第75話 銅級冒険者レントと弱肉強食
轟音を立てながらタラスクの巨体が沈む。
体の方は首を落とされてもしばらく動いていたが、徐々に勢いを失っていって最後には完全に静止した。
首も首で蛇みたいにのたうち回っていて結構気持ち悪かった。
あのサイズでそれはやめてほしいものだと心底思う。
殺しておいて何を言ってるんだと言う話だが、逃げようとしたのに追ってきたやつの方が絶対悪い。
俺は謝らないぞ。
ところでタラスクなのだが、こいつも魔物である以上、当然魔石を持っている。
魔石のある場所は色々あるが、大概は心臓の横にあるのが普通だ。
しかし、タラスクの心臓がどこにあるって、それは当然固い甲羅の奥底である。
取り出せるはずがない……とまでは言わないがそれをやるのは相当時間がかかるし、ここは皆さんご存知《タラスクの沼》のタラスク生息地帯である。
間違いなく解体している間に他のタラスクが寄ってくることになるだろう。
それは流石に勘弁してもらいたい。
まぁ、もう一匹位なら、弱点の分かった今、なんとか倒せる可能性はある。
実際に戦ってみてわかったが、俺とは非常に相性のいい相手であるようだし、エーデルもそこそこ手伝ってくれそうだし。
しかし問題は、俺の余力だ。
聖気をエーデルが大量に消費してくれた上、俺も俺でタラスクの首を切り落とすのに結構使った。
聖気は魔力や気と比べて保有量が少ないうえ、消費も激しい。
そうそう何度も使えるものではないのだ。
だからこそ温存していたのに、ここではそれが一番の戦い方になるのだ。
それは流石にきつい。
つまり、ここにタラスクの死骸をおいて、魔石は諦めるか?
いやいや、そんなことはしない。
したくない。
というか、出来ない。
なぜなら、それやったら完全に赤字だからだ。
もちろん、孤児院で頼まれた銅貨一枚の仕事である。
赤字は最初から分かっていたが、そうではなく、俺はここに来る前にちょっと身銭を切ったものがあるのだ。
それは何かというと、魔法の袋である。
すでにお前は持っているだろうって?
確かにそうだが、俺の所有している魔法の袋の容量はせいぜい豚鬼数体がギリ入るくらいの代物だ。
タラスクなんて巨大な魔物、入るわけがない。
解体して重要な部分だけ持っていく、という方法もないではないが、ここでの解体はいかんのである。
となると、どこかに持っていくしかないわけで、容量の大きい魔法の袋がどうしても必要という訳だ。
それを俺はこの《タラスクの沼》攻略に当たり、持ってきているのである。
その理由について、なぜかと聞かれたなら、流石の俺も自分の運の悪さを最近自覚しつつあるからだ、と答えることになるだろう。
なにせ低ランク向け迷宮の浅層でまさかの伝説クラスの化け物、龍に喰われて骨人なんかになってしまった俺である。
めぐり合わせの悪さはおそらく世界レベルであろう。
そんな俺が《タラスクの沼》になんか来たらどうなるか?
そりゃあ、タラスクに遭遇するに決まっている……というのはあまりにも悲観的すぎる考えだったかもしれないが、きっとそうなるだろう、と勘が告げていたのだ。
もしかしたら、魔物になったことで危機感知能力みたいなものが強くなっているのかもしれない。
実際、来てみれば遭遇したわけだし、今の俺の勘は良く当たる可能性は低くない。
ちなみに、容量大きめの魔法の袋はレンタルである。
当たり前だ。
買うとしたら家を買うくらいの額を出さないと難しいくらいの代物だからな。
ただ、借りるだけなら金貨を出せば何とかできる。
そんなことしたら持ち逃げされそうな気もするが、これは冒険者組合から借りたのだ。
つまり、持ち逃げしたら冒険者組合の手練れたちが総出で取り返しにやってくる。
場合によっては金級や白金級まで動きかねない。
そうなったらもうどんな国でも生きていくのも厳しい。
だから持ち逃げしようとする奴は滅多にいない。
絶対ではないことが、世の中の闇の深さを物語っているが……。
まぁ、そんなわけで、今の俺にはタラスクの運搬手段があるというわけだ。
タラスクを持ち帰れば、魔石を初め、甲羅や鱗など、その素材は高値で売れる。
したがって、払った金貨の分も十分に補填できる。
それどころかむしろかなりの黒字になるだろう。
懐が温かくなり、色々とお買い物が可能になる。
いやぁ、一攫千金素晴らしいな、これだから冒険者はやめられない、と深く思う。
……十年冒険者をやってきて、こんな一攫千金の機会に遭遇したのは初めてだけどな。
一応、こないだの骨巨人がいるが、あれの魔石はあげてしまったし、俺の懐に入った金額はゼロだ。
嬉々として魔法の袋にタラスクを入れる。
もちろん、ずるずると引きずって物理的に中に入れるわけではなく、魔法の袋の口にタラスクの体の一部をくっつければそれで中に入ってしまう。
とても便利な設計でありがたく思う。
体だけでなく、首の方も、たしか目玉とか脳とか毒腺とか色々と使えるため、それなりの金額で引き取ってくれるのでしっかりと回収する。
それから、周囲にタラスクなど他の魔物がいないことを確認して、俺は歩き出す。
ちょっとゴブリンがうろうろしているのが見えなくもないが、あれは明らかにおこぼれを狙っているな。
タラスクの死体は彼らにとっても重要な素材なのかもしれない。
そう言えばゴブリンの身に着けていた防具なんかはタラスクの鱗や甲羅のようなものを砕いて乱雑に組み合わせたようなものだった。
《タラスクの沼》も一つの生命圏と言うか、沢山の生き物の営みがそれぞれ複雑に絡み合って形成されているんだなとしみじみ思い、しかし近づいてきそうなゴブリンに石を拾ってあらん限りの力を入れて投げ込んで追い払う。
なにせ奴ら、ただ見ているだけならともかく、俺を弓で狙い始めていた。
結果として複数いるゴブリンのうち、一匹の頭に見事命中し、そのゴブリンが崩れ落ちると、蜘蛛の子を散らすように逃げ始めた。
仲間を助けようと言う気概のあるゴブリンは一匹もいないようで、倒れたゴブリンは受けたダメージに震えつつも置いていかれたことに慌てて立ち上がり、逃げたゴブリンの方を一生懸命追いかけていった。
心温まる光景に、なんだか先ほどのタラスクとの戦いで削られた精神が柔らかく復帰していくような感じがした。
かと思えば、先に逃げていったゴブリンたちの前にある池から俺にさきほど襲い掛かって来た大魚が突然現れて、数体いたゴブリンの体を上半身ごと持っていった。
生き残ったのは、俺の投げた石のせいで逃げ遅れた一匹だけだ。
――弱肉強食だなぁ。
改めてしみじみ思うも、世の中そんなものである。
目の前で仲間たちが一瞬にして食われた光景を見て呆然としているゴブリンの背中には若干の哀愁を感じないでもなかったが、あのゴブリンも自分を見捨てた奴らを機会があっても助けたいとは思わなかったかもしれない。
どこから見ても世知辛い話だな。
……さて、《竜血花》は確かこっちだったな。
一人ぼっちになってしまったゴブリンがとぼとぼと森の中に消えていったのを確認してから、俺は踵を返して本来の目的地に向かう。
もちろん、タラスクの生息地帯はまだ出ていないので、警戒はしながらだ。
幸い、さっきよりもずっと安全に歩けそうな方法のあても見つかった。
先ほど、タラスクには聖気が効くことは確認したから、聖水の話もおそらくは本当だろうからだ。
だとするなら、聖気を僅かに垂れ流しながら歩けば多少は遭遇する確率も減るのではないか。
そう思った俺は、残った聖気をちびちび放出しつつ、歩き出した。