第494話 ヤーランの影と出自
「……本当に大丈夫だと思うか?」
東天教総本山、エフェス大寺院の前に俺はロレーヌと二人で立っていた。
俺が言った言葉に、ロレーヌは少し考えてから、
「……大丈夫なわけがない、と思うが、本人が大丈夫だと言っているのだからな……」
と心許ない台詞を言う。
何の話か、と言えば……。
「……あぁ、お二人とも! お待たせいたしました」
エフェス大寺院、そのもっとも大きな入り口……からではなく、側面の方に設けられていた小さな扉から、一人の人物が周囲をきょろきょろと観察しながら出てくる。
いわずもがな、彼女こそこのエフェス大寺院の責任者、エルザ・オルガド僧正であった。
身につけているものは僧侶としてのものではなく、普通の街人が纏うようなもの。
少しばかり今のヤーランの流行からは外れているが、普遍的な価値を持つシンプルなものである。
年齢がいくつなのか、恐ろしくて尋ねていないが、そうしているとやはり、二十代前半の娘にしか見えない。
リリアンと同世代のはずなのに……である。
リリアンも別に年だ、というわけではなく、むしろ若い方だとは思うが、かなりふっくらとしていることと、あふれ出る母性が若い、という感覚を抱かせないのだな。
意外と二人で並べば同い年に見えるのかもしれないと思う。
「随分と時間がかかったが……問題はなかったのか?」
ロレーヌがエルザにそう尋ねると、エルザは言う。
「いやぁ……撒くのに苦労しましたよ。伝言は置いてきたので、なんとかなるでしょう。それよりもお二人とも、見つからないうちに急ぎますよ」
それから、俺とロレーヌの手を引っ張って、足早にエフェス大寺院から遠ざかっていった。
……撒く?
なんか不穏な単語だな、と俺とロレーヌが思ったのは言うまでもない。
◇◆◇◆◇
「……つまりあれか。貴方は探し回る僧侶たちから逃走し、あの寺院から脱出してきた、というわけか」
街を歩きながら、ロレーヌが頭が痛そうに頭部を押さえながら呆れたようにそういった。
エルザは答える。
「いやいや、それは語弊があります。私はしっかりと、用事があるからしばらく留守にする、と伝言を残し、可能な限り誰のお仕事も邪魔しないように静かに寺院を出てきただけです。きっと今頃、みんな私の気遣いに感謝していることでしょう」
よく練られた脱出計画とそれに気づかなかったふがいなさに阿鼻叫喚の様相を呈している、の間違いでは?
俺はついそう言いたくなるが、別に言わずとも分かっているようで、エルザは続ける。
「冗談はさておき、こうしてたまに寺院を出て一人で街を歩くことはありますからね。問題はありませんよ。私の仕事もすべて片づけた上でのことですし……私がいたからといって何が、ということもありませんから」
しっかりと責任は果たしているから構わないと言うわけか。
……本当にいいのかな、と思わないでもないが、東天教の内部事情について口をつっこめるほど詳しいわけでもないので、本人がそういうならいいか、と納得しておくことにする。
「それならそれでいいが……ところで、王都を案内していただけるということだが、本当に期待してもいいのか?」
俺がそう尋ねたのは、エルザが大寺院の責任者、ということもあり、あまり一般的な街の様子については詳しくない可能性もあるのではないか、と思ったからだ。
お偉いさんというのはお供を連れずに外出すら出来ないということが少なくない。
たとえば王女殿下なんかは、それこそ一人で町中を歩いたことなんてないだろうからな。
自分が生まれたときから住んでいる街とはいえ、王都を案内しろと言われて出来るとは思えない。
しかしそんな俺の台詞にエルザは言う。
「大丈夫ですよ。それこそ私は小さな頃からこの街を駆け回っていましたからね。誰よりも詳しいと自負できます……リリアンを除いては」
「リリアンも王都出身か?」
ロレーヌがそう尋ねると、エルザは少し悩んでから言った。
「……一応は、そうですね。私とリリアンは幼なじみです。小さな頃から一緒に過ごして、時期は少しずれましたが、同じ道に入りました」
ということは、やはり二人は同年代か……。
しかし、すごいな。
幼なじみ二人そろって聖女とは。
最近、聖気の安売りみたいにポコポコ聖気使いに出会うからその希少性を感じないが、かなり珍しい力なのだ。
仲がいい二人が、同じように聖気を授かることなど滅多にない……俺とロレーヌが言えたことではないが。
俺とロレーヌの場合は、加護をくれたあの神霊が適当だったからというのも大きいしな。力も弱い。
エルザやリリアンのそれは、間違いなく俺たちよりもずっと大きいだろう。
もう少し詳しく二人の幼少期を尋ねようと、俺は口を開こうとしたが、
「あっ、そういえばお二人が行きたいところはどこですか? まだ聞いておりませんでした」
とエルザが言ったので、出鼻をくじかれる。
おそらくはわざとだろう、と分かったが、ロレーヌがこちらを見て首を振ったので、無理に聞く必要もないことだし、尋ねるのをやめ、リナからもらった小冊子をエルザに手渡した。
一応、これは不死者の手からなる怪しげな書物に分類される品だが、開いたとたんに悪霊が襲いかかってくると言うこともない。
内容的にも、問題のある記述がないことは確認済みだ。
ただ、所々に骨人の絵とか吸血鬼の絵とかが描いてあるのでなんだかな、という感じではある。
「……これはまた、冒涜的な……お二人の趣味ですか?」
「いや、違う」
「そんなわけないだろ」
と二人そろって否定したが、ロレーヌはともかく、俺は骸骨仮面だ。
否定しても否定しきれないところがあり、凝視されたのでふい、と目をそらした。
俺の負けだ。
「いや、いいのですけどね……それにしても本当に細かいですね。これすべてを回ったら、夕方までかかってしまいますよ」
生粋の王都っ子、エルザの案内でもってすらもそうらしい。
しかし、別に構わないだろう。
どうせ今日一日暇なのだから。
問題があるとすれば……。
「俺たちはそれで構わないが、エルザの方は大丈夫なのか? 時間とか」
「全く問題ありません。ただ、最後に一つ寄りたいところがありまして……そこだけおつきあいいただけますか?」
そう言ってきた。
別に俺たちと一緒に行く必要もない気がするが、案内を買って出てくれた人の話である。
断る理由も別になかったので、俺たちは頷いたのだった。