第86話 奇妙な依頼と庭園
――完全に迷った。
俺がそう思ったのは、依頼の詳細を話そうと、イザークのところ、つまりはラトゥール家を訪ねてしばらく経った頃だった。
ラトゥール家の位置については、冒険者組合で渡された依頼票にしっかりと記載してあり、場所は都市マルトの郊外と言うことで周囲に家もなく、分かりやすかった。
そのため、迷うこともなくすんなりとたどり着けたところまでは良かったのだが、問題はそこから先だった。
相当に巨大な屋敷で、かなり広そうな庭の向こう僅かに屋敷が覗いていた。
それは別に地方都市の古い家としては珍しい光景ではないのでよかったのだが、その庭が問題だった。
ラトゥール家の歴代当主のうちの誰かの趣味なのか、入り口から屋敷に続く道は全く一本道ではなく、入り口から一歩足を踏み入れると、もう周囲の景色はほとんど見えなくなった。
なぜかと言えば、そこはおそらくは薔薇の一種と思しき植物で作られた高い生垣に囲まれていて、見えるのは緑色に色づいたそれだけだからである。
それが直線的な組み合わせの通路を形作っていて、少し進んだ先でかくりと曲がっている。
更にそこを曲がってもその先にはまた、進路は曲がるか分岐している。
そんなことが延々と続くのだ。
つまり、どう見ても迷路なのだった。
実際、中に入ってしばらくは普通に進んでいたが、結局俺は完全に迷ってしまったわけだ。
屋敷を入る前のことを、俺は庭園の生垣に囲まれた中で考える。
俺はラトゥール家に依頼の内容について詳しく聞きに来ただけだ。
当然、ただ、依頼の内容について知りたいだけで、それなのにこんなものに時間はかけたくないと、屋敷の入り口を無言で守る門番に色々と尋ねることにした。
すでに依頼票は見せてあるから、俺が中に入るのに異論はないようで、まっすぐに遠くを見つめて俺に気を払うこともないが、ここでこの状況について尋ねられるのは彼だけだ。
俺は言った。
「……ほかに、いりぐちは、ないのか?」
門番は、ちらりと入り口の向こうに広がる薔薇の迷路を見て、首を振り、
「……ございません。いえ、あるのかもしれないのですが、私は知りません」
と答えた。
その表情は実直で真面目なものであり、誠実に考えてから答えてくれたのだと言うことは理解できる。
そしてそれだけに俺が感じた絶望は大きい。
つまり、屋敷に辿り着くためにはここを抜けなければならないのだ。
「……どれくらいかかるものなんだ?」
「屋敷までですか? ……それは、人による、としか……。定期的に道順も変わっているようで、これと決まった攻略時間は……」
と申し訳なさそうな声で門番は言う。
定期的に道順の変わる庭園迷路とは、それってもはや迷宮だろうと突っ込みたくなるのは俺だけではないのだろう。
門番は、
「そう言った特殊な魔道具があるようです。ラトゥール家の当主は代々、魔道具集めが趣味のようで、これもそのうちの一つを使って作り上げられたとか」
そんなものがあるのか、と俺は少し驚く。
しかし別にありえない話でもない。
魔道具とか聖具、気物、呪物などと呼ばれる道具は職人によってつくられるものと迷宮から産出するものがあるが、その規格と言うか、種類には一定のものについては統一性があるのだが、特殊な品も多い。
統一性のあるもの、というのはたとえば灯火の魔道具など、一般に使用頻度が高く、また単純な機構のものであり、こういったものは大量生産がある程度利くので、比較的価格が安い傾向にある。
特殊な品と言うのは、それこそ一品もので……ある意味俺の仮面やローブなどがそれに当たるだろう。
効果も非常に特殊で、価格はピンキリだ。
何の用途をなすのかよくわからないものもあれば、非常に有用なものもあるなど、玉石混交であり、価値は見るものによって様々だからである。
俺の仮面だって、まぁ、結果的に俺からすればかなり有用で都合のいい魔道具ということになるが、そもそもこれは二束三文で売られていたものだ。
売っていた露店の店員からすればそれこそ全く要らないもので、価値の低いものだった、というわけだ。
まぁ、一旦身に着けたら外れない呪われた仮面の扱いなんて、露店の店員の方が正しいだろうが、俺は運が……良かったのか悪かったのか今一わからない。
「つくるのはじゆうだが、そのしゅみをのりこえなければならないのはたまらないな……」
俺がうんざりしながらそう呟けば門番は笑って、
「お気持ちは分かります。ただ、迷った場合には一定時間が経過すればここまでの一本道が出現するようですので、あまり気負わずに挑まれてみては?屋敷に辿り着いた方には何かしら魔道具を差し上げているようですし」
そう言った。
何か門番の口調は伝え聞いたことをなんとなく話している、という感じで不思議な気がしていると、そんな俺の気持ちを理解したのか、門番は言う。
「私も昔、挑んだんですよ。お客様が来ない限り、この門はいつも閉まっているんですが、そのときは開かれていたんです。なぜって、街中に迷路を攻略すれば魔道具を一つ進呈する、と書いてある張り紙があったもので……ラトゥール家の地図もありました。それを見つけて、ここまでやってきたわけですね」
まぁ、ラトゥール家がちょっとした遊びか何なのか、気まぐれでそんなことをやったのだろうということは分かる。
ある程度以上、財力のある家、というのは思いついたかのようによくわからないことを始めたりするものだからな。
一般的なのはパーティを開くことだが、そういうのに飽きた一歩進んだ者たちは余人には理解しかねることをする。
その一環だったのだろう。
門番は続ける。
「もちろん、街中に張ってあった張り紙を見たのは私だけではないですから。他にも何人か人はいました。で、先に迷路に入って行って……でもしばらく経つとみんなとぼとぼ戻ってくるわけです。話を聞けば、途中で道が分からなくなった、と。それで途方に暮れていると、生垣の一部が動いて、入り口までの一本道が開いたらしいのです。初めて聞いた時はそんなことが出来るのかと驚きましたが……魔道具を使っているのですからそれほど不思議でもないですね。それで、私もきっと無理だろう、と思いつつ、帰って来られないということはなさそうだなと安心しながら挑んだんですが……」
「ごーるにたどりつけたわけか」
「ええ。完全にまぐれで、もう二度と無理だろうと言う気はしますけど。それで、何か魔道具を、とラトゥール家のご当主にいくつか良さそうなのを並べて頂いたのですが、その当時、私はお恥ずかしながら、失業していて……魔道具はいいから雇ってもらえないかと頼んだんです。そうしたら……」
「やとってくれたと。なるほどな……」
まぁ、これだけ広大な敷地と遠くからも見える屋敷を持ち、かつ魔道具を収集してなお資金が尽きないような家だ。
門番一人雇うくらい余裕だろう。
しかし、この門番、かなり真面目そうで、そうそう首になりそうには見えないが……。
「ちなみに、しつれいかもしれないが、なぜ、しつぎょうしたんだ?」
「上司に逆らいました。もう少しうまく世の中を渡るべきだった、と反省しています。まぁ、そのお陰でここに就職できたので、真面目に生きていればいいことがあるのかも、とも思いますが」
「まじめにいきてればいいことがある、か。いいことをいうな……」
俺も、真面目に頑張っていればいつか人間になれるのだろうか。
少なくともこうなる前も真面目には生きてきたつもりだが。
しかし食われて結果として強くなれる素質を手に入れたのだから、全てが悪かったわけでもない。
人生は糾える縄のごとし、ということか。
男に妙な共感を覚えた俺だった。
「さんこうになるはなしだった。では、おれもいどんできてみることにする……せんこうこうりゃくしゃとして、なにかあどばいすはないか?」
迷宮探索者がよく、先行する探索者に尋ねる質問である。
男もその冗談がよくわかったのか、笑みを深くし、それから言った。
「そうですね、太陽はあてになりません……というところですかね」
その言葉に俺は首を傾げたが、どんなアドバイスでも先輩の助言というのは役に立つことが多い。
ありがとう、と言って、それから俺は庭園迷宮に足を踏み入れた。




