第69話 銅級冒険者レントと朝方
日が変わる。
朝日が遠くから昇ってきて、窓から見えるマルトの街を徐々に照らしていく。
紫色だった雲の色が、赤くなり、そして世界が色づいてくると、今日が始まる。
毎日見ている風景だ。
珍しくもなんともないが、しかし、この体になる前はそんなものを見ることはよほど早起きが必要な依頼を受けない限りはなかった。
今の屍鬼の体は、どういうわけなのかさして睡眠がいらない。
全くとれないというわけではないのだが、必ずしも必要不可欠という訳ではなさそうなことは自分の体のことだ。
なんとなく分かる。
つまり、真夜中から朝にかけては酷く退屈な時間で、外を見ているか、灯りをとって本を読んでいるくらいしかなかった。
依頼を受けてずっと働き続ける、という選択肢も少しだけ考えないでもなかったが、そんな冒険者がいたらいくらなんでも怪しいだろう。
そもそもが休みを一切取らずに出来るような仕事ではない。
どれだけ勤勉な冒険者でも、たまには体を休めないと必ず体調を崩す。
だから、その選択肢をとるわけにはいかなかった。
お陰で、俺は前にも増して勉強家になれたわけだが、まだ始めて一月も経っていない。
ロレーヌに比べたら、天と地だ。
まぁ、色々と気になったことを尋ねれば、打てば響くように答えが返ってくるのでいいのだけど。
ちなみに、そんな俺と比べて今日連れ帰って来た小鼠はしっかりと睡眠が必要らしかった。
俺が使わせてもらってる机の上にひっくり返って腹を見せながら眠っている。
一応、主を名乗ってもいいだろう俺が真夜中の静まり返った時間に孤独に耐えているというのに、こいつだけ気持ちよく寝ているのはなんとなく腹立たしいところだ。
眷属になったのだから、俺と同じようになるべきではないのか?
そう思うが、現実はこうである。
まったく。
まぁ、意思がある程度伝わっている、感覚も少し理解できる、とは言っても、完全につながっているという訳ではないのかもしれない。
こればっかりは、時間をかけて色々検証していかなければわからないことだろう。
俺個人としてはさしてそこら辺を頑張るつもりはないが、ロレーヌが適度にやってくれると思われる。
人任せで申し訳ない限りだが、俺はとにかく第一に存在進化なので仕方がない。
それすらも行き詰ってしまっている今、暇人だろうと言われかねないのだとしても。
そんな益体もないことを考えながら、街の人々が目を覚まし、動き出すのを待っていると、ふと、鼻腔をくすぐる匂いが漂ってくるのを感じた。
どこからだ、外からか?
と思うも、夜、ロレーヌが眠るときに戸締りは全部しっかりしたはずである。
では……。
注意深く感覚を研ぎ澄ませてみれば、それは家の台所の方からで、俺はそちらに向かって歩いていく。
机で寝ている小鼠については放置でいいだろう。
起きればたぶん繋がりを通じてわかるからな。
そして、台所に辿り着くと、そこには非常に珍しい光景があった。
「……きょうは、ゆきがふる、か?」
俺がそう言うと、
「馬鹿なことをいうな。私だって料理くらい、やろうと思えば普通に出来るんだぞ」
そう答えたのは、当然、ロレーヌである。
彼女が台所で料理していた。
数々の調理用魔道具を器用に扱い、手慣れた様子で作り上げていく。
いつもならこの時間は爆睡しているくせに、珍しいこともあるものだ、と深く思ったが、別に彼女が料理できることは不思議じゃない。
というか、かつて俺が教え、一通り身に付けているのを確認している。
そして気が向いた時にたまに作ることもあった。
今日がまさに、その気が向いた時、というわけだろう。
「……おれのぶんもあるのか?」
血さえあれば問題がない俺だが、食事もたまにとっているのだ。
だからこその質問だった。
ロレーヌは、
「あぁ。作っているから、お前は座っていろ……そろそろ完成するからな」
そう言った。
彼女の腕に不安はないし、出してくれると言うのなら食べることに問題はない。
俺は素直に言われた通り、台所を後にして、食卓へと向かった。
◇◆◇◆◇
「さぁ、食べるといい」
そう言って食卓に並べられたのは、この地方の伝統的な朝ごはんである。
黒パンに牛乳、煮込み料理。
そんなものである。
先ほど作っていたのは煮込み料理だろう。
俺がとってきて保存してあった豚鬼の肉や、豆類、根菜類がしっかりとした出汁に浸かって煮込まれたと思しきそれは、匂いだけで食欲をそそった。
屍鬼であるから、腹はさほど膨れないだろうが、味覚がなくなったわけではないのだ。
屍食鬼だったときはあいまいでぼんやりしていたが、今は記憶が確かならばしっかりと生きていたときと遜色ない程度に味を感じられるようになっている。
ただ、一つ以前と違うところを上げるのならば、血液の味がもっとも美味しく感じられるという所だろうが、些末なことだ。
俺は、ロレーヌの手製料理を前に、一応、決まり事として神に祈りを捧げてから、カトラリーに手を付けて食事を始める。
「……不死者が食事時とは言え神に祈るのはなんだか微妙な感じがするな」
とロレーヌがつぶやいていたが、そんなのは俺が一番矛盾を感じているところだ。
宗派にもよるが、有名どころは大体不死者について神の敵対者とか、背教者として扱っているからな。
絶対に神には祈らない存在だと考えているに違いない。
「……いちど、しゃれできょうかいにいのりをささげにいってみようかな?」
「それは冒涜ではないのか? いや、不死者になっても神に祈りを捧げたと言うことで、むしろ改心したということになるのかな?」
ふざけた話に真面目に考察してくれたロレーヌである。
実際、改心も何も、一度たりとも神に反抗心を示したことは無いのだが、宗教施設に行ってみたらどうなるかは本当に気になる。
あの孤児院は東天教の教会に付設されていることだし、となりに行ってみればまさに神様が祀られているはずだから、行ってみればよかったな、と今更後悔する。
まぁ、あれだけ教会の近くにいて何も感じなかったのだから、行ったところで何もなさそうではあるが。
それにしても、と思う。
口に運んでいる料理が妙にうまい。
いや、ロレーヌがもともと料理が下手だ、ということは全くない。
むしろ美味い方だと思うのだが、前に食べた時と比べても格段に美味しいような……。
そんな表情を俺がしていることに気づいたのだろう。
ロレーヌがなにか勝ち誇ったかのように笑って、
「お、気づいたか。やはり、うまいか?」
と尋ねてきた。
意味が分からず、
「どういうことだ?」
と尋ねると、ロレーヌは、
「いや、お前の分には最後に血を一滴混ぜておいたのだ。調味料という訳ではないが、そうすればお前でも美味しく料理を食べられるのではないかと思ってな……」
と説明してくれた。
なるほど、と思う。
それはまさに俺にうってつけの料理だが、少し問題があるのではないかと思い、尋ねる。
「……それでは、ろれーぬのぶんまで、けつえきいりに……」
煮込み料理である。
必然的にそうなってしまう、と思ったのだが、ロレーヌは、
「流石に自分のものとはいえ、人間の血液入りの煮込みは食べる気にはならないぞ。安心しろ。お前の食べる分だけ、別の鍋に移してから改めて血を入れたんだ……まぁ、それでも何か魔女的なことをやっているような気分にはなったけどな」
そう説明した。
たしかにそれなら、料理も無駄にならなくていい。
しかし、魔女的なことか。
血を料理に入れる、なんて普通はやらない。
そう言う気分になるのは理解できる。
ロレーヌはそれに加えて、
「まぁ、私はやらないが、昔の魔女の占いに感化されてかそんなことを人間相手にする娘もいるらしいからな……男は大変だな」
と恐ろしいことを言う。
流石に冗談だと思ったが、ロレーヌの目は本気で、
「……いつやるんだ」
と尋ねると、
「ほれ、あれだ。女が男にプロポーズしても許される聖人の誕生日があっただろう? あのときに、食事を振る舞うのがしきたりだが、ああいうときに、な」
確かにそういうイベントはある。
俺にはまったく縁がないから気にしたことは無いが、それで結婚したという冒険者仲間はたまに聞いたことがあった。
それをロレーヌに言うと、
「呪いが効いた、ということもあったのかもしれんな……吸血鬼が眷属を作る様に、人の女は男を従えるわけか。ある意味間違っていない」
と納得したような顔をして、そのまま食事を続けたのだった。




