第574話 冒険者ニーズ(後)
そこからはもう……なんていうか信じられない成り行きになった。
というか、俺の見る目がなかったのは言うまでもないな。
もう引けなくなってたから、当初の予定通り金を要求したまではよかったんだが……妙な男だった。
こっちは三人、向こうは一人。
冒険者としての格はお互いに銅級で、つまり同格三人に囲まれてる状況だってのに、何を言っても飄々と柳のように受け流してきやがった。
だんだんとイライラして……ガヘッドとルカスに声をかけて、それで俺の方から襲いかかった。
先に二人に行かせなかったのは、二人はあくまでも俺に付き合わされただけのことで、もしもこの仮面の野郎に俺が負けた場合にすぐに逃げられるようにっていう考えもあった。
二人が逃げても、俺さえやられりゃ、まぁ……もしかしたら追いかけるかも知れねぇが、そこまで執念深く探したりもしねぇだろうってな。
自分で言うのもなんだが、たかが銅級だ。
ルカリスなんて広い街でたった二人の人間を探す手間をかけるような奴は滅多にいない。
そういうわけで、俺から立ち向かったんだ……。
だが、結果はもう、これ以上ないってくらいに惨憺としたもので……。
正直、俺は何があったのか全然覚えちゃいねぇ。
というのも、剣を振りかぶったところまでは記憶にある。
そのときには、まだ仮面の男は俺の間合いから遙か遠くに、ふらりとした、どこか捉えどころの無い雰囲気を放ちつつ立っていた。
腰に武器を下げているのも見えていたが、それに手を伸ばす様子すらなかったはずだ。
それなのに、俺が一息、空気を吸ったその瞬間……。
すでに俺の目の前にはその仮面があった。
「……っ!?」
声にならない声が出そうになった。
骸骨を精巧に象った、不気味な仮面は近くで見ると妙な魅力があって、最初思ったよりは安物じゃねぇのかな、なんてその場にそぐわない事まで考えてちまったくらいだ。
ということは、思えばそのときにはすでに俺の本能は諦めてたんだろうな。
俺の剣はこいつに届かない。
こんな、ほんの刹那であれだけの距離を、正確に詰めてくるような奴にろくでもない冒険者の俺がどうやって勝てってんだ。
こんな奴から金を奪おうとか考えたこと自体がそもそもの間違いで……まぁ、結局俺のやることなすことすべて今日まで間違っていたって事なんだろうさ。
……いや、一つだけマシだったことがあるか。
今日、こいつにいの一番に立ち向かったことだ。
可能かどうかは分からないが、ガヘッドとルカスはまだ相当背後にいる。
いますぐ逃げれば……こいつが追おうとしない限り、逃げられるんじゃないだろうか。
この街でたった二人の、真実の友人だ。
せめて、生きていてくれりゃあ……まぁ、俺の人生もそこまで悪くなかっただろうって気がした。
心残りがあるとすれば、出来ることなら……もう一度あいつらと一緒に依頼を片付けたかったってことくらいだろう。
まぁ、それでもこの有様じゃあ、仕方ない。
次に生まれたときは……しっかりとパーティーでも組んでもらうかな。
意識を失う直前、俺はそんなことを考えていた。
◆◇◆◇◆
だから、俺は驚いた。
あの後、どうなったのかはまるで分からないが、死んだに決まってる。
それだけの一撃を放てる実力をあの骸骨仮面の野郎は持っていたし、強盗をしようとしていた俺に対して情けをかける理由は一つも無かったはずだからだ。
それなのに……。
「……目が、覚めたか」
沈んだ暗闇の中、ゆっくりと目を開くと、かすむ視界に突然、ぬっとした様子で骸骨の姿が現れて俺は年甲斐も無く、悲鳴を上げそうになった。
「……っ!?」
なんとかそうせずに済んだのは、すぐに骸骨が引いていき、その代わりに獣人の姿が現れたからだろう。
「他の二人よりも目覚めが遅かったのは、レント。お前が強く叩きすぎたからじゃないか?」
そんなことを遠ざかった骸骨仮面に言っている男……。
漆黒の毛並みに、猫科特有の虹彩の輝き……しなやかな体型。
おそらくは、黒豹人だろう。
かなり珍しく、このルカリスの街では冒険者の間でもそこそこに有名人でもある。
つまりは、顔見知り……というわけではないが、一方的に名前と顔を知っていた。
「……あんたは、マルガ?」
「知っていたか? 客で来たことは無かったと記憶しているが……」
俺が話しかけると、その鋭い目を俺に向けてそんな風に尋ねてきた。
俺は苦笑しつつ答える。
「……俺みたいな銅級に、あんたの店は利用できねぇだろう。嫌みか」
するとマルガは少し考えてからふと、骸骨仮面の方に視線を向け、
「……だ、そうだぞ? 銅級」
と声をかける。
「そんなこと言われてもな……まぁ、そいつの言いたいことは分かるよ。俺も少し前までなら金貨の持ち合わせなんてなかったからな。色々な巡り合わせのお陰で、今は少しばかり懐が温かいだけだ」
「巡り合わせか……まぁ、これもまた、そうかもしれんな」
「そういうことかな……おい、とりあえずこれを飲め。そこまで強く叩いたつもりは無かったが、ちょっと加減に失敗したかもしれないからな」
骸骨仮面の男が近づいてきて、俺にそう言った。
手にはカップを一つ持っており、そこからは花や植物の芳香が漂う。
どこか薬染みた匂いも感じるが……。
とりあえず、俺は尋ねた。
「……こいつは?」
「薬湯だな。といっても、そこまで強力な効果のない気休めに近いが……ないよりはマシだろう。ついでに、ちょっとした実験も兼ねてる。良いから飲め」
最後に恐ろしい台詞を付け加えて、ずい、と差し出されたそれ。
断りたかったが……思い返すに、俺はこいつに全く対応も出来ずに一撃で昏倒させられたのだ。
抵抗したところで全くの無意味であることを体が理解していたのか、すんなりと受け取ってしまい、そしてそのまま俺は仕方が無くカップを口に運んだ。
飲んでみると、意外にも爽やかな風味が口の中に広がり、また体の中に温かな飲み物の熱が広がっていき、体を癒やしていってくれているような気もした。
起きた直後から、腹部にじくじくと感じていた痛みもすぐに引いていく。
「……どうだ?」
骸骨仮面がそう尋ねたので、俺は答える。
「……気分が良くなった。なんだか分からねぇが……まぁ、ありがとうよ」
これが、俺と、レントの旦那、それにディエゴの兄貴との出会いだ。
このときには全く、俺は何も感じていなかった。
この後、官憲に突き出されるか、奴隷にでもされるか、それとも殺されるか。
そんなことくらいしか思っていなかったが……。
巡り合わせ。
そんなものを本気で信じてもいいかもしれない。
そう思わせてくれた出来事の始まりが、ここにはあった。