第597話 港湾都市と訓練の相談
「いや、それがどうもそういうわけじゃないみたいだぞ」
俺の言葉にディエゴは首を傾げて、
「……どういう意味だ?」
と尋ねる。
俺は答える。
「さっきまで、俺は姿を消していただろう? 実は妙な場所に飛ばされていたみたいでな……」
それから、あの妙な女のことを話した。
と言っても、全てを事細かに話したというわけではない。
少なくとも俺が魔物である、という結論に到達しそうな情報は全て伏して、それこそ言われたとおり誤魔化しつつ話した。
俺が水の中で幻覚を見てしまったがゆえに、放置しておけば窒息死しかねないことを察知したので助けてくれたらしい、という話に変えたのだ。
大まかな流れは異ならないし、矛盾もないだろう。
ただ、ディエゴも馬鹿ではない。
俺が何かを隠そうとしている、ということは察した顔をしていた。
しかし、分かっていながら触れないだけの度量も彼にはあった。
そもそも、最も中心的な話題……幻覚の中身については、ディエゴの見たそれと俺の見たそれは同じなのだ。
少なくとも核心についての嘘はないということは理解しているからこそ、枝葉末節については流しても構わないと考えてくれたのだろう。
ディエゴは俺の話を最後まで聞き、それから頷いた。
「……つまりあれは、本当にここであったこと、というわけか……」
「そうらしい。そして、このまま迷宮を進んでいけば、また同じようなことがあるかもしれないという話だ。だから気をつけないとな……」
「急に意識を失うようでは危険だからな……」
確かにそれはそうだ。
というか、ディエゴと俺だけがそうなるならカピタンにフォローを頼めば良いかもしれないが、あの女の話では全員が見る可能性があるというような感じだった。
全員で気絶してしまえば、それこそ魔物に一瞬にしてやられてしまう可能性がある。
しかしこれにカピタンが言った。
「……まぁ、気を失うといっても本当に一瞬のことだったからな。ほんの数秒で復帰した。ただ、たった数秒でも命取りになることはあるだろうが……」
……数秒か。
確かにあの幻覚の内容からすれば短すぎるが、戦闘の中で使う時間としては長いだろう。
目の前に剣が迫ってきてそこから何秒間か気を失う、なんてことになればもうそれでおしまいだ。
意外に厳しい条件かも知れない。
ただ、俺にとってはさほどでもない。
何せ、物理的にぶった切られても何度かは復帰できる体だからだ。
十秒で復帰できるのであれば、消滅するほどまで切り刻まれるということもないだろう。 問題は他の皆だが……。
これについてディエゴが言った。
「しかしこれを恐れていてはこの迷宮の探索は諦めなければならないということになってしまう。それもまた勇気ではあるかもしれない……だが、悪いが俺は諦めるわけにはいかない」
何か事情がある、というのは分かっていたが、思った以上に強い決意でここに来ているらしい。
まぁ、そういうことなら、俺に否やはない。
あとはカピタンか……。
彼は言う。
「俺も海霊草は必ず持って帰らなければならないのでな。他にここに潜れる者がいれば話は別なんだが、今、ここに潜っている者は少ない。船を見つけるのも大変なのだからな……少なくとも、いきなり諦めるという選択肢はない。だが危険なのも確かだ……まずは、少し浅層で状況を確認しながら、見通しがついたところで先に進んでいく、という方針で行くのが最もいいかと思うんだが……どうだ?」
カピタンも探索続行支持のようだ。
彼は俺の体質のことを知っているので、そういう意味での心配は特にしていないからこその台詞でもあるだろう。
自分のことについては自分でどうにかする、というのもあるだろうな。
なにせ彼は《気》の達人だ。
たとえ眠っていてもある程度、《気》を維持できるというのも聞いた。
つまり、ほんの数秒であれば防御を維持することは出来る、という自信もあると言うことだろう。
二人の意見を聞き、俺も頷いた。
「俺も、それでいい。ただ、ニーズ達についてはよくよく気を配ってやらないとな……俺に襲いかかってきた罪滅ぼしとして連れてきたとはいえ、理不尽な冒険をさせるというのも気が引ける。必ず生きて帰さなければならないだろう」
彼らの自業自得だ、と言って見捨てるのは容易いが、もう結構情が湧いているところがある。
育ててやると言ったのだし、無意味に命を散らせたいとは思わない。
これについてはディエゴもカピタンも似たようなことを思っていたらしい。
ディエゴが言う。
「最低限、俺たちがどうにかなっても自力でここまで戻れるようにはしてやるべきだろうな」
次にカピタンも続ける。
「夕方になればの話だが、海に上がればマズラックが待っている。この辺りは安全地帯だし、まぁ、海の中については迷宮の周りを泳いでる巨大魚さえ刺激しなければ、帰りはどうにかなるだろう……。そういうことを考えると、浅層は自力で探索できる程度に、それより下は魔物から十分に逃げ切れる程度にまで鍛えてやれば良さそうだ」
全てではないが、魔物は人間が完全な逃げに徹したとき、追いつけないことが少なくない。
単純な足の速さもそうだが、どこかに隠れたり、曲がり角をひたすら曲がっていったりすると見失うのだ。
たまに虱潰しに探し始めたり、匂いを察知して執念深く追ってくる奴とか、逃げても無駄なくらいに足の速い奴もいないではないのだが、意外に多くはない。
だからこそ、ある程度実力が拮抗していれば、逃げる、という手段も馬鹿にしたものではないというか、生き残るためには身につけておくべき最大の技法でもある。
俺だって魔物からどれくらいの数逃げたか分からないくらいに逃げている。
それで五体満足に冒険者をやっていられたのだから、逃げるというのは本当に大事なことだ。
迷宮でそういう姿を他の冒険者に見られると馬鹿にされたりもするが、格好つけて死んだら元も子もないからな。
死ぬよりは逃げる。
これが生き残るこつである。
「問題はそこまで鍛えられるかどうかだが……まずどれくらい戦えるか、見てみないとな。大体の実力は分かってるが、癖なんかもみたい」
俺がそう言うと、ディエゴもカピタンも頷き、それからカピタンが、
「じゃあ、まずは浅層探索と行くか……それで始めに、あいつらに戦わせてみよう」
少し離れた位置で《海神の娘達の迷宮》をお上りさんのごとく観察しているニーズ達に目をやって、そう言った。
かなり楽しそうな様子で、これから、当初の予定よりも更に大変な目に遭うことになった、ということを分かっていない彼らだが、まぁ、とりあえずここで英気を養って、頑張ってもらいたいところだ……。
 




