第612話 港湾都市と名乗り
「……《気》というのはそんなことまで出来るのか」
槍を弾かれたディエゴが苦々しそうに、でも感心もしたような声でそう言った。
カピタンが油断なく構えつつも答える。
「慣れれば、な。ただ今の突きは相当なもんだった。俺としては、《気》で弾くつもりはなかったのに」
「そうなのか? 大分余裕があったように見えたが……」
「いや、そうでもねぇさ。むしろ油断だったな。ここのところ、あんまり歯応えのある奴とは戦っていなかったから色々鈍ってた。こっからは、本気で行くぜ」
「まだ本気ではなかったと?」
「そりゃあな。《気》を教えるにあたって、ディエゴ、あんたの実力を見るのが第一の目的なんだ。いきなり倒しちゃ、意味ねぇだろ?」
「これは舐められたものだな……! こちらも、本気で行くぞ!」
「あぁ、来いよ!」
会話しながら、徐々に闘気を高めていった二人が、その会話を最後に地面を踏み切った。
ほぼ同時に見えたが……いや、やはりカピタンの方が速い。
ディエゴの槍よりも先に、カピタンの剣鉈の方が距離を縮めるのが速かった。
並の戦士ではその一撃で勝負が決まるだろうが、ここはディエゴも言っただけあって、届く直前に首を傾けて避けた。
人族であればあの避け方は難しいだろう。
獣人、それも猫系特有の体のしなやかさがあのような動きを可能にするのだろう。
俺も似たような事はできるが、その場合は関節丸ごと外すとか、およそ生き物の挙動の埒外になってくるから比べるのも申し訳ない。
いずれ人間に戻る気でいるのだからそのようなやり方にあまり慣れすぎるとまずいと言うのは分かっているのだが、便利だとつい使ってしまうな……。
などと考えている間に、カピタンはさらに手を進める。
避けられることもカピタンには予想済みだったのだろう。
あるいは、どちらに転んでもいいように初めから攻め手を組み立てていたか。
まぁ、おそらくは後者だろう。
カピタンは普段は大雑把だが、こと戦いや狩猟においては非常に論理的な頭脳の持ち主で、不確かなことはあまりしない。
戦い方にそれがよく現れている。
対して、ディエゴの方はむしろ本能に従っている部分が強いだろう。
ただ、それがデメリットにはなっていないようだ。
カピタンの攻撃をはっきりと認識していないだろうタイミングで、野生の勘のようなもので把握して動いている節がある。
今の回避の動きとてそうだった……だが、そう言った動きは、カピタンが普段獲物として相対する存在……魔物や動物にかなり近似しているものだ。
対処方法もしっかりと体に身についている。
これは人間もそうだが、意識していても、いや、意識しているからこそ避けがたい攻撃というのがあり、カピタンはそういったものの専門家でもある。
次の瞬間、カピタンが行ったのは驚くべき行動だった。
槍を引き戻そうとしているディエゴの足元に自らの剣鉈を躊躇なく投げ込んだのだ。
まさか相手がそんなことをしてくるとは予想もしていなかったディエゴは、足元のバランスを大幅に崩す。
槍がわずかに上に傾げ、手の握りが緩くなった瞬間をカピタンは見逃さなかった。
ディエゴの腕を蹴り上げ、槍を取り落とさせると、そのまま腕を引っ掴み、倒す。
そして腕ひしぎを決めたのだ。
ディエゴは猫科系統の獣人であり、かなりの柔軟性を持っているからそう簡単に関節技など決まるはずもなく、初め、焦った様子はなかった。
しかしながら、カピタンから逃れようと動いた瞬間に驚きの表情をする。
おそらくだが、外れないのだろう。
普段であれば確実に外せるはずの関節技が外れない。
そのことに少しばかりのパニックを起こし、
「な、なぜ……」
と呟く。
これにカピタンは笑って、
「負けを認めるか?」
と尋ねた。
ディエゴは少し考え、それから全力で足掻くもまるで外れないことを理解し、
「……認めるも何も、事実として負けだろう。参った」
そう言ったのだった。
◆◇◆◇◆
「……カピタン、ディエゴ!」
少し離れた位置から声をかけつつ、俺とペルーサが近づく。
二人は立ち上がりながら気づいたようで、
「レント……なんだ、買い出しは終わったのか?」
カピタンがそう尋ねる。
ただ視線は俺と言うよりもペルーサの方に向かっている。
言いたいことはわかる。
何を拾ってきた?
それ以外の何者でもない。
俺の性格というのを最もよく分かっている人の一人であるから、状況だけで色々と察せられてしまうのだろう。
「あぁ、まぁ……買い出し自体は終わった。こっちは、ペルーサ。ちょっと色々あってな……」
「色々、か。見るに魚人のようだが……」
そう言って顎を摩ったカピタン。
そんな彼にペルーサが名乗る。
「あぁ、魚人だよ。私は古き海の子、ペルーサ」
「ほう。俺はカピタンだ」
事情はともかく、名乗られたからには名乗り返すのが礼儀と言わんばかりにそう言って、手を差し出し、二人は握手した。
しかし、ペルーサの名乗りを聞いたディエゴは、驚いたように目を見開いていた。
俺は気になって、尋ねる。
「……ディエゴ? どうかしたのか?」
すると、ディエゴは、
「……レント。お前、その娘が誰なのか分かってるのか?」
「魚人の娘だろう?」
そうとしか見えない。
それ以外言いようがない。
他には……スリの犯人とか?
しかしディエゴが言いたかったのはそういうことではないらしい。
ディエゴは呆れたように首を横に振って言った。
「確かにそれはその通りなんだが、問題はそこじゃない。《古き海の子》と魚人の名乗りについてくる場合、それは人間の言葉に直すとこうなる。《王族だ》」
「……え。でも、この娘は……俺にスリをしようとしてたくらいの奴だぞ。いくらなんでも……」
流石に王族だ、とかいうならこの街でも誰かに簡単に頼れたのではないか。
そう思った。
しかしこの俺の疑問にはペルーサが自ら答える。
「この街でしっかり名乗ったのは、レント。あんたに対してが初めてだ」
「……なんで。他の魚人にも名乗れば一発だっただろ?」
「私は《海中街》でもあんまり顔を知られてないからさ。地上で名乗ったって騙りにしか思われないよ。でもあんたは魚人じゃないし、別にいいかと思って」