第89話 奇妙な依頼と惑わし
そもそも。
そう、そもそも、実は、迷うことがおかしい。
なぜなら、俺はこれで長くやって来た冒険者だ。
方向感覚は比較的ある方だし、この庭園迷路を歩きながら、頭の中に地図を作ってはいた。
それなのに、なぜ、迷うのだろう。
それが分からなかった。
そこで問題になるのが、先ほどの少女や門番の言う、太陽をあてにしてはならない、だろう。
門番に聞いた時は、単純に考えて、太陽の位置で方角を判断するべきではない、ということかと思った。
だから、そのようにして歩いてきたのだが、結果は迷った。
改めて初心に帰ろう、と思い、太陽を見つめてみた。
「……ふつう、のようなきがする……」
太陽の位置は、特におかしくはない。
と、思う。たぶん。
やっぱり、あの助言は何の関係もないのか……?
と、思っていると、迷路の角を曲がった次の瞬間、太陽の位置がずれた。
俺から見て、左側の上空にあったはずのそれが、角を曲がると同時に正反対の位置に浮かんでいたのだ。
驚きつつも、気のせいではないかと思い、少し下がってみると、やはり、太陽の位置はずれ、元の位置に戻っていた。
やはり、太陽をあてにするな、とはその位置を基準に方角を判断してはならない、ということで正しかっただろう。
しかし、そうなるとなぜこれほどまでに迷うのか……。
いや、それで、俺はふと思う。
仕掛けが一つだ、と思いすぎているのではないか。
太陽の位置はあてにならない。
それは分かった。
そして他にも何か仕掛けがあって、そちらに俺は目が向いていない、ということでは。
門番が迷宮を探索したときは太陽にさえ気を配っていればそれでよく、だからあのようなアドバイスになった。
しかし、今回はそうではないとしたら……。
だとすると、あの少女の性格が少し疑わしいと言うか、中々に曲者だったということになるな。
門番が俺にした助言を知った上で、同じ助言をして、それだけに気を配っていれば大丈夫、と言いながら、他にも何か仕掛けをしていたということになるからだ。
つまり、門番の助言は事実助言であったが、少女の助言はむしろ俺を惑わすための罠だった、ということかもしれない。
確かに、どこか不思議な雰囲気と言うか、底知れない感じのする少女だったからな……。
そんな単純に攻略のヒントなどくれそうもないといえば納得できるような存在だった。
俺は、そのことを念頭に、また迷宮を歩き始める。
すると、まっすぐ進んでいて、ふと道が歪んだのを感じた。
それは僅かな違和感だったが、しかし、気を張っていたので確かに間違いない、と思った。
景色は変わっていないように思えるが……太陽を確認したときのように下がってみればやはり、何かが違う。
太陽の位置ももちろん変わっているが、これは当てにならないとして……どうするか。
少し立ち止まって考えてみて、足元を見てみると、手のひら大の石が転がっているのが見え、思いつく。
石を拾って、違和感を感じた空間に投げてみた。
すると、投げた石は何の脈絡もなく、ふっと消えてどこかにいってしまったのだ。
「……まさか、くうかんてんい、か?」
それは、未だ人の手では実現することの出来ていない特殊な魔術である。
しかし……人の手で作ったものではないのなら。
可能性はないわけではない。
大体、この薔薇庭園を形成しているのが、迷宮由来の高度な魔道具なのだろうから、その機能の一つとして、それくらいのことが出来てもおかしくは、ない。
が、そんなもの個人で持てるようなものではないと思うのだが……。
いや、そこは考えても仕方がないか。
とりあえず、出来るものとして考えよう。
そうでなければ永遠に迷路を攻略できない気がした。
俺は改めて、石が消滅した空間をくぐる。
景色は変わっていないように見えるが、実際は変わっていることがはっきりした。
消えたはずの石がそこには落ちていたからだ。
また振り返って投げてみれば、消える。
やはり、この場所を通ると、転移してしまうようだ。
しかも極めて似た場所、パッと見では全く同じ場所にいるように錯覚するような場所に。
これでは迷路を攻略できないのも道理である。
俺が頭の中で作って来た地図は、すべての道が繋がっている前提で作り上げたものだ。
それなのに、実際の道は飛び飛びなのだろう。
これではな……。
自分がもう、どこを歩いているのかすら、定かではない。
ゴールになど、たどり着けるはずがなかった。
しかしだ。
ここからは違う。
今ここをスタート地点として、改めて地図を作る。
もちろん、頭の中でだが……。
実のところ、あの不思議魔道具《アカシアの地図》がここでも使えないか開いてみたのだが、地図一面に《表示できません》と思い切り表示された。
一体どういうことだ、と尋ねたいところだが、地図がその答えをくれるはずもない。
まぁ、別にいいのだ。
所詮は金持ちの主催する遊びである。
それに景品もあるわけだし、失敗しても死ぬわけでもないし……。
しかし、ここまで来たら絶対に攻略してやろう、とは強く思った。
とくにあの少女の意外と性格の悪い惑わしには引っかからなかったぞ、と言ってやりたい。
……すでに引っかかってある程度迷ったあとではあるけどな。
◆◇◆◇◆
「……やっと、ついた、か……」
長かった薔薇の生垣が、ついに終わり空間が開けた。
目の前には美しくも瀟洒な館と、噴水、それにそのわきに設けられたテーブルで紅茶を飲んでいるあの少女と、そして横に控えるイザークの姿が見えた。
二人とも、俺に気づき、少女が立ち上がって俺の方に来て、イザークはその後ろから静かに歩いてくる。
そして、少女は言った。
「おめでとうございます。本当に迷路を抜けられるとは、思っておりませんでした」
その表情は十二、三歳の少女が作るものとは思えないほど美しく、整ったものだったが、俺にはその後ろに若干意地悪な性格が見えるような気がして仕方がなかった。
まぁ、そこまで嫌な感じ、というわけでもないが。
むしろ、悪戯っぽい、というのが一番適切だろうか。
しかしそんな気まぐれであんなに大変な思いをしたのは少しばかり酷い話だ、と思ってしまう。
もともと高く昇っていたはずの太陽も、今はオレンジ色に輝いて世界を朱色に染め上げている。
一体何時間、あの迷路にいたのか……。
「おれはもっとかんたんにぬけられるとおもっていたぞ。きみがいったことばのいみを、りかいするまでは」
「なるほど、気づかれたのですね。演技が少し下手だったでしょうか?」
「……いや、うまかった。むかしのおれだったら、まちがいなくひっかかってそのまんま、だっただろうな……」
言うまでもなくこの屍鬼の体でなかったときの話だ。
あの違和感に気づけたのは、この体の性能が前と比べて極端に高いからに他ならない。
空気や匂いに敏感で、かつ、視力もいいのだ。
だからこそ、気づけただけで、俺自身の経験が生きたから、という訳ではないのだ。
そんな俺の言葉に、少女は少し首を傾げて、
「むかしの、あなた、ですか?」
そう尋ねてきたが、俺は首を振って、
「いや、こっちのはなしだ。……それで、めいきゅうをぬけたらしょうひんがもらえるときいたのだが、おれにもくれるのか?」
それが目的で頑張って来たところがあるが、あれはあくまで門番が攻略したときの話である。
今回は別にそんなものはない、と言われたらそれまでだが、強請ってみるくらいはいいだろう。
そう思っての言葉だったが、少女は笑顔で、
「もちろん、ございます。ラトゥール家の保有するものから、お好きなものを差し上げるつもりです」
そう言ったので、俺はちょっと意地悪な気持ちで、
「では、あのめいろをつくったまどうぐをくれないか?」
そう言ってみた。
すると少女は目を見開き、それから、
「……申し訳ありません。あれは、差し上げるわけにはいきません。どうぞ、ご勘弁を……」
そう言ったので、俺は即座に言った。
「じょうだんだ。めいろのなかでだまされたからな、いっぽんとってみたかったんだ」
その言葉に、少女は唖然とした顔で、
「……悪い人ですね」
そう言って、それからふっと微笑んだのだった。




