第436話 塔と学院、お弁当
「……問題はだ、飛竜天麻だな」
ロレーヌが腕を組んで唸る。
と言っても、採取が困難という意味合いよりも、手間を考えて憂鬱になっているのに近い。
「正面突破か……。気を張ってやらないといけないね。そこについては。他の二つの採取場所に到達するためにも、どうしても片づける必要があることだし」
つまり、水色飛竜の生息地を馬鹿正直に抜けるしかない、ということである。
普段であれば比較的大人しい魔物に分類される水色飛竜だが、今は繁殖期で気が立っているため、近くを通るだけでも襲い掛かられる可能性が大だ。
したがって、数百、場合によっては数千匹はいるであろう水色飛竜を倒しつつ、通り抜ける必要がある。
これを面倒と言わずに何を面倒というのだ、という感じだ。
しかし……。
「初めから分かっていたことだから仕方がないけどな。警戒しつつ、進むしかない。運が良ければ、数匹蹴散らせば他のは遠巻きにしてくれる……よな? たぶん」
「絶対そうだとは言えんが……それを期待するしかあるまい。ともかく、まずは生息地まで行くとするか……」
ため息を吐きながらも職業意識に基づいて気が進まない足を進めることにしたらしいロレーヌ。
俺たちもそれに続こうとした。
が、
「……待ってくださーい!」
と、どこからともなく声が聞こえてくる。
なんて。
そんなことはない。
どこから聞こえてきているのかは分かっている。
声の方向を見ると、そこには見覚えのある姿があった。
「あれは……フェリシーだね」
オーグリーも確認してそう言った。
確かに、そこにいたのは彼女だ。
手に何かを持っているようだが……。
「……はぁ、はぁ」
俺たちに追いつき、息を切らせているフェリシー。
その手には何かを持っており、また服装は先日見たような、村娘らしい厚ぼったいスカート姿ではなく、幾分か体にぴったりとした、かなり活動的なものである。
「どうしたんだ? まさか何かあったのか?」
まだ、《ゴブリン》の仲間の最後の一人が何をやろうとしているのか、どこにいるのかについては分かっていない。
フェリシーか、その家族、もしくは集落の人々の誰かに何か問題が起こった可能性を疑っての質問だった。
しかし、これにフェリシーは首を横に振る。
「あっ、いいえ。そうじゃないんです。そうじゃなくて……これ」
そう言って彼女が差し出したのは、植物の茎を乾燥させたもので編まれたバスケットだ。
オーグリーがそれを受け取り、中を見てみると……。
「これは……お弁当かな? ほら見て。おいしそうだよ」
言われてロレーヌと一緒に覗いてみると、確かにそのようなものだ。
良くあぶられたハムとチーズが挟まったサンドイッチや、朝に取れたものだろうみずみずしい野菜のサラダ。それに熟れた果物もいくつか。
およそこう言った遠出では望むべくもない、新鮮な食べ物がたくさん詰まっていた。
俺たちも色々と食べ物は持っているが、基本的には保存食が多い。
新鮮な食材を新鮮なままいつまでも詰め込んでおけるわけではないからである。
もちろん、それなりにちゃんと仕入れているのであるが、腐る前にすべて消費してしまうし、あんまり沢山持ってきてダメにするのも惜しい、という貧乏性からどうしても生鮮食品は少な目になってしまう。
そして少量のそう言った食品を食べきってから後は保存食のみの食事になる。
それでも料理すればそれなりのものにはなるし、少し森に入って探せばハーブの類や山菜などはなんとかなるから、それで青物はどうにかしているのがいつもだ。
今回はまだ少しは野菜なんかも残っているが、採れたてと比べるとレベルが違う。
他のものも同様だ。
「もしかして、これ、くれるのかい?」
オーグリーがフェリシーに尋ねる。
もしかしなくてもそうに決まっているだろうが、まだはっきり言われたわけではない。
見せてやっただけよ!
と言われる可能性もゼロでは……ゼロか。
どんだけ性格悪いんだってなってしまうからな。
案の定、フェリシーはオーグリーの言葉に頷き、
「もちろんです。母と父が作ったんですよ。皆さんに、お礼にって」
そう言った。
彼女にオーグリーは苦笑しつつ、
「……何もいらないって言ったんだけどな」
と呟いたのでフェリシーが、
「ご迷惑でしたか……?」
と尋ねるも、オーグリーは首を横に振った。
「いいや。ありがたいよ。二人もそうだろう?」
と俺とロレーヌに尋ねてきたので俺たちもまた、頷く。
「これが無かったら今日は飛竜鍋とかになってただろうからな。ありがたいよ」
「あれもまずくはないのだが、いかんせん大味すぎる。私はあまり好かん。とは言え、我儘も言えんだけにつらいところだが……フェリシー、本当に助かる。ご両親にもよろしく伝えてくれ」
ロレーヌは大げさにお礼を述べた。
意外と食い意地が張っている奴であるため、本気だと思われる。
「いえ……!」
そんなロレーヌに、フェリシーは恐縮したように首を横に振った。
それから、俺はオーグリーに、
「……じゃ、それは俺が預かっておこう。持ったまんま戦ってぐちゃぐちゃにしたら作ってくれた人に悪いからな」
「あぁ、君の魔法の袋、容量大きめなんだっけ。じゃあ、頼むよ」
なにせ、俺の魔法の袋には入れたことはないが、頑張ればタラスクサイズの物体も入るくらいのものである。
このくらいのバスケットは余裕だった。
すっと魔法の袋の口をバスケットに当てると、消えるようにその中に入ったバスケットにフェリシーは目を瞠った。
こういった集落では、このようなものを持っている者などまず見ないからだろう。
なにせ、金貨二千枚以上のものだからな。
家が買えるんだぞ。
ともあれ、これで用事は終わったかな、と思ったのかオーグリーがフェリシーに、
「じゃあ、僕たちは行くよ」
と言ったのだが、ここでフェリシーがオーグリーの袖をつかみ、言った。
「いえ! ちょっと待ってください!」