第497話 ヤーランの影とリリアンの謎
犬が……喋った?
いや、厳密に言うと犬系統の魔物、になるのか。
しかしそれにしたって、奇妙なことだ。
ゴブリンの類は、たまに文明を築いて村を作ってたりすることもあり、そういう場合には人語を解することも少なくない。
人に近い形態の魔物は、やはり臓器の作りも似ているのだろう。
喋ろうと思えば喋ることができるわけだな。
俺はともかくとして、ラウラやイザークもその部類に入るだろう。
しかし、それ以外の……動物系の魔物に関しては事情が異なる。
大抵が喋ることはできないし、喋ることができる存在と言えばかなり高位のものだけなのだ。
そういう場合は普通に声帯を使って喋る場合もあれば、《念話》と呼ばれる能力を駆使した場合もあるという。
今の、目の前のこいつ……ポチ、と言ったか。
明らかに音としては犬の鳴き声だったが……どちらなのだろうか。
「……おい、今……」
俺が驚いてそう口にすると、
「……? 何かありましたか?」
とポチを止めてくれた僧侶の女性が小首を傾げる。
「何かって……あれ?」
その反応からして、犬が喋ったことに気づいていない……?
もしかして、俺だけなのか?
そう思ったが、
「……レント。とりあえず、まずは自己紹介といかないか?」
ロレーヌが俺にそう言ったことで、どうやら気のせいではなかったようだ、と理解する。
とりあえず、に大分力がこもっていたからな。
他の者たちには普通に聞こえただろうが、言外に伝える意味合いが俺には分かる。
俺とロレーヌのつきあいの長さがなせる技術だろう。
つまり、ロレーヌには犬の言葉が聞こえていた、ということだ。
「……そういや、そうだな。挨拶が遅れた。俺はレント。こっちがロレーヌ。二人とも冒険者をやってる。それで……?」
貴方は、とまで言わなかったが、犬に手をやって止めている僧侶は察してくれる。
「私はこの王都第三孤児院の院長を務めております、メル・パティッシュと申します。こっちはポチさんです。あとは……」
彼女がきょろきょろと周りを見ると、集まっていた子供たちが俺たちにそれぞれ挨拶をした。
十人以上いたが、一応全員の名前は覚えた……と思う。
冒険者には必要な技能だな。
野良でパーティーを組む場合にそれが出来ないといざというときに困るから。
ロレーヌは言わずもがなで、暗記系は一瞬である。
苦労しながら語呂合わせとかで覚えている俺とはぜんぜん違う。
その頭脳を少しでいいから分けて欲しいと思わないでもなかった。
最後に、
「そしてわたしがエルザ・オルガドです。と言うのは今更ですね。ほらみんな、お土産があるよー。みんなで分けてね」
エルザがそう自己紹介をし、いつの間にか俺の手からロレーヌの手に移っていたお土産を子供たちに指し示した。
ロレーヌは子供たちにまとわりつかれ、盗賊に身ぐるみを剥がされるように土産をすべて持って行かれる。
「……大盗賊でももう少し手心を加えてくれるぞ……」
髪をぼさぼさにして、その場に残されたロレーヌは息を荒くしながらそんなことを言った。
さすがに冗談であるのは分かる。
本当に盗賊に襲われたらまぁ、ひどい目に遭うものだからな。
しかし、そうたとえたくなるくらいにはもみくちゃにされていたのは事実である。
嵐のようにロレーヌに襲いかかった子供たちは、お土産を持って行ってどこかに消えたが、それについて、
「台所に向かったのでしょう。しばらくしたら私たちのところにもお茶と一緒に運んできてくれると思いますよ」
とエルザが答える。
食べるための準備をしにいった、ということか。
慣れているようなのでいつものことなのだろうな。
「それにしても、エルザさま。今日はどうされたのですか? お供の方もいらっしゃらないようですし……」
メルが首を傾げて尋ねる。
俺とロレーヌがお供だということに彼女の中でならなかったのは、冒険者だとすでに名乗っているからだな。
エルザは僧正だ。
そのお供とくれば、東天教の僧侶か小姓に相場は決まっている。
冒険者は粗雑な者が大半なので、貴族や聖職者の身の回りの世話をする者としては大抵、落第なのだった。
護衛、というのは十分ありうるだろうが、その場合もお供の者は必要だからな。
特にエルザくらいの高位の聖職者となればなおさらに。
しかしそれがいないのだ。
メルが奇妙に思うのも当然の話だった。
「誰か連れてくると時間が時間がってうるさいですからね……というのは冗談ですよ。そうではなくて、今日はこのお二人をここにお連れしたくてきました。お二人ともマルトの方で、リリアンとお知り合いなんです」
「えっ? 本当ですか! リリアン様はお元気なのでしょうか? お手紙をお送りしても、返ってこなくて……」
メルはそう言って俺たちを見る。
以前、手紙について、エルザもリリアンに送っても返って来なかった、と語っていた。
それはエルザに対するリリアンの気遣いからだったようだが、おそらく、メルについても同様だろう。
結局リリアンは王都の東天教内部の権力争い、のようなもののせいで辺境に飛ばされたようだからな。
王都にいる東天教の関係者と手紙のやりとりをしていたら、危険視されて、エルザやメルの身が危ないと考えたのかもしれない。
「それについてはもう、大丈夫です。リリアンは力を取り戻しました。手紙もこうして届きましたし……」
そういって、エルザがメルに差し出したのは、マルトでリリアンが俺たちに託した手紙である。
メルはそれを見て目を見開き、それから手を伸ばして触れた。
「……懐かしい気配がします」
「リリアンの聖気が宿っていますから。もう開いた時点で大半が霧散してしまいましたけど、まだ少し残っています」
「そうですか……本当に、よかった。ということは、リリアンさまもいずれ王都にお戻りに?」
「それは……分かりません。ただ、そうなったとしても、もう誰も文句は言えないでしょう。そうならなかったとしても、王都を訪ねるくらいのことは自由に出来るでしょうし、また、会えますよ」
「あぁ、その日が楽しみです……」
そう言って手紙を抱きしめるメル。
かなり、慕っているようだが、一体どんな関係なのか。
気になった。




