第576話 港湾都市と残りの二人
「……迷宮って」
男はいきなりぶつけられた俺の言葉にまずは驚いたようだが、そのすぐ後に表情を自嘲のものに変え、そう呟いた。
彼が一体何を言いたいのか、その口調で俺にはすぐに分かった。
何故と言って、俺も少し前まではこの男と同じように生きていたからだ。
つまりは、自分などがそんなところに行ったところで何の役にも立たない、という気持ちなのだ。
もちろん、どんな迷宮であっても浅層であれば、この男とて曲がりなりにも冒険者をやっているのだから、潜れない、ということは無いだろう。
しかし、男が言いたいのはそういうことではない。
男は続ける。
「まぁ……いざってときの肉の盾くらいにはなるだろうし、俺の生殺与奪の権はすべてあんたが握ってるわけだから、そこはもう諦めて着いていってもいい。けどよ……かなり無駄なんじゃねぇか? あんたくらいの奴が潜るようなところじゃ、俺みたいなのはたとえ囮に使っても数秒すら時間を稼げねぇと思うがな」
つまりはそういう話だ。
しかし俺は男に首を横に振って言う。
「だから、悲観的になるなって……気持ちは、分かるけどな」
「あんたに何が分かるんだ」
「俺も……いや」
俺もお前と同じだった、と言いかけて、止める。
こういう奴に、今、それを言ったところで何も響かないのは分かっているからだ。
俺だって、あの頃言われた数々の言葉は覚えてはいるけれども、当時、胸に響いたかと言われれば否だ。
そんな言葉をこの男に口にするよりも、何をやらなければならないのか、現実的な話をした方がいい。
俺は言う。
「ともかく、お前を肉の盾になんかするつもりはない。それじゃ、お前が言っている通り、無駄だからな」
「自分で言っておいてなんだが……他人から言われると落ち込むぜ」
無駄だとまで言われると確かにそうだろうな。
この場合は存在自体についてそうだと言われているわけだから。
ただそれは現実に事実だから仕方がない。
「……それなら役に立つようになれ。まずそこからだな……」
「あ? それはどういう……」
男が顔を上げて怪訝そうにそう言ったところで、ディエゴの家……というか店の扉が開く音がした。
客が来たらすぐに分かるようにしているのだろう。
鈴の音が遠くからディエゴの居住スペースであるここまで響く。
そしてしばらくするとドタドタとした、全く足音を隠すつもりのない様子で、二人の男がやってきた。
見れば、一人は、縦にひょろりと細長い比較的寡黙そうなな男で、もう一人は背が低く小太りの、陽気そうな男だ。
前者はガヘッド、後者はルカスと言い……今まで俺が話していた覇気の無い男、ニーズの友人であるということだった。
何故知っているのかと言えば、当然、それらの事情についてはガヘッドとルカスが目覚めた後、ディエゴと二人で聞いたのだ。
そしてどうして彼らが今、店の外から戻ってきたかというと、俺とディエゴがいくつか買い物を頼んだからだった。
それを終えてきたというわけだな。
実際、ここまでやってきた彼らは、部屋の隅に勝手知ったるなんとやら、という様子でどさどさと大量の荷物を魔法の袋から取り出し、置いていく。
ちなみにあの魔法の袋は俺の予備だ。
ガヘッドやルカス、それにニーズは魔法の袋など持っていない。
俺は彼らと同じくらいの実力のときにも持ってはいたが、俺は堅実に貯金した上で運良く競り落とすことに成功しただけで、普通の銅級が持てるようなものではないのだ。
もちろん、彼らに貸し出したのは、白金貨数千枚で購入した方では無く、昔から使っていた方だ。
彼らにそのまま持ち逃げされる危険というのもないではなかったが、そのときはそれこそ官憲に突き出すことになるだけだと割り切って貸した。
可能な限り避けるべきだっただろうが、流石に手持ちだけでなんとかなるような買い物の量では無かったので、致し方なかった部分が大きい。
彼らが持ってきた品物の中には、薬品や食料の他に、武具まであるのだから。
一番の決め手は結局素直そうに見える、という勘によるものだが、ニーズという人質もいるわけだし、友人というのなら見捨てないだろうというのもあった。
実際、こうしてしっかり戻ってきたし、正しかっただろう。
「レントの旦那! 頼まれた通り、買ってきましたぜ!」
ルカスが満面の笑みで俺にそう言った。
彼はどこか太ったゴブリンを想起させる顔立ちなのだが、妙な愛嬌がある。
さらに意外なことに中途半端ではあるが、薬草や素材についての知識も豊富だった。
だから知っている知識を確認した上で、見分けが必要なもので頼めるものはこいつに頼んだ。
「ご苦労だったな……確かに。ただこっちのものは若干、粗悪品を掴まされたようだぞ」
鉢に植わった薬草の一つを示しながら俺がそう言うと、ルカスは慌てて、
「えっ、でもこいつは……ほら! 葉がピンとしてて、新鮮なものですぜ!」
と言ってきたので俺は土を少し摘まみ、言う。
「こいつは魔力豊富な土地でしか育たない植物だ。したがって、土の方にも強い魔力が籠もっている必要があるから、採取するときは土ごとしなければならない。土もある程度確保してな。鉢植えにするときは当然、その土を使ってやるべきだが……こいつは普通の土だろう? 魔力は……まぁ、少しあるようだが、それにも理由がある……これを見ろ」
さらさらと土を砕いていくと、細かな石のかけらが手のひらに残る。
それをルカスに見せると、
「……これは……魔石?」
「そうだ。その辺の土に植えていると急速にしなびていくこいつだが、魔石を砕いた土に植えると二日くらいはピンと葉を張って、まるで採取し立てみたいになる。ただ、それは弱った状態でなんとか魔力を吸収しようとしての……最後の輝きみたいなもんだ。中身はほぼ栄養無しのからっぽだし……今はこうでも……明日には枯れてるだろうな」
「そんな……」
ショックを受けるルカス。
俺はそんなルカスの肩をぽんと叩き、言う。
「まぁ、慣れないと見分けるのは難しいからな。次からはよく土も見ておくことだ。魔力があるかどうかは見ただけじゃ分からないだろうが、細かい魔石のかけらがあるかどうかは今説明したんだから、分かるようになっただろう?」
すると、ルカスは落ち込んでいた目を輝かせて、
「……は、はいっ! そうしますぜ!」
と深く頷いていた。
ニーズはそんなルカスを驚いた顔で見ている。
「ルカス……」
「おっ、ニーズ! 起きたのか!」
そこでルカスはやっと気づいたらしく、ニーズを見た。
ルカスは彼の方に近づき、言う。
「ニーズ、心配したぜ。俺とガヘッドはわりとすぐに目が覚めたが、お前は中々起きないもんだから……」
さらに、ガヘッドの方も魔法の袋から荷物を出し終わるとニーズの元に近づいて言う。
「レント殿とディエゴ殿がすぐに目覚めると言っていたが、それでもな……。ピンピンしているようで、よかった」
そんな二人にニーズは苦笑しつつ言う。
「体は平気でも、状況的には最悪だと思うが……聞いたか? 俺たち、迷宮に連れて行かれるらしいぞ。俺たちなんて、盾にもならねぇだろうってのによ……」