第73話 銅級冒険者レントと鼠眷属の能力
――いつだって希望と言うものは裏切られるものだ。
そう言ったら、少し悲観的に過ぎるだろうか?
しかし、今の俺が置かれている状況を見れば、きっとその感想も変わるに違いない。
なにせ、俺の目前には今、絶望がいるからだ。
亀のような甲羅に、六本の足、扁平だが頑丈そうな竜の体に、固い鱗が生えている。
その瞳には知性よりかは野獣性が宿っていて、その目が捕らえようとしているのはただただ自分の腹に収まるべき弱い生き物だけだ。
――タラスク。
この《タラスクの沼》の通称の由来となった魔物が、そこにいた。
遭わないで済めばいいなぁ、とあれだけ思っていた相手であるが、正直なところを言えば遭遇したことにそれほどの驚きはない。
なぜなら、目的の植物《竜血花》の群生地はタラスクの生息地に囲まれるような形で存在しており、見つからずに通り抜けるのは簡単なことではないと知っていたからだ。
それでも、一応タラスクの生息地を踏まないよう、マーキングの跡なり他の魔物の現れる数などを注意して見て進んできたのだが、見事なまでに失敗してしまったらしい。
これは非常にまずいことだ。
しかし、こうなったらもう、戦うしかなさそうである。
不幸中の幸いと言うべきか、タラスクの持つ毒については俺には通用しない。
そのため、普通の魔物と戦って勝てばそれでいいだけだ。
問題は、それだけの実力が俺にあるのかどうかだが……。
「……ぐるあぁぁぁぁぁ!!」
耳をつんざくような轟音のようなタラスクの唸り声が鳴り響く。
間違いなく俺を敵として認識しているだろう。
はなはだ不本意だが、戦うしかない……。
俺は剣を抜いて、タラスクと相対する。
すると、タラスクは俺に向かって走り出してきた。
タラスクの体は見上げんばかりの巨体であり、人間などあれにぶつかれば一瞬にして弾き飛ばされるか潰されるかの二択である。
当然、俺はそのどちらの結末も選ぶつもりはなかった。
タラスクの突進を直前まで引きつける。
タラスクは亀のような甲羅を持ち、そこから長い首を上に伸ばしている魔物だ。
倒そうと思ったら、色々な方法が考えられるが、剣士が取れる方法は大体二つに分けられる。
甲羅ごと叩き切るか、首を切り飛ばすかのどちらかだ。
前者については、相当な腕と武器がなければ不可能なことだ。
タラスクの甲羅と言えば、銀級や金級の防具の素材としても使われるものだ。
鍛冶師による加工無しでも相当な強度を誇り、またその厚みも亀なんかとは比べ物にならない。
それを叩き切ることは、俺には極めて難しいだろう。
まぁ、魔力、気、聖気すべてを複合したあの技術であれば、もしかしたらいけるのかもしれないが、いけなかったときのことを考えるとおいそれとはやる気にはならない。
この状態で武器を失ったらそれこそ終わりだからだ。
あれは、本当に打つ手ゼロの時以外には選ぶべき方法ではない。
ではどうするか、と言えば、首を切り落とす方向で行くのだ。
俺はそのためにタラスクに向かって飛び上がり、そしてその甲羅の上に乗った。
そのまま首を後ろから切り落とす。
そのつもりで剣を振ったのだが、
――かぁん!
と、まるで金属に当てたかのような音と共に、剣が弾かれる。
その衝撃でタラスクも背中に乗る俺の存在に気づいたようで、いきなり横倒しになってごろりとその巨体で転がった。
――ごごぉん!
という地鳴りのような轟音と、タラスクの行動によって噴き上げられた湿地の泥が辺りの視界を阻む。
それだけでも脅威だが、俺だからそんなもので済んでいるのであって、通常の人間であればこれによって毒の心配もしなければならなくなるだろう。
攻防一体の、いやらしい攻撃というわけだが、俺は泥がどれだけ体に付着しようが問題はない。
視界も、思ったほど阻まれていない、というか、人間の視界で捉えていたものより多くの情報が得られているらしく、泥で見えないはずなのに、その向こう側に生き物がいることが分かる。
なんだろうな、これ。
理由は分からないが、非常に便利な視界だと言えるだろう。
俺はその視界を信じて、泥の霧と雨の中を突っ切り、タラスクに向かう。
未だにゴロゴロと転がり、また湿った地面に体を叩きつけているため、ここだけ地震が来たかのように揺れていて、かなり行動しにくいが、それでも俺が標的としているタラスクの首自体は、むしろ転がっていることにより地面に近い位置に来ている。
タイミングさえ間違えなければ切り落とせるはずだ。
問題があるとすれば、剣の切れ味の方なのだが、ここはもう、使い時だろう。
何をかって?
そりゃあもちろん……。
剣に力を籠める。
魔力……そして、気だ。
魔気融合術。
普通に切れないのなら内部から破壊してしまえばいい。
そういうことである。
まぁ、本当に魔気融合術を使いこなしている達人であれば、その破壊力を一点に集中して切れ味を上昇させることも出来るらしいが、少なくとも今の俺に出来る技能ではないな。
力任せに爆破である。
さぁ、行くぞ。
剣だけでなく、体にも気を込めて走り出す。
いつもよりも多めに使った気は、俺を素早くタラスクの首の付け根まで運んだ。
タラスクの動きは未だに停止してはいない。
のんびりしているわけにもいかず、即座に剣を振りかぶった。
そして、剣がタラスクの首に命中すると――
轟音と共に、タラスクの首を覆っている鱗が粉々に砕け散った。
――やったか?
一瞬そう思って動きを止めた俺だが、残念ながらこの程度でやられるほどタラスクと言うのは軟弱な魔物ではないようだ。
油断しかけた俺に、爪による攻撃が飛んできたのだ。
俺は慌てて避け、それからもう一撃くれてやろうとタラスクの首を見るが、そのときにはすでにそれは遥か高いところに行ってしまった後だった。
つまりタラスクは身を起こして戦うことにしたらしい。
俺が人間だったらさっきの方がずっと戦いにくかっただろうが、今の俺にとっては狙いどころが遠くなるこの戦い方の方が厳しかった。
そもそも、人間だった時はタラスクなんてどうやっても相手になんて出来なかったわけだが。
タラスクはその六本足を器用に動かして、俺に迫ってくる。
速度は先ほどほどでないのは、俺をさっき見失って背中に乗せてしまったことを反省しているからかもしれない。
もしそうだとするなら、やはりタラスクは恐ろしい魔物だろう。
この短い間にしっかりと学び、反省を活かして戦っていることになるからだ。
タラスクはどちらかと言えば野性味の強い、本能に従って生きている魔物だと言われているが、理性的な頭脳も巷間で言われている以上に持っているということなのかもしれない。
俺は、頭のよくないタラスクの方が好きだった……。
ま、そんなことを言っても仕方ないか。
しかし、ここからどう戦ったものか。
やはり背中に昇って攻撃を加えるのが一番だろうが、それを許してくれそうな雰囲気ではないしな。
ここは……。
と、考えているといつの間にか肩に乗っていた鼠の姿がなくなっている。
どこに行った……と思って少し探してみると、タラスクの足元に物凄い勢いで走り込んでいた。
おい、潰されるぞ、やめておけ、と思ったのだが、中々どうして、タラスクの巨体や六本足に踏まれないよう、うまいこと避けて、とうとうその背中にまで登ってしまった。
意外とやるものだなと思う。
ここに来て、エーデルに初めて感心した。
ただ、通常個体よりもかなり太っているとはいえ、所詮は小鼠に過ぎないエーデルが、タラスクの背中に上ったところでどうなるというのか……。
そう思っていると、
「……んなっ!?」
体から急に力を吸われたような感覚がし、それからエーデルの体が輝き始めた。




