閑話 異界の魔王
「……どういう状況だと思う?」
俺がこてりと首を傾げながら、隣で顎に手を当てつつ思考を巡らせているロレーヌにそう尋ねると、彼女は言った。
「……以前、似たようなことがあった。これはそのときと同じだろうな」
「やっぱりか……それってあれだよな?」
「あぁ。迷宮探索中、迷宮間転移罠に引っかかり、異大陸の冒険者と出会った……あれだ」
ロレーヌが難しい顔で言ったのは、かなり困った事態になったからだ。
以前のことを簡単に思い出すと……。
俺とロレーヌで《新月の迷宮》に潜っていたとき、不幸にも転移罠を踏んでしまい、そして飛ばされたことがある。
普段であれば俺やロレーヌの目はそういったものを比較的早い段階で発見できるのだが、そのときは出来なかった。
かなり特殊な罠だったからだろう。
俺も、長い冒険者人生で、そのとき始めて見たものだったし、ロレーヌも同様だった。
ただ、運良く俺たちは向こうの迷宮でベテラン冒険者と出会い、なんとか元の場所に帰り着くことが出来た。
《迷宮間転移罠》というものにはそういう性質があるというか……必ず往路だけの片道ではなく、復路も存在しているからだ。
つまり飛ばされた先で探せば、帰り道は必ずあるのである。
俺たちは現地の冒険者の協力を得ることでその帰り道を見つけたわけだ。
「まさかもう一度引っかかるとは……あれって発見できないのか?」
「少なくとも他の罠のように魔眼には引っかからないようだな。改めて調べてみようにも引っかかって稼働したら後はもう、消えてしまうようだし。困ったものだ……」
そんなことを話しつつ、俺とロレーヌがため息を吐くと、
「……それで、納得はしたのか?」
と、横合いから話しかけられる。
その声の主はもちろん、俺でもロレーヌでもなく、先ほどから俺たちの前にいた人物だ。 十五歳ほどの少年なのだが……これがかなり奇妙な人物だった。
見た目は明らかに少年だ。
ただ、俺の目から見て魔力量が半端ではない。
正直言って、これほどの力を持った存在を、俺はまだ《龍》以外に見たことがなかった。
それほどだ。
ロレーヌも先ほどから普段と変わらぬ様子で会話していたが、俺には分かる。
かなりの緊張を強いられていると言うことに。
よく見れば首筋に冷や汗が少し滲んでいるしな……。
彼女にして、相当に珍しいことだ。
「……お義兄さま。そんなに急かさずとも……。転移罠などそうそう残っているとは思いませんでしたが、実際に現れたところはわたくしたちもはっきり見たのです。あれに今の人間が引っかかれば……状況をそう簡単に理解できるとも思えませんわ」
少年に続いて、丁寧な口調でそう話し出したのは、少年の連れと思しき少女だ。
美しい銀髪に、迷宮の中とはとても思えない軽装である。
一応、武器は持っているようだが……なんだろう。
あれは何故か飾りに見えた。
こんなところにいるからにはあれを振るって魔物と相対するのだろうし、実際にそれが出来るだろう力も感じる……というか、やっぱりこちらの少女もちょっと考えられないほどの存在感だ。
この二人組は一体何なのだろう?
可能であれば、今すぐにでもロレーヌと共に逃げ出したいくらいだ。
ただ、それが不可能なことは分かっているし、また友好的な雰囲気なのでそれをする必要も論理的に考えてないのも分かっている。
だからとりあえず頭を整理するためにちょっと相談させてくれ、と言って待っててもらったのだ。
まだ完全とは言えないにしろ、ある程度、落ち着いた。
だから俺は彼らに言う。
「……いや。何もかも分かったとは言えないが、とりあえずの状況は理解した。わざわざ待っててもらってすまない……俺はレント・ヴィヴィエ。ヤーラン王国にある辺境都市マルトを拠点とする冒険者だ。クラスは銅級だ」
ヴィヴィエ姓を名乗ったのは、どこにいても冒険者職員だから、で強弁できる名前であるからだ。
場合によってはウルフに頼めばもみ消しすらしてくれるかもしれない。
借りは作りたくはないが……おかしな場所でおかしなことに巻き込まれているのだ。
この場合は背に腹は代えられない、という奴だな。
続けて、ロレーヌも、
「私はロレーヌ・ヴィヴィエ。同じく、マルトを拠点とする冒険者だ。クラスは銀級だな……それで、お二人は……?」
そう尋ねた。
これに少年と少女は顔を見合わせて少し首を傾げる。
何か不思議に思ったようだが、とりあえずは自己紹介が必要だとは思ったのか、まず少年の方が口を開いた。
「……俺はルル。ルル・カディスノーラだ。冒険者で……中級だ。拠点は特にない。世界中を回っているという感じだな。それでこっちが……」
促されて少女の方も言う。
「わたくしはイリス・カディスノーラ。わたくしもお義兄さまと同じで、中級ですの。同じく、世界を見て回っています。本当はもう一人と一匹、パーティーメンバーがいるのですが、この遺跡を探索するにあたって、馬車を見てもらうために上で待っていてもらっています」
なるほど、この二人はパーティーメンバーらしい。
それに……。
「なるほど、名字が同じってことは……二人は兄妹なのか」
俺の言葉にルルの方が頷いて、
「あぁ。そういうことになるな。といっても、血は繋がっていないんだが」
「……悪いな。余計なことを聞いたか?」
「いや? 特に気にしたことはないからな……そうだよな、イリス」
「ええ、勿論です。むしろその方が良いに決まっておりますわ。ええ」
妙な力を込めつつ、イリスがそう呟いた。
……なるほど、そういう関係か、と俺とロレーヌは察する。
それから、イリスがふと俺とロレーヌを見て、
「そういえば、お二人も名字が同じでいらっしゃいます。ということは……ご夫婦ですか?」
「いや……」
そういうわけでは、と俺が答えかけたところで、ロレーヌが俺の耳元で、
(説明が面倒だし、この際そういうことにしておいてもいいのではないか? どうせここは異大陸であるし)
などと言ってきたので、まぁ……それもそうかと思った俺は、改めてイリスに言う。
「まぁ、そういうことかな……」
と曖昧な言い方だったのはご愛敬だろう。
これにイリスは唐突に身を乗り出して、
「やっぱり! お似合いだと思っていましたわ! それで……お二人はどのようにしてご結婚を? やはり、ロレーヌさんの方からアプローチをしたのですか!? いえ、なんだかこのレントさんはどうもお義兄さまに似ているというか……分かっているのにとぼけ続ける雰囲気を感じますので、そう言った方をどうやって崩すのかをご教授いただきたく……もちろん、お礼は弾みますわ! そうですね、古代魔術などいかがですか? 結界系のものでしたらもう魔力砲でも禁術でもなんでも防げるラインナップがですね……」
などと質問攻めにし始めた。
言っていることが相当物騒極まりなく、なんだこの少女は、と引き始めた俺だったが、彼女の後ろを見ると微妙な表情をしたルルがこちらに視線を向け、そして目があったのを理解すると小さく手招きをしてきた。
俺はイリスとロレーヌに気づかれないよう、そそくさとルルの方へと移動する。
「……まぁ、なんだ。うちの義妹がすまないな……」
申し訳なさそうに言ったルルに、俺はなんとなく親近感を感じた。
同じような苦労人の空気を感じたからだ。
もちろん、持っている力、というのは比べものにならないのは分かっているし、自分の意志を貫き通す強さもあるのも分かる。
ただ、それでも……なにかシンパシーを感じるものがあったのだ。
「いや……うちの……なんだ、妻も……ちょっとあれだからな。問題ない……」
ロレーヌはイリスに詰め寄られてまごつくかと思いきや、イリスが魔術について口にした辺りでその目の色が変わり、イリスと変わりない狂気的なオーラを吹き出しながら会話しだしたので同じようなものだろう。
そう思っての言葉だった。
「そう言ってくれるとありがたい……あれで、結構育ちのいいお嬢なんだけどな。どうしてかあんな風に」
ルルががっくりとした様子でそう言う。
「……二人は、貴族なのか?」
「……あぁ。まぁな。そんなに高い爵位がってわけでもないが、それなりの出だ」
少し答えに詰まったのは何故なのか分からない。
ただ色々事情があるのだろうと突っ込まないでおいた。
俺も俺でロレーヌについて言う。
「妻も……出自はいいとこなはずなんだが……意外にお嬢育ちというのはああいう感じになるものなのかもしれないぞ」
「そうだとしたら恐ろしい話だな。だが、幸いにしてああいう娘にはまだ、それほど出会ったことがない。レント。あんたの奥方くらいなものだよ」
「俺もルル、あんたの妹くらいだ。ということは世の貴族の娘達はああいうのではないのだろうな。それにしても……イリスが先ほど言っていたが、本当に古代魔術など教えられるのか?」
雑談がてら、重要な点についても尋ねていく俺である。
これは本当に大事な話なのではぐらかされるかもしれないと思ったが、意外にもルルは簡単に答えた。
「あぁ、イリスはかなり古代魔術には詳しいからな。十分なものを教えられることは保証するよ。ただ……意味があるのかどうかは微妙だけどな」
妙な言葉を最後に付け加えたルルに、俺は首を傾げる。
「どういう意味だ?」
「まだあんたは分かっていないだろうが……そうだな。例えばだ。あんたは……魔物だろう?」
唐突に言われた台詞に俺は驚く。
なんと返せばいいのか一瞬悩むくらいに。
それくらいに自然で、何の前置きもない、普通の質問だったからだ。
ルルは俺の反応に少し笑い、
「……悪い。突然過ぎたな。別に何かするつもりはないんだ……ただの確認さ」
そう言う。
これが本気かどうか、本来であれば悩むべきだろう。
しかし、そもそも、ルルは俺などまるで太刀打ちできない力を持っていることは分かっている。
それこそ本気になれば、俺など一瞬でどうにか出来るほどの力をだ。
それなのにわざわざ鎌をかけたりする必要などない。
だから、その言葉は素直に受け入れることが出来た。
俺は言う。
「……あぁ。いきなりだったからな……確かに俺は魔物だよ。何の魔物なのか、よく分からないんだが……ただ元は人間だったんだ。ついこの間まで、な」
普通の人間に言ったら驚愕するだろうこの告白も、ルルにとっては大したことではないらしい。
「へぇ。そういうこともあるんだな……人工的にそうすることは無理ではないだろうが……自然にということか? 面白いものだ」
「……人工的には出来るのか」
「まぁ、この世界では、昔は出来た。お前達のところではどうかは分からない。ところで秘密を明かしてくれたお礼に俺も、俺の秘密を明かそう」
妙に義理堅い人物らしく、ルルはそう言った。
「……何か秘密を抱えているようには見えないが?」
「あるんだなこれが……驚くなよ?」
「あぁ」
「……俺の正体は、百代目魔王ルルスリア・ノルドだ」
「……はぁ?」
何を言っているのか、というのが正直な感想だった。
しかし、どうもルル本人は大真面目なようだ。
「まぁ、そういう反応になるよな。でも本当だぞ……まぁ、厳密に言うと生まれ変わりなんだけどな。証拠に力を見せてやっても良いんだが……」
「いや、あんたの力が普通とは隔絶したところにあるのは分かるよ」
「そうか? でも魔王とは信じられない?」
「いや、だって魔王って……四人いるが、そのどれとも名前が違うし、そもそも相続制なのか……?」
「あぁ、なるほど。そういうことか。そっちの説明をしなきゃな……」
何か納得したルルは、改めて俺に言う。
「まぁ、もしかしたらなんとなく気づいているかもしれないが……ここはお前と、ロレーヌの住んでいる世界とは別の世界だよ。だから、世界そのものの仕組みが違う。歴史もな。魔力だけは共通のようだが……だから似たような魔術は使えるだろうが、根本は異なるだろうからな。お互いのそれを学んでも、多分、相当の時間をかけないと深いところでは理解できないだろう」
「……別の、世界?」
「そうだ。そもそも、お前達の住んでいる国も地域も、俺たちは聞いたことがないからな。それどころか、言語も全く異なる。意思疎通が出来ているのは、俺がそういう魔術を行使しているからだ。思念を伝え合っているというのが正しい」
何を馬鹿なことを、と言いたかったが、実のところ先ほどから違和感を感じていた。
ルルの話している言葉と、口の動きがまるで異なるからだ。
腹話術か何かのようにすら見える。
それが、ルルの言っていることを真実だと裏付けていた。
ルルが自らが魔王の生まれ変わりなのだ、と簡単に明かしたのは、他の世界の人間にそれが伝わろうと問題ないから、ということでもあるのだろう。
そしてそれは反対に、俺の正体の露見可能性についても保証してくれている。
ルルがどれだけ話しても、俺には影響しない……。
いや、それもこれも元の場所に帰れたら、の話だが。
色々な思考や心配が頭に駆け巡っているのを理解したのだろう。
ルルはしばらく俺が落ち着くのを待ってくれた。
そして、俺の考えが纏まってきたところで改めて言う。
「まぁ……混乱しているだろうが、何、心配は要らない。お前のような異界からの旅人は、遙か昔にも稀にいたからな。帰ろうと思えば必ず帰れることも確認している……転移罠で来たようなことを言っていたな?」
「あぁ……そのはずだ。はっきり確認できたわけじゃないが、同じ経験を前にもしている」
「なら、近くに必ず元の世界へ帰るための、同じ転移罠があるはずだ。前の時もそうだったからな……」
力づけるように俺の肩を叩き、そう言ってくれるルル。
俺は不思議になって尋ねる。
「なぜ、そんなに親切にしてくれる?」
これにルルは笑って、
「……なんだか近いものを感じるからな。俺もあんたも、世界に馴染もうとしているのに、実際には異物だ。弾かれ者同士、協力し合っても良いだろう?」
「別に俺は弾かれてるつもりはないんだが……いずれ人間に戻るつもりもある」
「おぉ、そうか。そう思っているのなら、必ずそうなれる日が来るだろう……馬鹿にしてるわけじゃないぞ?」
「分かってる……まぁ、そういうことなら、その協力、ありがたく受けたいと思う。何かお礼が出来れば良いんだが……」
「礼か……じゃあ、頼んでも良いか?」
「なんだ? 出来ることならなんでもするぞ」
「その仮面をくれないか?」
「……悪いな。それは出来ない」
「どうしてだ?」
「いや、外そうと思っても外れないんだよ……それに、その特性のお陰で助かってる部分もあってな」
「なるほど、顔を隠したいのか。じゃあ、機能を害しない程度に端の方を少し、もらっても? 異界の素材に興味があってな……」
「……まぁ、それくらいなら。というか、そんなこと出来るのか?」
「出来るさ。なにせ俺は魔王だからな……っと」
そう言って、ルルが仮面の端を掴む。
それから万力のように力を込めると、あれだけ何をやっても壊れることがなかった仮面の端が、ほんの少し、パキリ、と音を立てて折れた。
「……マジか」
「じゃあ、遠慮なく頂いておくぞ」
「構わないが……どうせなら自由に取り外しが利くようにしてくれたりしないか?」
ずうずうしく俺が頼むと、ルルは、首を横に振った。
「外すことは出来るが、そうなるともう今の機能は使えなくなるぞ。それでもいいならやるが……」
それだと困るので俺は泣く泣く、
「分かった。諦めるよ……」
そう言った。
これにルルは、
「まぁ、それもいずれ外れる日が来るさ。なんでも願ってれば叶うことはある。俺なんて、もう一度やり直したい、と思ったら生まれ変わることが出来たくらいだからな」
「……あんたはちょっと規格外過ぎる」
「人から魔物に変異して、正気を保ってるあんたも俺から見ると相当なんだけどな」
◆◇◆◇◆
「……なぁ、ルル」
「なんだ、レント?」
「本当にここを通る必要があるのか?」
「そりゃあ、他のところは調べ尽くしただろう? あとは、転移魔法陣があるとしたら、この先しかないな。範囲的に言って」
「そうか……じゃあ、やるしかないのか……」
「そういうことだ」
余裕綽々で答えるルルに対して、俺の方はといえば絶望しか感じない。
ロレーヌですら、ちょっとこれはまずいのではないか、という顔をしているが、イリスはやはり余裕そうだった。
何に対してか、といえば目の前の巨大空間に鎮座する魔物に対してである。
真王火竜と言うらしい、この世界の魔物が、そこにはいた。
サイズ感は、以前俺が見た地竜と同等であり、持っている魔力量や圧力も似たようなものだ。
つまり、勝てるはずがない。
そんな存在である。
それなのに帰り道である転移魔法陣はこの部屋の向こうにある可能性が濃厚だというのだ。
戦うしかないらしい。
だが、ちょっとこの部屋を覗いて、無理、もう俺たちこの世界で生きていくからよろしく、という覚悟を決めかけた俺とロレーヌに対し、ルルとイリスは言ったのだ。
「俺たちが協力するから問題ない。もしあれならずっと後ろにいてくれて構わない」
「お二人が怪我をすることのないよう、私が結界を張りますのでご心配なさらずに。それに先ほどお教えした結界術でしたら十分に真王火竜のブレスも防げますわ」
そんなことを。
さらにルルは俺に、
「……そうだな。レントには俺が身体強化を目一杯かけるよ。ここまで来るまでにみせてもらった剣術を見たところ、身体能力さえ十分なら真王火竜相手にも十分に戦えると思うしな……こんなところか」
そう言って軽い様子で身体強化魔術をかけてくれたのだが、これが実に凄かった。
いつもの百倍……いや、数百倍の力を得たような気すらしたのだ。
確かにこれなら戦えると、心の底から思ってしまうほどに。
「じゃあ、みんな、行くぞ」
ルルがそう言って扉を開けたので、俺たちもそれに続いた。
ただそうはいっても、実際に目の前にしてみると迫力が違って少しぶるってしまった俺だった。
ロレーヌはその生来の気質でもって圧力にも負けずに魔術を放つべく集中できていたので流石だと思った。
それでも心の内は、心配だらけだろうが。
しかし、その心配も、次の瞬間、戦いの幕開けにとロレーヌの放った魔術の威力を見た直後、吹き飛んだ。
彼女が放った一発目は、ただの水弾だった。
それは通常ならいくらロレーヌが放ったにしても人間数人分くらいを吹き飛ばせる程度の大きさのはずだ。
それなのに、たった今それとは比べものにならないほど巨大なものが放たれたのだ。
家一軒分ほどの大きさ……それも、密度も半端ではないことは込められた力で理解できた。 なぜああなったのかといえば、見ればルルとイリスがロレーヌに魔力を大量に注ぎ込んでいた。
魔術を強化しているのだ……他人のそれをぶっつけ本番でこうまで強力に強化できるなど、聞いたことがなかった。
そして、とてつもない威力を与えられた水弾の威力は言うまでもない。
実際、命中した直後、あれほど巨大な真王火竜が大きく吹き飛ばされ、壁に激突したのだ。
それによって出来た隙を見逃すはずがなく、次にルルとイリスがかかっていく。
まずはイリスが武器も何も持たずに飛びかかったかと思えば、驚くべきことにその拳を大きく振り上げて、火竜の腹を思い切り殴りつけた。
――ええ……!?
つい、そんな声が出そうになるくらいそれは驚愕の光景だった。
身体強化で拳を強化。
まぁ、理屈は分かるし、そういう武術家もいないわけではないが、しかしあれほど巨大で強大な魔物相手にそれを貫けるほどの者はいない。
それなのに十四、五歳ほどの少女がそれをやってのけて涼しい顔をしているのだ。
しかもそれに続けてラッシュを叩き込み、真王火竜はもう、サンドバッグに近い状態にされている。
敵ながら可哀想になってくるくらいだ。
たまらずその場から逃げ去ろうと、翼を広げた真王火竜である。
しかし……。
「……その羽は邪魔だな」
そう言ってルルが地面を蹴り、真王火竜の背中辺りに近づくと、その持つ剣を数度振るった。
流れるような剣術、目にも留まらぬ神速。
それによって断ち切られたものは……真王火竜の翼である。
魔力によって浮力を得ているとはいえ、その基礎は翼にある以上、そんなことをされれば墜落するのは当然の話だった。
地面に無様に落ちた蜥蜴と成り果てた真王火竜。
その首は差し出され、もはや悲壮感すら感じる。
ルルとイリス、それにロレーヌの視線が俺に集まる。
とどめは、ということなのだろう。
俺は真王火竜の首元まで、飛んでいった。
文字通り、翼を出して、である。
人前でこれを使うことなどまずありえないが、異世界の、魔王様とその妹の前でなら問題あるまい。
そう思ってのことだった。
そして、俺は剣にあらん限りの力を込めて振るう。
いつもの俺の剣であれば容易に鱗に弾かれて一切の傷も与えられないだろうその皮膚を、まるで熱したナイフがチーズかバターを軽々と切り取るかのように軽く入っていく。
真王火竜もたまらず声を上げ、逃げようとしたが……ルルとイリスがそれをさせまいと魔術と腕力で押さえつけた。
ブレスが口元から俺に向かって放たれもしたが、それはロレーヌがイリスに学んだという結界術をさっそく使用し、俺の剣が確かに火竜の首を完全に切り落とすまで、俺を完璧に守りきってくれたのだった。
◆◇◆◇◆
「……さて、これでお別れだな。レント、ロレーヌ」
ぼんやりと光り輝く魔法陣の前で、ルルがそう言った。
隣にはイリスが立っていて、
「ロレーヌお姉様。名残惜しいです……どうか、もう少しでいいので、夫婦になるコツというものを聞きたかったですのに……」
などと言いながら涙を流していた。
(ロレーヌ、一体何を話したんだ?)
ひそひそとそう尋ねると、
(……以前、既婚の友人達に聞いた《意中の男を落とす方法100選》だ)
と返ってきた。
ルルにとって余計なことを教えたのかも知れない、と思った俺はルルの方を見て視線で謝罪の意を伝える。
ルルは一瞬死んだ目をしていたが、すぐに立ち直って、
「それに乗れば二人とも元の場所に帰れるはずだ。おそらく、もうここに来ることは出来ないから、今生の別れと言うことになるだろうが……短い間とはいえ、楽しかった。もし何かの偶然があったら、もう一度くらい、会いたいもんだ」
「俺たちもだよ……なぁ、ロレーヌ」
「もちろん。イリスにはもっと、尋ねたいこともあるしな……いつかの偶然でも期待するさ」
「ロレーヌお姉様……では、そのときを楽しみに。そしてお二人とも、末永くお幸せに……次に見えるときは、私も、私も結婚を……!!」
イリスが怪しいことを言い始めたのを察してか、ルルが慌てた様子で、
「じゃ、じゃあ二人とも魔法陣に乗ってくれ! あまり長く放置すると消えてしまうことがあるからな……よし、乗ったな。それじゃ、また、いつか!」
手を振るルルとイリス。
二人の姿が、魔法陣から放たれる魔力光によって遠ざかる。
そして完全に周囲が真っ白になった、と思った瞬間に身体がどこかに運ばれるような感覚がし、俺たちはその場から消えたのだった。
◆◇◆◇◆
「……今日のことは……夢ではないな?」
家に戻り、ロレーヌがそれこそ夢見心地のような口調で俺に尋ねた。
「もちろん。はっきりと覚えているよ。それに、ここに証拠もある……真王火竜の牙と、鱗……売れはしないな。かといって魔道具に使えるのか……もったいなくて使い方も分からない」
不思議な赤い輝きを放つ鱗と、一抱えもある大きな牙が机の上に置かれている。
これこそ、戦利品にもらったものだ。
ほとんどルルとイリスの力で倒せたものなので、素材の大半は譲ったが、これらは記念にでも持って行ってくれと押しつけられたものだ。
もちろん、ありがたく受け取ったが、もったいなさ過ぎて俺にもロレーヌにも使い方が浮かばない品である。
「……素材もどう使ったら良いのかわからんし……イリスに学んだ魔術も……使えない。いや、全くというわけではないのだが……」
「あぁ、それもあったな。それについては……」
ルルに聞いた話をロレーヌに言うと、彼女は愕然とした表情で、
「基礎が……違うのか! 言われてみれば何か妙に噛み合わないところがあると思っていたが……あちらでは確かに使えたのに」
「原理なんかも微妙に違うのかもな。この世界での魔力の動きと、向こうの世界のそれも。だから再現するには自分で新しい理論でも構築するしかない……それじゃ、ほとんど自分で発明するようなもんだな」
「……やってやる。やってやるさ! 完成形を知っているだけでも大分違うからな。出来るというのが確信出来るというのもまた違う。いつか、あの強固な結界術を私も実現するのだ……!! これらの素材も……しっかりと理論を構築できるまでは使うわけにはいかんな……!」
それから数日の間、ロレーヌは研究に没頭したのだが、実現の目処はほとんど立たなかったようで、数日後、研究室から幽霊のような足取りで出てきて、
「……これは私のライフワークにする。いつか実現はする。しかしそれは今ではない」
と、夕食を掻き込みながら、珍しく負け惜しみのようなことを言ったのだった。
もちろん、素材も死蔵されることになったが、いつの日にか、彼女はこれらと、あの異界の魔術を使って、何か新しい発明をするのだろう。