第49話 新人冒険者レントと現実的利益
ライズが巨大なスライムの腕らしき何かに吹き飛ばされたそのとき、俺はいったい何をしていたかと言えば、呪文を唱えるローラの眼前に立ち、スライムによる攻撃を代わりに受けるために立っていた。
スライムの唯一と言っていい弱点は魔術であり、それを突くために前衛である戦士は必ずその身をもってかの魔物の攻撃を受け止めなければならない。
俺もまた、その役割を担うつもりでいたのだが、俺たちの前にこの部屋で行われた四人組の戦いを観戦しながら相談し立てた作戦の中に置いて、ライズは自ら矢面に立ち、スライムの攻撃をいなすことを選択したのだ。
それは何のためかと言えば、おそらくは色々と理由があるに違いなかった。
しかし、それをたった一つに絞ることは難しいだろう。
ライズは先ほどまで、通常のものと比べれば類を見ないほどに巨大とは言え、たかがスライム程度に慄いていた自分を恥じ、また自分が信じ切ることが出来なかった自らの実力を確かめたく、さらに言うなら今後、このような魔物に会ったときに、死亡する危険に晒されながら経験を積むよりは、今ここで、ぎりぎりの戦いを繰り広げ、もしもの場合に冒険者組合職員が助けてくれる状況を利用するのが賢いと考えて、そのような選択をしたのだった。
そしてそれは確かに悪くない考えだ。
もちろん、最初から冒険者組合の手助けをあてにしているのならそれは良くないことだが、そうではないことはライズの戦いぶりを見ればわかる。
彼は必死で大スライムに突っ込んでいった。
自分よりもおそらくは格上の力を持つであろう大スライムに対して、いかに動けばその注意を逸らし、また自分の攻撃が通るのかを考えつつ、今の自分に出来る最善の動きを考えて。
そんな彼の動きの一瞬の隙を突かれ、攻撃を加えられてしまったことは、彼の経験不足もさることながら、それ以上にあのスライムがいささか強すぎるだけの話である。
大スライムは、吹き飛んだライズをそのまま追いかけてその巨体で潰しきろうとするが、流石にそれを放置しておくことは俺には出来なかった。
後ろを軽く振り返ってみれば、ローラの目は、ライズを助けて、と言っていることが分かる。
もしもここでスライムの体から触腕が出てきてローラに向かって来ても、避ける自信もあるのだろう。
俺はそれを確認したうえで地面を蹴り、スライムのもとへと向かった。
スライム、という存在に前後の区別があるのかどうかは議論の分かれるところだが、とりあえず進行方向とは逆に位置する面のことをスライムの背中とすると仮定するなら、俺はまさにその背中に向けて横薙ぎの斬撃を加えた。
すると、びちゃり、と言う音と共に、その液体と固体の間にあるような、ほとんどを水分で形成されたスライムの体の一部が剣を振り切った方向へと抉られるように吹き飛んでいく。
大分力がついているらしく、大スライムにも関わらず、通常のスライムと同じ程度の抵抗しか感じなかった。
とは言え、一撃でその核を破壊できるほどではない。
大スライムの核は体の奥深くにあるうえ、やはり通常のスライムのそれと同じように常に動き回っているし、体内に剣を突き込めば抵抗で剣筋がかなりずれる。
よほどの精度で突きを刺し込むか、抵抗などまるで関係のないレベルの力技で押し込むかのどちらかしかないが、その両方とも今の俺に出来ることではなかった。
だから、せいぜい今の俺が出来るのは、この大スライムの注意を、ライズやローラから逸らすくらいのことである。
幸い、今の攻撃でもって大スライムの注意は俺に向いたらしい。
体内の核が妙な動きを見せ、それから前進していたのが突然俺の方に向かって動き始めた。
やはり、スライムと言う存在に前後の区別はない様だ。
核の位置で判断しているのかな?
帰ったら大学者様たるロレーヌにでも聞いてみようかな、と思いつつ、俺はスライムの突進を引きつけつつ後退する。
もちろん、その方向はライズとローラのいない向きである。
ずるずると、巨体では考えられない速度で距離を詰めてくる大スライム。
もちろん、部屋の広さも有限であるからいつまでも逃げ惑えるわけでもない。
しかし、そんなつもりもないし、必要もない。
少しして、ライズが復帰してきて大スライムに向かってくる。
ライズは俺とちょうど反対の位置から斬撃を加えるが、気の力を使っているとはいえ俺より腕力に欠けているようで、さほどの傷は刻めなかった。
しかし、前後から、その身を削られるような攻撃を加えられて、大スライムも対応せざるを得ないらしく、俺とライズの両方に触腕を伸ばしてきた。
先ほどライズの攻撃の隙を確かに突き、吹き飛ばした大スライムのその触腕であるが、どうやら複数出すと若干精度が落ちるようでライズにもかろうじて対応できるくらいの速度になった。
俺はと言えば、まだ余裕がある。
おそらくだが、一人で立ち会ってもこの触腕をいなし続けることならずっと出来るだろう。
しかし、決定打不足で勝利を収めるのには相当時間がかかるかもしれないが……。
やはり、魔術をある程度修めるのは急務かも知れない、と少し思う。
それからしばらくして、
「いけますっ!」
という声が響く。
何がいけるのか、と言えば、それはもちろん、ローラの魔術である。
先ほどから彼女がずっと唱えていたのはその呪文だ。
小さなものならばかなり短縮した詠唱で行けるそうだが、大スライム相手となるとそうもいかないらしく、それが故にライズが時間を稼ぐという戦い方をしていたわけだ。
結局、ローラを守っているはずだった俺も参加することになったが、ボスとの戦闘はそうそう予定通りにはいかないものだ。
最後が良ければすべてよし、というものだろう。
ローラの言葉に素早く大スライムから距離をとった俺とライズ。
それを確認するや否や、いつの間にか大スライムの正面に位置取っていたローラが叫んだ。
「……大火炎!!」
その言葉と共に、ローラが構える杖の先端から、彼女の身長に匹敵する火炎が大スライムに向かって放たれる。
巨大な炎の塊に、大スライムはその身を捩って避けようとするも、ライズと俺にあまりにも気を取られていたせいでその挙動に至るまでの時間を失っていた。
結果として、大スライムは火炎をまるで避けることが出来ずに、正面から思い切り受ける羽目になった。
ライズと俺の剣による斬撃ではほとんど傷つかなかったその巨体であるが、ローラの火炎の前にどろどろと溶け出し、その核はほんの数秒でむき出しになる。
この状態でもしばらく放置しておけば復活してしまうというのだからスライムと言うのは改めて恐ろしい魔物だと思うが、こうなれば止めを刺すのは容易だ。
ライズが俺を見て、とどめを、と言いたげだが、ここはライズに譲ってやりたい気分の俺は、顎をしゃくって核を示す。
そんな俺の行動に、ライズは自分は大したことが出来ていなかったのに、という感情が透けて見えるような表情を浮かべるも、ボスに止めを刺す、という一種の英雄的行動に対する憧れも捨てきれないようで、最後には折れて、大スライムが再生を始める前に剣を掲げ、そして核に突き刺したのだった。
それにより、すべての大スライムの液体状の体はその結合を失い、動かなくなっていく。
これで、ただの透明なゲル状の塊となってしまったわけだ。
放置しておけばそのまま迷宮に飲み込まれ、消えてしまうそれだが、俺は腰の袋から容器を取り出し、たった今、ボスを倒した余韻を味わっている二人にもそれを渡して言う。
「……すらいむの、たいえきは、いい、かねに、なる。あつめ、よう」
あまりにも現実的なその台詞に、二人は一瞬、今言うことなのか、という顔を浮かべたが、
「……さんにんで、わけても、ぎんかは、かたい。ほうしゅうは、やまわけだ」
そう言えば、即座にその瞳をお金に変えてせっせと大スライムの体液を集め始めたのは、ご愛嬌である。




