第74話 銅級冒険者レントと吝嗇の招いた不幸
一体何が起こっているのか。
そしてエーデルは何をする気なのか。
何も分からぬまま、俺は目の前の光景をじっと見つめる。
つまりは、エーデルとタラスクを。
エーデルはそして、動き出す。
光を身に纏ったまま、タラスクの首の付け根辺りに突っ込んでいき、そして、俺が先ほど鱗を剥がした部分を狙って体当たりを加えた。
エーデルはかなり大きい方だとは言え、小鼠の一個体に過ぎない。
つまりは、あの巨大なタラスクに体当たりをかましたところで、ダメージを与えるどころか衝撃を加えるのも難しいはずだった。
それなのに、直後俺の目に映ったのは、エーデルの体当たりによってタラスクが苦しんでいる姿だった。
「……グルァァァッァ!!」
傷ついた場所と再度抉られたことによる苦しみの悲鳴か、それともたかだか小鼠に痛みを感じるほどのダメージを与えられたことに対する怒りの咆哮か。
どちらなのかはタラスク自身にしか分からないことだろうが、とにかくエーデルの攻撃をタラスクは無視できなかったようだ。
ぶるぶると震えて痛みを堪えつつも、タラスクはその首を鞭のようにしならせてエーデルに襲い掛かる。
その速度は傷を負っているとは思えないほどに素早く、エーデルは避けられずにぶつかり、吹き飛ばされた。
俺は空中に投げ出されたエーデルの軌道を追い、地面に追突する前にキャッチする。
「……だいじょうぶか?」
捕まえたデブ鼠にそう話しかけると、問題ない、それよりお前も戦え、という意思が返って来た。
元気そうで何よりだな、と思いつつ、一応聖気で治療をしようとしたが、エーデルに傷は見当たらなかった。
どういうことだ、と思いつつ少し考えると、そう言えば先ほど目減りした力のことを思い出す。
たしかあれは、魔力でも気でもなく、聖気だったな、と。
どうも、俺から聖気を奪い取った上、攻撃に使い、さらに余ったから自身の治癒まで行った、ということらしかった。
一切指示も出してないし許可も与えていないのだが、と思ったが、眷属と言うのはこういうものなのかもしれない。
勝手に主から力を奪おうと思えば奪えると。
……なんだか搾取されているのは俺の方じゃないか?
という気がしないでもなかったが、
「……グルあぁぁ! がっがぁ!!」
という叫び声が聞こえ、まだ戦闘中だったことをかろうじて思い出した。
まぁ、ずっと走り回ってはいたのだが。
タラスクは巨体故にあまり小回りが利かない。
直線移動はかなりの速度が出るので完全に撒くのは難しいが、狭い範囲を逃げ回るのは今の俺には十分可能なことだった。
もちろん、ただひたすらに逃げてもどうにもならないし、いずれこちらの方が先に体力が尽きるに決まっているので時間稼ぎでしかないが、回復のための時間を稼げるというのは十分に意味がある。
エーデルにはその時間もいらなかったみたいだけどな。
しかし、タラスクを見てみるとエーデルの攻撃は大分効いたみたいで、タラスクの首の動きはかなり不自由になっているようだった。
少し近づいてみると、エーデルが攻撃を加えた部分からは煙のようなものが出ているのが分かる。
別に炎の魔術を放ったとかそういうわけではないのにああいう風になっているということは、エーデルの体当たりの効果と考えるべきだろう。
エーデルの特殊能力か?
……いや、そんな風には見えなかった。
光ってはいたけれど、あれはあくまでも聖気の輝きだった。
つまり、聖気による攻撃でタラスクはああなった、と考えるべきだろう。
いいヒントが得られたな。
タラスクは気や魔力よりも聖気で戦うのが正解、ということだろう。
初めからそうすればよかった……。
まぁ、実のところここに来る前から少しヒントはあったのだ。
タラスクの生態として、聖水が苦手なのでタラスク避けとして聖水を持ち、定期的に体に振りかければ向こうの方が避けてくれると聞いていた。
だから実際俺は聖水を購入して、そのようにしていたのだが、結果はこれである。
デマだったのだろうと思っていたが、そうではなくて聖水の方が偽物だったのかもしれない。
《タラスクの沼》を目指すにあたって、色々と散財してしまったので懐具合が寒く、ケチって露店の怪しげな聖水を買ってしまったのが良くなかったのかもしれない。
そもそも、聖水はどこかの教会に行かないと手に入らないし、高価なのだ。
この体で教会になどできれば行きたくはないと言う気持ちもあった。
そんな妥協の産物として、露店の聖水……。
安物買いの銭失いとはまさにこのことなのであろう。
勉強になった。
もうこうなったら聖水の製法も覚えたいところだが、あれは教会で秘匿している技術だ。
俺も聖気を水に込めようとしてみたことはあるのだが、ふわっとした量の力が微妙にこもって、それから十分もしないでただの水に戻ってしまった時点であきらめた。
やはり何か特別な方法でないと無理なのだなと。
――ガンッ!
と、近くの木がタラスクによって吹き飛ばされる。
あれだけ首を痛めていても体の方は何の問題もないらしく、ひたすらに俺を追いかけて体当たりをしてくるタラスクのしつこいことだ。
さらにそれに加えて毒のブレスも放ってきているが、これについては俺には何の意味もない。
肩のエーデルですら平気な顔をしているくらいだ。
俺たちにとってはただの紫色の生暖かい息でしかない。
むしろ、ブレスを放ってくれるとそこがちょうど隙になった。
もわりとした不快な空気であるが、さほど勢いがないためにその中を通り抜けてタラスクの近くまで簡単に潜り込めてしまった。
タラスクは、そんな俺の行動に驚いたように慌てて後ずさりをする。
まぁ、その気持ちは分からないでもない。
こんな攻略方法など出来る奴はそうはいないだろう。
少なくとも人間ならあらゆる毒完全無効の強力な魔道具でも持っていない限り無理だ。
しかし俺はそれを体質のみで乗り越えられる、というわけである。
――今度こそは。
先ほどのように中途半端に戦果を確認したりはせず、絶命を確信するまでは攻撃を加えよう。
そう思って、俺は剣に聖気を込めた。
剣に込められた聖気は剣からわずかにもれ、周囲に広がる紫色に染められた空気を浄化していく。
視界が開け、タラスクの首まで剣がたどるべき道筋が見えた。
「くらえ……っ!」
俺は剣を振りかぶり、タラスクの首の付け根、俺が一度、エーデルが一度攻撃を加えた結果、鱗が剥がれ、溶けかけたところにもう一度ダメ押しの一撃を加えた。
魔気融合術によって攻撃を加えた時は、固く通らなかったタラスクの肉である。
しかし、聖気のこもった剣で切り付けた感触は、通常の魔物を切るときと同じものであり、これなら、と俺は深く思う。
もちろん、タラスクの方も、俺に切られまいと身を動かし、どうにか避けようとしたが、そんなことをここまで来て許したりするはずがない。
俺の剣はタラスクの首に深く入り込んでいき――そして、その付け根から切り落としたのだった。




