第475話 ヤーランの影と開始
「……とにかく! 私たちは口だけじゃ納得しないわよ! そうでしょ、ヴァサ!?」
「おうよ! その通りだ!」
そんな声が俺の耳に聞こえてくる。
もちろん、ロレーヌも聞いていた。
お互いの表情を見るによく似たようなものになっていることは明らかだろう。
ロレーヌからじゃ、俺の顔ははっきり見えないだろうけどな。
つまりは、やっぱり話し合いじゃダメそうだな、という落胆の表情だ。
「……では、どうするというのじゃ?」
一応、という感じで老人がヴァサとフアナにそう尋ねると、二人は間髪入れずに言葉を発した。
「ジジイが負けた奴と戦わせなさい! 私たちに勝ったら《長》のところまで連れて行ってやるわ!」
「俺たちが勝ったら、そいつらの道はここまでだ! 爺さんたちも同じだぞ!」
そんな風に。
老人はこれに、深くため息を吐き、
「……ふぅ。分かった分かった。好きにせい……ということで、ダメじゃった。二人とも、後はがんばっとくれ」
二人に同意した後、俺たちに振り返ってそんなことをぼそりとつぶやいた。
こうなることがほぼ確実だと読めていたのだろう。
よくあの二人の性格を熟知していると言える。
そう言えば、と思ってふと気になったので、俺は老人に尋ねる。
「……あんたのスカウトした奴らは、みんなあんな素直なバカなのか?」
だとすればその苦労が忍ばれる、と思っての台詞だった。
《ゴブリン》は理知的だが、《セイレーン》はあっちに近い気がするしな。といっても、あれと比べれば《セイレーン》ですら落ち着いて見えるが。なにせ、話は聞くし、聞いたことは受け入れるのだから。
俺の質問に老人は首を横に振り、
「そんなわけないじゃろ。あれは特殊例じゃ。まともな奴らはみんな、仕事に出払っているからのう。拠点にはいないだけじゃ。あやつらにはバカ正直な仕事しか回せんから大抵ここにいるんじゃよ」
まさかの仕事を干されている二人らしかった。
「ただ、何もさせていないわけではないぞ。事務仕事もあるし、闘技場の管理も組織の業務の一部じゃからのう。いわゆる裏の仕事がないときは、そういうことをさせておる。今はよっぽど暇なんじゃろうな。闘技大会も遠いし、かといって他に何か催し物の予定があるわけでもない。闘技場も暇なときは暇なんじゃ。じゃからのう……」
もしかしたらあいつらの暇つぶしもかねているのかもしれないな。
とは《ゴブリン》がぼそりと言った台詞だった。
流石にそれはないだろう、と思うが、暇だからこそこんな行動に出れているのは間違いないわけで、遠い話でもないだろうな。
ともあれ、ここで逃げるわけにもいかないというか、逃げようがない。
俺はロレーヌと顔を見合わせ、頷きあうと、
「……分かった! 戦ってやる! どっちがどっちとやる?」
とヴァサとフアナに答えた。
もちろん、俺としてはヴァサと、ロレーヌがフアナと戦うのが一番いい。
だが、それをあえて口にするとあまのじゃくの気があの二人にはあるらしく、反対になる可能性もあるという。
普通に選択権を向こうに委ねれば、魔術に興味の強いフアナがロレーヌを勝手に選び、そしてあまりをヴァサが、という流れになるはずだとも。
さらに、老人はヴァサが俺を選ぶ気持ちになるように、一言、言う。
「あぁ、そうじゃ。わしに強力な魔術を叩き込んでくれたのはロレーヌじゃが、それではまだ、気絶はせんかった。最後の一撃をくれたのは、こっちのレントじゃ。しかも、剣でのう……」
すると、言うが早いか、
「では、俺はお前とやることとしよう! レント!」
とヴァサが叫んだ。
これにフアナは、
「ちょっと! どうして先に決めちゃうのよ!」
と文句を言うが、ヴァサは、
「別に構わんだろう。お前はあの女の方の魔術に強い興味を抱いていると言っていたではないか。話が本当なら、お前よりも高火力の魔術を連発で放ったということだぞ……流石にないと思うが」
「うーん……まぁ、そうね! じゃあ私はそこの女の方よ! いいわね!」
フアナは即座に言いくるめられて頷いた。
《魔賢》などと名乗っている割に、本当に賢いのか心配になるおつむである。
ただ、話が計画通り進んだのは間違いなく、俺たちにとっては極めて都合がいい。
したがって、二人の決定に異論はなく、
「分かった、ではそのようにしよう」
そう答えたのだった。
◇◆◇◆◇
それから、どのように戦うのかを聞いたのだが、当然であるがこの地下闘技場を使って、ということになった。
話を聞くと、この地下闘技場には……というか上の闘技場もだが、様々な攻撃や魔術を観客席に届かせないようにするために遮断する魔術盾を形成する装置が設置されているらしく、そういう心配はせずに戦って構わないと言うことだった。
起動については組織のものなら誰でも使っていいことになっているらしく、今回は《ゴブリン》が操作を買って出てくれた。
いざというときは、老人がその能力でもってヴァサとフアナに無理矢理いうことを聞かせる予定であるため、老人は闘技場から目を離せないためだ。
そんなことを何も知らない二人である。
フアナの方は今、観客席でこれから始まる試合を楽しみそうに見つめており、ヴァサは俺の真正面で槍を構えて立っていた。
どうやら槍術師らしい。
対して俺はいつも通り片手剣だ。
いつもと違うのは今持ってる剣には魔力も聖気も通らない、ということだが、どちらにしろ魔術は効かないと言うし、剣に込めることはないので問題ないだろう。
聖気については一応、隠しておきたいからな。
そうそう切り札をがんがん出してもいられない。
老人に対しては出してしまったが、あれはもうそれしかないとせっぱ詰まった状況だったからだ。
別に余裕ぶっているわけではなく、むしろ余裕がないからこそ、そういった小細工については秘匿しつつ頑張りたいということだな。
判断を間違えて出し惜しみし、結局やられてしまった、では世話がないわけだが。
「……剣士か。そんな小針みたいな剣で、あのじいさんを気絶させるなんて出来るわけがない」
ヴァサが俺に言う。
そう言われると確かに俺の剣なんて、あの巨体の前には小針も同じだったな。
刺し所によってはいい針治療になった可能性はある。
残念ながら当たりどころが悪く、老人の意識は完全に失われたわけだが。
「小針だってそこそこ刺さる場所によっては痛いだろうが。味わってみるか?」
売り言葉に買い言葉……にしては格好がつかないが、俺だからな。
こんなものだろう。
「はっ」
鼻で笑われてしまったが……まぁ、いいか。
「では、試合を始めるぞ。二人とも準備はいいかのう?」
審判のごとく闘技場の中心、俺とヴァサの間に立っているのは老人である。
誰が審判を出来るって、やはりこの場では彼しかいないという話になるからな。
ロレーヌも出来ないわけではないだろうが、俺に肩入れした、なんて後で行われても困る。
老人も裏切り者扱いされているので怪しいと思うが、ヴァサは「爺さんはそんなところで不正はしない」と妙に信頼感たっぷりに言ったので問題ない。
老人の言葉に、俺とヴァサが頷いたのを見ると、老人もまた、頷き、それから手を挙げて、
「では……始め!」
と言って手をざっと下げ、模擬戦の開始を告げたのだった。