第620話 向かう途上で
魔王軍所属の一匹の亜竜人が、ルカリスの街を歩いている。
その様子は極めて高度な訓練を受けた軍人そのものであり、高い身体能力や人族などにはない感覚器官もあって、何者か怪しい者が現れれば必ず、存在を察知してやるという気概にも満ちていた。
しかしながら、流石のこの亜竜人も想定していなかったのは、自らの気配を完全に断つことが出来る特殊な技法を身につけた者がこの街を歩き回っていることだった。
こつり、とふと石が転がるか何かした音を聞きつけた亜竜人はそちらの方に走って、様子を確認しにいく。
いざという時にはしっかりと仲間達を呼べるよう、喉にも僅かに力を入れてだ。
普段出す、威圧のためのものではなく、あくまでも仲間に危機を知らせるための音波は、人族はまず警戒しない。
ただ、この街ルカリスは亜人族も多く存在し、耳のいい種族、人族とは異なる周波数帯を聞き取れる種族も少なくないため、このようによくよく注意しなければならない、と言うことは理解してた。
けれど。
「……ッ!?」
最初の一撃で喉を完璧に潰されてしまうとは、流石のその亜竜人も考えてはいなかった。
息もなぜか出来ず、肺から空気を送り出すこともできずにそのまま意識が遠のいていく。
膝をがつり、とルカリスの街の硬い石畳につけ、そして最後に顔を地面にぶつけたのが、その亜竜人のその日最後の記憶となったのだった。
◆◇◆◇◆
「……危なかったな」
カピタンが、足元に亜竜人が転がっている状況の中、静かにつぶやいた。
「まぁな。でも、ちょっと勘のいいやつだったみたいだけど……周りに他の個体はいないっぽいし、大丈夫だろ」
俺がそういうと、ディエゴが、
「すまん。あのくらいの音を聞きつけられるとは想定外だった」
と謝ってくる。
この竜人が聞きつけた音、それはディエゴが地面に転がっていた石を誤って軽く蹴飛ばしてしまい、運悪く少し響く音を立ててしまったことだ。
普通なら問題にならないほどの大きさだが、今の街のほとんど人がいない状況で、しかも竜人という耳が極端にいいらしい種族が思った以上に近くにいたことが問題だった。
幸い、近くに他に仲間はいないようだったし、だったらいっそのこと、ここで気絶させてしまえばいいだろうということになった。
もちろん、近くにいないと言っても、彼らには人の可聴域を超えた高音を出し、仲間を呼び寄せるという能力がある。
それを使わせないために、素早く喉を潰し、また同時にその息を気絶するまでしっかりと停止させておく必要があった。
喉を潰すのはカピタンが、息を止めることについては俺が担当した。
やり方は簡単で、空気管の呪物を稼働させて口に突っ込むだけだな。
あれは水中でなければただ息ができなくなる呪いをくれるだけのやばい魔道具に過ぎないから……。
意外に上手くいったな、と思う。
ディエゴがそう言う使い方もある、と迷宮を歩いているときに世間話がてら教えてくれたことで、それがなければもしかしたらこんなに簡単にはいかなかったかもしれない。
自分のミスは自分で拭った格好になる。
「俺だってあんなに耳がいいとは思ってなかったから、気にしなくていいと思うぞ。というか、やっぱり普通の蜥蜴人よりも色々と能力高いよな。竜人かどうか考えてたけど、やっぱりそれで正しいんだろうな」
竜人など滅多に見ない種族で、判別することは出来ない。
しかし少なくともただの蜥蜴人ではありえず、見た目は似ていても中身がだいぶ異なる竜人の方だ、と考えた方が納得がいきやすかった。
まぁ、そうはいってもせいぜい、多少の上位互換くらいの感じなのかもしれない。
行動も蜥蜴人のそれと似ている。
仲間を呼ぼうとしていたところとかも含めてな。
技量はやはり高そうだが、それは魔王軍の奴らだから、それなりの訓練などもしているからだろう。
それにしても魔王軍ってのは、内情がよくわからない集団だが、しっかりと雇って鍛錬させているのかな?
だとしたら給料とか出ないだろうか。
俺のようなやつも雇ってくれるのなら、こういう人族の街占領とかでないなら雇われて日銭をいつか稼ぐのに利用させてもらえないかな、とか冗談で思ったりする。
実際にはそんなに気軽に出たり入ったり出来る集団ではないのだろうが。
「さっさと用事は済ませてずらかった方が良さそうだな……よし、こっちで合ってるな?」
カピタンがディエゴに確認する。
ニーズたちに事前に何かあった時のためにと教えていた隠れ家。
そこに向かう途上で、運悪く先ほどの竜人に俺たちは遭遇してしまったわけだ。
まぁ、こんな街の外れにまでいるとは思ってなかったから油断もあったかもしれない。
実際、あいつ一匹しかこの辺りにはいないようだし、変わり者だったのかもな。
どんなところにも変わり者はいるもんだ。
人間社会にだって俺のようなのがいるし、魔王軍にだっていてもおかしくない……。
それを考えると、さっきのやつが目を覚ました後、上司に怒られないかと妙な心配が出てくるが、まぁ無用な心配だろう。
そもそも敵だしな。
「あぁ、合ってる……人が出入りした後があるな。竜人たちでなければ、ニーズたちが来ているはずだ……」
ディエゴが出入り口の跡を見ながらそう言った。
あまりはっきりとは見えないが、よく見ると確かに確認できる。
大きさから見るに、ニーズたちのもので間違いないと思われた。
さぁ、あいつらは中にいるかな……。
そんなことを考えつつ、俺たちはその隠れ家である洞窟の中へと進んでいく。