第558話 山積みな課題と頼み
「……レント、それにロレーヌ殿も……一体どうした?」
家に入ると、そこには俺の義理の父であるインゴが何か書類と戦っていた。
見れば村の収支と税金の計算書類のようで、妻には逆らえず黙り込んでしまう親父殿であってもちゃんと村長としての仕事はしているようだと理解できる。
「どうしたって、あの後、特に報告もなく時間だけが過ぎ去ってしまったからな。改めて色々と話に来たんだよ」
もう一つあって、それは俺たちに従魔師としての技能を教えてくれないか、というものだが、これは後でロレーヌと一緒に頼むことにする。
「そういうことだったか。別に構わなかったんだがな……お前達も、忙しかろう? こんなど田舎まではるばるやってこずともいいのに」
インゴはそう言うが、俺たちがどういう手段でここに来たのか彼は分かっている。
妻であるジルダが知らないためにあえてそういう言い方をしたのだろう。
加えて、あんまりおおっぴらに使うと問題かもしれないぞ、という遠回しの忠告も入っているかもしれない。
まぁ、ハトハラーに来るのに使っても、話すような村人は一人もいないだろうが。
田舎の人間の結束というのは都会の人間が考えているより何倍も強いものがあるからな。
特にハトハラーほどの僻地となると、村人全員で協力しなければ生きては行けず、したがって離反者も出にくい。
マルトだって田舎ではあるが、あそこはそれなりの都市であるし、流通も結構ちゃんとしているのだ。
ハトハラーとは比べものにならない。
「報告だけが用事だったらそうしたかもしれないけど……理由は他にもあってさ。俺、今度銀級昇格試験を受けることになったんだ。それで鍛え直すためにも帰ってきたんだよ」
「何? それはめでたいな。受かるかどうかは知らんが」
「……怖いこと言うなよ。それと、他にも用事はあってさ……ロレーヌ」
ここでロレーヌが口を開く。
「改めてご挨拶を。インゴ殿。ロレーヌ・ヴィヴィエです」
「あぁ、これはご丁寧に……っと、そんなにかしこまらなくても構わないのだがな。貴女はレントの……なんと言うかな。大切な人だ」
「そう言って頂けると気が楽になります。今更かもしれませんが…インゴ殿も、私にはレントにするように話して頂ければと思います」
「そうか……? では、お言葉に甘えて。ロレーヌと呼んでも?」
「ええ、もちろん」
インゴの言葉に、意外と夫婦仲がいいというか、ジルダがインゴにベタ惚れであるので厳しい視線が飛ぶかと思った。
私以外の女をそんな風に、みたいな感じで。
しかし、ジルダの方を見てみると、そのやりとりに何か微笑ましそうな、機嫌良さそうな雰囲気が出ていた。
全く怒っていないようだ。
これは珍しい……昔、俺がハトハラーで生活していた頃、親父が村に来た女行商人とか、踊り子とかに必要以上に近づくと烈火のごとくキレていた母らしくない。
しかも、ジルダの視線はロレーヌだけでなく、俺の方にも向けられている……なんなんだ?
ただ、考えてもその理由は分からなさそうだ……。
とりあえず、怒っていないのだからいいとしておくかな……。
「それで、ロレーヌ。貴女からも用事があるようだが、何だね?」
「それは……」
そう言ってロレーヌはちらり、とジルダの方を見た。
これもやはり、以前のジルダだったらぶち切れ案件としか言いようがない行動なのだが、ジルダは、
「あら、ごめんなさい。私、少し外に出てくるわね。この間作ったジャムをレジーにあげる約束をしていたんだったわ!」
そんな風にわざとらしく自分の行動すべてを説明し、キッチンで籠にジャムを詰め込んで、そそくさと家を出て行った。
何か……先ほどから妙な気の利かせ方をしている疑いが晴れない。
あの人はロレーヌを俺の何だと思っているのか……。
というか別に婚約の挨拶をしに来たわけではないとあれほど言ったのに、真面目に聞いていたのか?
まぁ、言っても仕方ないか……。
ばたり、と扉が閉まって、ジルダの気配が遠ざかったのを確認してから改めてロレーヌが口を開く。
「申し訳なく存じます。奥方を追い出すような真似をして……」
「いや、構わんよ。ジルダも何か、娘が出来たようで喜んでいるようだ」
「いえ、娘など……こんな薹が立った娘など出来ても嬉しくはありますまい」
ロレーヌは二十四だが、確かにこれは田舎村だとそう言われてしまってもおかしくはない年齢ではある。
やっぱり田舎だと十代のうちにさっさと結婚してしまうことが大半だからな。
その理由は、やはり都市から離れた村となると常に様々な危険にさらされる結果、寿命が短くなりがちだからだ。
子供が生まれても幼い内になくなってしまうことも都市部よりずっと多い。
必然的に早く結婚して沢山子供を作るということに重きが置かれるわけだ。
しかし都市部だと晩婚化の傾向にある。
特にロレーヌの故郷である帝国ともなればその傾向は顕著だろう。
技術の最先端であり、男女問わずエリート思考が強い国だ。
結婚よりも仕事を優先する価値観があの国にはあるという。
それもそれで悪くはないのだろうが……いいとこ取りしたいものだな。
簡単ではないが。
ロレーヌの言葉にインゴは言う。
「そんなことはない。そもそもこの村は、他の村よりも晩婚の者が多いからな……」
「そうなのですか?」
「あぁ。ガルブが言うには昔からそういう傾向があるようだ。おそらく、ガルブのような優秀な魔術師や薬師がいたからだろう。子供が早世することも少なくてな。だからそれこそ自分が連れ合いたい相手と出会ったときに結婚すればいいという価値観が他の村より強いのだろう」
「なるほど……言われてみると、レントもそういう意味では全く急いでいないですね。本人の価値観の問題かと思っていましたが……出身地のそれだったと」
俺も年は二十五だ。
ロレーヌで薹が立っているなんて言われたら俺も同様だろう。
「レントについては他にも色々と問題があるような気がするがな。ただ、近くに貴女のような方がいてくれると思えば安心だ……ところで、改めてお尋ねするが、ロレーヌ、貴女の用事は何だったのだね?」
インゴの言葉の意味を突っ込みたい衝動に駆られたが、インゴもロレーヌもそれを全て流して会話を続けた。
ロレーヌは言う。
「ええ、それなのですが、私にインゴ殿の技術を教えて頂けないかと思いまして」