第556話 山積みな課題と従魔師
転移魔法陣に乗ると、俺とロレーヌはまず、あの《善王フェルトの地下都市》に出た。
そしてそこで少し待機していると、俺たちの匂いを嗅ぎつけたのか巨大な虎がやってくる。
これは、黒王虎と呼ばれる強力な魔物。
体躯の巨大さもさることながら、その体から匂い立つような濃密な魔力、瞳に宿る人間のものとは異なる論理性を備えた知性の輝きは、目の前に立つだけで震えてくるような存在だ。 もちろん、まともに戦って勝てるはずもなく、それは俺のみならずロレーヌだって厳しいだろう。
ロレーヌであれば百歩譲って死ぬほど罠を張った上で隠れながら戦う、というのならば万に一つくらいの勝ち目はあるかもしれないが、それでも九割九分は敗北する。
それほどの魔物なのだ。
しかし、俺もロレーヌもこいつを特に恐れてはいない。
何故と言って、この黒王虎に俺たちを襲う気がまるで存在しないことが分かるからだ。
それどころか、ごろごろと喉を鳴らしてその巨大な頭を俺に擦り付けてくる。
こうなると図体のでかい猫でしかない。
怯えろというのが無理な話だった。
「何度見ても妙な気分になるな……」
ロレーヌが黒王虎にすりすりとされている俺を見ながらそう呟いた。
「まず人に懐くような魔物じゃないもんなぁ……古い時代の人間はどうやってこんなもの従えたのか……」
この魔物は、ガルブ曰く俺の血に懐いているらしく、それはつまり古い時代の人間がどうにかして一族の血に親愛を感じるように魔物を調教したと言うことに他ならないだろう。
どれだけ前のことかも分からないが、黒王虎ほどの存在となると千や二千の年月は超えられるということだろうか。
それとも、世代交代をしてもなお、俺の……ハトハラーの人間の血にだけ反応するようになっているということだろうか。
考えても分からない。
ロレーヌも似たような感想を持ったようで、
「それが分かればそれだけで論文が書けるんだがな……いや、それを言うならこんなものだけの存在でも書けるか。黒王虎が懐く理由なんて解き明かして論文などにしたらむしろ色々と問題がありそうだ……」
「引く手数多になれるだろうな……どんな手段を持ってしてでも引き入れようとする物騒な人々からも大人気になることだろう」
つまりは問題というのはそういうことだ。
俺の言葉にロレーヌは、
「しかし黒王虎なんて従えている人間にまともに挑もうと考える奴なんているだろうか?」
と真っ当な反論をする。
確かに全くその通りだが……。
「一人でいるときならなんとかなる、なんて考える奴はいそうだな。正攻法ならそれこそ神銀級を連れてくるとかさ」
「考えるだけでげんなりしてくるな……黒王虎のことは胸にしまっておくことにしよう。公表なんてして、ここからいなくなられたりしたら困るしな」
「確かに」
この黒王虎を待っていたのは別にペットに餌をやろうみたいな感覚ではない。
一応、お土産がてら豚鬼の肉も持ってきたので投げてやったら器用にキャッチして食べていたが、それはあくまでついでだ。
そうではなく、こいつにはその背中に乗せてもらって《善王フェルトの地下都市》の中を走ってもらおうと思って待っていたのだ。
ハトハラーの村に続く転移魔法陣がここにあるのは分かっているし、場所についても俺には《アカシアの地図》があるので問題なく分かるが、ここの広さは半端ではなく、まともに歩いて行くととんでもなく時間がかかってしまうのだ。
それに加えて、この《善王フェルトの地下都市》は実のところ帝国に存在する迷宮である《古き虫の迷宮》のなんと六十階層に位置する。
当然出現する魔物は化け物ばかりだ。
そんなところを俺とロレーヌの二人でうろうろしたところで早々に詰むことは目に見えている。
しかし、黒王虎の背中に乗って進めば、そういった魔物も襲いかかってこない。
この迷宮六十階層などという恐ろしい深さの場所にあってなお、黒王虎というのは最強の魔物だということだ。
敵でなくて良かったと心底思う。
「……さて、では行くか」
ロレーヌが黒王虎の背に乗ってそう言う。
俺が前の方に乗り、ロレーヌは俺の腰に手を回している感じだな。
当たり前ながら黒王虎には何か鞍が乗っているわけではないのでバランスを保つのが難しく、こんな体勢になった。
俺の方が掴める部分が多く、腕力的にも魔物ボディのお陰で結構なものがあるから確実だというわけだ。
「あぁ。じゃあ、すまないが行ってくれ」
俺がそんなことを言いつつ、黒王虎の頭を軽くぽんぽん、と叩くと、
「……グォォォ!」
という流石に魔物らしいうなり声を上げて黒王虎は地下都市の中を走り出した。
進む方向についてはガルブに教えてもらったとおりの伝え方をすればしっかりと従ってくれる。
「これも魔物を従えているといってもいいよな?」
俺がふと思ってそう言うとロレーヌは答える。
「もちろんだ。だが……通常の従魔師のそれはあくまでもその従魔師本人と魔物との間の一対一の関係で主従関係が作られるものだ。この黒王虎については……ハトハラーの村人なら誰でも従うわけだろう? 仕組みからして根本から違うとしか思えんな……どう違うのかは全く分からないが」
「親父のリンドブルムもやっぱり一般的な従魔師のやり方とは違うのかな?」
「そちらは形としては通常の従魔師のものと同じように思えるが、リンドブルムほど上位の魔物を従えられる従魔師はいないと言われているからな……何か普通とは違うやり方をしていると考えるのが自然だろう」
「どうやっているんだろうな? 普通の従魔師ってそもそもどうやって魔物を従えているものなんだ?」
「それについては、彼らは秘密主義でな。正確なところはあまりはっきりとはしていない。ただ、皆同じ方法をとっているというわけではないようだぞ」
「というと?」
「たとえば、最も基本的なことで言えば……魔物の調教と言っても、それは普通の動物を調教するのと同じだ、という者がまずいる。これはペットに芸を仕込むのと同じようなことだと言っているわけだな。しかし、そういうのとは全く異なるという者もいる。こちらはやはり詳しくは話してはくれんが、魔力を使って魔物との間に絆を築く、というような感じだというところまでは聞き出せた。つまり、個々の従魔師によってやり方は違う、とそれだけでも推測できる」