第586話 港湾都市と準備
「……三人とも青い顔をしているな」
次の日の朝、ディエゴが彼の店の中の居住区画でそう言った。
今は《海神の娘達の迷宮》に潜るため、それぞれ準備をしているところだ。
俺は宿で大体ほぼ全ての準備を済ませ、今回連れて行くことになる三人組の準備を手伝うためにここに来ている。
この三人組は先日、ディエゴと話してしばらくの間、この店を宿に借りることになったからだ。
当然、賃貸料は取るわけだが、その辺の宿を借りるよりは低額だ。
その代わりにディエゴが店の仕事の手伝いを割り振る、というわけだ。
彼なりに、ニーズたちがやっていけるように手助けをしようということだった。
ともあれ、準備といっても大したことはなく、必要な道具や薬品類については昨日の時点ですでにまとめ終わっている。
持ち歩きについては、全てを俺の魔法の袋に入れることは容易だったのだが、ニーズ達には最終的に自立してもらわなければならないので、必要な分については彼ら自身に選別させ、彼らの背嚢や腰袋などに収納させている。
そう言った選別を毎日行っていくことも、冒険者として必要な技術だ。
一番良いのは自分で魔法の袋を購入し、可能な限り多くの物品を持ち運べるようになることだが、あれはやはり高い。
俺だって何年も金を貯めて、それでも小さなものしか買えなかったくらいだ。
どっかの吸血鬼狩りの常軌を逸した大盤振る舞いのお陰で非常に高性能なものが手に入ったが、そんなチャンスは余程のことがなければ転がってこない。
俺も大分運が良かったと言うことだな……まぁ、龍に食われたりその吸血鬼狩りに命を狙われたりしたことを運が良かったと呼べるかどうかは疑問だが。
「……仕方が無いんじゃないか? 迷宮に潜ったことがないって訳でもないだろうが……《海神の娘達の迷宮》はないんだろう? 初めて潜る迷宮ってのは、やっぱり多かれ少なかれ、緊張するんだからな……」
俺がそう言うと、ディエゴは頷きつつ補足した。
「それもあるだろうが、ルカリスで《海神の娘達の迷宮》と言ったら特別なものだからな。ルカリス周辺には他にもいくつか迷宮が存在しているが、そもそもルカリスという街自体、《海神の娘達の迷宮》があるからこそ作られたという話だ」
「へぇ、どうして? そんなにいいものでも採れるのか?」
海霊草だけでも結構なものだが、流石に近場に街を作ろう、と奮起するほどに魅力的かと言われると疑問だ。
ディエゴは言う。
「いいや。昔……東の方で大きな戦があって、そこから逃げてきた一団がルカリスの民の始まりなんだが……彼らがこの辺りを通ったとき、海から声が聞こえたんだそうだ。この海の向こうに迷宮がある。ここに港町を作り、目指しなさい。そうすれば、貴方たちは豊かになれる、と」
「良くある神話の類に聞こえるが……」
「まぁ、そうなんだろうけどな。ただ、実際にここにルカリスは作られたし、海向こうには《海神の娘達の迷宮》がある。なぜ海神の娘達、なんて名前がついてるかっていうと、そのときの声が美しい娘の声だったそうだ。聞いた者も複数いたと……そして彼女たちはきっとその海向こう、迷宮に住まうのだろうってな」
「なるほど……だから、《達》ってわけか」
「そういうことだ。で、そんな言い伝えがあるからな。《海神の娘達の迷宮》は半ば信仰対象に近い。今からじゃ半年はあるが……毎年定期的に迷宮を祀る海神祭なんてのも行われているくらいだ。ルカリスの今の豊かさは《海神の娘達の迷宮》のお陰だと、ルカリスの人間は信じているよ。だから、特別なんだ」
「ニーズ達はそんなに信心深いようには見えないけどな」
「まぁ、それは確かに……だが、ああいう奴らこそ、実は心のどっかで信じてたりするものじゃないか?」
「ディエゴはどうなんだ?」
「俺は……まぁ、信心深い方ではないな」
「鑑定神の神殿に仕えた位なのに、いいのか?」
「むしろ鑑定神様は喜びそうだけどな。何せ、この世界に存在する物にこそ大きな価値を認める方だ。自分を信仰するよりも、ものを鑑定することを奨励されておられる。だからいいのさ」
確かに、鑑定、というものの性質を考えるとそういう部分が強いのは分かる。
鑑定とは、あくまでも物に相対する活動であって、どこにおわすか分からない神を見ろと、そういうことを言っているわけではないからだ。
目の前にあるものの詳細を明らかにしろと、そういうことを求めている。
まぁ、目の前に神々がいたらそれすらも鑑定しろというのが鑑定神かも知れないが、それはそれで矛盾はしないだろう。
信仰しろという話ではないからな……そういう意味で、鑑定神というのは少し特殊な神だろう。
「ニーズ達もそれくらい割り切って迷宮に潜る気持ちになれれば、あんなに顔を青くしないんだろうな……どれ、励ましに行ってやるか?」
俺がディエゴにそういうと、彼も頷いて、
「そうだな」
と言った。
「……ニーズ」
彼らの方に近づき、肩をぽん、と叩くと、ニーズはびくりとしてこちらを怯えたような目で見た。
「……なんだ、あんたか」
「この店にいるのは俺たちだけなんだから、分かるだろう……緊張しすぎなんじゃないか?」
「そ、そんなことはねぇ……」
「その割には鎧が緩んでるぞ。ほら、しっかりと装着しろ。ガヘッドとルカスもだ」
そう言うと、彼らは慌てて自分たちの防具を確認し出す。
ニーズ達が身につけているその防具は、俺が買ってこさせたものだ。
それほど上質、というものでもないし、中古だが、可能な限りいいものを買ってくるように言ったので今まで彼らが身につけていたものよりはいい。
というか今まで身につけていたものが酷すぎたんだよな……。
よくこれで生きてこられたな、と感じるくらいにぼろかったし、整備も行き届いていなかった。
聞けば、前に防具屋に持って行って手入れしてもらったのはもう一年以上前だというのだからさもありなんという感じだ。
それでも自分でしっかりと整備していたというのならまぁ、悪くはないのだが、それすらも怪しかった。
まぁ、これについてはしていなかったというより、やり方をよく分かっていなかった感じだったが。
武具の手入れなんていうのは基礎中の基礎だが、思いのほかそれが出来ていない冒険者というのは少なくない。




