第45話 新人冒険者レントと地図屋
「……おや? 何かご用で?」
その真っ黒いローブを身に纏った小男は、近づいてきた俺に目敏く気づいてそう、尋ねてきた。
何か面白がるような雰囲気がその声色に交じっているのは気のせいではないだろう。
周囲には俺たちと同じように試験を受けていると思しき鉄級冒険者たちがいるが、それぞれ地図の仕掛けに気づいた者もいるらしく、地図を買い求めようとしてる。
にもかかわらず、この男に話しかけようとしているのは俺たちだけなのだから、どれほど怪しい雰囲気を出しているか分かろうというものである。
地図を売っている者と言うのは、迷宮の入り口付近には沢山いて、自分のところの地図が如何に正しく、またそれ以外にもお得な情報が書き込まれているかを主張しているものだが、俺の目の前にいる男にはそういうそぶりは一切ない。
ただ、ぼんやりふらふらと突っ立っているだけ。
まさか彼が地図を売っている、とすら普通は思わないだろう。
「……ちず、をうってくれ」
俺がそう言うと、男は、
「へぇ。よく私が地図屋だと思われましたな? 私には誰も近づいてきませんぜ」
「そういうのは、いい。ちずを」
こいつの性格を、俺は良く知っている。
知らない奴が話しかけると、色々と話して最終的に煙に巻いてどこかへ消えてしまうようなところがあるのだ。
地図を売ってるのにそれはどうなんだ、と思わないでもないが、信用できる相手以外には売らないというのも一つの選択だろう。
ただで奪い取ろうとする横暴な輩と言うのも冒険者にはいるからな。
「……へぇへぇ、地図ね。こちらを。銀貨二枚になりますぜ」
そう言って、男は幅の広そうな荒い紙を渡そうとしてきたが、
「……いっかいそう、だけのちずで、いい。それと、たかい。どうか、ごまいで、かえるはずだ」
俺が間髪入れずにそう言うと、驚いたような顔をして、素早く他の地図を取り出して手渡してきた。
それから、
「……あんたは受かりそうですな……そっちのチビッ子二人も、この人には従った方がいいかもしれませんぜ。へぇ、銅貨五枚で」
銅貨を渡し、地図を受け取る。
それから男は即座にどこかへと消えてしまった。
一部始終を見ていたライズとローラは、
「……本当にその地図、正しいのかよ……?」
「あんなに怪しい人、初めて見ましたよ……」
と言っているが、俺がとりあえず地図を広げて二人に見せ、
「……しきゅう、された、ちずと、みくらべて、みろ」
そう言うと、二人は身に付けている鞄から支給された地図を取り出して、俺が今購入した地図と見比べ始めた。
そして、
「……ここ崩落してんのかよ。ここは……構造が変わった? マジか……」
「ええと……怪しい人の地図だと罠の場所、いくつも書いてありますね……あぁ、最短距離行くとまずいんだ……」
そんなことをぶつぶつ言い続け、最後には、
「レント、あんたやるじゃないか。あんたがいなかったらこんな不完全な地図で行って迷ってるところだった」
「そうですね! この地図があれば、きっと試験は楽勝です!」
と納得してくれた。
しかし、地図を手に入れただけで合格できるほど簡単ではないだろう。
あくまで第一関門突破、くらいに考えておいた方がいい。
「……ぎるど、は、いがいと、せいかくが、わるい。めいきゅうでもなにが、あるか、わからない。きを、ひきしめて、いこう」
そう言った俺に、二人は頷いてくれた。
見かけ通り、かなり素直な性格をしているらしい。
俺としては気が楽だが、いつか騙されないか、将来が若干不安であった。
◇◆◇◆◇
「いやぁぁぁっ!!」
気合いのこもった声と共に、ライズの剣の一閃が骨人を襲う。
それほど強力な一撃ではないが、しかし、狙いは確かで骨人の頭部を叩き、砕くことに成功する。
ただ、一発では倒しきることは出来なかったようで、まだふらふらしつつも動いている。
俺は、そんな骨人に向けてライズの後ろから出、剣を振るうとその骨だけで構成された体を砕いた。
「……はぁ、はぁ」
骨人を倒して、ライズは息を切らしている。
と言っても、それだけを相手にしたためではなく、ここまで来るのに何度も会敵しているためである。
俺たちの陣形は、話し合ってライズが前衛を、俺がローラを守りながら、ライズの補助を、ローラが後衛をするということに決まり、ずっとその状態で進んできたが、そろそろ限界に近付いているかもしれない。
俺一人なら余裕だが、そういう訳にもいかない。
あくまで、この試験は協力して乗り越えなければならないのだから。
「……らいず、だいじょうぶ、か?」
「心配、いらない……と言いたいところだけど、さすがにきついな。そもそも、《新月の迷宮》のこの辺りって、こんなに魔物出たか?」
ライズがそう言ったのは理解できる話だ。
と言うのも、さっきから妙に魔物が多く出現するのだ。
《新月の迷宮》は魔物が少ないわけではないが、それにしても多すぎる。
おそらくは、何か理由がある……というか、十中八九、冒険者組合が魔物を誘導しているのだろうと思われた。
銅級になるなら、これくらいは乗り越えられるだけの戦闘能力があることを示せ、ということなのだろう。
「……ぎるど、は、めいきゅうの、まものをちょうせいしたりは、できないが、こう、や、ひとをつかって、まものをゆうどうすることは、できる……たぶん、そういうことなのだろう」
俺が二人にそう言うと、ローラは、
「こう……? あぁ、香ですか。魔物を誘導することの出来る香なんてあるんですね」
「ぎるどが、つかうぶんには、いいが、それをつかって、どうぎょうしゃを、わなに、はめようとする、ものも、いる……きをつける、ことだな」
無邪気なローラにそう言うと、彼女の表情は若干暗くなり、
「そんな人がいるんですか……」
と驚きと悲しみに染まったようになる。
そんな人間がいるとは信じたくないのだろう。
しかし、確かにいるのだ。
迷宮での殺しは当然ご法度だが、仮にやったとしても、ばれなければそこで話は終わりだ。
それに、自分の手を汚さずとも、魔物に殺させる、という手段もある。
そのために魔物を誘導する香を使う者がいる、ということだ。
もっと大規模になると、それで村や町を襲わせようとする国家の歴史上の凄惨な所業などの話になってくる。
本来はむしろ魔物の討伐を楽にするために造られたものだと言うが、どこにでも悪いことを思いつく者はいるものだ、という話だ。
そう、どこにでも、悪い奴はいる。
「……とまれ」
俺が、進もうとする二人に、そう言ったのは、迷宮のとある角に差し掛かったところだった。
二人は首を傾げて俺を見る。
俺は二人に囁き声で言う。
「そこに、まちぶせされて、いる」
二人は驚いたような表情で、しかし同じく囁き声で、
「……でも、魔物の気配はしないぜ?」
「そうですよ……それにそこまでの知能は、この辺りの階層の魔物にはなかったと思いますが」
それは確かにその通りだ。
骨人やスライム、ゴブリン程度しか出現しないこの《新月の迷宮》の一階層で、わざわざ待ち伏せまでするような魔物はいないと言っていい。
たまたま出くわすタイミングの問題で、待ち伏せられたようになるときがあるくらいだ。
しかし、別に俺が言っているのはそう言う意味じゃない。
「まちぶせ、しているのは、にんげんだ。まものじゃ、ない」