第489話 ヤーランの影と雲行き
「まず前提として、王杖はあった方がいい。なぜなら、ヤーランの平和に多大なる貢献をしているからだ」
ジャンは、かなり基本的なところを言った。
そんなことは分かっている、と言い募りかけた俺をジャンは手のひらを出して止め、さらに続けた。
「ただ、それは王杖の持ち主以外の人間にとっての話だ。今、あの王杖は、国王の命を啜っている……お? その顔、お前たちも知っていたな?」
最初の方は比較的知っている者は知っている情報だったのかもしれない。
といっても、俺たちは第二王女に教えられるまで全く知らなかったが……。
ヤーランの高位貴族とか、国の上層部には知られていることなんだろうな。
だからこそ、ヤーランの王族は他の国に比べ、余計に敬われていたということだろうか。
いなくなればヤーランに住んでいる者皆が困ってしまうわけだものな。
それは平民のみならず、貴族だって変わらない。
領内に不死者が大量に跋扈するようになったら、その対処のために今の何倍の費用がかかるか分かったものではない。
もちろん、他の国では当たり前に負担している費用であるから、そうなったところで国の運営が立ち行かなくなる、ということはないだろう。
ただ、それでも負担せずに済む負担をわざわざ作り出す必要もない。
王杖を奪って王族に取って代わってもいいだろうが……そもそもハイエルフから送られた品だという。
それは現在の王族が、という話であり、今の王族に取って代わったら整備とか、今回のような問題が起こった場合に対応してくれなくなるだろう。
そのまま飾り物でもなんでもいいから、王杖を保持し続けてもらう必要がある。
ヤーランの、特に貴族たちの穏やかさは、案外そういうところにあったのではないだろうか、と今にして思った。
「第二王女からそのあたりについては聞いたからな」
ロレーヌが答えると、ジャンは頷く。
「……そうか。まぁ、国王の容態についても、知られているところでは知られているからな。杖についても……効果までは知られている。ただ、今の杖の状況については限られた者しか知らない。知ることが出来るとしたら、情報源はお前たちだと、第二王女しかいないか」
「貴方は?」
「俺は……まず最初は、さっき言ったスパイ役の奴に聞いて知った。あの杖は……昔、若い頃にカルスの奴から見せられたこともあったから、そんなやばいもんだとは知らなかった。話を聞いて、早速あいつに会いに行って尋ねたら、それでも仕方がないと言いやがった。ふざけやがって……仕方ないわけねぇだろう」
カルス?
カルスというのはもしかして……。
「そのカルス、ってのは……?」
「国王だよ。カルステン・リション・ヤーラン。あいつとはあいつがガキの頃からのつきあいだ。といっても、俺の方が大分年上だがな」
今の国王よりも年上……。
たしか国王は六十五だった記憶があるから、それ以上か。
まぁ、単純に計算すると八十よりも上、となるらしいからおかしくはないが……そうだとするとジャンの見た目はあまりにも若い。
冒険者というのは職業柄、身体能力や魔力が普通の人間よりも遙かに高いということもあり、一般的に極めて老けにくいと言われているが、それでもジャンはな。
やはり、伝説的な存在ともなると、冒険者の中でも逸脱した存在だと言うことなのかもしれなかった。
「それで? 仕方ないならどうしようと?」
ロレーヌが冷静に先を尋ねると、ジャンは続けた。
「そりゃ、杖を直すしかねぇだろう。あれが壊れてるからそんなことになってるわけだからな。ただ、直そうにもな。方法がねぇ。あいつ自身が、短い期間でも手放すことを拒否してるんだ。ハイエルフに頼もうにも……あいつらが古貴聖樹国を出るわけもねぇ。八方ふさがりだ。だが、悩んでたら、ジゼルの奴が、《塔》が、王杖を王の手から奪わずに、しかも短期間で修理する、その方法を見つけたと言った」
「……一体、どうやって?」
身を乗り出してジャンに尋ねたのはロレーヌだ。
壊れた神器を修理する。
そんな方法があるというのなら、ロレーヌの興味を惹かないはずはない。
こうなったロレーヌを前にすれば、普通の人間なら本能的に若干怖がるというか、引いてしまうところだ。
しかしこれにジャンは少しも動揺せずに答える。
「神器というのは、その素材が特殊らしい。普通の魔導具とは比べものにならない数々の貴重な素材をふんだんに使い、そして最高の技術でもって仕上げられて、初めて神器となるという。神々が直接製作した場合以外に、ハイエルフやドワーフなどが作ったと言われるものでも、たまに神器、と言われるものが存在するのはそのためだ」
「それは……知っているが、それがどうしたんだ?」
何がいいたいのか分からずに、俺が首を傾げると、ジャンは言う。
「その、特殊な素材の中に、さらに特殊なものがあるらしいんだな。通常、決して手に入れることが出来ず、したがってその辺の者には神器を作ることが出来ない理由となっているものが。ジゼルは、それが何なのか《塔》が解析したと言った。さらに、それを手に入れられる千載一遇のチャンスが今、この時代、この国にやってきているのだ、と」
「……なんだか詐欺のような台詞だな。貴方の欲しいものが今このとき、この瞬間に手に入りますと。今すぐご決断くださいと」
ロレーヌが鼻白んだような表情でそう言い、これにジャンも笑って頷く。
しかし、ジャンが、
「まさにその通りだ。しかしだ……俺たちの組織は何だ? 《異能者》の集団だぞ。その中に《人の言葉の真偽を正確に判別する能力者》がいてもおかしくはあるまい」
そう言った瞬間に、ロレーヌの表情はまた、変わる。
確かに、と思ったのだろう。
人の心は極めて複雑で、誰が何を考えているか判別することは難しい。
魔術によって何かを強制することも簡単ではなく、また人の記憶をいじくることも出来はしない。
しかしだ。
俺たちは確かに《セイレーン》が能力を以ってそれを実現しているところを見ている。
つまり、《異能者》には魔術には出来ない、とされていることをも可能とするものがあるということだ。
人の言葉の真偽くらい、見抜ける者がいてもおかしくない。
「分かった。つまり、ジゼルの言ったことは事実だとしよう。それで、その特殊な素材とは、何だ?」
「あぁ、それはな……」
ジャンが溜め、そして自分だけの宝物を披露するようにゆっくりと先を言った。
ーー迷宮核だよ。
この言葉に、俺とロレーヌが何とも言えない妙な顔をしたのは言うまでもない。