第609話 港湾都市とスリ
なんとか人混みを抜け、財布を掏った犯人を追いかけ始める俺。
あまり急ぐと気付かれるし、まだ大通りは人が多い。
俺も鼻が利くとは言え、これほど多くの人が行き交う場所で人混みに紛れられては追いかけきれないため、ある程度開けた場所に出るまではとりあえずひっそりと追いかけることにした。
幸い、というべきか、向こうは俺が気付いたことに気付いていないようだった。
急いで逃げてはいるものの、俺から必死に、というよりは可能な限り早く《現場》から遠ざかりたい。
そんな考えが見える逃げ方だ。
やはり慣れているのか、ぱっと見では多少早足かな、というくらいに抑えている。
そのお陰もあって、追いかけるのはさほど大変ではなかった。
そして、大通りも人通りの少ない辺りにやってきたところで、周囲をきょろきょろと見回し路地裏に入ったところで、
──ガシッ。
と、腕を引っつかんで止める。
「……なっ!?」
驚いて顔を上げたその人物に俺は言った。
「言いたいことは分かるな? ちょっとこっちに来い」
そう言ってから、路地裏に引きずり込んでいく。
大通り側に、ではないのは、変に暴れられたり、妙な芝居っ気を発揮されてこっちが悪者扱いされては困るからだ。
そういう知恵の回る人間というのは少なくないと言うことを、俺はよく知っている。
マルトでもよくそういうことはあるからな……。
そういうわけで、どんだけ暴れようが叫ぼうが、官憲やら人のいい迷惑な人間やらが近づいてこないところまで引っ張っていく。
そんな最中、掏摸をした当人はどうにか解放して貰おうと色々喚いているし、気付く人間もいたが、見るからにやばそうな骸骨仮面に黒ローブの、片手剣を腰に下げた男が路地裏に誰かを引っ張っていくところを止めるほどの度胸がある人間はルカリスと言えどそんなに多くはない。
時間をかければ官憲も呼ばれるだろうが、そんな時間はかけずにさっさと路地裏の奥に進んだ。
後々、誰かに色々聞かれる可能性はあるが、そのときにはもう何の証拠もないのだから適当に答えればなんとでもなる……。
うーん。
なんだか思考が悪党だが、別にこれからこいつを懲らしめてやろうとかそんなつもりはないので問題ないだろう。
路地裏もかなり奥まったところに進んだところで、掏摸を行った当人も流石にどうにもならないと諦めたのか静かになっていた。
顔色を見るにかなり青くなっている。
俺の行動がこういうことに慣れきっている人物のそれなので、もう終わりだと感じたのかも知れない。
まぁ、普通、冒険者にこういうことをしたら場合によっては殺されかねないからな。
気持ちはよく分かる。
「さて……まずは俺から奪った財布、返してもらえるか?」
「な、何のことだよ……」
「お前、流石にしらばっくれるのは無理だろう? 大体、そうしたところで無駄だというのはもう分かってるだろ?」
俺が言いたいのは、もう犯人はお前で確定なんだからそういうやりとりは面倒なのでやめてくれ、ということだったが、どうやら別の意味で聞こえたらしい。
観念したように、
「……そう、だよな。あんたは私を殺してから探ればそれでいいんだもんな……ほら、これだろ」
と俺の財布を手渡してきた。
なんだか恐ろしく悪人になったような気分になる。
しかしやっていることは普通に掏摸から自分の所持金を奪い返しただけなのだが……。
「それで? これからどうするんだ? 私を官憲に引き渡すのか? それともこの場で殺すか? もう好きにしろよ……」
諦めたようにそう言う掏摸。
しかし俺は首を横に振った。
「いや? 別に何もする気はないが……。そもそも、お前、今の時期に珍しいな。ルカリスにお前のような種族は少なくないが……大体が海にある《海中街》に帰ったって聞いたぞ」
そう、俺に掏摸を行った人物……それは少女であったのだが、その見た目は俺たち人族のそれとは大きく異なっていた。
いや、俺も人族ではないが……ともかく。
少女の姿は、大まかには人族と同じ形をしているのだが、首筋や腕などにうっすらと鱗のようなものが皮膚に生えているのが見える。
さらに耳は完全に人族のものとは違って、魚のひれのような形をしているのだ。
虹彩の輝きも人族とは異なる。
明らかに《魚人》と呼ばれる種族のそれだ。
《魚人》と一口にいっても、それは《獣人》のことを《獣人》と呼ぶのと同様で、皆が同じ形をしているとは限らない。
獣人はそれぞれが持つ獣の因子の違いで、大きく姿が異なることが普通だからだ。
例えば、狼人と猫人のそれが異なるように。
《魚人》も同様だと言われる。
マルトには数少ない種族だったために俺もあまり詳しいことは知っているわけではないが、それくらいの知識はあった。
ただ、この少女がどんな系統の《魚人》なのかははっきりとは判別できない。
鯨人とか鮫人とか辺りなら、結構分かりやすいんだが……。
体が明らかにデカいとか、歯が鮫のようにギザギザとしているとか、そういう部分に特徴が出やすいからだ。
しかしこの少女にはそういうものがないというか……あるのかもしれないが、ぱっと見で頭に浮かぶような種類の魚はないなという感じだった。
かろうじて鱗と耳で《魚人》と分かるくらいで。
こういう《魚人》もいるのだな、と珍しく思う。
そんなわけで、俺の視線は純粋な興味からのそれだったのだが、少女にとってはそうは見えなかったらしい。
「……確かにほとんどの同胞は海に帰ったけど……だからって私を奴隷商に売ったりすれば、必ずあんたに報いが……!」
商品の値踏みの視線に見えたようだ。
確かに奴隷商とか闇系の職業に身を窶しているような見た目ではあるけれど、違うんだよ……。
俺は言う。
「そんなつもりもない。ただ、俺はもうこんなことはするなと言いたいだけだ。そもそもお前たち《魚人》はこの街ルカリスでそれなりにうまく商売をしてるって話だろ? 人族が行けないような、海の底にしかない珍しいものを採取して売ったり……お前くらいの子供でも、それくらいのことは出来るって聞いたぞ」
そう、そういう生きる術があるだろうに、わざわざ掏摸なんてことをする理由が分からなかった。