第499話 ヤーランの影とその生物
「き、聞こえてるって、な、な、なにが……?」
と俺は震えながら言う。
あまりのことに俺は極度に動揺してしまった。
それがゆえの声の震え……なんてことはなく。
「……そういうのはいいですから。ポチさんの言葉ですよ。分かるんですね?」
エルザが冷たい声でそう言った。
俺はその言葉にため息を吐き、言う。
「……まぁな。気のせいかと思ってたが、やっぱり気のせいじゃないのか……なぜ犬が」
誤魔化そうか、と最初に聞かれたときに思ったが、エルザの視線を見るに厳しそうだと悟ったというか、やはりちゃらんぽらんに見えてしっかりと東天教の高位聖職者なのだな、と分かる様子に俺は無理に誤魔化しても無駄だろうなと思ったのだ。
それでやることがおふざけなのは問題かもしれないが、あんまり重い話にすることもないだろうと思ったのと、どうもエルザの台詞からするに俺だけに言っているようだったから目眩まし的にと言うか、ロレーヌに目が向かないように、という意図もあった。
実際、今のロレーヌは澄ました顔だ。
私にはなに言ってるかよくわからないという顔だ。
女優である。
「……ええと、お二人ともどうしたのですか? ポチさんの言葉?」
さらに、メル僧侶であるが、彼女は本当に事態を理解できていないようだった。
……彼女もポチの声が聞こえているかと思ったが、そうではないのか?
だとすれば声が聞こえる聞こえないの理由は一体……。
エルザはそんなメルに言う。
「メルには昔から何度も言っていたじゃないですか。ポチさんは喋るんですよ。聞こえるのは私とリリアンだけでしたけどね」
「ええっ!? あれって本当だったのですか? 私をからかっているのかと思っていましたよ……」
あー……。
メルは知らなかったというか、教えられてもなお、信じていなかったのか。
年上のお姉さんたちのからかいだと思って。
確かにそういうことってよくあるよな。
親や兄弟、親戚に変な嘘を教えられて、少しあとで気づいて、嘘だったの!みたいになる感じ。
この犬って喋るんだよ!
というのは、まさにそういう嘘の代表的なものだろう。
で、何度も説明してもメルが最後には、あー、はいはい、いつものね、みたいな反応になってしまったという感じかな。
よくある……。
「確かに他のことではからかったこともたくさんありましたけど、ポチさんに関しては嘘をついたことはないですよ。この子は喋ります……ええと、はいはい、ふむふむ……」
エルザがポチに耳を寄せると、ポチが何か言っている。
「……わふ、わふわふわふわん。わんわん、わぉんわわん、わふわふわふ。わふぅ」
すべて聞こえてしまってなんだか申し訳なくなる内容だ。
……しかしこの犬、性格悪いな。
若干歪んでるぞ。
「……メル。お菓子のつまみ食いはやめなさい。それと、貴方は太っていませんよ……丸くなっただけです」
エルザがポチの言葉を聞き終えてからそう言った。
メルはその言葉に愕然とした顔をし、
「……なっ、なぜ、それを!? 誰も見ていないのは確認しましたし、ポチさんしか……はっ!? ポチさん!? あなたまさか……本当に……!?」
そんなことを叫ぶ。
ここでやっと、エルザの言葉が真実であるとメルは理解したようだ。
ポチの顔をひっつかみ、
「……あれは喋りましたか!? あっちは! あの話はエルザさまとリリアンさまには……!? あっ、あのとき誰にも話してないことをお二人が知っていたのは、あなただったのですか……!?」
と詰問と懇請を繰り返す。
その様はなりふり構わないもので、こいつがこの孤児院を守る責任者である僧侶だとはとてもではないが思えない。
最初に感じられた穏やかで清楚な雰囲気もどこかに吹っ飛んでしまった。
いや、それだけ必死なのかな……どうなんだろ。
分からん。
「……まぁ、そういうわけで、ポチさんは喋るわけですけど、その声が聞ける人は限られます。今まで、この孤児院では私とリリアンだけでした……なぜか分かりますか?」
エルザが争っている犬と孤児院長を無視して、俺たちに向き直って言った。
なぜかと聞かれてもな……。
共通点はいろいろあるだろうが、そこに俺やロレーヌも入ってくると微妙だ。
いや、一応、一つ思い浮かんでいることはある。
おそらくはこれだろうというものが。
しかしそれを自分から口にすると自白みたいになってしまうだろうし、あえて外れた答えを言うことにしようと思った。
「……二人とも東天教の僧侶になった?」
「……それは当たらずとも遠からずですかね。あんまり引っ張るのもあれなので答えを言いましょう。その理由は……」
とエルザが言い掛けたところで、
「……ちょっと! なんで私だけ声が聞こえないんですか! ポチさん! エルザさまやリリアンさまより、私の方がずっと一緒にいたのに! 今誰があなたに餌をやってると思ってるんですか! お風呂に入れてあげるのも小さい頃からいつも私でしたでしょう!? なのになんでー!」
メルがだんだんヒートアップし、色々と引き出してポチにすがりつき始めた。
ポチの表情を見ると、なんだかすごく面倒くさそうで、こちらを一瞬見て、エルザと目を合わせる。
エルザはそれにため息をついてから、少し考え、
「……仕方ありませんね。まぁ、いずれはと思っていたのです。私も組織でそこそこ偉くなりましたし、リリアンも戻った……今なら、守りきれるでしょう」
そう言って、ポチに向かって縦に首を振って見せた。
……一体なにが?
そう思っていると、ポチが急にぼんやりと光り出した。
それは静謐で、しかし美しい光で……どこかで見たことがあるなと思う。
ロレーヌがそれを見て、ぼそり、と言った。
「……レント。あれは聖気だ」
言われて、あぁ、そうだと思った。
自分が使うときはあまり強くないし、そもそも教えられてその小さな光自体隠蔽する術を覚えてしまったから最近目にしなくなっているそれ。
大規模なものは以前、マルトに宣伝で治癒術を披露するためにやってきた聖女を見て以来か。
ニヴのも見たが、彼女はかなり練度が高いからか、光り輝いて、という感じでもなかった。
しかしあの犬は……。
しばらくして、その光はメルに移り、吸収されていった。
そして……。
「……わふ?」
とポチが言うと、メルは目を見開いて、
「き、聞こえます! ポチさんの声が! 聞こえますよ!」
と言って、ポチを抱きしめた。
その様子を見ていたエルザが、
「……そういうわけで、ポチさんは……いわゆる、神獣、聖獣、と呼ばれる生き物で……神霊の仲間、ということになります。そんな彼の声を聞こえるのは、聖気の加護を宿したものだけです。レントさん。貴方も……そうなんですね?」
そう言った。