第87話 奇妙な依頼と庭園広場
――しかし、凄いな。
完全に迷った庭園の中で、俺は頭を抱えつつ周囲を見渡し、そう思う。
なにせどちらを見ても薔薇の生垣と、そして今まで通って来た道、それにこれから向かうべき分岐路しか見えないのだ。
こんなものを作り出す魔道具を一体何のために造ったのか……という気もするが、それを言うのは野暮と言うか、魔道具と言うのは基本的にそういうものだ。
むしろ、目的を持って作られるものの方が本質から外れている。
もちろん、現在では魔道具職人と言うのは便利なものを作る職人であり発明家であるが、初期の頃は胡散臭く、かつ無駄なことをする詐欺師か何かのように見られていたと言われている。
そもそも、歴史的には迷宮から産出する不思議な道具を人が模倣し始めたことから始まった、と言われているが、そのオリジナルの方は本当に不思議な道具、としか言いようがないものが多いことが、その歴史が真実であると裏付けている。
ぼんやり光っているだけ、とか、触れると甲高い笑い声を上げ続けるだけ、とかそういう魔道具が少なくないのだ。
それでも、分解するなどして、他の魔道具を作る際の材料として使用する分にはかなり有用なので、高値で引き取ってくれるが、魔道具とはそういうものだということがよくわかる話である。
そのことを考えれば、この薔薇の迷路を作り出している魔道具はしっかりとした用途があるだけ、意味があるだろう。
それにしても、この庭園は相当広い。
これだけ広大な迷路を維持し、また改変できるだけの魔道具となると、相当に魔力も使うはずだが、その辺りに問題はないのだろうか。
まぁ、湯水のように金を使える財力があるのなら、その時点で魔石を買い漁ればいいだけなので、いらぬ心配かも知れないが。
……あまりにもどっちがどっちだか分からなくなっているため、現実逃避にこの庭園を形作っているだろう魔道具について色々考察してみたが、何か状況が変わるわけでもない。
本当に迷った。
どうにもならない……どうしよう。
そう思っていると、突然、ふっと開けた場所に出たので俺は驚く。
「……ここは……?」
そこは、周囲を生垣に囲まれた場所で、それだけなら今まで歩いてきた通路と同じだが、異なるのは明るさと、そして生垣の中に薔薇の花がかなり咲いているのが見えることだろう。
別に今まで進んできた道の薔薇が一切咲いていなかったという訳ではないのだが、ぽつりぽつりとしたもので、配置も自然のまま、配色も特に選んだわけではないような無造作なものだった。
しかし、ここは違う。
かなり沢山の薔薇が咲いているうえ、生垣自体がしっかりと手入れされているのも分かるし、それに加えて、その中心部には場違いな……いや、むしろ合っているのか……貝殻的な装飾を主に用いた豪奢なテーブルと、白磁をベースに作られたティーセットが置かれており、そしてテーブルの脇にある椅子には一人の人物が腰かけて、その高そうなティーカップを優雅に手に持ち、口に運んで紅茶らしきものをゆったりとした仕草で飲んでいた。
その人物は、俺に気づくと振り返り、そして尋ねた。
「……諦めますか?」
それでなるほど、と思う。
俺が完全に迷ったことを察して出てきた、ラトゥール家側の人物なのであろう、と。
その人物の見た目は、背の低い、十二、三歳の少女で、どこか現実離れをした雰囲気を持ってた。
目はふわりと遠くを見つめているようであり、身に着けているものは歩きにくそうな、フリルを多用した黒色のドレスだ。
肌は白く、瞳は青い。
どこか不健康な雰囲気が漂う気がするが……それが退廃的で、何とも言えない貴族的な空気を醸成しているように感じられる。
俺はそんな彼女に、答える。
「……いや、もうすこし、がんばってみようとおもっているが……だめか?」
すると少女は、ふっと微笑む。
そうすると、無表情でいるときよりも幼さが強調されて、年相応の雰囲気に見えた。
俺の主観だが、無表情よりかはこっちの方がいい気がするな。
まぁ、どうでもいいか。
「では、あちらに向かってください。迷路は続きます。ご休憩されたければ、一緒に紅茶でも如何ですか? いくつかお茶請けもご用意させていただいております」
至れり尽くせりの言葉に、俺は少し悩みつつも、まぁ、急いでいるわけでもないし……と自分に言い訳しつつ、椅子に腰かけた。
「……いただこう」
「はい。では……」
自分で紅茶を入れようと思った俺が、ポットに手を伸ばそうとすると、少女が先んじてそれを手に取り、淹れてくれる。
ポットに湯を注いでいるが、その湯を作り出しているのは魔道具であり、また、ポット自体にも魔力を感じる。
ティーカップには特に何も感じないが……このラトゥール家が魔道具収集を趣味としているというのは事実であるようだ。
こういった、紅茶関係の魔道具は需要が高く、かつ中々見つからないのでオークションに出されてもすぐに買い手がつくし、値段もちょっと考えられないほどに高くなることが多いからな。
収集家が多く、競争率の高い魔道具のジャンルの一つである。
もちろん、その競争に参加するのは多くが貴族だが、好きな者は平民にもいる。
多少お金があれば、一つくらい手に入れられないものか、とは多くの者が考えるのだ。
そんなジャンルの魔道具をこうして持っていて、無造作に使っているというのは……やはり相当な財力がなければ厳しい。
「どうぞ。こちらのポットは、お気づきの通り魔道具で、一度入れた茶葉であれば、次は入れなくとも魔力さえ注ぐと、その茶葉が再現されるというものです」
……そんなとてつもないポットとなると、競争率が高いなどと言うものではないだろうな、と思った。
オークションは俺も冷やかしでたまに行くことがあるが、たまに出る紅茶用のポットの効果と言えば、入れた湯が冷めないとか、細かな茶葉が淹れ口の外に出ないとか、その程度のものだ。
あとは、耐久力が高いとか。
それなのに、これは……。
いくらするんだ。
手に持ったティーカップすら震える。
これは魔道具、というわけではなさそうだが、模様や質感がポットのそれと同じだ。
薔薇と、蔦が精緻に描かれたまさにここで紅茶を飲むときのためのようなもの。
つまりこれは、ポットに合わせて職人に造らせた、ということなのだろう。
磁器の製法を知っていて、それをこのレベルまで昇華しているのは一部の高い技能を持った職人たちだけである。
何が言いたいかというと、魔道具でなくても間違いなく高い。
俺が壊したら弁償できないレベルで。
そんな俺のティーカップを見る視線に気づいたのか、目の前の少女はふっと笑って、
「壊しても大丈夫ですよ。もちろん、思い切り地面に叩きつけられるのは困りますが、わざとでなければ特に怒ったりも致しません。安心して、ゆるりとお寛ぎを」
そう言ったのだった。
そんな少女の口調にも瞳にも、嘘は一切含まれておらず、あぁ、金持ち喧嘩せずっていうのはこういうことなんだな、と貧乏が染みついていた俺は心のそこからそう思ったのだった。