第585話 港湾都市と吟遊詩人
「……いい詩だな」
そう言いながら腰をかけると、そのテーブルについていた男は少し驚いた顔で俺を見た。
……ディエゴだ。
「……おい、向こうは良いのか?」
少しばかり離れたテーブルにディエゴが視線を向ける。
そこにはカピタン、それにニーズ達とマズラックがいて、楽しげに酒を酌み交わしていた。
明日からの仕事の話は終わり、純粋に酒を飲んでいる。
といっても、カピタンはニーズ達からさりげなく色々聞いているのだろうけどな。
明日からのために。
修行のためにはその人間の実力以外に、性格なんかも分かっておく必要がある。
過去の話に出来るだけ触れないように逸らす人間……俺やディエゴのような者はどれだけ酒が入ろうとも、その気にならなければ昔のことなんて話さないだろうが、ニーズ達はもう少し単純だ。
酔えば酔うほど自分の情報をガンガン喋ってしまうだろう。
引き出すのがカピタンだしな……ハトハラーで狩人頭をやっているだけあって、口よりも手の方が早いようなタイプの荒くれ者の扱いは、とてつもなくうまい男だ。
ハトハラーで彼よりもそういう者たちに慕われている人間はいない。
ニーズたちも、早晩、カピタンの手に落ちるだろう。
だから、俺が抜けようとも心配は要らない。
俺はディエゴに言う。
「……問題ないさ。それよりも……たまには静かに飲むのもいいかと思ってさ。俺の出身地じゃ、酒場に吟遊詩人なんて中々来ないもんだから、それも新鮮でな」
「ま、吟遊詩人なんて懐の膨らんでる奴らが沢山いるところにしかいねぇもんな。たまにど田舎を回るような、変わり者もいるが……いや、あれは真面目なのか」
真面目、というのは吟遊詩人の本来の義務……神々が彼らの活動を奨励する理由に対して、という意味だ。
吟遊詩人の神、ギザは吟遊詩人達にこの世の全てを詩に変えることを求める。
それによって情報が遍く世界に輝き渡るからと。
だからそのために吟遊詩人は旅をし、各地の話を集め、それを詩にして、様々な場所で歌う。
ギザですら、かつてはそのために地上を歩き回ったという。
ただ、現在に於いては、吟遊詩人達はあまりその取り組みに熱心ではない。
至極当然の話として、田舎を歩き回ったところで吟遊詩人が稼げる額は少額だからだ。
田舎村なんかに彼らが来ると、娯楽が少ないが故にかなり歓迎はされるのだが、やはりそれより都会の酒場で歌っていた方が面白おかしく暮らせると、そういう感覚が強いのだ。
吟遊詩人をする者の多くが享楽的な性質をもっていることも影響しているだろう。
彼らの神のもう一つの顔は遊興の神でもあるしな……。
ただ、建前として、都会の方が様々な情報が行き交い、集まりやすく、そこで詩を作る方が神に対してより多くの徳を積める、という考えもある。
ただ歌って遊びほうけるのは流石の彼らにとっても後ろめたいということだろう。
しかしそんな中でも、辛い旅を自らに課し、各地の話を拾い集める真面目な吟遊詩人もいる、ということだ。
ディエゴが言及したのはそういう者についてというわけだ。
「……今そこで歌っている人はどうかな」
小さな声でそうディエゴに尋ねれば、ディエゴは、
「あれはこの街に昔から伝わる詩だ。不真面目な方かもな……」
「……悲恋かな」
「そうだ……海に住まう美しい妖精と、港の男のな。こういう港町じゃ、よくある話だ」
確かに節に耳を澄ませてみると、そのような内容を歌っている。
歌っている吟遊詩人は、長い金髪を垂らした美しい女性であるため、彼女の周りを結構な数の男達が鼻の下を伸ばしながら囲んでいる。
普通の女性がこんな状況に陥れば怖いだろうが、吟遊詩人だけあって慣れているのだろう。
声に揺れは全くなく、落ち着いた様子で歌っている。
しばらく聞き惚れて、人心地着いた頃に俺はディエゴに尋ねる。
「ところで、ディエゴ」
「なんだ?」
「あんたも《海神の娘達の迷宮》に潜るか?」
するとディエゴは、なるほど、とそれだけで理解したようだ。
「そのためにこっちに来たのか。悪いな、途中で抜けてしまったから……」
「いや、それは構わない。というか、マズラックも後で謝ると言ってた」
「別にいいのにな。ただ俺が……未だに引きずっているだけだ」
「まぁ、そういうものは誰しもあるだろう」
「……あんたも?」
ディエゴがそう聞くのに少し逡巡したのは、触れて良いかどうか迷ったからだろう。
ただ、話を振ったのは俺だからな。
答えないわけにもいかない。
腹を割って話すには、自分のことも開示した方がいい。
俺は頷いて言う。
「あぁ。俺が冒険者になった理由がな……。昔、仲の良かった幼なじみがいたんだ。でも、魔物に襲われて……実の両親も、その幼なじみの祖母も、そのときにな。で、なんでか俺一人が生き残った。それがいいことだったのか、悪いことだったのかは、今でも分からない……あのときに一緒に死んでいれば、楽だったんじゃないかと思うことも……ないわけじゃない」
簡単にまとめるとそういうことだが、言っておきながら、他人に話すには少しばかり重い話だな。
いきなりこんなことを話されて、ディエゴもさぞ引いているだろう、と思って彼の顔を見れば、
「……そうか。辛かったな。だが……あんたは今、ここにいる。それは、あんたが生き残ったからだ。そして……迷宮に潜って、呪物を俺のもとにせっせと運んでくれる、これは俺にとって大助かりだぞ?」
最初の方は真面目な口調だったが、徐々に冗談めかしたそれに変わっていったのは、彼なりの気遣いだろう。
「……ふっ。確かにそうだな」
「それに、俺はともかく、ニーズ達はあんたに会えなきゃ、多分、近いうちに野垂れ死んでただろうしな……。ああいう奴らは冒険者をやってるとよく見るが、どうにかしてやりたいと思いつつも、どうしたものか分からなかった。教えてやるっていっても、そう簡単なことじゃないしな……。だが、レント。あんたはあいつらを一人前の冒険者にしてやるんだろう?」
「一応、そのつもりだ。少なくとも、野垂れ死ぬことはないように、な」
「だとしたら、俺もそのやり方を……近くで見てみたいな。すぐに真似できるとは思えんが、……今後、同じような奴らを見たら、俺も出来ることをしてやりたい」
「ってことは……」
「あぁ。俺も《海神の娘達の迷宮》に潜る。店があるから毎日って訳にはいかないだろうが、都合が合うときは、俺にもついていかせてくれ」