第79話 銅級冒険者レントと解体
都市マルトに戻ってきたので、とりあえず冒険者組合に向かう。
《竜血花》を渡しに先に孤児院に行ってもいいのだが、狩ってきたタラスクの方を先にどうにかしておきたいからだ。
リリアンの病状が一刻を争う、というのならまた別だが、幸いにしてそういうわけではない。
今日、薬師に調薬を依頼しても今日中に薬をもらえるわけでもない以上、少し前後するくらいは許容範囲だろう。
冒険者組合に入り、事情を知っている馴染みの職員、シェイラのところにまっすぐに向かう。
「……あら、レントさん。今日はなんのご用件で……もしかして、もう行ってきたのですか?」
流石のシェイラも、これほど早く依頼を片づけてくるのは予想外だったらしい。
まぁ、これは当然である。
以前の俺の実力を知っていればいるほど、今の俺に出来ることとはかけ離れていく。
銅級試験も実力、というよりかは知識で乗り切ったからな。
単純な腕っぷしが必要になってくる《タラスクの沼》の攻略とは話が変わってくる。
事細かに俺が何が出来るか話したわけではないし、こんな反応で普通だろう。
俺は言う。
「あぁ。しっかりと《りゅうけつか》はさいしゅしてきた。あとでこじいんにいって、いらいひょうにさいんをもらってくるつもりだ」
「これほどまでに仕事が早いとは……驚きですね。豚鬼を定期的に狩ってくるところまでは、今までの頑張りが実ったんだな、くらいに思っていましたが……相当腕を上げられたようで」
「そうかな? わからないな……」
これは何も謙遜という訳ではなく、正直な感想だった。
たしかに強くなったとは思う。
それは事実だ。
しかし、今の俺が強くなっていることが、それすなわち腕が上がった、ということなのかというと少しだけ違和感があるというだけだ。
これは体が魔物になったがゆえに得られただけの力ではないか。
そういう懸念がなくならないからである。
別に、魔物になって強くなったことが気に食わないという訳じゃない。
そうではなく、ある日突然、この力が失われてしまって、またあの頃に戻ってしまうんじゃないかという一瞬の恐怖があるのだ。
そうなったとき、俺は大丈夫なのだろうかとたまに考えるのだ。
一度、努力したらその分だけ強くなれる状態を経験してしまった以上、また、何の才能も伸びしろもない状態に戻って、それでも尚、神銀級冒険者を目指すことが果たして俺に出来るのか。
そうなった時点で、心が折れてしまうのではないか。
そういう不安だ。
もちろん、素直に考えると、別にどうなろうとも俺はいつまでも目指し続ける、とは思うのだが、実際にそうなったとき、どう思うかはなってみないと分からない。
その分からないということが不安なのだ。
まぁ、そんなこと、これから先どうなるのか、そもそも人間になれるのかどうかすら微妙なこの状態を考えれば、取らぬ狸の皮算用と言うべき話かもしれないが。
「あの《タラスクの沼》をソロで攻略できるのなら、銀級でも十分やっていけそうな腕前ですよ? そこは自覚しておいてください」
シェイラは俺の言葉をそのまま素直に謙遜と受け取ったようだが、特に訂正はしない。
いつかなくなるかもしれないとしても、今は確かに俺の力なのだ。
それがどの程度のものなのか、しっかりと分かっておくのは確かに重要な話だろうと思ったからだ。
「わかったよ。それで、ようのほうなんだが」
「あぁ、そうですね。依頼完了の報告ではないということは……素材の売却でしょうか?」
特に説明をしなくとも理解してくれるあたり、やはり五年目を迎える冒険者組合職員と言うものは察しもよくなってくるらしい。
俺は頷いて、
「ああ。ただ、ものがものだ。ふつうのかいたいべやではさすがに……」
「そうですよね。それに、もしかして量もありますか? たしか、大きめの魔法の袋を借りてましたよね、レントさん」
「ああ。かなりおおい」
正確にはかなり大きい、だが、それはここではいいだろう。
聞き耳を立てている冒険者がいないとも限らないし、あとで絡まれたくはないしな。
シェイラは俺の言葉に頷いて、
「でしたら、裏の解体場の方がいいでしょうね。ご案内します……」
そう言って、シェイラは近くにいた職員と受付仕事を交代して立ち上がり、歩き始めた。
俺はその後ろについていく。
◆◇◆◇◆
冒険者組合には、魔物の解体をするための部屋がいくつかあるが、そこはあくまで簡易的なもので、どちらかと言うと解体そのものよりすでに解体されたものや、依頼の品の鑑定のために使われることが多い。
一般的には、ある程度以上の大きな魔物の解体や、数がある場合には、冒険者組合の裏に併設されている解体場の方で行われるのが普通だ。
解体を代行してくれるのはむしろこちら側であり、常に解体仕事を専門にする者たちがそこで作業をしている。
引退した冒険者や肉屋などからの出向などが多いが、皆、一般の冒険者とは比べ物にならないほどの解体の知識と技能を持っていて、自分で解体が出来なかったり、大きさや数の問題で自分で行うのが厳しいと言う場合には手数料を支払って解体を頼む。
俺は冒険者の中ではかなり真面目に解体について学んだ経験があるうえ、解体仕事も故郷の村で数をこなしているのでかなり得意な方だが、流石にタラスクの解体となると話は変わってくる。
量や大きさ、それに固さもさることながら、体に強力な猛毒を持っている関係上、おいそれとそこら辺で解体するという訳にはいかないからだ。
俺は毒が効かないので、俺自身についてはそれでも問題ないだろうが、街中で解体して土に染み込み地下水にまで浸透して、ある日突然原因不明の集団毒死事件が、では困るのだ。
ここでなら、そう言ったことについても十分に対策がされているので安心して任せられるのである。
「……ダリオさん! ダリオさーん!」
解体場の入り口に辿り着くと、その開け放たれた入り口からシェイラが中に向かってそう叫んだ。
用途の関係でかなり広い建物なので、それくらいの声で呼びかけないと聞こえない位置にいるのが日常茶飯事だからである。
そして、何度目かの呼びかけで、
「おう! ちょっと待ってろ!」
と、野太い男の声が聞こえてきて、それからしばらくして、一人の屈強な男がこちらにやってきた。
この解体場の責任者の一人である、ダリオ・コスタである。
生前は何度となく面識があったが、今の俺を見て流石にレント・ファイナだとは分からないようだ。
「待たせてすまんな……今日は少し豚鬼が多めに運ばれてきて、かなり人手が不足してるんだ。どこでも豚鬼肉は珍重されているからなぁ」
どうやら、作業を切り上げてきてくれたらしい。
しかし豚鬼か。
大量に持ってこれるものはそれほど多くないとはいえ、全くいないわけでもない。
それに、需要があるときは肉屋から直接依頼が出されて報酬や引き取り額が高騰することもある。
おそらく今は、そういう時期なのだろう。
《竜血花》の依頼を受けていたから、他の依頼には注意してなかったな。
儲け時を逃したかもしれないなと少し残念に思う。
《タラスクの沼》に豚鬼がいればなぁ……いたらタラスクのいい餌か。
うまいもんな、豚鬼。
なんだか食われるためだけに存在しているみたいで可哀想になって来た。
そんなことを考えている俺を置いておいて、シェイラはダリオに言う。
「お忙しいところ申し訳ないですが、損はさせませんよ。こちらのレントさんが、今日は珍しいものを持ってきてくれたんです」
ここまでの道すがら、俺はシェイラに何を解体に回す気なのかを話していた。
それがゆえの台詞だった。
シェイラの言葉にダリオは胡散臭そうな表情で、
「珍しいものだと? それだけ言うのならよほどのものじゃないと俺は驚かないぞ」
そう言ったが、シェイラの次の言葉に目を見開く。
シェイラは言った。
「レントさんはタラスクを狩って来たんです。まるまる一匹分の素材を、解体に回したいと」