第481話 ヤーランの影と《魔賢》
地下闘技場の二人の女性が向かい合って立っている。
一人はいかにも知恵ある魔術師、と言った雰囲気の成人女性。
もう一人はかなり子供っぽい雰囲気の見た目と身長、そしてその体に少し大きめのローブをまとった少女である。
成人女性の方がロレーヌ。
少女の方が《魔賢》フアナであった。
これから二人の試合が始まるところだ。
審判は俺とヴァサのときと同様に、老人………つまりは《スプリガン》である。
先ほどと同様、闘技場内には入らず、魔力壁の張られたこっち側、つまりは観客席で行う。
近くで見た方がいいような気もするが、戦いの規模や攻撃の範囲を考えるとそうせざるを得ないのは分かる。
俺とヴァサの場合のように、基本的に剣や槍で戦っているくらいならまだいいが、魔術師同士の戦いとなると範囲攻撃が基本だからな。
闘技場内にいればどれだけ避けても、飽和攻撃の流れ弾があたる可能性は避けられない。
だから外側からやるしかない。
もちろん、老人の実力、耐久力なら中でも耐えられるだろうが、ぼろぼろになりながら審判をするのもバカみたいな話だ。
したがってこのやり方は非常に合理的だと言える。
魔術師同士のみならず《異能者》同士も似たようなものだろうしな。
老人のような能力者が力をぶつけ合えば狭い闘技場に逃げ場など無い。
恐ろしい話だ。
「……では、試合を始めるぞ。二人とも、準備はいいかのう?」
老人がその小さな体には見合わない、闘技場全体に響く声で二人に問いかけると、二人ともが小さく首を縦に振った。
「よし! では……始め!」
◇◆◇◆◇
始めに動き出したのはフアナの方だった。
老人の合図とともに、魔力を集中させ、無詠唱で火弾を放ったのだ。
その大きさは、通常の魔術師の倍ほどもあり、展開速度と相まってかなりの使い手であることが分かる。
火弾はそこまで高度な魔術ではなく、これを使えるからと言って自慢できるようなものではないのだが、しかし馬鹿にしたものでもない。
耐久力の高い魔物相手ならともかく、普通の人間相手であればこれを命中させれば間違いなく大きなダメージを与えられるものだからだ。
展開速度も速く、魔力消費も少ない。
工夫によっては今フアナが放ったように、威力や大きさの調整も利く。
その上……。
ロレーヌは火弾が放たれたのを確認し、射線から外れるべく右に動く。
魔力による身体能力強化も当然に行っており、一般的な人間が出せる速度を遙かに超えている。
それに加えて、彼女は魔術師ではあるが、それなりに武術の心得もあるため、動きは洗練されていた。
マルトに来た当初は魔術師としての技能しか無く、森へ出ても、魔物と戦ってもへっぴり腰でしかなかったが、十年の月日の中でしっかりと身につけたわけだ。
もともと物事の飲み込みは極端によく、その上、努力家であり、さらにその頭脳たるや俺などとは比べものにならないほど鋭い。
気づけば相当な身のこなしを身につけていて、魔術師らしくない素早い動きが出来るようになっていた。
昔から見てきた俺としてはその成長がうれしくなってくる。
もちろん、それでも彼女の本質は魔術師であり、剣を持って戦ったりすることは滅多にないが。
今回もその手には小さな杖が一本あるだけだ。
なくてもロレーヌは普通に魔術を使えるが、あると魔力消費や射出速度に違いが出るのは事実だからな。
それだけではなく、相手にフェイントするにも使える、というようなことも言っていた。
大抵の魔術師は杖の先から魔術を放ったりするわけで、無意識にそれを相手は警戒するわけだが、ロレーヌはそれこそどこからでも出せてしまうからな。
杖の先、杖の先、と思っていたら唐突に足下から、なんてことも出来る、ということだ。
話がずれたな。
火弾を避けたロレーヌ。
しかし、火弾は直線的に進んでいた進路を突然、直角に曲げ、ロレーヌを追い始めた。
これが、比較的簡易に使える火弾のいいところだ。
撃った後、その進行方向を操作しやすいのである。
もちろん、他の魔術でも出来ないわけではないが、魔術の構成が高度になればなるほど、難しくなっていくのは当然の話だ。
火弾はそういう意味で、簡単にそれが出来る。
もちろん、ロレーヌはそれも予想していたようで、追ってくる火弾を微笑みながら見て……そのまま、フアナの方向へと走り出した。
そして、彼女の直前までたどり着くと、腰から短剣を取り出して、その首筋を狙う。
あまり見ないが、こういうこともロレーヌは出来る。
そして、自らの背に火弾が迫ったそのとき、ぎりぎりのタイミングでロレーヌはその火弾を左に避けた。
火弾はロレーヌを追うことが出来ず、フアナに向かって直進する。
あまりにもロレーヌの動きが素早すぎたからだろう。
先ほどまでよりも早かった。
それは、身体強化に使う魔力量をその瞬間に増やしたから、だろうな。
そして、火弾はフアナに命中する……かと思ったそのとき、フアナは、
「……はあっ!」
と、気合いの声を上げて、その火弾に向かって手を差し出した。
明らかに自殺行為である。
自分の放った魔術だからと言って、ダメージを負わない、なんていう都合のいいことはない。
だから、フアナの腕は燃え上がる……はずだった。
しかし、その瞬間、火弾はなぜか突然消滅してしまう。
そして、その場には無傷のフアナが残った。
ロレーヌはフアナからその間に十分に距離をとり、最初と同じような間合いで二人は向かい合った。
「あれが、《魔賢》の力か?」
俺が近くで審判をしている老人に尋ねると、彼はうなずく。
「《魔賢》は本人の自称じゃが、まぁ、そうじゃな。説明したとおり……完成した魔術の構成、その一番弱い部分を見抜くことが出来る異能じゃ。魔眼に近いようにも思えるが、あれはあくまでも魔力の流れや量を見抜くもので、フアナのそれとは根本的に違う。なんというかな。人の体にたとえると……魔眼が血液や空気の流れを見るものとすれば、フアナのそれは、脳や心臓がどこにあるのか、一目で分かる、というものなんじゃ」
「違いがいまいち分からないな。それなら、魔眼でも血が集まっている場所を見ればなんとなく心臓の位置や脳の位置も推測できるんじゃないか?」
「確かにそれはそうじゃ。じゃが、その場合、推測が必要じゃろう? フアナは直感的に一瞬で分かるんじゃ。考える必要もない。見れば、分かる。そういうものじゃ」