勝手に逃げようとしていたぞ。それを、別の意志が引き戻そうとしてせめぎ合っているような感じだった。最後にお前、諦めただろう?」
「あぁ……流石に耐えきれなくて」
「その瞬間、無意識の方に主導権が傾いたんだろうな。羽は私の手から逃げていった……動物の尻尾みたいなものなのだろうな」
となんだか妙な結論に落ち着く。
俺の羽を見れば、俺の機嫌やら感情がまるわかりと言うことだろうか?
まぁ、そこまでは言わないにしろ、俺が羽を動かそうと思わなくても反応してしまう訳だから、注目されると隠しごとが難しそうだな。
背中丸出しで歩いたりすることは無いだろうが……。
ん?
そこまで考えて少し気になったことがあった。
「……これ、服を着ていると背中になんか飼っているように見えて怖くないか?」
「……やってみるか」
そう言って、ロレーヌが麻で出来た安物の上着を持ってくる。
それを被ってきてみてから、ロレーヌに背中の様子を聞いてみる。
「どうだ?」
「……あー、まぁ、これは……確かに、何か怖い気もするな。背中の一部が膨らんでもぞもぞしている……」
それは、見なくても分かるホラーな光景であった。
魔物の中には人間の体に卵を産み付けるような恐ろしい存在もいるわけだが、そう言う目にあった人間を俺は見たことがある。
肌の内側をこう、ミミズがのたくっているような悍ましい光景になるのだ。
そして、最後にはその肌を突き破って生まれてくるのである。
あれは人生で見た中でもトップ3にグロい光景だった。
ちなみに、トップ3の中には、屍食鬼だったときの自分と屍鬼だったときの自分が入っているのはもちろんである。
体の内部が常に見えている干からびかけた人間が、グロくないわけがない。
最近ではかなり見慣れていたのも確かだけどな。
そんなものを思い出す光景が俺の背中で繰り広げられているのが、頭に浮かんでくる。
明らかにダメだろう。
そんなものをしばらく観察してから、ロレーヌは俺に言う。
「……そうだな、その羽、しまえたりしないのか? 一部の魔物は、体内に翼を出し入れできるものもいるぞ」
「そういやそんなものもいるな……しかし、どうやるんだ?」
「私が分かるわけなかろう。とにかく、強い意志でしまおうと思ってみるところからじゃないか……?」
目を合わせると、手探りの、かなり頭のよくない会話であるなとお互いに思っていることがその瞳の光から察せられた。
しかし、現実的に考えてそうするしかないのも間違いない。
こんな状況に置かれた人間など、俺を置いて他にいないのだから、誰かを参考にして効率的な行動をとったりしようがないのだから。
俺は、とりあえずロレーヌの言ったとおりにやってみた。
すると、するり、と体に何かが押し込まれるような感覚がした。
俺の背中を観察していたロレーヌは、
「おぉ!」
と声を上げ、それからペタペタと背中をいじって、
「しっかりしまえているぞ、レント」
といい、更に、上着を捲って背中を直で見て、
「……うむ、ちゃんと見えなくなっている……僅かに盛り上がっているような気もするが、これくらいは許容範囲だろうな……」
と頷いた。
それから、
「苦しくはないのか?」
と尋ねられたので、俺は答える。
「少し、内臓が押し込められているような妙な感じはするが……いきなり羽が出てくると言うことは」
――なさそう、と答えようとしたところで、
「わっ!!」
とロレーヌが声を出した。
当然、俺は驚き、びくりとしたわけで、いきなり何をするのか……と尋ねようとロレーヌの方を振り返ると、彼女は呆れた顔で俺の背中を見つめていた。
「……驚くとダメらしいな」
言われて鏡で無理やり背中を見てみれば、そこにはいつの間にか飛び出てきた羽の姿があった。
しかも、畳まれた状態ではなく、広がった形である。
いきなり街中で、服を破ってこれが出てきた日には、悪魔が現れたと声高に指さされて糾弾されるのではないだろうか。
今ここで、確認が出来て良かった……と心の底から思った俺だった。