第608話 港湾都市とお使い
次の日。
俺たちは休みを取ることにした。
なぜなら、昨日の今日でまた《海神の娘たちの迷宮》に行くのは厳しいからだ。
俺に限って言えば、肉体的疲労が全くたまらない体質であるため問題はない。
けれど他のメンバーはそうではない。
特にニーズたちについては疲労困憊の状態だ。
そんな疲れが抜けない状態で連れていったら、間違いなく大怪我を負うか、場合によっては死ぬだろう。
流石に一種の罰としてほとんど無理矢理連れていっているとはいえ、そんなことをさせるわけにはいかなかった。
ただ、昨日それくらいの無茶をさせただけあって、カピタンが言うには彼らに《兆し》のようなものが見えてきているという。
何のか、と言えば《気》が使えるようになる萌芽だ。
本来、《気》を身につけるためには日々、厳しい鍛錬を繰り返した上でなければならない。
それは実際に俺がそういうやり方で身につけたことからも間違いない。
カピタン自身もそうだろう。
しかし、どんなものにも例外や裏道というのが存在する。
ニーズたちはそれに当てはまるというのだ。
というのは、ニーズたちは以前の俺と同じく、ずっと銅級として燻ってきた者たちである。
ある程度の実力までは辿り着くことが出来たが、その後は成長の限界に達してしまった。
このまま続けたところで大したところまで行けないという自分の将来が明確に見えて、腐り、それでも日銭を稼ぐために倒せる範囲で魔物を倒し続け……。
そんな生活を繰り返してきた者たち。
通常であれば、それ以上はどうにもならない。
ありふれた話で、誰も彼らを気にも留めない。
最後にはいずれ来る限界……年齢による体力の低下や、依頼中の大怪我によって引退を余儀なくされる。
けれど、ニーズたちには出会いがあった。
《気》の達人であるカピタンに出会えるという機会が。
俺に無謀な喧嘩を売った彼らだが、その結果として普通とは少し違う道を進めることになった。
カピタンが言うには、そういった成長限界に達した者というのは《気》に目覚めやすい状況にあるのだという。
というのは、魔物を倒すと俺のような魔物でなくとも、僅かながらその魔力や力を吸収できると言われているのだが、その中には《気》も含まれている。
《気》とは体力、生命エネルギー、そういったものだからだ。
魔物であってもその多くは生き物であるため、そういうものを持っている。
俺のような不死者や、不可視の精霊の類いになってくると、《気》を持たなかったり、《魔力》のみで身体を構成しているというものも出てくる。
しかしやはり、大抵の冒険者が、特に低級冒険者が闘うのはゴブリンとかスライムといった、生き物と呼べる魔物が多い。
骨人なども低級の魔物に含まれるし、《水月の迷宮》には多く出現したが、実のところ不死者系統が出現する迷宮で低級冒険者向け、というのは非常に珍しかったりする。
大抵が、更に上位の不死者が手駒のように生み出すため、迷宮自体がかなり深いものばかりなのだ。
それを考えると《水月の迷宮》は在り方からして少し奇妙だったと言えるのだが……。
何故か、多くの研究者が特段気にもかけなかった迷宮である。
今にして思うに、色々と特殊な事情で誰も気にかけないようになっていただけ、なのではないか。
それがなんなのかははっきりとは言えないが……あの迷宮には、俺にローブをくれた女性もいるし、最寄りの街はラウラのいるマルトだ。
あの辺り自体が、何か特別な場所だとしても何ら不思議なことはない。
おっと話がずれたか。
まぁ、そんなわけで、ニーズたちの鍛錬については割と早く進みそうな感じだ。
今日休み、明日で最低限の《気》を使えるようにするというのが目標だとカピタンは言っていた。
そこまで行けるのかと思ったが、無理ではないと言っていたので出来るのだろう。
ちなみにディエゴに関してはある程度、別の師について《気》を学んでいて素養があったため、すぐに使えるようになることが可能だろうということだった。
明日、ニーズたちにしっかりと教えるため、今日はディエゴに教え込む、と言っていたので、彼らについては今日は実質的に休みではないが……魔物たちと戦い続けるわけではないから、休みのようなものと言って良いだろう。
流石にニーズたちと違って、体力については少し訓練したくらいでどうにかなるような二人ではないからな。
そういうわけで、ディエゴとカピタンは訓練中なので今日は街に出ることが出来ない。
しかし、明後日にはまた、《海神の娘たちの迷宮》に向かう予定なので、色々と必要なものの買い出しを頼まれた。
今、俺はそのために街を歩いているのだ。
買うものについてはしっかりと全員に要望も含めて聞いてきたから、忘れないようにしなければ……。
そこまで考えたところで、俺は周囲を見回す。
辺りは喧噪に満ちていて、多くの人々が行き交っていた。
俺はディエゴの家から出てきて、大通りについたところだった。
大抵のものは大通り沿いの店で揃うため、しばらくここら辺をうろつくつもりであるが、ディエゴには気をつけるように言われた。
というのも、ルカリスは港町という関係で、様々な土地の人間がいる。
その中には非常に問題ある人々もいて、大通りなどには特に多いからと……。
まるで母親が初めてお使いに出る息子に言うような台詞であるが、ディエゴとの初めての出会いがニーズたちに絡まれているところなので文句も言えない。
ただ……。
「……流石にまたそんなことになったりはしないだろ」
と、独り言を呟いた瞬間、
──どんっ!
と、腰辺りに体当たりをされる。
何かが近づいてきていたのはしっかりと分かっていたし、避けるつもりだったのだが、今日の大通りは大分込んでいて、避ける隙間がなかった。
無理に避けると妊婦を倒しそうな位置関係で、避けることが憚られたのだ。
幸い、ぶつかって足を踏ん張ったため、近くにいた妊婦には一切触れずになんとかなったが……。
「……やられた、か」
腰から下がっていた袋を引っ張って行かれた感触があった。
財布だ。
ちゃんと紐で腰に繋いでいたはずなのだが、慣れているのだろう。
しっかりと刃物で瞬間的に切り取って行かれた。
手を出したら指や腕が切られていただろう。
それでも良かったのだが、流石に切られても平気そうな顔でいるのもおかしいし……。
と、色々なことを考えていたのが悪かった。
ただ、幸い、たたたた、とかけていく後ろ姿は今でも見えている。
俺は人混みを抜け、その後ろ姿を追うことにした。