第495話 ヤーランの影と静かな場所
「いやはや。本当にいいのですか? こんなに……!」
「……いいだろ。王都を案内してくれたお礼だ。こんなもんで足りるかどうかはわからないがな」
「十分ですよ! ……いただきまーす!」
目が星になっているんじゃないかと思うほど輝きに満ちた瞳で、エルザは手を合わせ、そして作業に移った。
作業……つまりは、目の前にあるものをひたすらに口に運ぶということだ。
ここは王都でもおいしいと評判のお菓子屋、らしい。
らしいというのは、この店についてもリナの情報に基づくからだな。
かなり奥まったところにあり、目立たないのだがすべて店主の手作りであるというケーキは絶品であるという。
本当ならこれをお土産に持ってきてほしかったらしいが、流石にどうがんばったところで日持ちしないので諦める、とも書いてあった。
かなり未練がましい感じだったので、ロレーヌがため息をついて買っていた。
彼女の保存魔術であれば一週間くらいであればなまものであっても新鮮な状態を維持できる。
それなりに魔力を使うためにあまり実用的ではないと言うことらしいが、今回は特別だという。
一応、リナもロレーヌの弟子みたいなものだからな。
アリゼと同じようにかわいいのだろう。
その気持ちはよくわかる……。
エルザはこの店を知らなかったようで、たどり着いて試食をさせてもらったそのとき、すばらしい店を紹介してくれたとしきりに喜んだ。
出来ることなら試食だけでなく、しっかりと食べたい、とも言っていたので、それならお礼に、ということで店内の飲食スペースで食べていこう、ということになったのだ。
いくつもあるケーキで選択を迷っていたので、好きなだけ食べていいと言ったら七つほど頼んでいた。
僧正のくせに遠慮を知らない……というかそもそも東天教の聖職者である僧正が甘味の誘惑に敗北し暴飲の限りを尽くしてもいいのだろうか、と思わないでもなかったが、それを尋ねると、
「天使さまは自らの心に嘘をつくことをこそ何より嫌っておられます。つまりケーキが食べたい、という私の心に嘘がなければそれでいいのです」
という自己中心的解釈で許されるとのたまった。
いいのか、こいつが僧正で……。
深く心の底からそう思った俺たちだった。
「はー、食べた食べた。お腹いっぱいですよ。まだいけそうな気はしますが……次来たときの楽しみにとっておきましょう! ズズーッ」
エルザはぽんぽんとお腹を叩き、食後の紅茶を飲みながらそんなことを言う。
タヌキか。
「……いや、満足してくれたなら何よりだが……。じゃあ、そろそろ戻るか? 日も暮れてきたが……」
ロレーヌがそういうと、エルザは思い出したように、
「あぁ、まだ一つ残ってますよ。つきあってくれるって言ったじゃないですか」
と言った。
……覚えていたか。
忘れてそのまま流れで帰るで同意するかと思ったが……。
ロレーヌのちょっとしたトラップである。
ロレーヌはエルザの答えに微笑みつつ、言う。
「……そうだったな。ところで、詳しくは尋ねていなかったが、どこに行くんだ?」
「それは、行ってのお楽しみですね。あ、ちょっとここのケーキをお土産に買っていきましょう……私の分は奢っていただきますが、お土産分はしっかり私が払いますよ」
「土産?」
一体どこに、と思ったがあんまり答えてくれそうな気がしない質問だ。
これから行くところへのものだろうが、それにしては購入を求めているケーキの量が多い……。
「どこに行くのかな?」
俺がぼそりと口にすると、ロレーヌが、
「まぁ、行けばわかるだろう」
とあきれた様子で言う。
エルザの僧正らしくない雰囲気がそうさせるのだろう。
敬語も今はもう、使っていないしな……まぁ、これは外ではそうした方が自然だ、ということで寺院を出る前に決めたことだが。
流石に寺院内でそうしたら不敬だと怒られそうである。
あれでかなりの人望を持っているようだからな……。
「お待たせしました! 行きましょう!」
購入を終え、両手に山となった持ち帰り用のケーキを持っているその姿は、大人数の子供を抱える若い母親のようである。
このまま歩かせたら俺が甲斐性なし扱いの視線を周囲から受けそうな気がしたので、
「……俺が持つよ」
そういって奪い取った。
「あっ! いいですのに……でも、お言葉に甘えますね」
そう言って微笑むと、今までどことなく抜けた雰囲気だったのに、強烈な母性と包容力が彼女から放たれた。
……こういうのが聖女の聖女たる所以なのかもしれないな。
と、それで思った。
うちの聖女はどうか……。
「……ん? なんだ? 何かついているか?」
ロレーヌがそう言って首を傾げたので、
「……いや? じゃあ、行くか」
◆◇◆◇◆
「……到着です!」
しばらく裏路地を歩くと、奥まった場所に開けたところがあった。
そこに古いが静謐な建物が建っていて、裏路地のジメジメした空間とは思えないほどに明るくさわやかな光が射し込んでいた。
そしてその建物の前で、数人の子供たちが遊んでいた。
「ここは……」
俺が言葉を発しようとすると、
「エルザお姉ちゃん!」
と、言って遊んでいる子供たちのうちの一人がエルザに気づき、駆けてきた。
エルザの元にたどり着くと飛びつくように抱きつき、そしてほかの子供たちも同様にした。
一瞬で子供たちにまとわりつかれたエルザである。
華奢なその手足では支え切れまい、と思ったが意外や意外、彼女はどっしりと地面に張り付いて離れない。
慣れているようだ。
「みんな、元気にしてましたか?」
エルザが尋ねると、全員が、はーい、と頷く。
「そうですか……よかった。今日はお土産があるんですよ。それと、メル僧侶に私が来たと伝えてきてくれますか? みんなで」
「あっ、うん! 行くよ!」
リーダー格らしい男の子がそういうと、全員でどたばたとその場を走り去り、歴史がありそうな建物……おそらくは、古い教会の中へと入っていった。
「……改めて聞くが、ここは孤児院だな?」
ロレーヌがそう尋ねると、エルザは頷き、言う。
「ええ、そうです。私とリリアンが育ったところなんですよ」