第553話 山積みな課題と杯の力
実験室に入ると、エーデルの子分達がロレーヌとエーデルの指示に従って背中に背負った容器を広い実験台の上に置いていく。
「ここにスライムが入っているんだよな?」
俺が尋ねるとロレーヌは言う。
「あぁ。私が提供した魔道具だな。流石に一般的な大きさのスライムでは捕獲できないが、街の下水道なんかによくいるようなサイズのものならここに詰めれば逃げられないように設計した」
「ロレーヌが作ったのか」
「そうだぞ。流石に小鼠たちにスライムを咥えて持ってきてくれ、というのも難しい話だろうからな。どうしたものかと考えて、こういう形に落ち着いたわけだ」
つまり、この容器は小鼠専用の容器というわけだな。
この調子で他にも小鼠用の装備を次々作り出しそうで少し怖い。
まぁそうなったら、俺は得をするというか戦力が増強されていくわけだが。
何せ、基本的には俺の眷属であるエーデルの子分達だからな。
「どれどれ……」
ロレーヌがそう言って置かれた容器のうちの一つを開け、中身を確認する。
するとそこからずるり、とかなり小型のスライムが這い出してきた。
大体……小指の先ほどの大きさだろうか。
街の外や迷宮に出現するものからすれば数十、数百分の一のサイズである。
当然ながら持っている魔石もかなり小型だ。
顕微鏡で見なければ……とまでは行かないが、よく目を凝らさなければ見えない。
なんで街の下水道にいるようなスライムがこんなサイズなのかと言えば、これよりも大きなもの、強力な魔物というのは街に近づいてきた時点で察知されて駆除されてしまうからだ。
ここまで小さく矮小だと見逃されていつの間にか入り込んでしまう。
これが《存在進化》し、いずれ通常のスライムサイズになると問題になるが、そういう場合も見つかり次第すぐに退治される。
それくらいであれば一般的な銅級なら十分に倒せるからな。
そこまで《存在進化》するためには街の下水道に生息する魔物は弱すぎる。
滅多に起こらないことなので余計に問題は少ない。
「しっかりと注文通り、魔力的偏りの少ないスライムだな。これならばすぐにでも実験に移れるぞ」
「……だけど、ここまで小さいと杯を持たせて……というのは難しいんじゃないか?」
「それはそうだな。まぁ、それでも色々とやりようはあるのだが……とりあえず最も原始的な方法から試してみようと思う」
「それは?」
「それはだな……」
◆◇◆◇◆
「……よし、頑張れ! 行けっ! そこだっ!」
ロレーヌが何かを応援している。
俺もまた、
「違う! そっちじゃないぞ! よし……よし! そこだ!」
そんなことを言いながら応援している。
何をか?
と言えば、簡単だ。
俺とロレーヌの視線の先には実験台、そしてその中心に器具によって固定された杯がある。
その杯の内部には非常に小型のスライムが二匹いて、それぞれが絡み合うように争っていた。
お互いがお互いを取り込もうと組んず解れつである。
スライムは多少なりとも同族に対して親愛の情を持つようなゴブリンとかオークなどとは異なり、たとえ同族同士であろうとも遭遇すれば普通に襲いかかる無慈悲な魔物だ。
そのため、杯の内部という非常に狭い空間に押し込められれば当然のごとく、即座に争いになる。
スライムの戦い方は通常のサイズであればただその体に飲み込んで溶かす、という方法の他にも、強い酸性の液体を飛ばす酸弾という攻撃方法もあるのだが、流石に小指の先ほどしかないスライムともなるとそのような強力な攻撃手段はあまり使えないか、全く使えないらしい。
先ほどからずっとお互いがお互いをただ飲み込もうとしているだけだ。
この状況をただ観察しているだけというのも暇なので、俺とロレーヌはどちらが勝つか賭けを始めた。
魔物同士を戦わせてどちらが勝つか賭ける、いわゆる魔物闘技というものは世界的に様々な場所で行われているものだが、俺は実際にそれが行われている街には行ったことがないので見たことがない。
しかし、実際にこうして小さなスライムでもやってみると面白いものだと思った。
従魔師に指示されているならともかく、魔物というのはとにかく人の指示には従わないもので、そうであるからこそ戦わせてみるとまるで結果が読めない。
行動も突拍子がなく、見ていて興奮するものがある。
人間同士の闘技大会などはある程度、次に何をしそうか予想がつき、それも面白いものではあるが、魔物同士のそれはまた別種の面白さがあると言って良いだろう。
マルトでもこういう興業をしたら儲かるかもしれない。
実際に、小鼠を使って競馬ならぬ競鼠をしていた業者はすでにいるが、本来の意味で戦わせている業者はおそらくまだいないだろうし、やってみれば金になりそうだ。
まぁ、それを実際に行うためには戦わせるための魔物を捕獲しなければならず、小鼠程度ではある程度の規模の闘技場などを使って興行することを考えると見えないだろうし、もう少し大きなサイズのものを捕まえてこなければならなくなるだろうが。
そうなると結構厳しそうだな……。
まぁ、いずれ誰かがやってくれるのを期待して、今はスライム闘技で満足しておくことにしておこうか。
「……そろそろ決着がつきそうだな」
ロレーヌが杯闘技場を見ながらそう言った。
確かに彼女が言うように、小型スライムのどちらもかなり疲労している感じだ。
スライムにそれがあるのかは分からないが、先に気力が尽きた方が敗北濃厚と言った感じである。
ロレーヌが応援している方はわずかに赤みがかっており、俺が応援している方はわずかに青みがかっている。
色合いは属性の偏りではなく、食べたものの色が移ったのだろうと思われた。
何せ、魔力の性質は感じる限りどちらも同じで無属性だからだ。
そんなスライム達はそして、とうとう決着に至る。
青い方のスライムの動きが一瞬止まり、その瞬間、赤い方のスライムが大きく体を崩して青い方のスライムの体全体を飲み込んだのだ。
「おぉっ!」
ロレーヌが歓声を上げ、
「……マジか……」
俺が悲しくなってそう呻く。
包まれた青いスライムは、徐々に赤いスライムに消化・吸収され、そして跡形もなくなってしまった。
その体の中心部にあったはずの小さな核も溶かされ……そしてそこから淀んだ魔力が放出される。
ここでロレーヌが真面目な顔になり、
「……レント、ここからだ」
そう言った。
淀んだ魔力は一瞬、周囲に拡散する挙動を見せたが、その瞬間、杯が怪しい気配を広げる。
するとその魔力は向かう方向を反転させ、一点に向かって集約し始めた。
もちろん、それは赤いスライムの方にである。
特に、その体の中心部にある核に向かって。
俺たちはその様子を注意深く見守った。