第77話 銅級冒険者レントと他所の事情
「……おや? 先客がおられるとは意外ですね」
そう言いながら近づいてきた人物の俺を見る表情は非常に意外そうで、特に俺を追いかけてきたとかそういうわけではなさそうだ。
したがっておそらくは冒険者狙いの不良冒険者、というわけでもないと思われた。
まだ確定するのは危険なので警戒は解かないが、とりあえず会話は出来そうだと思い、口を開く。
「こちらも、いがいだ。《たらすくのぬま》など、まともなにんげんでは、これん」
この言い方にその人物は笑って返答してくる。
「まるでご自分がまともな人間ではないような物言いですが……いえ、私はもちろん、まともな人間ですよ。ほら、こんなものを持っています。あなたもでしょう?」
そう言ってその人物が見せてきたのは、毒無効の魔道具に、教会で販売されている本物の聖水、それから正確に記載された高価な《タラスクの沼》の地図だ。
つまり、体のつくりの特殊性だけを武器に、若干、いやかなり無謀にここに突撃してきた俺とは違って、用意周到に準備したうえでここを攻略しにやってきたというわけだ。
これこそ真っ当な《タラスクの沼》攻略者である。
頭が下がる思いだ。
なぜか俺もそんな風にしっかりと準備してやってきたと誤解しているようだが。
まぁ、全然違う、俺は不死者だからすくなくとも毒は効かないし、聖気もあるからタラスクは不幸な事故を除いてセーフだった、とは説明はしない。
中途半端に頷いて、
「……まぁ、そんなものだ」
「やっぱり。目的は《竜血花》ですか?」
「あぁ……とりあいせずにすむものでよかった。まさかここにほかのぼうけんしゃがくるとはおもわなかったのでな」
実際、こんなところに来るものなど滅多にいない。
腕があっても装備を揃えるのが大変だし、毒で汚染されたくないと考えるのが普通だからだ。
ここまで来れるような腕があるのなら、むしろ迷宮の深層に潜った方が稼げるしな。
ただ、《竜血花》が欲しいというのならここに来るしかないが、どうしても、という場合は少ない。
それにしても、見目麗しい人物だった。
太陽にほとんど当たったことがないような色素の薄い肌に、どこか酷薄な印象を感じさせる顔の作り、髪は長くさらりとした銀髪で、全体的に貴族的な雰囲気の若い優男である。
腰に細剣を差し、防具はかなり質のいい金属製の軽鎧を身に着けているが、なぜだかただの飾りのように見えてくるくらいだ。
この男にはもっと華美な服装か、むしろ全く逆の一切の装飾のないきっちりとした格好が似あいそうである。
総合すると、およそ《タラスクの沼》にいることそれ自体が不似合いな男なのだが、《竜血花》が必要だから仕方なく来た、ということであればそれもまたおかしくはない。
男は言う。
「あぁ、私は冒険者ではないのですよ」
「……というと?」
「何と言いましょうか、とある方にお仕えする執事のような者でして。その主が、どうしても《竜血花》が必要だからと、定期的にここに」
主の命に従ってこんなところまで《竜血花》を一人で取りに行って来てくれる執事。
なんて素晴らしい主従関係なのだろう、と俺は思わずにはいられなかった。
男の言葉に、俺は肩に乗っている黒鼠に目を向けるも、鼻を鳴らされただけで終わった。
こいつは俺のためにそんなことは絶対にしてくれそうもなさそうだ。
俺は男に尋ねる。
「……ぶしつけだが、なにか、ごびょうきで?」
「ええ、まぁ。最近は起き上がるのもつらそうなくらいでして……。本当なら私もここに来るよりも主の看病をしていたいほどなのです。ただ……やはり《竜血花》は必要ですから。成分を抽出して薬剤に調合してしまえば問題はないのですが、主は花竜血そのものをとられることに拘っておられまして……その状態では保存があまり利きませんでしょう? もしかしたら、冒険者の方でしたら、いい方法をご存知でしょうか?」
そう尋ねられてしまった。
《竜血花》は調薬の材料に使われるわけだが、そもそも薬効が花竜血そのものを取った方が高い、と言われる場合もある。
俺も薬師や治癒師ほど詳しくは知らないが、数日も経たず劣化する成分があるようで、花竜血は採取してから数日間しか使用できないらしい。
そのため、花竜血そのものを摂取したいのであれば、頻繁にここに訪問してとらなければならないだろう。
しかしそんなことは資金的にも労力的にもかなり難しい。
魔道具は一度購入すれば問題ないだろうが、聖水の方は基本的にそれこそ使い捨てだからな。
あれを瓶一本で金貨数枚を取るのだからふざけた話だが、効果が間違いないことは保障されている。
それを考えると法外とも言いにくい辺り、聖水を作る教会はかなりあこぎな商売をしているなと思う。
それはともかく、当たり前の話だが俺は花竜血の保存方法など知らない。
だから、
「……いや、そんなものしっていたら、おれはくすしにでもてんしょくしているよ」
そう答えた。
実際、知っていても神銀級冒険者を目指すという目的は変わらない以上、転職はしないだろうが、ともかく本当に知らないのでこう答えるしかない。
そういうのは薬師の領域であるのも事実だ。
まぁ、色々な人が挑戦して未だに見つかっていないのだからそうそう見つかるとも思えないが。
男は俺のこの答えはほとんど予想していたようで、
「で、しょうね」
と未練なくそう答えた。
俺は一応、
「すまない」
そう言ったが、今度は男の方が済まなそうな顔で、
「いえ、こちらの方こそ、勝手に期待のようなものをしてしまったような形になって、申し訳ありません。一応聞いてみただけですので、お気になさらずに」
そう言って来た。
だから、
「そういってもらえると、たすかる。おれも、むやみにひとをがっかりさせたいわけでもないからな。なにかできることがあればよかったんだが……」
そう言うと、男は意外そうな顔をして、それから少し考えて、
「そうですか? ……ふむ、たとえ花竜血の保存方法をご存じなくとも、貴方と知己を得られたことが私と、私の主にとっては僥倖だったかもしれませんね」
そう言った。
一体どういうことだ、と思って首を傾げると、
「あぁ、すみません。一人で考え込んでしまったようで。その……先ほど申し上げましたでしょう? 私はある方にお仕えしていて、出来ればずっと、ついていたいと」
「そうだったな」
「それで、そのために《竜血花》を定期的に確保できる人材を求めていたのですが、中々見つからなくて……」
「ふむ……?」
それは確かにそうだろう。
別にランクが高くてもここに来たいかと言われるとまた話は別だからだ。
よほど法外な報酬がもらえるか、余程の理由がなければ大体は断ってしまう。
だからこそ、孤児院のアリゼも困っていたのだ。
それほどの依頼でなかったら、あの孤児院の依頼は俺がとるまえに誰かが受けていただろう。
と、ここまで考えて俺はピンとくる。
俺は言う。
「なるほど……そのじんざいとして、おれを?」
「ええ。無理は申し上げませんが……もちろん、冒険者組合を通した依頼を正式に行い、報酬や条件等に納得されてから、ということになりますが、出来れば受けていただけるとありがたいです……今更ですが、冒険者の方ですよね?」
その質問に、なんとなくすでに冒険者だ、と名乗った気分になっていた俺は、確かにはっきりとは明言していなかったな、と思う。
俺は改めて男に向き直り、名乗る。
「あぁ。どうきゅうぼうけんしゃの、れんと・びびえだ。ここにはいらいできていた」
俺の名乗りに男は再度、驚いた顔をする。
理由は分かる。
ランクだ。
案の定、男は、
「……まさか銅級だとは思ってもみませんでした」
そう言ったので、俺は、
「いらいするきが、うせたか?」
そう尋ねると、男は首を振りながら言う。
「いえいえ、ランクについては確かに驚きましたが、それだけです。ここまで無傷でいらっしゃれるのですから、実力に疑いはありません。依頼の話、考えておいていただけるとうれしいです」
「かわっているな……」
普通は銅級にこんなところに来る依頼を頼もうとはあまり考えないものだ。
しかし、男は特にランクなど気にしないらしかった。
まぁ、実力の方が大事、ということなのかもしれない。
俺にそんなものがあるのかどうかは謎だが、認めてもらえたようで少し嬉しい気分にある。
それから、男は思い出したかのような顔で、
「……おっと、私の名前ですが、イザーク・ハルトと申します。イザークと呼んでいただければ。主につきましては……正式な依頼をしてから、ということで」
そう名乗ったのだった。