第66話 銅級冒険者と地下室の主
《邪気蓄積症》か。
俺も聖気を使っているだけあって、他人事ではないかもしれない病気だ。
しかし、昔から使っている割には特にそういったことはなかったな。
もともと使っていた力が微弱過ぎて邪気がほとんどたまらなかったからかもしれない。
コップ一杯くらいの水の浄化や傷口の化膿止めくらいしかしなかったもんな。
しなかったというか出来なかったともいうが。
それに対して、リリアンはかなり聖気を酷使してきたのだろう。
魔物を狩るのにもよく使っていたような感じだったしな……あぁ、そういえば、
「……ちかしつがどう、とかいっていたが、あれは?」
俺がリリアンの言葉を思い出してそう、尋ねるとアリゼは、
「あれは方便と言うか、《竜血花》の採取のために冒険者を呼ぶ、なんていったら、リリアン様のことだってすぐに分かっちゃうからね。聖気なんてここじゃ、リリアン様しか使えないんだもの」
「べつに、わかってもいいんじゃないか?」
「だめよ。自分のためにそんなことを頼む必要はないっていうわ。《邪気蓄積症》は別に今日明日死んでしまう、みたいな病気じゃないから余計にね。あれは徐々に体を衰弱させる病気で……治癒術師の人が言うには、健康な人がかかって死んでしまうことはあるけれど、それには五年十年かかるのが普通だって話よ。リリアン様はそれならその間に他の僧侶と管理者を交代すればいい、とか考えかねないわ」
相当自分に厳しいと言うか、懐具合に厳しい人なのかもしれない。
まぁ、そもそも《竜血花》の採取を冒険者に頼もうと思ったら普通なら金貨が必要になってくるからな。
そんなもの頼めない、と言うのは分からないでもない。
リリアンがいなくなったあとの孤児院のことを考えればそれでも頼んだ方がいいだろうが、時間があるなら他と交代すればいい、というのはある意味、非常に合理的で迷惑のかからない方法でもある。
真実をリリアンに語ったところで反対されるのは目に見えているからこういう行動に出た、というアリゼの話も理解できた。
東天教の信仰に生きる僧侶と言うのは大体が善人だが、それだけにたまに説得が通用しないからな。
たとえば今回のことのように……死が目の前に与えられたらそれは天命だ、と考えかねない感じと言うか。
まぁ、金があるなら治療してもいいとは思ってそうではあるので、リリアンはそこまでではないようだが。
ただ、説得は難しそうである。
黙ってやるのがいいだろう。
しかし、アリゼには他の心配があるようだ。
「……ま、そういうことだから。ただ、頼んでおいてなんだけど……本当に《竜血花》をとってこられるの? 貴方も言っていたけど、あれはこの辺りじゃ、《タラスクの沼》にしかないって聞くけど……」
《タラスクの沼》とは読んで字のごとく、そのままの意味で、タラスクと呼ばれる強大な魔物の縄張りである沼沢地帯のことである。
そしてタラスクとは、沼地に好んで住む亜竜の仲間で、固い甲羅に六本足を持つ、毒を持った魔物だ。
低ランク冒険者ではまるで相手にならない存在で、だからこそ、《竜血花》の採取は厳しいとされている。
アリゼはそんなところに銅級でしかない俺が行って帰って来れるのか、と疑問に思っているらしかった。
当然の話だ。
だが、俺は言う。
「……たらすくにかてる、とはおもわないが……やりようはある。そんなにかずがいるまものでもないし、な」
「本当に?」
「あぁ。ま、きたいしてまっていろ。かならずとってきてやる」
「……ありがとう。頼りにしてるわ。じゃあ、早速行くのかしら?」
「いや、《たらすくのぬま》は、とおい。あそこのまものは、やこうせい、のものがおおいからな。むかうのは、あすだ」
これがリリアンの病状が一刻を争う、というのであれば俺も危険を顧みず今すぐに向かっただろうが、そういうわけでもないようだ。
無理して今行くと、帰ってこられない可能性すら生じるので、そうなるよりは多少遅くなっても確実性のある方が良い選択だと考えたわけだ。
「そうなの? へぇ、やっぱり、銅級でもしっかりとした冒険者なのね。そういうことをよく知っているのはなんだか専門家っぽいわ」
俺の言葉に、アリゼは妙に興味深そうにそう言った。
それが気になって、俺は尋ねる。
「もしかして、ぼうけんしゃにきょうみがあったりするか?」
「あれ、分かった? 小さいころからちょっとなってみたいなって思ってはいるのよ。運よく、魔力は少しあるの。ただ、孤児院のこともあるから……しばらくは無理ね。少なくとも、リリアン様がよくなるまでは」
リリアンの話によればこの孤児院について彼女の次に詳しいのはアリゼだ、ということである。
リリアンがあんな風になっている現状で、自分のやりたいことをやろうというのは難しいのだろう。
魔力があるのなら、俺のように底辺にくすぶり続ける、と言う可能性も低そうだ。
「ぼうけんしゃになるときは、いってくれ。ちからになるぞ」
「……貴方、本当に優しいわね。じゃあ、いつになるか分からないけど、そのときは頼らせてもらうわ」
アリゼは俺の言葉にそう言って、微笑んだのだった。
◇◆◇◆◇
それから、今日のところはもう、帰ってもよかったのだが、アリゼに詳しく話を聞くと、孤児院の地下室に魔物がいるために整理があまり進んでいない、と言う話自体は本当らしかったので、リリアンへのカモフラージュがてら、それをやることにした。
まぁ、魔物、とは言っても都市内に入り込める魔物など大半が大したことがない。
人に化けたり、空から襲ってきたりと特殊な入り込み方をする魔物ならともかく、地下室をちょろちょろするしか出来ない魔物と言うのは大体相場が決まっているものだ。
孤児院の地下室にアリゼの案内のもと、入り込み、さて、予想したもののうち、どれがいるのかな、と地下室内部を観察してみる。
地下室特有の涼しい空気がひどく気持ちよく感じるのは、俺が屍鬼などという不死者であるがゆえだろうか。
こういう、薄暗いところがなんだか前より好きなんだよな……。
まぁ、それはいいか。
「……お、いたな」
「え? どれどれ?」
俺の言葉に、アリゼがそう反応する。
彼女の手には一応の護身用にナイフが握られている。
大したものではないとはいえ、一応魔物だ。
それくらいは必要だった。
俺は部屋の片隅を指さして、言う。
「ほれ、あそこにいるだろう……あのまるいのだ」
「……あぁ、あれね……というか、大きいわね」
そこにいたのは、いわゆる小鼠と呼ばれる小型の魔物だ。
以前、ロレーヌとの会話の中で出てきた、実験動物的な使い方もされることの多い魔物である。
通常は普通の鼠よりも少し大きい、くらいのものだが、そこにいたのはその五倍は体積がありそうな奴で、アリゼの言う通り大きいと言う他ない。
よほどここの環境が合っているのか何なのか。
その小鼠は近づいてきた俺たちに気づいて、振り返り、威嚇してきた。
尖った前歯がまるでそれこそナイフのように鋭く光っている。
アリゼを連れてきたのは失敗だったかもしれないな、と思いつつ、俺もナイフを構えた。
この広さで剣を振り回すのは厳しいからだ。
解体用のナイフを持っててよかったな、と思う。
その代わり、魔力だけで戦う必要があるが、小鼠くらいに後れをとることはもう、ない。
「さぁ、やるぞ」
俺はそう言って、小鼠に向かって固い地下室の地面を蹴った。